ティアのままならない一日 その1
ベッドから起きあがると静まり返った部屋にひとりきり。ドアの横にぶら下げられた伝言板を確認するとエンリからのメッセージが残されていた。どうやら何度起こそうとしても、私が全く反応すらしなかったので諦めて授業へ向かったようだ。
机の上にある魔法の置時計を見ると、既に午後の演習が始まっている時間だった。
途中参加するために髪を櫛で整えて制服に着替える。
準備を終えてドアノブに手をかけたところで足が止まった。
私って魔力図を構築できないし、魔法演習でできることってそんなにないんだよなぁ。
そう思ってしまったら、わざわざ目立ってまで参加するのが急に面倒くさくなってきた。
いつも午後の魔法演習の時間はみんながやっている様子を観察することで、イメージで補って自分なりに午前の講義で習った内容を消化していたからだ。だけど今日は午前の講義を受けていないので、魔法演習に出る意義がますます薄くなっている。
ちょっとだけ迷ったけど、今日はこのままサボっちゃうことにした。また着替えるのも面倒だったので、制服姿のまま財布の入った小さなポシェットを手に、伝言板へメッセージを残して部屋を出た。
寮を出ると本棟とは逆方向へ歩いていく。
高さが3m近くある鉄柵を一足飛びで飛び越えると学園の敷地外へ出た。いま学園関係者に見られると面倒くさいことになりそうだしね。
街道を歩いているとお腹が鳴った。そういえば起きたばかりで朝も昼も食べてない。
「タイガもお腹空いてるでしょ。いつものでいい?」
「ああ」
後ろから返事が返って来る。ギルドの仕事があるときによく利用している屋台のお店がある方へ歩いていく。
それは学園から冒険者ギルドへ向かう道すがらにあるお店だ。しばらく歩いていると、見慣れた外観が見えてくる。よかった、どうやら今日もやっているようだ。
「おばちゃん、いつもの2つ!」
「辛味タイガーサンドだね。おや? ティアちゃん、今日はめずらしい格好してるねえ」
おばちゃんが薄切りにしたマッドタイガーのお肉を焼きながら、野菜とパンを取り出す。
「今日は仕事じゃなくて学生なんだ。ここだけの話、サボりだから見つかるとやばい」
「あっはっは。まぁそういうときもあるさね。ティアちゃんは仕事と両立してるんだもんねえ。たまには生き抜きも必要だよ」
私の告白をおばちゃんが気持ちのいい笑顔で笑い飛ばしてくれる。
手馴れた手つきで4枚のパンにバターを塗り、2枚のパンにカットされた数種類の生野菜を乗せる。そこに焼きあがったお肉を数枚乗せると特製の真っ赤な辛いソースをかけて、最後に上からチーズをおろし金で削ってかけると、もう1枚のパンでサンドして押さえつけながらナイフで斜めにカットする。それを包装紙で包んでいく。いつもながら、ずっと観ていても飽きない手際のよさだ。
代金を支払って商品が入った紙袋を受け取ると、おばちゃんがもうひと袋、手渡してくる。
「いつも買ってくれてるから、これはサービスだよ。新商品だから気に入ったら買って頂戴ね!」
「へぇ、何だろう? 試してみるね。おばちゃん、ありがと!」
屋台の近くにある公園の中へ入ると、空いているベンチに腰掛ける。
いつもはそれなりに賑わっている公園だけど、今日は平日の昼過ぎだからか、殆ど人が見当たらない。紙袋からサンドイッチを1つ取り出してベンチの上で包装紙を広げると、タイガが姿を現した。
私も自分の分を取り出して包装紙を開くと、ひと口食べる。
「う~ん、辛い! けどおいしい!」
リーガンからもらったカリーの粉とはまた別の辛さ。おばちゃんに聞いたらトンガラシという辛い実をベースにした特製ソースらしい。タイガもおいしいのか、夢中になって食べている。そういえば、私の料理をひと口食べるまでは生肉で満足してたよね。
「ねぇ、タイガは封印される前はどんなものを食べていたの? もしかして生きたままマルカジリ?」
「そういう嗜好のヤツもいるが、そもそも魔界じゃ食らう必要がねぇ」
大魔王設定だから故郷は魔界になるのか、意外と墓穴を掘らないね。
「食べる必要がないって、それだと痩せちゃうんじゃないの?」
実際、人界にいる魔物は人や動物を襲って食べている。あれは生きていくためじゃないのだろうか。
「魔界は魔素が濃いからな。俺達は魔素があれば身体を維持できる。だから食らう必要がねぇ。魔界で飯を食らうのはただの娯楽だぜ」
そういえばブリトールのギルドの図書コーナーにあった魔物の本に、魔物がどうやって生まれるのか書いてあった。
「魔物って魔核に魔素が集まって生まれるんだよね。だから魔素があれば食べる必要がないってこと?」
「ああ」
「あれ? そしたら魔核ってどうして生まれるんだろう」
「さぁな。魔界の有力説では、魔素の塊に魂が宿ったときに魔核が生まれるとされているが」
「魂かぁ……。あれ? じゃあタイガのいまの状態って一体どうなってるの?」
いまは身体の封印を2回解いて一部分を取り戻しているけれど、タイガの話では一番最初は魂だけだったはずだ。
「いまの俺は魔核がねぇ。魂と元の身体の一部だけだ」
「魔核がないって、大丈夫なの? すごく大事なやつじゃないのそれ」
スライムなんか魔核を破壊されたら萎れて死んでしまうし、ゴーレムだって稼動を停止するくらいだ。魔物にとって最も重要な器官じゃないのかな。
「ああ。どこかに俺の魔核が存在しているからなのか、俺が乗っ取ったお前の髪の影響なのか。理由はわからねぇが、とにかく存在は維持できてるな」
何それ。タイガって何気にすごい不安定なところで存在していたんだね。
おばちゃんからおまけしてもらった袋を開けると、細切りにして揚げたらしい馬鈴薯が入っていた。半分をタイガに分ける。
「タイガの身体さ、2つは取り戻したけど、あと何個あるんだろうね?」
揚げた馬鈴薯を1つ、つまんで食べてみる。
む! これ塩が効いてて、ホクホクですごくおいしい!
「わからねぇが、魔核さえ取り戻せれば、失った身体は魔素で補う事が出来るはずだ」
「もぐもぐ……。じゃあ当たりが引ければあと1回で済むかもしれないんだ?」
「そうだが、それだと回復には大量の魔素がいる。魔界へ帰ってしばらく回復を待たねぇと駄目だろうな」
あぁそうか。封印を解いたときに見える荒ぶる魔力こそが、タイガの身体だったんだ。だから解くたびに少しずつ身体が大きくなっていってるんだね。
最初は手とか足とか、生肉の状態でバラバラになっているものだと思っていたからなぁ。長い年月が経っても腐ったりしないわけだね。
「それなら本当の身体の代わりに他の魔物の魔力を奪うことはできないの?」
「出来ねぇ。波長が合わねぇ魔力は取り込んでも拒絶反応が出るだけだぜ。魔核で魔素を変換してゆっくり取り込むか、自分の身体を取り戻すかしかねぇ」
ルイエさんがいっていた魔力の波長の話って、魔物でも同じなんだ。
「なるほどね。まぁ残りの封印がどこにあるかなんてわからないし、今まで通り……。ん? タイガの魔力探知能力で探す事はできないの?」
あれだけずば抜けた魔力探知能力があるんだから、まして自分の魔力ならもっと強く感じ取れるんじゃないだろうか? そんなことをエンリが言ってたし。
「無理だな。目の前まで近づかねぇと感知できねぇくらい、強力な力で封印されてやがる。そのくせ、封印そのものからは全く魔力が感じられねぇ。くそっ、厄介だぜ」
あれだけの大きな魔力図なのに、魔力を感じられない?
「ねぇ、私のいつものワンピースやケープから、魔力を感じた事ってある?」
「あ? ねーよ。あれはただの服だろ。いきなり何の話だ?」
やっぱりタイガの封印の魔力図と、私の服に観える金色の魔力図は同質のものだと思う。魔法学園で学んでわかったことの1つだけど、模様や大きさが異なるのは魔法の目的が違うからなんだ。問題はその質だ。
「タイガを封印している魔力図だけどさ、金色の魔力で構築されているんだよ」
「そうなのか? 俺には見えねぇが」
「うん。だからタイガにも感じ取れないんじゃないかなぁ。普通の黒い青く光る魔力とは別物なんだよ、きっと」
もちろん憶測の域はでない。私が知らないだけで、魔力を感じさせないように隠蔽する方法があるのかもしれないし、別の理由で金色に見えているだけかもしれない。だけどエンリだけでなく、魔法にあれだけ詳しいメディですら聞いたこともないと言うのだ。それにエクールから聞いた1500年前に大魔王を封印した金色の魔法の存在もあるし、やっぱり金色の魔力があると考えるほうがしっくりくる。
――金色の魔法。
それを使った人はもう生きていないだろうけれど、誰が使ったんだろう。その魔法がタイガを封印するものと同じ魔法だとすれば、使った本人か、もしくはその魔法を受け継ぐ誰かがタイガを封印したんだろうか。
「ねぇ、タイガって天魔大戦のときに封印されたの?」
「天魔大戦なんて知らねぇ。俺はいつも通り天魔戦争で暴れていただけだぜ」
天魔大戦を知らないってことは1500年よりずっと前の天魔戦争で封印されたってことなのかな。
そう思いつつも、もう少し食い下がってみた。
「封印される前に勇者ダスティンに瀕死に追い込まれていたりしない?」
「お前が言う人族の英雄ってヤツか。知らねぇが、人族にしてはつえぇのがあの戦場には少しいたが、俺を追い込んだのはそいつらじゃねぇ」
顔を背けて苦々しそうに呟いた。
この分だと相手の事を知っているのかもしれない。
「じゃあ誰に追い込まれたの?」
「……ちっ、言いたくねぇ! くそっ! んなことどうでもいいだろ!!」
タイガがこんなにも苛立ちを露わにするだなんて、余程の事があったのかな。
「ごめん……触れられたくない部分だったんだね」