エンリという名の少女
――――っ
(ぅッ……頭がズキズキする。私、生きてる?)
意識が覚醒してくる。ほほに冷たい地面の感触がある。ゆっくりと目を開けると松明の光に照らされる岩肌の壁が見えた。
(ここは……洞窟?)
遠くで男達の話し声が聞こえる。耳を澄ませてみるが、話の内容まではわからない。起き上がろうとして気づいた、私は後ろ手で手首を硬くロープで縛られているようだ。『つるつるの魔法』をロープに掛けてみるが、外すことは出来なかった。ズキズキする痛みに耐えながら、もぞもぞと体を動かして上半身をなんとか起こし、座り姿勢になる。
「あ、お気づきですか?」
突然かけられた声の方を見ると、フリルの付いた上品そうな服を着た金髪の少女が私と同じように手を縛られて座っていた。
「あなたは……?」
「私はエンリといいます」
壁掛けの松明の明かりに照らされたその顔は、前髪が眉うえで整えられていて表情がよく伺えた。エンリと名乗る少女は歳のほどは私と同じくらいだろうか。彼女のふんわりとしたミディアムロングの髪が揺れると花のいい香りがした。
「貴女のお名前をお聞きしても?」
「私はティアズ。あなたはどうしてここにいるの?」
エンリの話はこうだった。街でひとりで買い物をしていたときに裏路地へ引っ張り込まれて、眠りの魔法で眠らされたらしい。目が覚めると体を拘束された状態で知らない馬車の中にいた。しばらくすると外が騒がしくなりドアが開いて連れ出される。外には血を流した男が2人倒れており馬に乗った複数の男達がいた。
この時エンリは自分を助けに来てくれた人達だと思ったそうだ。しかし男達はエンリの拘束を解くことはせず、馬に乗せて走り出す。街道を走っていくが街に向かっていない事に気づいた時、助けではないとわかったという。
そうしてしばらく真っ暗な街道を馬に乗せられて走っていく。途中、旅人とすれ違ったあと半数が引き返して行ったが、エンリはそのまま先へ連れて行かれる。街道を反れて森へ入り大きな洞窟の前に着くと目隠しをされて男に担がれて運ばれた。そしていまここにいるのだという。
私は男が言っていた言葉を思い出す『悪ぃな。見られた以上は、このまま帰せねぇんだ』。なるほど、エンリを連れ去っているところを私に見られたと勘違いしたんだね。
「エンリが見た旅人っていうのが、たぶん私だよ」
私は自分の事を話した。
経緯はどうあれ、2人とも人攫いに遭っているという事だ。そしてここはどこかの洞窟の中で、私達がいる場所は洞窟の行き止まりの部分だ。男達の声がする方向から、少なくともここから外へ出るには男達が待機している場所を通る必要があるのだろう。そう考えると拘束が手だけな事にも納得する。
自力では解けない拘束も、エンリの協力があれば解けるかもしれない。けどその後どうする? 下手に拘束を解いている事がばれたら、返ってまずいことになるかもしれない……。逃げ出せる算段がついてからにするべきだと思った。
「ねえ、エンリ。あなたは戦う事は出来る?」
少し考えてエンリが答える。
「戦う事は難しいと思います。ですが、初級ですが光の魔法と風の魔法なら少し使う事が出来ます」
「光の魔法……?」
「はい。暗い所を明るく照らす光の玉が出せます」
「それってどれくらいのものかな? 不意打ちで目を眩ませられるくらいあるといいんだけど……」
「そうですね……杖があれば、そのくらいまで明るく出来ると思うのですが……」
杖なら……私の杖はどこかにあるだろうか?
「風の魔法は杖があれば、突風を起こせるくらいです。ごめんなさい、役立たずですね」
「そんなことないよ! 私なんて『つるつるの魔法』しか使えないもん。2つも使えるなんてすごいよ」
「つるつるの魔法?」
私はエンリに説明する。
「そんな魔法、聞いたこともないです。すごいですね」
そんなにマイナーなの? 私の魔法。……そういえば、タイガも『わけのわからない魔法』って言ってたな。
「でもこれしか使えないから火を起こすのも苦労するし、飲み水も持ち歩かないとだし。普通の魔法が使えたらってすごく思うよ」
「……私、近々王都にある魔法学園に入学する予定なんです。それで、王都への旅の準備のために買い物に出かけていた時に攫われちゃったんですけど」
困ったような顔をしてそう言ったが、今度は真顔になってエンリは続ける。
「魔法学園で学べば、いろいろな魔法を習得出来る可能性があるそうです。今使える魔法をより強く鍛え上げる事も。だから私は、身を守る事が出来るようになるために学園で1年間しっかりと学び、力をつけなければならないんです」
目線を下にして自分に言い聞かせるようにそう言った。表情はすごく真剣なものになっている。エンリはそんなに身に危険のある生活をしているの?
「あっ……ごめんなさい。いつの間にか私の話に。そうではなくて、ティアズさんも魔法学園で学べば他の魔法を使えるようになるかもしれませんよ?」
あわてたように笑顔に戻るエンリ。
「ティアでいいよ。もしそうなら、私も魔法学園に行ってみたいけれど……」
私が赤ん坊の頃に包まれていた布。身に着けているこの服に見える、私にしか見えない金色に輝く複雑な模様が描かれた図形。それがなんらかの魔力図である事に、私はもう気づいている。魔法に関する事ならば、魔法学園に行けば何かわかるのではないか? それに『ティアズ・S・オピカトーラ』の文字が見える涙の形の石についても……。もしかすると、そこに両親の手がかりがあるかもしれない。
「いきましょうよ!」
「行きたいけれど、お金かかるでしょう?」
「入学費に100万イルドと、制服や教材などもろもろを合わせると120万イルド程でしょうか……」
あぁ無理だ。この半年、頑張って節約して出来た貯金は20万イルドにも届かない。全然足りない。
「エンリ、やっぱり無理そうだよ」
「……そう、ですか」
しょんぼりするエンリ。
「そもそも、ここから生きて帰らないとね」
「そうですね」
しかし、どうしたものか。洞窟の形とか、私の杖の場所とか、見張りの位置や数など、なんでもいいから情報が欲しい……。そう思いながら、男達の声が聞こえてくる方を見やる。すると、松明の明かりの隙間の暗闇から1匹の黒猫がこちらに向かって走ってきた。
「タイガ!」
「よぉ、生きてたか」
「助けに来てくれたの?」
「貸しを作ったままなのが許せねぇだけだ」
私より小さい体の猫なのに、タイガのぶっきら棒な声を聞くとなんとも頼もしく感じる。
「……しゃべる猫?」
「あー、えっと。そう! この子はタイガ。私の使い魔みたいなものだよ」
言っても信じないだろうけれど、私が封印を解いてしまった自称大魔王ですとは言えないので、適当言って誤魔化してしまった。タイガに反論されるかと思ったら舌打ちされただけで済んだ。空気を読んだ? まさかね。そして私達は情報を交換し合う。私はエンリの事を紹介し、使える魔法についても話す。
「お前の杖なら、すぐ近くにあるぞ。鞄と一緒にな」
『黄昏の花』の匂いを辿って来たタイガは、私の鞄を最初に見つけたのだと言う。そしてどうやらこの場所は、入り口から続く1本道の通路から4つに分岐した中の1つで、一番端にあるらしい。ここの隣の通路の先が倉庫になっていて、私の装備もそこにあるのだという。さらに隣の通路の先は広間になっているようで、そこに私達を攫った男達がいる。
遠くから聞こえる話し声はそこからしているようだ。とすると、広間は5叉路からそう遠くないのかもしれない。そして、もう1つの通路の先はどうなっているか知らないそうだ。
「この先の5叉路には見張りが2人いるぜ。それと洞窟の入り口に2人だ」
「てことは、うまくすれば3対2で4人倒せれば逃げ出せる?」
「だが、騒ぎを起こせば広間にいる奴らが押し寄せてくるぞ。入り口の奴らと挟撃されたら詰むだろうな」
「……ねぇ、タイガは眠りの魔法は使える?」
「あ? そんなまわりくどいもん、使ったことねぇ」
タイガの性格を考えると納得してしまう私がいた。
「ひとりならそっと近づいて、近距離からの風の刃で一瞬で首を飛ばせるんだがな」
「ねぇタイガ。殺さずに気絶させる事は出来ないかな」
「あ? 何言ってんだ。そんな余裕があると思ってんのか」
「わかってる。私達は弱いし、甘い事を言ってるって。だけど、殺すのは出来れば最後の手段にしたいの」
「俺達を殺そうとした相手だぞ!」
タイガが言っている事の方が正しいのかもしれない。けど殺すのを前提にはしたくない。私の我侭かもしれないけれど……。
「……うん。それでも!」
「……ちっ、だが必要と思ったら俺は殺るからな!」
「うん」
その時、男がひとり私達の方へ歩いてきた。
「騒がしいようだが、逃げようとしても無駄だぞ」
後ろからタイガの声がする。
「あいつは5叉路にいた見張りのひとりだ。ここで仕留めるぞ。合図したら男の注意をそらせ」
私は頷く。
「ん? お前……そんなに髪長かったか?」
「私は元々こうだよ」
「ふん……まぁいい。髪が長い方が値が上がるからな。とにかく、静かにおとなしくしていろ」
そう言って男が背を向けた瞬間、タイガが魔力図を構築・展開する。姿を現したタイガが、音のしない猫足で暗がりに身を隠すと闇に光る目が瞬きをした。合図だ。
「ねぇ、ちょっとまって」
「なんだ?」
振り返った男の顎が殴られたように揺れた。タイガが死角から飛び掛って魔法を放ったようだ。風魔法だろうか? 意識を失った男が膝から崩れ落ちるのを、急いで駆け寄り背中で受け止めて静かに地面へ倒す。
「うまくいったな」
「うん」
一瞬の出来事に、エンリが何が起こったのという目を向けてくる。
「言ったでしょ? 私の使い魔だって」
「見張りがひとりになって話が簡単になったな」
「うん。エンリ、行こう!」