ティアの光 その6
気が付くと津波のようにおしよせていたストレスが消えていた。ほっ、と安心すると消毒液らしき独特の薬品の匂いが鼻を付く。
左手を包む温かい感触を反射的に握り返した。私の身体はちゃんとあるらしい。
「ティア!?」
ゆっくりと目を開けると、私を覗き込んだ涙ぐむエンリとメディの顔が見えた。
「ティア、よかった……っ!」
「先生呼んでくる!」
とてとてとメディが走る音が遠ざかる。
「ここは……私はどうしたの?」
「ここは保健室です。ティアは図書館でいきなり倒れたのです。……ほんとうにもう! いつもいつも心配ばかりかけてっ!」
エンリの目が赤い。手を包む力が強くなった。
「ごめん」
私の左手を握るエンリの手を、右手で気持ちを込めて包み返す。
そうか、そうかもしれない。いま、初めて気づいた。
ダンジョンへ行った日はいつも、部屋に帰ると彼女が笑顔で出迎えてくれていると思っていたけれど、逆だったのかもしれない。
部屋でひとり待つ彼女は、帰りが遅くなるほどに、私の無事を知るまで笑えなかっただけだったんじゃないだろうか。
「いつも心配かけてごめん」
「ぐす……ちゃんと目を覚ましたから許します」
エンリがやさしく微笑む。
「うん。えへへ」
「ふふふ」
「先生、はやく!」
「もう、引っ張らないでメディスールさん! 体に異常はないから、目が覚めたなら大丈夫だと説明したでしょう!」
賑やかな声と足音が近づいてくる。メディが保険医の先生を連れて来たようだ。
「ティアズさん気分はどう?」
「大分良い、かも?」
正直言うと、まだ少し気持ちが暗い。だけどあの絶望的な気分と比べたらなんとも晴れやかだ。
「そうね。顔色も大分よくなっているし、この様子なら今日はもう大丈夫でしょう」
私は女医先生に頷くと少し離れたところに立つメディを見る。
「メディも心配かけちゃってごめんね」
「ううん……」
歯切れの悪い返事が返って来た。どうしたのだろう?
「ティアが……倒れたの、実験のせいだから。私が無理させたから……」
下を向いたまま小さな肩を震わせている。何かが2粒、床に滴り落ちた。
「どういうこと?」
「私が話しましょう」
答え辛そうなエンリに代わって女医先生が話し始めた。
「ティアズさんが寝ている間に、私が診断魔法で健康状態を検査したの。身体に異常は見られなかったけれど、魔力の方が著しく不安定になっていたのよ。こんな症例は私も初めてで、なんていったらいいのかしら……」
女医先生は少し沈潜したあと、続けた。
「……そうね。まるでティアズさんの中で4つの異なる魔力が互いに反発し合っているかのような……。いいえ、2つの強大な魔力の衝突に他の2つの魔力が押し負けて消え入りそうになっているというべきかしら。私の診断魔法でもぼんやりとしかつかめなかったから、大分想像で補っているけれど、他に表現のしようがないの。わかりにくくてごめんなさいね」
そう言って肩を竦めた。
私の中に4つの異なる魔力? なんだかややこしいことになっていることはわかったけれど、聞きたいのはそんなことじゃない。
「それがどうしてメディの実験のせいになるの?」
「ティアと私、エンリで4種類……だから」
メディが搾り出すような声で言った。
あぁ、そういうことか。
「あの、私はもう大丈夫だから、寮の部屋へ帰ってもいい?」
「……そうね、自分の部屋の方が落ち着けるでしょう。無理せずに起き上がれるのなら好きになさい」
私の意図を察するように笑顔でそう言うと、女医先生は部屋を出て行った。
ベッドから起き上がる。うぅ、身体が重い。でも寮までならなんとかいけそうだ。
これ以上、2人に心配をかけたくない。顔に出ないように注意しつつ、ベッドから降りた。
エンリと目配せをしたあと、メディの手を取る。
「さ、行くよ」
びくっとしてメディが顔を上げた。つぶらな瞳は涙で濡れている。
私は制服のスカートのポケットから小さいタオルを取り出すと、メディの目元を拭いながら話す。
「そんな顔をしてるメディをこのまま放っておけないよ。それに私も2人に話したい事があるんだ」
そうだ。言わなきゃ。こんな無意味なことはやめようと。
この学園には私が求める答えはないのだから……。
無言のまま、3人で真っ暗な廊下を通り、外へ出る。
寮の部屋に入るとメディを私の机の椅子へ座らせたあと、ベッドに腰掛けた。エンリは自分の椅子に座っている。
少し外を歩いたからか、メディは落ち着きを取り戻しているようにみえた。
「私が倒れたのはね、あの実験のせいじゃないよ」
「違う。診察魔法の結果から、実験が原因としか考えられない」
「うーん。まるで4つの魔力が反発しているかのよう、だっけ?」
メディが小さく頷いて肯定する。
「要するに私の魔力の状態がおかしいってことだと思うんだけど、それはタイガの魔力を取り込んだからだと思う」
「それなら2つのはず。4つはおかしい」
確かにメディが言う通りだ。私とタイガで2つならわかるけれど、4つとなると残りの2つが誰の物なのか疑問が残る。
「うん、そこのところは私にもわからないんだけどね。つまりね、私が言いたいのは魔力の状態がおかしい事が倒れた原因ではないということなんだよ。というか、両方共、私がタイガの魔力を取り込んだからだと思ってるんだ」
「ティアには倒れた理由がわかっているのですか?」
「うん、たぶんだけどね……。だからね、メディは何も悪くないよ。頼んだのは私だからタイガのせいでもない。全部自分のせいなんだ」
元気に笑って見せたかったけれど、力のない笑顔になってしまったかもしれない。無理に明るく振舞うのも少し辛くなってきた。
「了解。信じる。だからティアは休んで」
「また顔色が悪くなってきています。今日はもう休みましょう」
「本当だよ。誰のせいでもないから」
2人がかりで寝かしにかかってくる。
「待って、まだ私の話が……」
「話なら明日でも出来ます。今日はもう休まないと駄目です!」
「同意。ティアが元気になってからでいい」
ささやかな抵抗むなしく、下着とワイシャツ以外、脱がされてしまった。
そのままベッドに横倒しにされると、シーツをかけられた。
「私ね、みんなの魔力を借りて魔法が使えた時、本当にうれしかったんだよ」
「ふふふ。わかってます」
「エンリ、ティアの事お願い」
「はい。まかせてください。メディも遅いですから帰り道に気をつけて下さい」
「大丈夫、ここは私が生まれ育った街だから。ティア、明日また来る」
「うん、またね」
ノブを捻る音のあと、静かに扉が閉まる音が聞こえた。
部屋にエンリと2人になる。いつもの生活に戻っただけなのに、急に寂しくなった。
「おなかは空いていませんか?」
「うん。食欲がないかも」
「ふふ、ティアが食べられないだなんて重症ですね」
エンリが明るく微笑んだ。
「本当だね」
風邪を引いても食欲だけはなくしたことがなかったのに。こんなことは初めてかもしれない。
「私はいいから、何か食べてきなよ」
「いえ、実は私もいまはあまり……。それよりタイガちゃんのご飯をどうしましょう」
「タイガおなかすいてる?」
「……いらん」
やっぱりそうだよね。そうだと思ってた。
「ふふふ。ティアが元気にならないと、タイガちゃんも元気がでないみたいです」
「……うん」
「今日は3人とも調子が良くないようです。少し早いですがもう寝ましょう。私は湯浴みに行ってきますが、ティア? 少しの間ひとりで大丈夫ですか?」
「……大丈夫。タイガもいるし」
「ふふふ。なるべく早く戻ってきます。でも、眠れるようなら寝てしまってくださいね」
着替えを持ったエンリが部屋を出て行くと、灯りが消えて真っ暗な部屋にひとりきりになった。
「灯りは消さないでって言えばよかった」
夜の森ですら感じたことのない孤独と不安に襲われる。
髪の毛束を胸元に集めて抱きしめた。
「寂しい。タイガ出てきて」
毛束が黒猫に姿を変える。
「あったかい」
両腕の中に現れた黒猫から、温かい体温と静かな息遣いが伝わってくる。
少しほっとする。
「ねぇ……あの傷だらけの魔物は昔のタイガなんでしょう?」
タイガは答えなかった。
だから私は確信する。あれは封印される前のタイガに起こった事なんだ。