真夜中の強襲 前編
「ねぇタイガ。私達はひとりで生きているんじゃないんだよ。国や街を守る者がいなくなったら、安心して生活が出来なくなっちゃうよ。街に獣や魔物が入ってきたら畑を荒らされちゃうし、農家の人達が襲われて怪我でもしたら尚更収穫量が減っちゃう。街から出せるものがなくなれば、他の街から取り寄せることも難しくなる。そうしたら毎日のおいしいご飯も食べられなくなっちゃうんだよ。タイガはそれでもいいの?」
「ふむ」
タイガに少しでも響け! と思い、食べ物を例にギルドの図書コーナーで得た付け焼刃の知識も織り交ぜて私なりにタイガに諭してみたのだけど……。
期待した反応とは違う感じだ。どうやらうまく出来なかったみたい。
「ふぅ……」
やっぱり慣れない事はするものじゃないや。
「それにね、力ずくで無理やり従わせるなんて恨みを買うやり方は、積もり積もっていつかタイガにとって大事なその瞬間に、きっと報復となって返って来るよ。その時に後悔しても遅いんだよ」
先生は良く言っていた。人にはやさしくしなさい、と。
それはその人のためじゃなくて自分のためなんだよって。
最近になってようやくその意味が少しわかるようになった気がする。
それはたぶん、やさしくされた人はきっと他の誰かにもやさしくなれるからなんだ。
そして巡り巡って自分にもそれが返って来るってことなんだ。
だったら逆に酷い行いを続けていけば、返って来るのは酷い行いになると言い換えることもできるんじゃないかな。
見間違いだろうか、私のその言葉に一瞬タイガがビクリと震えたような気がした。
「そう……だな」
わかってくれた……のかな?
しゅんとする小さなタイガの頭をやさしく撫でる。
ふと顔をあげると夕日が沈みかけていた。
辺りが駆け足で暗くなっていく。
日が沈みきり、森が暗闇に飲まれた頃――。
丘には星明りを浴びて白く輝く花が一面に咲いていた。
真っ暗な丘は、真っ黒な空に溶けてしまって空と大地の境界がわからない。
天空には無数の星星と、すごく大きな丸い星が2つ浮かんでいる。
「綺麗……。ねぇタイガも見てる? すごく綺麗だね」
「……」
こみ上げてくる感動に胸が熱くなる。
街の中の狭い世界で暮らしてきた私には、それはまるで物語に出てくるような幻想的な光景に見えた。
しばらく2人で、そんな美しい景色をただ黙って眺めていた。
それから黄昏の花を採取した私達は、真っ暗な森の中を松明の灯りを頼りに街道へ向けて歩いていく。
初めての夜の森。
木の根に足を取られて転びそうになったり、枝におでこをぶつけたりと、苦戦しながらも来るときの倍近い時間をかけてなんとか街道に出る事が出来た。
街へ向かって街道を歩いていると、前方から複数の松明の火と馬が走る音が近づいてくる。
その集団は一度私達を通り過ぎたけれど、半分ほどがすぐに戻って来ると私達を取り囲んだ。
「悪ぃな。見られた以上は、このまま帰せねぇんだ」
その中のひとりが馬上から見下ろしながらそう言った。
5人……かな。武装した男が馬に乗っている。
私達を無言で囲むこの人達が一体何なのかはわからないけれど、穏やかじゃない状況なのはこの場に漂う張り詰めたような空気から感じ取れる。
ひとりひとりが松明を持っているので、囲まれている私の周りは明るい反面、囲いの外側の街道は星の明かりで薄暗く、森の方は地面すら見えない暗黒だ。
街道を走って逃げる?
でも相手は馬だ。人の足で逃げ切れるはずがない。
だったらまだしも森の暗闇の方が可能性がある。
暗闇で明かりは目印になってしまうから、松明は捨てていくべき?
だけど松明があってもあんなに歩くのに苦労した森を進めるだろうか? 正直、自信がない。
なら戦う? 相手の実力はわからない、けど5対2。
駄目だ。それこそ無理だ。
じゃあどうするの……っ!
思考がまとまらないうちに男が2人、馬から降りて剣を抜きながら近づいてくる。
考えてる時間がない、『2人が魔法の射程に入ったら、転ばせてすぐに森の方へ走って逃げる』そう覚悟を決めた。
「タイガ、逃げるよ」
タイガがこちらを一瞥すると、魔力図を展開しながら私の体を登ってくる。
疑問に思っていると後ろで何かが切り裂かれるような音がした。
「おい! この猫、いま魔法使ったぞ。面倒だ、先に潰せ」
そう言った馬上の男の手には弓が握られていた。
そうか、後ろから射られたのをタイガが魔法で防いでくれたんだ。
剣を構えた2人の男が素早い動きで距離を詰めてきたので、あわてて『つるつるの魔法』をかける。
「「ぶべっ」」
「走るよ!」
倒れている男の横をすり抜けて森へ向けて全力で走る!
後ろから複数の何かがぶつかる音が聞こえてきてヒヤッとしたけれど、背中にも足にもどこにも痛みは感じない。
大丈夫、当たってない。森はもう目の前だ。
力を振り絞って暗闇の中へ転がり込んだ。
「はぁ……はぁ……なんとかなった、はぁ……ここまで来ればあとは暗闇に紛れて静かに……」
そうだ、タイガはちゃんと付いて来てる?
後ろを振り返ると、タイガが街道に倒れていた。
その横にはいままさに剣を振り上げた男の姿。
「タイガ! 逃げ遅れたの!?」
考えるよりも先に体が動いていた。
タイガの元へ呼吸も忘れて全力で走って戻りながら、振り下ろされる剣の持ち手に『つるつるの魔法』を掛けて武器を落とさせ、もうひとりに向かって魔法を掛けつつ、全力疾走の勢いのまま体当たりする。
「ぐがっ!」
男は足を滑らせて吹っ飛び転倒すると、そのまま体を転がせながら私達から遠のいていった。
「タイガ! 大丈夫!?」
「ばっかやろう! 何で戻ってきた!!」
「ほっとけないよ!」
「おい、遊んでないでさっさと始末しろ」
「うるせぇな、わかってるって。ちょっと手が滑っただけだろ」
もうひとりの男が素手で殴りかかってくる。
その拳を半身で避け、同じように体当たりで遠くへ飛ばそうとした。が、今度は押し負けて逆に弾かれてしまった。
なんで!? 魔法を掛けてあるのに!
「ってーなっ!?」
吹っ飛ばせはしなかったけれど『つるつるの魔法』で立ってもいられなかったようだ。
男が転倒している隙に急いでタイガを拾って胸に抱きかかえる。
起き上がろうとする男にもう一度魔法をかけて転ばせて、森へ向かって全力で走った。
緊張と何度もの全力疾走で呼吸が辛い。
激しい鼓動で胸が破裂しそうだ。もう走れないと気持ちが折れそうになる。
抱きかかえる腕からタイガの体温が伝わってくる。
そうだ、足を止めちゃ駄目だ。止まったら2人とも殺されてしまう。
目の前に森の暗闇が広がる。あと少し――!
突然、視界が揺れて後頭部に衝撃と突き刺すような鋭い痛みがはしった。
足がもつれた私の頬に冷たい地面が張り付く。
投石、だろうか……。痛みを感じるところから温かいものが下へ向かって流れていくのを感じる。
「タイガ……逃げて……」
意識が朦朧として口がよくまわらない。
とにかくタイガを森の暗がりへ向けて押し出す。
よくは聞こえないけれど、足音が近づいてくる気がする。
早く逃げて!
「くそがっ!!!!」
暗くなって狭まる視界に、タイガが森の闇へ消えていく姿が見える。
よかった……ちゃんと逃げて……。
私の意識は暗い闇の底へ落ちていった――。