真夜中の強襲 後編
馬に乗った人族の男が5人。
なんだ、こいつら……?
だが、殺る気だってのはわかる。
2人から新しい血の臭いが漂ってくるからだ。
おそらくここへ来る前に人族を殺してきたばかりなんだろう。
人数的にも戦闘になったら圧倒的に不利だ。
あいつはどうするつもりだ?
「タイガ、逃げるよ」
逃げる事を選択したか。それはそうだろうな。
だが、逃げるにしてもこいつはかなり骨だぜ。
あいつを見あげる。
あ?
肩口に背後にいる馬上の男のひとりが背中から弓を外すのが見えた。
野郎、弓を持ってやがるのか。
男が矢筒の矢に手をかけた。
あいつを見ると後ろの男の動きにまるで気づいていない。
ちっ。
俺様は風の魔力図を構築・展開しながらあいつを踏み台にして肩口に駆け上がった。
いままさに放たれた矢へ向かって風魔法を発動させる。
魔法で生まれた風の刃が矢を切り裂いた。
「おい! この猫、いま魔法使ったぞ。面倒だ、先に潰せ」
ちっ、これでただの猫を装って不意打ちする手は使えなくなったな。
馬上の他の2人も武器を手にしだす。
弓が2人とスリングひとりか。
遠距離武器持ちが馬上の視点が高い位置にいる、やっかいだぜ。
下の2人は剣か、それならあいつの謎魔法で無力化できるか?
なら注意すべきは下の2人より、上の3人か……。
「「ぶべっ」」
あいつの謎魔法で下の2人が転んだ。想定内だ。
「走るよ!」
上の3人は……既に武器を構えている。
ちっ、同時か!?
1つ1つ弾いてらんねぇ。
急いで物理防御壁の魔力図を構築・展開する。
涙ほどの魔力量に、そよ風にも負けそうなほどの弱い魔力圧。
魔力制御も眠たくなるほど遅ぇ。
感覚に実態が追いついて来ないどころか、あまりにも乖離しすぎて他人の様にすら感じる。
くそ! もどかしくてイライラするぜ!!
矢が1本ずつ2本放たれた。その後、一拍置いて石つぶてが放たれる。
ちっ、十分な魔力を注いでいる時間がねぇ。
防御壁に十分な強度を与えるだけの魔力を注ぐのを諦め、いま注いだ分だけで魔力図を発動して物理防御壁を張る。
魔法によって発生した防壁は矢と石つぶてを受け止めたあと砕けて消滅した。
どうにか注いだ魔力でギリギリ足りたらしいが……くそ! たったこの程度を防いだだけで砕け散る物理防御壁がいまの俺様の力なのかッ!
なんて無ざ……ぐぅッ!?
突然、腹部に重い衝撃と痛みが走った。
浮遊感とともに天地が回って高くなっていく視界に、片足を上げた剣を持った男の姿が目に入った。
俺様はあの男に蹴り上げられたのかッ!?
くそ、馬上の3人に集中し過ぎた!
この俺様が人族なんぞに足蹴にされるなどと! なんたる屈辱だッ!!
怒りで視界に火花が散る。
体を捻って4つ足で着地するも、蹴られた腹が燃えるように痛い。
呼吸をするのも少し辛い。
体が安静を求めてこの場にへたり込ませようとする。
怒りに燃える頭とは真逆に、体は苦痛に抗え切れず震える膝が折れた。
ぐ、なんだこの貧弱な体はッ! この程度で動けなくなるなどッ!!
痛みに耐えながら頭を上げると男のひとりが剣を振りかぶった。
まずい! 殺られる! 動け! 動けッ!!
だのに、一度折れた膝は諦めてしまったように力が入らない。
駄目だ、殺られる!
せめて最後の瞬間まで目を逸らすまいと振り下ろされる剣を睨む。
くそがッ!!
いきなり男の手から剣が不自然にすっぽ抜けた。
っ! まさか、謎魔法か!? だが射程的に……。
見ると、あいつが勢いをつけてもうひとりの男に体当たりをかました。
「ぐがっ!」
「タイガ! 大丈夫!?」
「ばっかやろう! 何で戻ってきた!!」
何やってんだ! 俺様を置いていけば逃げられたはずだろうが!
戻ってきても2人共助からないだけで意味なんかないんだぞ!!
「ほっとけないよ!」
く……。何言ってんだ、あいつはっ……。
他人なんぞ、自分のための踏み台にすぎないだろうが!
「おい、遊んでないでさっさと始末しろ」
「うるせぇな、わかってるって。ちょっと手が滑っただけだろ」
あいつがもうひとりの男を体当たりで飛ばそうとするが弾かれる。
当たり前だ、さっきは勢いをつけていたから押し負けなかったが、体重差がありすぎる場合は軽いほうが弾かれるもんだ。
そうだ。俺様の本当の体なら矮小な人族なんぞが蹴り上げることすらできやしねえんだ。
俺様がちょっと手を添えるだけで奴等ゴミ共を踏み潰せるんだからな。
くそ、こんな小さな体じゃなかったら……ッ!
「ってーなっ!?」
謎魔法で男を転ばせたあいつが、動けない俺様を抱きかかえて森へ向かって走り出した。
あいつの激しい鼓動と擦り切れそうな息遣いが、触れる肌を通して騒音のように伝わってくる。
馬鹿が、ひとり逃げればよかったものを……。
っ! まずい! 馬上から遠距離で狙われているはずだ!
胸にしっかりと抱きかかえられているせいで背後にいる馬上の3人が見えない。
ちっ、見えなくても張るだけ張っておくしかねぇ!
急いでもう一度、物理防御壁の魔力図を構築・展開する。
くそう! お遅え! お遅え! 早くしろッ!!
気が遠くなりそうなほど遅い速度でようやく魔力図の展開が終わる。
発動しろッ……!
その瞬間、硬い何かがぶつかる音と振動があいつの身体を伝って俺様の身体に響いた。
遅れて防御壁に弾かれる2つの音。
くそ! 間に合わなかった!!
あいつは俺様を守るようにして地面へ倒れた。
「タイガ……逃げて……」
あいつが震える腕で俺様の体を森の暗がりへ向けて弱々しく押してくる。
その向こうからは2人の男が近づいてきている。
いまの俺様には、あの2人だけだったとしても勝てないとわかる。
いや、わかってしまった。
どうにもできないなら、ここにいてただ死を待つなど無意味だ。
あいつの目を見ると、その目は俺様をまっすぐに見つめている。
ぐっ……。
「くそがっ!!!!」
腹の痛みはもうない。森の闇へ向かって振り返らずに走る。
生まれて初めての無様な逃走。
数千年などゆうに超えるほど生きてきた。
俺様に逆らうものは全て殺してきた。
逃げ回るのはいつだって周りの有象無象だった。
俺様はそんな奴らを何の感慨もなく、ただのゴミ屑のように捻り潰してきた。
そうして俺様に適うものも、逆らうものもいなくなった。
そうだ。俺様は圧倒的強者だった!
だが、いまの俺様はなんだ!!
息をするように常時発動できていた防御魔法の発動に手間取り、ひ弱な人族に蹴られただけで苦痛で動けなくなる貧弱な体。
人族の肉すら引き裂けない役立たずの爪と牙。
弱ぇ、弱すぎる。なんて、無様だ……っ!!
これでは俺様もあの有象無象と同じだ。生きる価値などないゴミ屑だ。たかが人族2人に敵わぬものが大魔王などとッ!!
「くそうっ!!」
頬を熱いものが流れていく。なんだ……これはッ!
「くそ! くそッ! くそおおおおおおおおッ!!」
――――――――――
――――――
―― ……。
当てもなく森の中を走っている内に、頭の中が冷えてくる。
さっきの出来事を順を追って思い返していく。
全盛期だったなら……瞬きをする間で魔法を発動して、馬ごと5人の首を飛ばせてた。
いや、素手ででも同じ事が出来た。
後手に回る事など怖れず、攻められた。
だが今は……。認めたくないが俺は弱ぇ……。
くそ……あいつも弱ぇくせに、何で戻ってきやがった!
弱ぇ有象無象は逃げ出すもんだろうがッ!
――真っ暗な森の中を、ただ当てもなく歩き続ける。
最後に見たあいつの姿を思い出す。
頭から血を流して倒れながらも、弱々しい震える腕で俺を逃がすために森の暗がりへ押し出していた。
弱いくせに、自分の事はもう諦めたようにまっすぐ俺を見て逃がそうとしやがった。
「くそ!! なんでだよ……ッ!」
――足が止まる。
「……今頃殺されちまってるだろうな」
そう口にしたら、喉を握られたような感覚を覚えた。
初めての感覚。
だがとても不愉快な感覚。
気がつくと、来た道を戻って歩いていた。
何かに掻き立てられるように足がさっきの場所へ向かう。
歩きから走りに、走りから全力疾走に。ギアが上がっていくほど、思考の雑音が消えていく。
森を抜けて街道に出る。
死体は……なかった。
だが血の跡がある、ここで間違いない。
……という事は攫われた?
「だったらまだ生きてるかもしれねぇ……!」
顔を上げる。
どうしてかわからないが、急に力が沸いて来る。
頭の中はもうごちゃごちゃ考えることをやめてすっきりしていた。
「そうだな。行くしかねぇ!」
僅かに残る『黄昏の花』の匂いを頼りに、俺は全力で走り出した。
 




