審判の時 その2
最古の大魔王にして、七大魔王でトップクラスの実力を持つゼクスが怯えている?
いや、ゼクスだけじゃねー。
ルーヴァも他の奴らも、よく見りゃ身に纏った魔力に緊迫感がありやがる。
この空気……まるで決死の闘争へ挑む前のようだぜ。
「どーいう意味だ。ゼクス」
「これより始まるは”審判の時”。――世界の命運が掛かった、神が天の神子ティアと我々世界の管理者達へ与えた最後の試練だ」
「ちっ。だからそれがなんだっていうんだぜ!」
「天使の目を持たないお前にも感じることはできるでしょう。ティアから漏れ出る魔力がいまも高まり続けている事を。それはつまり、彼女の憎悪がそれだけ深く、強いと言う事です」
憎しみ……。
俺がしたことへの……俺への……!
「魔の根源は闘争と憎悪だ。そして天は魔を滅し、魔は天を浸食する。タガの外れた愛憎の狭間にて葛藤する天の神子の中では今、相容れない2つの反する力が互いを喰らい合っているのだ」
ゼクスの言葉は俺の心臓をキュッと締め付けた。
ティアが苦しんでいるのは、憎悪に抗っているせいだっていうのか?
取り返しのつかない事をしてしまった俺との繋がりを……それでもティアはまだ手放さずに居てくれているっていうのか……?
「しかし神は”審判の時”を迎える場所に人界ではなく、魔を強め、天を減退させる魔界を選びました。おそらく神は、なんとしてもティアを堕天させたいのでしょう」
また神か!
1500年前といい、どれだけ俺達を弄べば気が済む!
俺は奥歯を噛み締めた。
「お前のようにか?」
俺の挑発にルーヴァが微笑で応える。
「堕天の直後は魔に捕らわれ、自我が希薄になります。しかも素でこれ程の魔力を生む憎悪ともなれば、神樹の枝を使った私の時とは比べ物にもならないはず。堕天したティアは……おそらく本人の意思とは無関係に目につく全てを、魔界だけでなく人界も天界も滅ぼしてしまう事でしょう」
「な……っ!」
ティアは俺と違って人殺しを忌避している。
そんなことになれば、自我を取り戻した時ティアは……!
「いますぐ神器の権能を止めろ、ルーヴァ!!」
「もう手遅れです。神器『神の一滴の涙』の伝承、最終章開演のブザーは既に鳴り響いている。もう誰にも、神でさえも止めることは出来ません」
ルーヴァが鋭く目を細めて濃密な魔力を身に纏う。
「もう間もなく天を魔が覆いつくし、ティアの身体に流れる天族の血が裏返る……。ティアを注視なさい、タイガ・ガルドノス。決して目を放さず……そして備えなさい」
苛立ちはあったが、焦りを覚えて俺はティアを見た。
俺は驚愕に言葉を失った。
いつの間にかティアは漆黒の魔力の球体に包まれていた。
可視化できるほど濃密な魔力など初めて見る。
それはまるで、魔の深淵が産み落としたタマゴのようだった。
「なん……だ。これは?」
七大魔王が取り囲んで見守る中、タマゴからドクンと脈打つように巨大な魔力の波動がほとばしった。
「いま、天の神子が堕ちました。孵化が始まります」
漆黒のタマゴに黄金色の無数のヒビが広がる。
そのヒビの隙間から、いままで感じたことのない異様な魔力が漏れだした。
「あ……はは……。ちょっとこれ、やばくない?」
顔を引きつらせたミューズが震える声で言った。
「話だけではどうにも眉唾でしたが……まさかこれほどのモノとは……!」
ジラトスが息をのむ。
「へ……っ。上等だぜ……! やってやろうじゃねえか!」
「ぬぅ……!」
シャンドが震える声でイキがり、メイダスが切迫した表情で唸る。
「何という事だ。我々大魔王すら軽く凌駕する圧倒的な魔力――! 生まれ出でるは新たなる大魔王ではなく、邪神であったか」
ゼクスが魔力を高めながら呟く。
邪神だ?
ティアがそんなモンになるはずがねー!
だが……確かにこいつはやべーぜ。
ヒビがタマゴ全体に広がったその瞬間、一気に溢れ出した魔力の奔流によってタマゴが砕け散った。
爆発の衝撃で玉座の間ごと城の上部が消し飛ぶ。
吹き飛ばされた俺達は、上空から爆心点を見下ろした瞬間、身を強張らせた。
そこには漆黒の天使の翼を持つ金髪のティアが、深紅の魔物の目から赤い血の涙を流して立っていた。
小柄なティアから、まるで魔界そのもののような強大な存在感を感じる。
ティアを見つめる大魔王全員が息を飲んだ。
「違う……これは堕天ではありません!」
顔面を蒼白にしたルーヴァが叫んだ。
「どういうことだ」
ゼクスがルーヴァに聞き返す。
「こんなことはあり得ない……ですが! 彼女は天力と魔力、相容れない2つの力を打ち消し合うことなく整合させ、重ね合わせるようにその身に平然と纏っているのです!」
「なんだと!?」
「なにより天輪を引き換えに生まれたはずの魔核が感じられません。彼女は魔族になっていない。それにあの禍々しい天輪の姿は……!」
ゼクスがティアを注視する。
「……確かに魔核がない。ではこれほどの魔力をどうやって……」
「……1つ確かな事は、どうやらティアは堕天とは異なる変化を遂げたということです。あれはもはや魔族とも天族とも呼べる代物ではないでしょう。天と魔を完全に支配する上位の存在――言わば天魔とでも言うべきでしょうか」
ルーヴァの話に耳を傾けていた大魔王達が、額に冷たい汗を浮かび上がらせる。
「お前たちの……せいで……!!」
恨みと怒気の篭った低いティアの声は、空気の壁を越えて直接鼓膜に響いた。
ティアは上空に佇む大魔王達を睨むように見上げている。
その瞳に殺意の赤い光が煌めいた。
「っ! 来るぞッ!! 死にたくなければ全力で行けッ!!!!」
ゼクスが叫んだ。
それを合図に、大魔王達が一斉に巨獣化する。
ゼクス・ザリオンの体が膨れ上がり、超巨大な獅子へと変わる。
上顎から伸びる2本の鋭く長い牙。
熊の四肢は太く、指先からは赤く染まった大きな爪が伸びる。
尻尾は黄金色の金属のような鱗で強化されており、鞭のようにしなやかで長い。
ミューズ・ファートラの全身が燃え盛り、膨れあがった。
炎が爆発して巨大なフェニックスへと姿を変える。
高温過ぎるミューズの体温が、周りの空間をゆらゆらと歪んで見せる。
ジラトス・フィーボの髪が青白く光ると、雷を纏った巨大な麒麟へと姿を変えた。
頭部に生えた長い2本の角は、まるで雷を集めて凝縮したように青白く煌々と輝いている。
シャンド・ディープシーの体が膨れ上がり、巨大なサメへと変わる。
皮膚が青く透き通った無数の鋭い鱗に覆われ、全身に激しい水流を螺旋状に纏い出す。
メイダス・グリゲイドの体が膨れ上がり、巨大な鰐へと変わる。
銀色の硬質な鱗で全身を包み、ホーンバック(背面突起)は刃物のように鋭い光沢を放っている。
漆黒の天使の翼を広げて、ティアが空へ舞い上がった。
5匹の巨獣が、各々爪や牙に魔力を纏わせながらティアを迎え撃つ。
強大な力の激突に魔界の大地が震撼する!
「やめろ!」
「目を覚ましなさい、タイガ・ガルドノス!」
ルーヴァが俺の行く手を遮る。
「どけ! ティアは殺させねー!!」
「いい加減、現実から目を逸らすのはやめなさい! お前だって本当はわかっているのでしょう? 殺すのは我々ではなくティアです! ここで我々全員が手を組んで彼女を抑えなければ、3界は消滅させられてしまうのですよ!」
「ちっ! だったらどーすればいいんだ? どうすれば……ティアを元に戻せる!」
「我々に出来るのはたった1つだけです。ティアの気が晴れるまで、彼女の怒りを受け止めて耐え切る事。それだけです!」
怒りを受け止める……?
「……そうすればティアは元に戻るのか? 犯してしまった取り返しのつかない罪を、償えるのか……?」
人族の間で微笑む、いつものあの笑顔に――。
ルーヴァが悲痛な表情で首を横に振る。
「わかりません……。ティアがお前や我々を、この世界の存続を許すかどうかは、彼女の選択次第なのですから……。いずれにせよ、何もしなければ世界は消滅の道を辿るのみです。我々は神器『神の一滴の涙』の伝承に従って、我々に出来ることをする以外にありません。言うなれば、これは生き残りをかけた、ただの悪足掻きなのですよ」
諦めにも似た力のない笑みを見せたルーヴァは、そう言うと巨獣化を始めた。
ルーヴァの体が膨れ上がり、8枚の漆黒の天使の翼を持つ超巨大な八首の大蛇へと変わる。
ルーヴァが大魔王達の加勢へ向かうと、俺は空にひとり取り残された。
ティアの気が晴れるまで――ルーヴァはそう言った。
それでティアを元に戻せる可能性が少しでもあるのなら――。
それで少しでも罪を償えるというのなら、何も迷う事なんざねー。
「だったらこの命が尽きるまで、ティアの怒りを全て受け止めてやるぜ……!」
俺は巨獣化すると、ルーヴァの後を追った。




