誓約の意図
翌日、朝食を済ませた私達の元にヴァレンテイルはやってきた。
また光の床に運ばれるのかと思ったら、どうやらタイガの封印の間は歩いて行ける場所にあるらしい。
手ぶらで部屋を後にした私達は、すたすたと前を歩く彼女を追いかけた。
もちろんタイガは黒猫の姿で私の肩に乗っている。
黙々と歩く事数分――封印の間は思っていたよりも遠くにあるのか、だんだん沈黙が息苦しく感じてきた私は、少し小走りをしてヴァレンテイルの隣に追いつくと話しかけた。
「そういえば天使の存在や金色の魔法について話してはいけないって言う、あなた達が人族と交わした誓約も、神様があなた達に指示したことなの?」
「正しくは違うが、間違ってはいない」
なんともすっきりしない返答が返ってきた。
「と言うと?」
「我々に与えられた使命は昨日も話した通り”均衡”だ。人族が過剰な力を手に入れたり、高度な文明へと発展することは均衡を乱す」
「私達の暮らしが豊かになったり、便利になる事が嫌なの?」
「好き嫌いの問題ではない。高度な文明へと発展した人族は、ボタン1つ押すだけで国を滅ぼせるほどの力を手に入れるからだ」
「ボタン1つで国を?」
何かの冗談かと思ったけれど、ヴァレンテイルの眼差しは真剣そのものだ。
「決して比喩でも大袈裟でもない事実だ。高度な文明を手に入れた人族は、同族同士の争いで互いの国を滅ぼし合い、世界を破壊し、自らの手で絶滅する。魔界がなくとも愚かな滅びの歴史を繰り返してきたのが人族なのだ」
「にわかには信じられないけど……それもルーヴァが視た過去なの?」
ヴァレンテイルが静かに頷く。
「神が魔界を創る前の話らしい。以後は天魔戦争によって人族の文明は悉く過去へ回帰し、行き過ぎた力を得ることによって起こる世界の滅亡は起こらなくなっている。まるで神はそのために魔界を創ったのかとさえ思えてくる話だ」
人族同士の争いで滅ばないように魔界を創って、だけど今度は魔族が人族を滅ぼしちゃうから天界を創った?
やっぱり神様の目的ってよくわからない。
「もし魔族が人間たちの文明を滅ぼしていなかったらどうしてたの?」
「そうだな……我々の立場で出来る事は、人族への警告と、場合によっては天魔戦争での助力を盾に交渉することくらいなものだろう。しかし幸いなことに、人族の中でも聡い者達は、あえて文明のレベルを上げずに自ら抑えているところもあるようだ」
魔法学会の話が頭を過ぎった。
一部の専門家や統治者によって、行き過ぎた力は秘匿され、管理されている事実はある。
「それがどうして誓約の話になるの?」
ヴァレンテイルは足を止めると、真顔で私を見つめた。
「人族は初めから魔法が使えたと思うか?」
魔力進化論によれば、遥か太古の時代の人間は魔法を使えなかったと言われている。
私は首を振って答えた。
「だが人族は魔法を使うようになった。我々は恐れているのだ」
「身体能力も魔法の力も、人族よりも優れているあなた達が?」
「力にではない。可能性に対してだ」
ヴァレンテイルが再び歩き出す。
私は彼女を追って横に並んだ。
「可能性?」
「本来天力の光を帯びた我々の天輪は、魔族は無論の事、人族には観えないものなのだ。しかし彼等の描く物語に登場する天使の頭上には何故天使の輪が浮いていると思う?」
「それは……どうして?」
「死の直前、人族には観えてしまうからだ」
え……?
「全ての人族に観えるというわけではないようだが。人族は可能性の塊だ。そして進化する。我々の魔法の知識が漏れ続ければ、次は天力を持つ人族が現れるかもしれない」
「だから人族との恋は禁忌なの?」
「交配は最も危険な行為だ」
「でもアーティエルは……」
「翼を失った天族には天族の特性を子に受け継がせることはできぬ。アーティエルの娘も普通の人族の娘だったはずだ」
「そう、なの?」
「翼を失った時点で天族の血の力は失せていく。例えその前から妊娠していたとしても、腹の中の子の血も同様に力を失っていくのだ。生まれる頃には天族の特性は微塵も残らない」
「だったらアーティエル達親子が天魔大戦を生き延びられたとしても、私はやっぱり彼女の血筋ではなかったんだね……」
少しばかり自虐的に言葉を零した私に、ヴァレンテイルは難しい顔を見せた。
「アーティエルは強い力を持っていた。相手も異世界の勇者と呼ばれる強者だ。さっきも言ったが、人族は可能性の塊だ。我々の常識が通じなかった可能性はあるかもしれない。だがその場合はエンドイルが……」
険しい表情で黙り込んだ後、ヴァレンテイルは首を振った。
「いや、無意味な想像だ。アーティエルもその娘も、既にこの世にいないのだから」
「うん……」
「それともう1つ。この誓約には重要な意味がある」
「もう1つ?」
私は俯いていた顔を上げるとヴァレンテイルの横顔を見上げた。
「それは我々天族の仲間の命と尊厳を守るという事だ」
意味が分からずに黙っていると、ヴァレンテイルは凄味のある目で私を見つめながら続けた。
「戦争のどさくさに紛れて、天族が人族に攫われないようにするためだ」
「そんなっ……まさか!」
「事例は少ないが、実際にあった事だ。その時は見世物にでもするつもりだったようだが、愚かな者たちが天族の血に価値を見出したなら、どうなるかわかるだろう?」
私は恐ろしい想像をした。
だけどこの想像はあながち間違ってはいないと思う。
「攫われた天使達は……?」
「殆どが自力で逃げ出したが、天力を使い果たした者や怪我を負っていた者は、エンドイルが『統治者の瞳』で探し出して全員救出している」
よかった。
何千年も何万年も前に起きた事とは言え、私はほっと胸を撫でおろした。
「そんな事をされたのに、あなた達は人族を魔族から守ってくれて来たんだね」
「人族が愚かな種族であることは承知している。それに我々は人族のために手を貸しているのではない。神の啓示に従っているだけだ」
「そう……だったね」
寂しいけれど、返す言葉もない。
「着いた。ここだ」
ヴァレンテイルは足を止めると、大きな扉を開いた。
中は天井が高い広間になっていた。
外壁側に窓はなく、彩光のない部屋は魔法の灯りに照らされて明るい。
広間の中央には私の背丈の倍はある縦長の台形の石板がぽつんと建っていて、その石板に展開する巨大な金色の魔力図が煌々と輝きを放っていた。
これまでに観てきた封印の魔力図とは内容が異なるけれど、あれがタイガの最後の封印で間違いないと思った。
その石板を囲むように、5人の七大天使が立っていた。
部屋に入ってきた私を見る彼等の視線は様々だった。
ラフィーエルは落ち着いた様子で、ゴスドエルは澄ましている。
オルタネイルは訝しげな様子だ。
メイエルは相変わらず睨んでいるし、プエルも挑発的な視線を送ってくる。
この2人に関しては、言う事は聞いているものの納得がいってないという感じだろうか?
プエルは不満というよりは、私に対して酷く警戒されているだけのようにも感じるけれど……。
「来たか」
エンドイルが私達の前に歩み出る。
「これから大魔王タイガ・ガルドノスの最後の封印を解除する」
昨日食べた神樹の果実のおかげか、一晩寝ただけなのに神力も体力も万全だ。
いつ封印を解いても問題ない。
私は黙って頷いて応えた。
「では始めよ!」
封印を囲む5人の大天使達が各々金色の魔力図を構築し始めた。
「みんなで解くの?」
「最後の封印は5つの鍵によって閉ざされている」
エンドイルは封印を見守る様に見つめながら言った。
「随分厳重なんだね」
とは言ったけど、そもそもこれまでの封印も無理やり壊してきたから、どんな内容のものだったかは知らないんだけど。
瞬く間に解除魔法を組み上げた大天使達は、封印の魔力図に向かって展開させると解除魔法を発動させた。




