武術鍛錬 前編
午前の講堂での講義を終えた私とエンリは、いつものように寮の部屋でタイガと3人、日替わり定食を食べていた。今日の献立はパンとマッドタイガーのステーキ、野菜スープと煮込んだ豆だ。
「ティア、今日は武術鍛錬ですよ!」
「そうだっけ? じゃあ運動用着に着替えないとだね」
「はい。今日はなんでも、特別にCランク冒険者が指導に来てくれるらしいですよ?」
「ふーん」
週に1回だけ、午後の野外演習の時間に魔法の演習ではなく、武術鍛錬が行われる。武術鍛錬と言ってはいるけれど、木剣の素振りや走りこみなどの基礎的な体力づくりがメインだし、週1という事からも想像がつく通り、それほど力は入れられていない。まぁ魔法学園だしね、ここ。ただ、後衛でも戦闘になれば身を守る程度の力があった方がいいという理由で、授業のカリキュラムに入っているみたい。
「なんだか乗り気じゃないですね?」
「ん~、正直出る意味あるのかなって気がしちゃってね」
冒険者を生業としている私にとっては学園の武術鍛錬よりも、サラと一緒にダンジョンに潜っている方が何百倍も鍛錬になるんだよね。自惚れる訳ではないけれど、いまさら基礎鍛錬というレベルでもないのも事実。
「エンリは随分と乗り気だね?」
「はい。護身術を少しは身に付けたいので。それにたまには体を動かさないとお腹のお肉が……」
小さくなっていく声は、最後の方はよく聞き取れなかったけど、昼食を食べ終えて着替えのために半裸になっているエンリの手がお腹のお肉をモミモミしているので察する。
「ティアはウェスト細いですね」
エンリがじーっと私の腰の辺りを見つめながら言う。
「うらやましいです……」
「荷物を持ってダンジョン内を走り回ってるからね~」
主にサラがトラップを踏んだせいで。最近では大岩が転がってきても1ミリも驚かなくなっている。むしろ、『やあ、また君なのかい?』くらいの親和感だ。
運動用のハーフパンツとシャツに着替えてから寛いでいると、学園本棟の方から鐘の音が2つ聞こえてくる。運動靴に履き替えた私達が野外演習場に着く頃、そこにはすでに沢山の生徒たちが集まっていた。
「遅いぞ、足手まとい」
いつものように馬鹿にしたような態度でアルフレイドが出迎える。
「ちょっと、その呼び方やめてって言ったよね!」
「ふん。ここは魔法学園だぞ。魔法が使えないお前のようなやつが足手まといじゃなかったらなんだってんだ? このまま卒業試験まで魔法が使えないままだったら、お前は完全に3班のお荷物の役立たずじゃねぇか。言われたくないならとっとと魔法を使えるようになるんだな、この足手まといが!」
「だ~か~ら~。私は普通の魔法が使えないって言ってるでしょう? 何回言ったらわかるの」
あぁまた始まった、このアルフレイドとのいつものやりとり。午後の演習で顔を合わせるたびに毎日毎日繰り返されるこのやり取りに、いい加減うんざりしてきている。
私がそう思っていると、隣に立っていたエンリが肩を上げて前に出た。
「ティアは魔法を使えます! 『つるつるの魔法』はすごいんですっ!! 足手まといじゃなんかじゃありませんッ!!」
突然の大声にびっくりした。エンリが怒鳴るところを初めて見たかも。ひょっとしてキレてる? 私とアルフレイドが言い合いをするのはいまさらだけど、いつもと違う様子に他の班員の注目が集まっている。
「なんだそれ? そんなふざけた名前の魔法なんて知らないな。本当に出来るならやってみせてみろよ。出来るんならな? ふふん」
エンリの剣幕にも動じず、むしろ煽りで返してくるアルフレイド。その挑発的な態度は怒りに燃えるエンリを爆発させた。
「言いましたね! ティアッ!!」
「は、はいッ!」
エンリが私の両肩を掴んで気迫のこもった目で『やれ』と言っている。まぁ正直、私も毎回のやりとりにストレスが溜まっている。本人も言ってるし、かけてあげようか。
「アル、本当にいいの? 怪我しても知らないよ」
「ふん。足手まといの魔法でどうやったら怪我するんだ? やれるもんな……らぶッ!」
あ、ついイラっとして最後まで聞く前にやっちゃった。
「な、何だっ!? いきなり立っていられないくらい足が滑ったぞ!」
「どうです! ティアの魔法はすごいでしょう!!」
ズッコケているアルフレイドを見下ろして、エンリが両手を腰に、胸を張ってドヤ顔で言い放つ。
「確かにすごい。というか不思議。魔力を全く感じなかった」
「あら、メディスールも? 私も感じなかったですわ」
「アタシには、アルが勝手に転んだだけにみえたケド。いまの魔法だったワケ?」
メディスールとエクールは魔力を感じる事が出来るんだ? でも、私の魔法に魔力を感じないってどういう事だろう。
私って魔力を殆ど持ってないけど、魔法を使う一瞬だけ増えたりするのかなーとか、ちょっとだけ期待してたんだけど、やっぱりそんな事もなかったのかな。う~ん、自分の事ながら『つるつるの魔法』って一体……?
「魔力を感じないだと? 魔力を使わない魔法なんかあるわけがないだろ。そうだ、これはなんかのインチキだ!」
「インチキって……。アル、言い訳にしては苦しくない?」
「だったらただの偶然だ! たまたま俺が足をすべらせただけだ。きっとそうだ!」
なんかアル、意地になってない? なんでそんなに。いっそ認めるまで『つるつるの魔法』で地面に縫い付けてやろうかと思ったら、男性教師と冒険者らしき男が4人、演習場に現れた。
「はいっ、みんな。ちゅぅ~も~っく! 今ぉ日はぁ、Cランクの冒険者の方々が来てくれてますよ~、はいみんな拍手~」
独特なしゃべり方をする武術鍛錬担当の男性教師。周りで小さく拍手があがったがすぐに消えた。紹介されたCランクらしい冒険者の方を見ると、ん?
「俺はリーガン、そしてこいつらはブリトン、ボンス、ヨルガス。俺達は現役のCランク冒険者だ」
特別講師のCランク冒険者ってリーガン達だったのね。王都に到着した日に別れて以来、冒険者ギルドでもみかけなかったから、もう別の街に行っているものと思っていたけれど、まだ王都にいたんだね。
そう、彼等はブリトールから王都へ向かう道中、一緒にエンリを護衛した冒険者だ。
「まずはひとりひとりの錬度を見極めたい。素振り100回を行う。各自、木剣を持って構えろッ」
みんないつものように備品の木剣を手にすると、お互いぶつからないように距離を開けて整列し、構えをとる。
「準備ができたようだな。では、始めッ!」
リーガンの合図でみんなが素振りを始める。
「えいっ、えいっ」
エンリが隣でかわいい声を上げながら素振りを始める。私もやろう。
「木剣で100回かぁ、すぐ終わっちゃいそうだな」
私が手に持った木剣の先がブレると風切音が連続で響き渡る。回数を増すごとに速度が高まり、複数の風切音が1つに繋がって響く。
「……99、100っと」
う~ん、やっぱりこれじゃ鍛錬にならないよね。そもそも木剣って軽いし。実戦なら硬くて軽いほうがいいに決まってるけれど、鍛錬ならもっと重いものでないとね。終わって手持ち無沙汰になったので、なんとなしに教師がいる方をみやると、ボンスがこちらに向かって歩いてくる。他の班にはブリトンとヨルガスが向かっているようだ。
「あれ~、もしかしてティアか~?」
「うん。ひさしぶりだね」
私に気づいて声をかけてきたのは、ちょっと太った男、ボンスだ。
「なんだぁ、冒険者やめたのか~?」
「やめてないよ。ここに入学したから、ギルドの仕事は週に2日だけになってるけどね」
「アンタ、この人と知り合いなワケ?」
と、アンドリィ。他の班員も手を止めてこちらを見ているので、王都までの旅の間、エンリの護衛として一緒だったことをみんなに話す。
「君は冒険者だったのか?」
眼鏡のグリースがなんだか興味深そうに聞いてくる。
「えへへ。まぁね。これでも自立してるんだよ」
「ふん。冒険者だからって足手まといには変わりないがな」
「ティアは足手まといじゃありません!」
エンリがアルフレイドを威嚇する。
「彼女が足手まとい~? ありえないだろ~」
側で話しを聞いていたボンスが呆れたように言った。ボンスは私(とタイガ)がマッドタイガー3匹を無傷で倒せるのを知っているからね。
「まぁまぁ、それより授業は?」
アルのことなぞ無視するに限る。
「おっと、そうだったな~ みんな素振りの続きだ~」
私以外のみんなが素振りを再開する。
「おい、足手まとい。なにさぼってるんだ」
はぁ……、アルって本当にうるさいな。
「だってもう100回終わったもん」
「はぁ? そんなすぐ終わるわけがないだろ。嘘つくんじゃねぇよ」
あ~、もう面倒くさい。少し黙っててもらおう。私はアルに『つるつるの魔法』をかける。
「ほげっ!」
「あれぇ、アルったら突然ズッコケちゃって、どうしたの~?」
あっさりと仰向けに転倒するアルフレイド。さっきもだけど、最低限の受身は取れるのか、後頭部を地面に打ち付けたりはしていないようだ。
「なっ!? お前がやったんだろう!」
「えっ!? どうやって? 私には魔法が使えないって、アルフレイドっていう口うるさい男が言ってたけど? 今度もたまたま自分で足をすべらせただけじゃないの? だったら私は無関係じゃないかな~」
「ぐっ……くそ、覚えてろよ!」
のそのそと起き上がったアルフレイドは、元の場所へ戻ると素振りを再開する。
「ふふ、ティアを馬鹿にするからです。自業自得です」
隣で一部始終を見ていたエンリが満足そうに言った。
「えへへ」
私もちょっとすっきりした。今度からアルには口うるさかったら遠慮なく『つるつるの魔法』をかけてあげよう。転んでも怪我をしないくらいには体を鍛えてあるみたいだしね。
再び手持ち無沙汰になったのでぼーっと周りを眺めていると、みんなの素振りを見てボンスがひとりひとりにアドバイスをしている姿に目が止まる。
ちらっと聞こえてくる感じだと、姿勢がぶれている人には下半身や体幹を鍛えるように、そして振りが遅いとか力が弱い人には背中や肩、腕の筋力を鍛える方法などをアドバイスしているようだ。ひと通り見て回った後、最後に私のところにやって来る。
「全員見るのが仕事だから、ひと振りだけでいいから素振りしてくれるか~」
「うん、わかった」
私は木剣を構えてから上段に振り上げ、一歩踏み出しつつ一気に振り下ろした。風切音が1つ響く。
「ティア、すごく綺麗です」
「えへへ、ありがと」
「これは俺に指摘できる所なんてないな~。じゃあ100回終わってない人は素振りを続けててくれ~」
そういってボンスはリーガンの元へ帰っていった。