ティアのままならない一日 その6
「お、おい!?」
突然肩に触れられてびっくりして横を向くと、グレッグが驚いたような顔をして立っていた。あんまりにも集中しすぎていたせいで彼の接近に気づけなかった。
「え、何?」
「あ……いや、なんでもない。俺の見間違いのようだ。壁を調べているんだが、ここまでそれらしい仕掛けは見つからなかったんだ。あとはここだけなんだが、この鏡はどうだ?」
さっき鏡の中に見た景色を思い返す。自分でも荒唐無稽だなと思いつつも、この姿見の向こう側に下へ降りる梯子があるという説明出来ない確信がある。
「何かあるような気がするんだけど、これ外せないかな」
「ふむ。ちょっと下がっていてくれ」
両腕を広げて姿見の装飾された額縁を掴むと、上に持ち上げながら左右に振ったり引いたりしている。
ゴトゴトと硬い物がぶつかる音がするものの、僅かに動くだけで一向に外れる気配がない。
「おかしいな、普通はこれで外れるもんなんだが」
言いながら角度を変えたり、思い切り持ち上げてみたりと、姿見の動きを通して留め具の形状を探るように悪戦苦闘を続ける。
「駄目だな。それにしても妙に重たい鏡だ……」
腕が疲れたのか、グレッグが姿見から離れた。
どうやら普通の壁掛けの鏡のように、単純に壁に吊るされているという訳ではないらしい。
「グレッグさん、床にはそれらしいものは見つけられませんでした」
「天井も同じでした。くそう、ここまで来たってのに!」
それぞれの担当箇所を調べ終わった警備兵の2人が集まってくる。
3人が輪になって話し合いを始めた。
私は改めて姿見を見つめる。
確信はあるけれど、さすがに鏡を破壊するわけにはいかないよね。だけどこの先に梯子がある以上、何かこの鏡を動かす方法があるはずなんだ。それもここが逃げ込むための場所なら複雑な仕掛けではなく単純なものが。
額縁の裏を指先で探りながら背伸びしつつ、ぐるっと一周調べてみるが特に何もない。
模様の一部がスイッチになっているかもしれないと思って、装飾のそれらしい突起を押してみるがへこみもしない。
う~ん、困った。そういえば何をやっても駄目なときにこうしろっていうのが物語りの台詞であったような……。
「そうだ。”押して駄目なら引いてみろ”だ」
額縁の両端を掴むと、グレッグのように持ち上げたりせずにそのまま真っ直ぐ後ろへ引っ張ってみる。少しの抵抗を感じさせながらも姿見が少しだけ動くとカチッという何かが外れるような音と共に右手に小さな振動を感じた。
もう一度額縁の裏側を右手で探ると、さっきはなかった突起に触れる。さっきの音はこれが飛び出るときに出たものなのだろう。
手の幅よりも少し大きいそれを、額縁ごと握るように掴みながら手前に引っ張る。
すると、ドアノブを回したときのような錠の外れる音と共に姿見が扉のように動いて開いた。
「ねぇ、開いたよ」
「なんだと! どうやったんだ!?」
声をかけると背中を向けて話し合っていたグレッグが慌てたように振り向く。
やった事を説明する。
「お前さんは本当に優秀だな」
「なあ、お嬢ちゃん、いや、君っ! 魔法学園を卒業したら警備兵団に入らないか? 君の助力があれば王都の犯罪者達も迂闊な事が出来なくなるだろう!」
「ああ。危険な戦闘は俺達で出来るが、君のような魔法の素養がある人材は少ないんだ。来てくれるなら歓迎するぞ! 是非考えてみてくれ!」
前のめり気味の警備兵2人が目を輝かせている。
「え、あ、あははは……」
随分と大袈裟な事を言っているけれど、警備兵団か。法と秩序を守る職業だから冒険者と違って孤児院育ちでは入るのが難しいとされている職業だ。
この2人は私が孤児院育ちと知ったら考えが変わるだろうか。
ふとグレッグを見るとそんな私の考えが透けて見えたのか、優しく微笑み返されてしまう。
不意を突かれて恥ずかしくて顔が熱くなる。
むー、ほんと顔にでなくする練習方法ってどうやればいいんだろう!
「そんなことより、捕まえにいかなくてもいいの?」
八つ当たり気味に言ったらグレッグが苦笑いしたあと続けた。
「そうだな。ここで取り逃がしてしまっては元も子もない。これだけ手の込んだ仕掛けで隠されている場所だ。おそらくここが奴らの根城で間違いないだろう。気を引き締めていくぞ」
「「はっ!」」
警備兵の2人を先頭に2階分もありそうな長い梯子をゆっくりと降りていく。
先に降りた2人が唸るように声を上げた。
「な、なんだよこれ……!」
「どうしてここに魔物が!」
梯子を降りるとそこはむき出しの岩肌で作られた広間だった。壁と天井には、崩落を防止するための太い木の柱と梁が所々に見える。そして壁際にうずくまる、眠っているように目を閉じて動かないマッドタイガーが計10匹。タイガが言っていたのはこの事か。
「眠っている、のか?」
最後に降りてきたグレッグが目を見開きながら呟いた。
「たぶん、魔法で永続的に眠らされているんだと思う」
マッドタイガーの頭部に展開されている魔力図からは、初級魔法の眠りの魔法に似た象徴的な図形が見て取れた。尤も、初級魔法のそれは発動と同時に眠りを誘う霧を噴出させ、嗅いだ人を眠りに落とすもので、効果範囲も狭く一時的なものだ。目の前で発動している魔法は明らかにその上位の、少なくとも中級以上のものと思われた。
「それは……。いきなり起きたりはしないってことか?」
「うん、魔法が解除されない限りは。音を立てたくらいじゃ起きてこないと思うよ。見てて」
念のための確認と証明のため、寝ているマッドタイガーの側まで走っていってジャンプしてみせる。
「ね、起きないでしょ?」
「ねじゃない! 全くなんて肝の据わった娘なんだ。もし起きてしまったらどうするつもりだったんだ。この虎は武装した俺でも同時に相手にするなら2匹が限界なんだからな? それが10匹もいるんだぞ!」
「大丈夫だよ。もし起きても自分で倒せるから心配いらないよ」
「……武器も持たずにか?」
「あ……。う、うん」
全く信じられないという目で見つめられる。まぁ説得力がないか。
確かに杖がないと止めが刺せないけれど、いざとなればタイガの爪がある。
「起きないのはわかったが、なるべく音を立てずにいくぞ」
グレッグを先頭に、私、警備兵と続く。
「わ、わかっていても肝が冷えるな……」
「いまこいつらが起きて襲ってきたら俺達……」
「や、やめろよ! 本当にそうなったらどうする!」
「す、すまん……」
びくびくしながら後ろをついてくる2人。彼等は街の中の警備がメインなのだろうか? 先程まで勇ましかった顔が地下に降りてからは面影もない。対人ばかりで魔物と戦った経験が少ないのかもしれない。
実際、対人と対魔物では相手の力も、タフさも、知能も、場合によっては手数も違う。戦闘内容が全く異なるのだから経験がないなら怯えるのは仕方がないことだ。未知のものを怖いと思えないなら、それはただの蛮勇だと思う。
眠るマッドタイガーの横を通り抜けて通路へ入る。少し進むと鉄格子の扉に阻まれた。
「開かないな。鍵穴は見当たらないが、まるで鍵がかかっているかのようだ」
「魔法で施錠されているね。学園で使われている施錠の魔法と同じ物かも。正しい魔法の解除キーがないと開けられないと思う」
鉄格子の扉には寮の扉で見たような小さい魔力図が観える。試した事はないけど魔法によって”閂を外す”様な仕掛けだとしたら魔力図を壊してしまったら2度と開けられなくなると思う。迂闊に壊せない。
「ほっほ。街の警備兵如きが、どうやって幻影魔法を見破ったのかと思えば、魔法に詳しい者の手引きがあったんじゃのう」
「誰だっ!」
いつのまにか鉄格子の向こう側に漆黒のローブに身を包んだ老人が立っている。深く被ったフードの奥に見える顔には、額から頬へ過去に負ったのであろう大きな切り傷の痕が付いていた。
おそらく左目はその傷によって失明しているのだろう、瞳孔が白濁としているし、右目がこちらを睨んでいるが、左目はあさっての方を向いたままだ。
「おぬしら如き雑魚に名乗る名なぞないわい」
「気をつけて、この人ちょっと普通じゃないかも」
「……わかった」
普通じゃないのは顔の傷の事じゃない。全身にいくつも展開されている魔力図の事だ。
私がわかる範囲で物理防御壁、魔法防御壁と思われる魔法が常時発動されているし、中級の射出系らしき魔力図が2つ、構築を終えて発動を待っている状態だ。他にも発動している魔法があるが、何の魔法かわからない。
そして今も見たこともない大きくて複雑で濃密な魔力図を構築している最中だ。その構築速度たるや、タイガを余裕で上回るほどに速い!
それになんという魔力制御能力だろう。密度から考えれば、大きいあの魔力図はむしろ小さいとさえ言える。嫌でもその魔法の威力が強力なものだとわかってしまう。
これだけの魔法を維持できるだけの魔力量も底が知れない。鉄格子に阻まれて接近できないこの状況でやりあうには最悪の手合いだ。
「王国警備団だ! ここにいる魔物の件も含めて詳しく話しを聞かせてもらう! 大人しくお縄に付け!」
「こちらは3人。抵抗は無駄だぞ!」
警備兵の2人が私を追い抜き、グレッグの横に並び立って叫ぶ。
「檻の中で猿がキャーキャー煩いのう」
発動待ちだった2つの魔力図が動く。それは警備兵2人の後頭部に一瞬で移動した。
「危ないっ!」
魔力図は手を伸ばせば壊せる位置だ、でも不気味なあの男に手の内を見せたくない。『つるつるの魔法』を2人にかけて襟足を掴んで引っ張る。
「「おわっ!?」」
私が警備兵を転ばせると同時に発動した火炎魔法が鉄格子に激突した。
「熱っ」
慌ててグレッグが鉄格子から距離を取る。
無理もない、火球がぶつかった箇所が高温で真っ赤になっているのだから。




