予兆 その2
「どうして!?」
もう一度魔力図を描き直す。
今度はヴァレンテイルが観せてくれた治癒魔法を試した。
しかし結果は同じだった。
「そんな……タイガの魔力でも……魔力じゃ治癒魔法は発動できないの……?」
「はぁ……はぁ……。ああ……、見えます……ふふ……ふ。やっぱり……ティアは天使ケホッ。ゲホッ! ……はぁッ……はぁッ……だったんですね」
虚ろなエンリの視線が私の頭上を見ている。
人は死の直前、天族の天輪を観る。
ヴァレンテイルの言葉を思い出した瞬間、堪えていた涙が決壊した。
彼女の死は確定している。
私は精一杯の強がりで笑顔を作った。
「うん……エンリが言ってた通りだったよ」
血の気が引いた真っ白な顔でエンリが微笑む。
「なんだか……痛みが引いて……暗くなってきました……。でも……ティアがそこにいる……のは……わかります」
焦点の合わない瞳で、エンリが私の頭上へ手を伸ばす。
私はその手を取って握りしめた。
「最後に……会えて……話せて……よか…………」
言い切らない内に、エンリの瞳から光が消えてしまった。
脱力した彼女の腕が、握りしめた私の手に重く圧し掛かった。
「エンリ……ぃ……っ!」
私はエンリをきつく抱きしめた。
「いやだ……いやだよ。死んじゃやだよぉ……!」
腕の中のエンリはもう息をしていなかった。
大平原に吹く戦争の風が、温かかったエンリの身体を急速に冷やしていく。
「間に……合わなかった……!! うわあああああああああ~~~~~~!!!!」
私は天を仰いで泣き叫んだ。
もっと上手くやっていたら……。
もっともっと脇目も振らずに目的に従事していたら……!
たった1日でもよかったんだ。
そうすれば私達は間に合ったのに!!
あの時ああしていればと、旅の記憶が駆け足で流れていく。
私はもっと上手くやれたはずだったという後悔ばかりが沸いてくる。
わかっている。どんなに後悔しても、どれほどの涙を流しても、過ぎた時間は戻せないし、失われた命は返って来ない。
全ては取り返しがつかない。
私は失敗した……!!
もう立ち上がる気力すら沸いてこなかった。
ずっと守りたかった人を守れなかった。
両肩が大岩を背負っているように重たい。
もういっそここでエンリと一緒に……。
「ふん。いつまでそうしてるつもりだ?」
タイガは雲まで届きそうな巨体で、こちらを振り返らずに言った。
馬サイズだったタイガはいつの間にか巨獣化していた。
周囲を囲む幾千もの魔物達が襲って来なかったのは、タイガが睨みを利かせて抑えてくれていたからだろう。
しかしタイガの声の調子は、どこか冷たい物を感じさせた。
「タイガ……?」
「そんなマズそうな肉は捨てとけ。さっさとこいつらを片づけて魔界へ行うぜ」
心臓の鼓動が大きく跳ねた。
冷めきっていた首筋がカーッと熱を帯びる。
「いま……何て言った?」
「魔界へ行ってルーヴァに会うんだろ? 早くしねーと門が閉じちまうぜ」
視界が赤く染まり出す。
「いま何て言ったのかって、聞いてるんだよ!!」
「あ……?」
振り返ったタイガが赤い瞳で私を睨む。
「ちっ、くだらねぇ。ただ弱ぇ奴が死んだだけだろ」
うなじの毛が逆立った。
私の全身から怒りと憎悪に呼応して濃密な魔力が溢れ出す。
「本気で言ってるの?」
「魔界は弱肉強食だぜ」
「ここは魔界じゃないし、エンリは人間だよ!!」
「ふん、知った事じゃねー。俺様に劣る雑魚の分際で、偉そうに指図するんじゃねーぜ」
胸の奥がズキリと傷んだ。
「ずっと家族だと思っていたのに……。タイガは力を取り戻すために私を利用してただけなの……?」
「ふん。魔族に家族なんかいねー。いるのは敵だけだぜ!」
タイガの尾の竜が、私を睨みながら長い身体をS字にうねらせて動きを止めた。
殺気? まさか!
尾の竜は全身のバネを使って一瞬で間合いを詰めると、私達に牙を突き立てた。
ギリギリのところでエンリの亡骸を抱きかかえたまま飛びのいた私は、竜の牙に体をかすめて弾かれた。
衝撃に手放してしまったエンリの亡骸が離れた場所に落ちる。
「エンリ……くっ!」
立ち上がろうとしたら腕に激痛が走った。
引き裂かれた二の腕から血が溢れるように流れている。
タイガは私を殺すつもりだ!
私は慌てて次の攻撃に備えて空を見上げた。
赤く染める尾の竜の口元を見た時、衝撃が走った。
巨大な顎に整然と並ぶ大きな歯の間に、カブトにいちゃんの上半身がぶら下がっている。
「ああっ……! カブトにいちゃん!」
尾の竜は鎌首を上げてカブトにいちゃんを飲み込むと、次にエンリの亡骸に目を付けた。
「やめ……!」
蛇が獲物に襲い掛かる様に、尾の竜はエンリの亡骸を一瞬で咥え込むと頭を引っ込めた。
そして……私の頭上でパキリとエンリを噛み砕いた後、飲み込んだ。
「う……っ、うわあああああああ~~~~~~!!!!」
エンリが……エンリが2度殺された!!!!
怒り、悲しみ、憎悪、後悔、あらゆる感情が渦巻きながら脳内に膨れ上がった。
私の全身から膨大な魔力が溢れ出る。
気が付けば私は魔力の嵐の中心で、杖を地面に突き立てていた。
杖に濃密な魔力を注ぎ込み、爆発的に膨れ上がった魔力を再び自分の中へ取り込む。
暴れる感情に思考が乗っ取られた中での、無意識の行動だった。
「うっ……あああああああッ!!!!」
増幅された魔力を取り込むほどに、身体だけでなく心まで闇に染まっていく。
憎悪と闘争心が加速度的に膨れ上がってきて、胸を締め付ける苦痛が和らいでいくようだった。
思い出される心地よい魔力暴走の記憶。
何処までも魔力が膨れ上がっていく中、突然、何かを突き抜けた様に身体が楽になった。
私の周囲を覆っていた雷風のような魔力が静まる。
あれだけ抵抗感のあった魔力が、まるで生まれる前から流れている血液のように、違和感なく私の全身に馴染んでいた。
「タイ……ガァ~!」
殺気を込めた瞳でタイガを睨み上げる。
竜の尾を引き下げたタイガは、私と向き合う様に姿勢を変えると深紅の瞳を歓喜に煌めかせた。
タイガが濃密な殺気を私に浴びせながら、巨大な爪に魔力を込める。
私はいくつかの汎用的な魔力図を1枚の図形として浮き上がらせると、必要なキャンバスを結び合わせた。
短い睨み合いの中、一触即発の空気が揺らいだその時。
大気を揺らしながらタイガが巨大な爪を振るうのと同時に、私は5つの上級魔法を一斉に放った――!




