Cランク昇級試験 その5
巨大なゴーレムが鈍い動きで大きな棍棒を横なぎに振り払う。
「うわっと!」
跳躍でそれを避ける。
それを待っていたかのように、空を漂う私に無数の氷の刃が飛んでくる。
バランスの悪い空中でなんとかその全てを杖で弾いた。
直接的な打撃は逃れたものの、代わりにいくつかの砕けた氷の冷気が私を包み込んだ。
「ひゃあ、冷える! これっていやがらせ!?」
「くっくっく。火球ならいまごろ炎上だっただろう? 半分はやさしさだよ」
確かに火球は弾く事ができないけれど。
「残りの半分はいやがらせでしょうに~……!」
地に降り立った私はゴーレムの足元へもぐりこんだ。
「見てなさいよ~。そこから引きずり下ろしてあげるんだから!」
動きの遅いゴーレムの蹴り足を難なく避けながら、その側面へ移動する。
「えい!」
杖を横なぎに振るうのと同時に、ゴーレムの両足に『超つるつるの魔法』をかける。
大きな岩の踵を打ち据えた瞬間、ルイズの絶叫が木霊した。
「なッ!? あああぁぁぁ~~~~ッ!!」
杖を握る手には、さながら木から落ちる1枚の葉を打ったようにまるで重さや衝撃を感じない。
けれど打たれた巨大なゴーレムは中空で高速回転した後、轟音を立てて仰向けにひっくり返った。
――そう。それはとある『星屑の涙の光明』の活動中の事だった。
「どうして重たいものって、動かすのに最初だけ力がいるんだろうね?」
調べ物に疲れた私達は図書館の机で休憩がてら雑談をしていた。
「それは抗力のせいですね」
「違う。静止摩擦力のせい」
「あれ、そうでしたっけ?」
「あの~、2人とも何の話?」
「つまりですね……」
小一時間、2人から説明された結果。
「うん、全然わかんない!」
「私も言うほど理解しているわけではないです。イメージしづらいですよね」
「静止状態から動き出すまでの間、それと動き出した後の2種類の摩擦係数がある。ということ」
「あ、でも反力はどうなります?」
「それはまた別」
また2人が何語かわからない会話を始める。
「摩擦? っていうのがなければ、自分より大きな人を押しても弾かれない?」
「同じ条件ならその場合は相手も動きますが、それ以上に自分が弾かれると思います」
「質量の差。押し合った場合、質量の高いものはゆっくり動き低いものは速く動く」
ん~? わかったような気がしたのに、またよくわからなくなった。
再び3人で、あーでもないこーでもないと話すこと小一時間――。
「要するに物を引きずる場合、止まってるときより動き出した後の方が軽くなるのが摩擦力の差のせいで、そもそもそれがなくても重たい物ほど動きたがらない何らかの力が働いている?」
「まぁそうですね」
「大雑把だけど、間違ってはいない。それを重さではなく質量という」
「だったらさ、全部まとめて滑らせたら最初から簡単に動かせるってことだよね?」
「「はい!?」」
2人して素っ頓狂な声をあげた。息ぴったりだね。
「ティア、そんなことは不可能ですよ」
「質量は質量。すべったりしない。加速度を変えられれば計算上は可能、だけど……」
「そうなの? なんとなくイメージはあるんだけどな」
2人は呆れていたけれど、メディが示してくれた私の力の可能性。
それは『つるつるの魔法』にも言えるんじゃないかと思ったんだよね。
少なくとも、出来ないと決め付けてしまえるほどには、私自身がこの魔法についてよくわかっていないんだ。
そして密かに練習して編み出した、重さ……メディが言うには質量? を無視してすべらせる『つるつるの魔法』を超えた『つるつるの魔法』。
『超つるつるの魔法』がこれだ!
人造ゴーレムの頭から振り落とされたルイズが立ち上がる。
「お前っ、どんだけ馬鹿げた力持ちなんだい!!」
「え、違うよ。普通だよ」
右手を曲げてチカラコブを作ってみせる。やっぱりコブは生まれない。
「だったらどうやってあの超重量を容易く転ばせられるっていうんだい! 魔法を使えないはずのお前が!」
「えへへ。秘密」
「……そういえば、その細腕で大きな鉄塊を軽々と引きずってきたこともあったねえ。くっくっく。エルガンが言う通り、やはりお前はおもしろいな!」
背後で人造ゴーレムが立ち上がる。打撃の威力で転んだ訳ではないことを示すように、その踵は少し欠けただけでほぼ無傷だ。
正面に向き直るとルイズが新しい魔力図を構築していた。
「衰弱の魔法で私の力を封じるつもりかな?」
「なんだと!?」
あ、しまった。思わず口にでてしまった。
「……どうしてそこまでわかるんだい?」
「ぼ、冒険者のカン、かな?」
「お前の顔はそうは言っていないぞ。何か隠しているようだねえ……」
ルイズは構築中の魔力図を破棄して、新たに2つの魔力図を構築し始める。
1つは光の球を呼び出す初級魔法で、もう1つは……最適化されていてどんな魔法かわからない。
でもなんで光の初級魔法?
瞬時に構築を終えた2つの魔力図は私を両脇から挟むように弧を描いて飛んでくる。
私は無害な光の初級魔法の方に背を向けて、効果のわからない最適化された魔力図へ向かって備える。
魔法が発動すると前後から光に包まれた。
「うっ、まぶしい!」
両方とも光の魔法だった。警戒していた分、もろに直視してしまった。目を開けていられない!
視界を奪われた直後、背後から岩の壁のようなものに打ち据えられた!
「がふッ!」
息が詰まる程の衝撃の後、体が吹き飛ばされていく感覚を覚える。
震える瞼で薄く開けた視界に、観戦席に座るエンリたちの姿が飛び込んでくる。
「「「ティア!!」」」
ぶつかる! と思った瞬間、やわらかい弾力のある見えない壁にぶつかると、やさしく弾かれて地面に落ちた。
「げふっ、かはっ!」
打撃の衝撃にびっくりして止まっていた肺がやっと動かせるようになる。
頭上の観戦席からはみんなの心配する声が聞こえてきた。
「だ、大丈夫。大したことないから」
強がってはみたものの、身体が痛みで悲鳴をあげている。とてもまだ立てそうにない。
四つんばいのまま少し休む。
「大丈夫って、あのデカイのにめっちゃぶっとばされてるジャン!!」
「あんな巨大な相手、無謀!」
「ティア、無理しないでっ!」
「こんなことCランクの昇級試験の域を超えていますわ! ティアズ、ここは棄権すべきですわ!!」
うろたえるみんなの横で、サラだけが冷静に私を見つめている。
黙って頷く私に、サラは微笑むと頷き返してくれる。
彼女は私を信じてくれている。みんなが私を信頼していない訳じゃない。これはダンジョンで互いに背中を預けて戦ってきた仲だからこそ生まれた私とサラの信頼関係なんだ。
そのサラも言ってる。まだやれる、と。
「まさかと思ったが直撃するとはねえ。生きてるかい?」
ルイズが少し離れたところまで歩いてくる。
「お前は十分、私をたのしませてくれたよ。ここで止めても昇級試験は合格にしようじゃないか。どうだい? まだ続けるかい?」
「当然、続けるに決まってるよ!」
ふらつく足でなんとか立ち上がる。
「ふむ……」
ルイズは私のコンディションを見極めるようにゆっくりと目線を動かしたあと、続けた。
「予想通りとはいえ、いささか驚きを隠せないよ。まさかとは思うが……お前、私の魔力図が見えているのかい?」
「……観えるって言ったらどうする?」
「そんなことはありえないねえ。だが、それに類するような何かがお前にはあるんだろう。ティア、お前高級言語は理解していても、低級言語はわからないんだろう?」
「そ、それはどうかな?」
「私はお前が魔法の高級言語を理解するよりも深く、お前の心情を理解しているんだろうねえ。くっくっく」
「ぶー、どういう意味よ!」
身体から痛みが引いた。両足にも力が入る。もう十全に動けそうだ。
「お前が続けるというのなら、続けようではないか。だが、無理となったらいつでもギブアップするがいい」
ルイズが新しい魔力図を構築しはじめる。それは最適化された魔力図だった。
「早速、最適化された魔力図を使うんだね!」
その言葉にルイズがさもおもしろいとばかりに、にやりと笑みを浮かべる。
飛び掛った私をルイズがバックステップで逃げる。
追いかけようとした所に、人造ゴーレムが振り下ろした大きな岩の棍棒が叩きつけられた。