四天の瞳
「ここまで言えばわかるだろう? 天界が創られた時点で既に、滅びの痕跡は人界に無数に存在していたのだ」
私は小さく息をついた。
「冒険者はダンジョンに様々な夢を見るけれど、実は人界滅亡の証しだったなんてね……」
多くの人々が行き交ったであろう繁栄の時代から、一転して空風が吹くだけの冷たい滅亡を味わった街に、もし人の心と記憶があったとしたら、地中を彷徨った末にダンジョンとなって冒険者達を賑わせている今、過去を振り返ってどんな思いを馳せるのだろうか。
そう思うとなんだか感慨深い。
「魔族によって人界が滅ぼされるたびに、神は人族を創り直さなければならなかった。その手間を省くために、魔族がやり過ぎないための抑止力として天界と我々を創り出したのだろう……」
ヴァレンテイルは思案する。
はっきりと断言できない程度には、憶測が含まれているということだろうか?
だけど壊れた玩具は捨てて、新しい玩具を買い直せばいいみたいな言い方に、私は再び怒りが込み上げてきた。
「神様は一体何がしたいの? 人族を生殺しに甚振って、何が目的なの……?」
こんなのただのイジメじゃないか。拷問じゃないか!
「神様は人族が嫌いなの? それとも人族は過去に神様に何かしてしまったとでも言うの?」
「人族が神の怒りを買ったという話は聞いた事がない。……1つ確かな事は、我々に神の心を察せられるはずもないということだ。真実を知るのは神のみだ」
沈黙が流れる。
「……私、神様ってみんなを助けてくれるものだと思ってた」
「神は誰にも寄り添いはせぬ。お前は神を善なるものだと期待していたようだが、そもそも善悪ほどあやふやな物もあるまい」
「そう……だね」
ヴァレンテイルの言葉の意味がわかる程度には、私だって物の道理くらいわきまえている。
善悪というのは見る者の立場によって変わるのが常だし、時の流れによっても判断が変わることもあるくらいあやふやなものだ。
例えば狂暴な狼に襲われているか弱い兎を見かけた時、兎を助けるのは善だろうか?
もしそれが空腹に喘ぐ狼にとって最後の体力を振り絞った狩りだったとしたら?
親狼がエサを持って帰ってくるのを、お腹を空かせて待っている子供の狼達がいたとしたら?
エサが獲れずに狼とその子供達が飢え死にしてしまったとしたら、兎を助けるために横から割り込んで狩りの邪魔をし、狼親子の死の原因を作った者は果たして善と呼べるのだろうか。
誰にとっても善と成り得る事なんて、ほとんどないのが現実なんだ。
勝者の陰に敗者がいるように、助けられた者の陰には奪われた者がいる。
者は物に置き換えてもいい。
なんでもかんでも助けられていたら、自分の力で解決したり、成し遂げる意欲がなくなってしまうかもしれない。
目には見えないし、形もない物だけど確かに奪われているんだ。
神様に助けてもらって、みんなが幸せだなんて甘くて美しい綺麗事は物語の中にしかない。
善悪の捉え方には主観が多分に含まれることも無視できない。
人によって違うし、同じ人であったとしても瞬間的には幸福だったとしても、過去を振り返って見ても同じ事が言えるかどうかはわからないのだ。
そんなあやふやで答えのない命題に、神様なら応えられると考える事が間違いだったんだ。
要するに私は、神様に期待し過ぎていたんだ。
「……あれ? ちょっとまって?」
納得しかけたけど、よく考えたらおかしい。
「ねぇ、人族が滅亡するたびに神様が人界を再構築していたって、どうしてわかったの? だってそれは天界が創られる前の事で、その後はあなた達が人界を滅びから護ってきてくれたんだよね? だとしたら、あなた達は再構築によって変化した人界を見ていないことになるんじゃ」
ヴァレンテイルが険しい表情を浮かべる。
「それは視たからだ」
「見た? ということは天界が出来た後にも人界が滅んだ事があったの?」
ヴァレンテイルが首を横に振る。
「我々の調整が入ってから人族が滅んだ事はない。そうではないのだ。かつて四天と呼ばれた我々には、それぞれ他の天族にはない特別な瞳が神によって与えられているのだが」
心当たりに私はハッとした。
「『鑑定の瞳』と『真実の瞳』?」
ヴァレンテイルは頷いた。
「私の持つ『真実の瞳』は嘘を見破る瞳。ラフィーエルの持つ『鑑定の瞳』は神器を見定める瞳。エンドイルの持つ『統治者の瞳』は天族の血統や魂の在りかを知る瞳。そして――」
ひと呼吸挟んでからヴァレンテイルは言った。
「ルーヴァの持つ『遡上の瞳』は過去にあった出来事を視る瞳だった」
「過去を……? じゃあルーヴァは人が滅亡するところも、神様が再構築するところも視たってこと?」
「そうだ」
遠い遠い過去を視る、そんなことができるなんて。
「私、そのルーヴァって天使の肖像画を見たよ」
「なんだと?」
ヴァレンテイルが目を見開く。
「ねぇ、ルーヴァって一体どんな天使だったの? それにもう1枚に描かれたあの姿はまるで……」
言いかけてハッとした私は口を噤んだ。
天族に対して魔族のようだったというのは、きっと彼等の心を深く傷つけると思ったからだ。
でも遅かったかもしれない。
ヴァレンテイルは全てを察した様子で大きく息をついた。
「そうか……喪失したルーヴァの2枚の肖像画は人界にあったのか。そしてお前はその両方を見たのだな」
私は黙って頷いた。
「しかしそのような事を口にするということは、知らないのだな」
そう言ってヴァレンテイルはタイガを見た。
視線に気づいたタイガは、彼女を一瞥したあと鼻を鳴らして目を背ける。
「知らないって、何が?」
私は首を傾げながらタイガとヴァレンテイルの顔を交互に見た。
「漆黒の虎の躯体に竜の尾を持つタイガ・ガルドノス。獅子の頭と熊の躯体を持つ、四魔唯一の生き残りゼクス・ザリオン。炎の怪鳥、フェニックスのミューズ・ファートラ。雷鳴を纏いし麒麟ジラトス・フィーボ。空を泳ぐ鮫シャンド・ディープシー。獰猛の権化、鰐の姿を取るメイダス・グリゲイド。そして漆黒の天使の翼を持つ八つ首の大蛇ルーヴァ・ダラハネーズ」
「えっ――!」
「これが七大魔王と呼ばれる、魔界を統べる7匹の大魔王の名と、巨獣化した際の外見だ」
「元四天でもある大天使のルーヴァが大魔王って、一体どういうこと?」
「ルーヴァは自らの意思で天界を抜け、魔界へ入ったのだ」
「天使は魔界じゃ力が抑圧されるんだよね? いくら大天使だからって、実力主義の魔界で大魔王になれるものなの?」
ヴァレンテイルの目が鋭く細められる。
「堕天したのだ。ルーヴァは天力を捨て、魔力を手に入れて魔へ堕ちた。いまのルーヴァの力を抑制するのは、魔界の闇ではなく天界の光なのだ」
「天力と魔力は相反する力なのに、天使が魔族になるだなんて、そんなことが可能なの?」
「無論、容易いことではない。特に力のある天族の堕天は難しい。体内に魔核を作り出すためには、自身の持つ天力を上回る魔力を手に入れる必要があるからだ」
「だけどルーヴァは……その難しい事をやってのけたんだね」
「神樹の枝を使ったのだ。枯れた神樹の枝には高倍率で魔力を増幅する効果がある。ルーヴァはそれを利用して、一時的にだが自らの膨大な天力を上回る魔力を手にすることに成功し、魔核を手に入れたのだ」




