運命との邂逅 後編
もしかしてとんでもない事をしてしまった!?
私の胸にじわじわと焦りと不安が広がる中、石が割れたような音がすると足元にあったトゲトゲの岩がとろりととろけた。
ソレはどこか意思を感じさせるように、ぷるぷると震えながら蠢いた。
「ま、まさか、スライム!?」
カブトにいちゃんがまだ孤児院にいた頃、孤児院を出たら冒険者になるんだと良く言っていた。
それを聞いて私もカブトにいちゃんみたいに冒険者になるんだと言ったら、にいちゃんは訓練を付けてくれたり、冒険者の話をよく聞かせてくれたものだ。
そんな話の中で、物語ではスライムは初心者向けの弱い魔物と語られているけれど、物語と現実は違う、実際はやばい魔物だから気をつけろと言っていたのを思い出す。
殴ってもほとんど効かないし、顔に張り付かれたら息を止めらちゃうし、種類によっては触れた所を溶かされる事もある、とても危険な魔物だと言っていた。
話だけでスライムの実物を見たことはないから、これがそうかどうかの判別はつかない。
けれど仮にスライムだとすれば、こいつの色は真っ黒だ。
わからないけど毒とかありそうな気がする。
なんかヤバイ気がする!
足音をたてないように静かに、ゆっくり後ろに下がる。
スライムには目も耳も見当たらないけれど、そうした方がいいような気がした。
ぷるぷると震えていた真っ黒なスライムがその動きを止めると、次の瞬間バウンドして飛び掛ってきた。
「わ!」
びっくりして反射的に出してしまった手にべったりと張り付かれた!
何かが染み込んでくるような嫌な感じが腕に広がる。
やばい、毒に犯される!?
「いやだっ!」
『つるつるの魔法』をかけて夢中で腕を振っていると、黒いスライムは腕から外れて足元に広がる草むらのどこかにガサリと音を立てて落ちた。
あわてて手を見るとなんともなかった。痛みもない。
だけど安心している場合じゃない。
こんな所にいたらどこから飛び掛ってくるかわからない、早く逃げなければ!
街へ向かって急いで走り出す。
門がやたら遠くに感じる。
息を切らせながら後ろに目もくれずに全力で走っていると、背中にやわらかくて少し重いものが勢い良く当ってきて転びそうになった。
まさか、背中に張り付かれた!?
「うわああああ!」
髪が後ろに引っ張られる。
急いで『つるつるの魔法』をかけようとしたら、何かが引きちぎられたような音が連続して頭の中に響いた。
私の髪の毛が切られた!?
わからないけど、頭にかかっていた重量から開放される代わりに、地面を見ると大量の髪が落ちていてスライムと混ざり合って蠢いていた。
あわてて頭を触ってみると、ロングヘアーだった髪がミニボブくらいに短くなっていた。
「ああああああっ!! ずっと大切に伸ばしてきた私の髪があぁっ!!」
スライムはうにょうにょとしながら猫の姿を形作る、そして。
「くそっ! なんで体が奪えねぇ!」
しゃべった。
このスライムが何者なのかなんてもう知らない。私の大事な髪を奪ったこのスライム、いや猫? なんでもいい、許すまじ。
この謎の猫はなんてことをしてくれたのか!
しかも体を奪う? とんでもない奴じゃないの!
しゃべれるなら文句を言ってやる!
「ちょっと! 私の髪どうしてくれるの!」
「あ? 何だお前は」
「何だじゃないよ!」
私は黒猫に『つるつるの魔法』を掛けた。
黒猫はその場で4つの足を器用に動かしてしばらく踊っていたが、全部の足が同じ方向へ投げ出されてしまうと、空を舞って横倒しになる。
「な……何が起こった!? お前がやったのか?」
「したのはあなたでしょう! 私の髪を返せ!」
起き上がろうと黒猫が足を地につけるたび、その足に『つるつるの魔法』を掛けて滑らせる。
黒猫はもがくばかりでその場から立ち上がる事すら出来ない。
絶対に逃がさないんだから!
「く……くそ、ならッ!」
黒猫を中心に真っ黒で青く光る複雑な模様が描かれた図形が構築されると、その場に広がっていく。
なんだそれは! そんなわけのわからないものはこうだ!
私はその模様の端を摘むと怒りにまかせて引きちぎった。
氷が割れたような音がして模様が消滅する。
「は……何だと! 何をした!!」
「知らないよ! それより髪だよ!」
「ま……待て! ……お前が俺様の封印を解いたのか?」
封印? 何の話? 怒りは収まらないけれど、とりあえず座って話を聞いてやる事にした。
「――それで、あなたは天魔戦争で封印された大魔王だと?」
「あぁ、そうだぜ」
この猫は自分が魔物の中でも頂点に立つと言われる大魔王だと嘯く。
魔物の事はカブトにいちゃんから教えてもらったくらいの知識しかない私でも、大魔王といったら英雄と呼ばれるSランク冒険者や物語に出てくる勇者のような、すごく強い人達が神器を使って束になって戦うような強大な力をもった恐ろしい魔物だって事くらいは知っている。
だけど今、私の目に映るこの猫は私でも簡単に退治できそうだ。
「大魔王ねぇ……」
黒猫のあごの下をわしゃわしゃすると、猫特有のゴロゴロ音が聞こえてくる。
「く……よせ!」
(かわいい……)
わしゃわしゃわしゃ……。ゴロゴロゴロゴロ……。
「……見えない」
「あ?」
「大魔王には見えない」
「く……っ」
黒猫がしょんぼりとうつむく。
傷つけてしまっただろうか?
あんまりにも下げられた肩が哀しそうだったから、ちょっと心が痛んだけど、ただの猫にしか……しゃべるけど。
「あなたの言う事が本当だったとして、つまりあの大きな模様は封印の魔法だったって事?」
「模様だと? ……こんなのか?」
黒猫を中心に複雑な模様が描かれた図形が広がる。
「色とか形は違うけど、そんな感じのだったよ。すごく大きかったけど」
「どのくらいだ?」
「ん~、半分地面に埋もれてたけど、見えてる半分だけだと5mくらい?」
「ふむ。俺様を封印するくらいだ。そのくらいはあるか。つーか、そんな強力なもんどうやって解いたんだ?」
「え? 引っ張ったら壊れちゃった……」
「ああ? そんだけデカい魔力図、引っ張ったくらいで壊わせる訳がねぇ! いや、そもそも引っ張れる訳がねぇ……!」
「そう言われても……弱ってたんじゃないの? そもそもいつから封印されてたの?」
「数えるのが面倒くさくなるくらい前からだ」
この黒猫が面倒くさくなるくらい? どのくらいなのか全くピンと来ない。
「とりあえずわかったよ。要するにさ、封印を解いた恩人の私に向かって体を乗っ取ろうと襲いかかった挙句、私の大事な大事な髪を奪った恩知らずってことじゃない?」
「あ? 俺様の知った事かよ」
なんだとお! もう一度『つるつるの魔法の刑』に処す。
「くそ……わけわからん魔法め! わかった、わかったよ!」
「じゃあ、私の髪を返して!」
両手の平を上にして突き出す、頂戴のポーズを取って圧をかける。
「ぐ……お前の髪はもう俺様の体になった。もう返せん!」
なんですって! どうやらもうスライムの状態に戻る事も出来ないらしい。
はぁ~……全く。すごく悲しい事だけど、しょうがないか……。
ここでこの猫にいくら文句を言ったところで髪が返ってくるものでもない。
腹いせに報復しても虚しいだけだ。
失ってしまったものは仕方がないと、切り替えよう。すごくすごく悲しいけれど!
「はぁ……わかったよ。じゃあ、最後にあなたの名前を教えて?」
「俺様か? 俺様は魔界最強の大魔王タイガ。タイガ・ガルドノスだ」