ティアのひとり立ち
私は、ティアズ・S・オピカトーラ。
だけど、この名前が私の本当の名前かどうかはわからない。
首にかかるネックレスの紐を引っ張り、真っ白なケープとワンピースに包まれた胸元から涙の形をした透明な石を取り出す。
その石を摘んで光に透かして中を覗き込むと、『ティアズ・S・オピカトーラ』と書かれた小さな文字が浮かび上がって見える。
それと、私にしか見えないらしい銀色に輝く複雑な模様が描かれた不思議な図形。
「先生はこれを見て私に名前を付けてくれたんだよね」
私はテーブルの向かいに座る初老の女性の顔を見る。
「えぇ、そうよ。あなたが持っていた、ただ1つの物だったからねぇ。きっと何か意味があると思ったの」
初老の女性はそう言ってやさしく微笑んだ。
この10年の間にすっかり白髪に染まったこの初老の女性は、私を育ててくれた孤児院の先生だ。
顔に出来たシワは目元にはやさしい線が、口元には厳しい線が見て取れる。
15年間、この孤児院にいた私にはその1つ1つに心当たりのある思い出がある。
きっとどのシワも私達孤児に向けられているうちに、少しずつ長い長い時間をかけて先生の顔に刻まれていったものなんだ。
「あなたを扉の前で見つけた時の事は、今でもはっきりと覚えているわ。生まれて間もない赤ん坊が、とても丈夫な籠の中に真っ白な布で大事に大事に包まれていたの」
先生は私が着ているケープとワンピースを指差す。
ネックレスと共にこの服は卒院する私にと、1週間前に先生から受け取ったばかりだ。
「え、この服ってそんなに古いものだったの?」
ケープもワンピースもまるで新品のように真っ白で綺麗だから、ついそんな言葉が口をついてしまった。
受け取る際に、これは元々私の持ち物だと教えてもらっていたのにうっかりしている。
「不思議よねぇ、あれからもう15年にもなるのに、綻び1つ出来ないなんて。きっと特別なものなのでしょうね」
先生が言った”特別”という言葉に、私はケープの端を持ち上げてそこにある金色に輝く複雑な模様が描かれた図形を改めて確認する。
先生も孤児院の弟妹達に聞いても見えないと言われてしまった私にしか観えない不思議な図形。
その理由も、この図形にどんな意味があるのかもわからない。
ひょっとしたら本当の両親が残してくれた私へのメッセージだったりしないだろうか?
この世界には魔法が存在する。
生活魔法と言われる釜戸に火をつけるような微小の魔法は最も身近な魔法だ。
そして魔術師が使う強大な魔法なら、物理的に不可能なことも実現出来ると聞いたことがある。
もしかしたら宛てた人にだけ見せるメッセージを残す魔法があるかもしれない。
ううん、あったらいいなって。
それがこの図形で、この中に私宛のメッセージが隠されていたらいいなって。
そこには私の本当の両親が今いる場所が書いてあって、私が会いに行くのを待っていてくれているんだ。
希望と願望ばかりの、無理くり感のある考えだけど”特別”なものにはそんな淡い期待を抱きたくなる。
だって、私を生んでくれた、見たことのない本当の両親の事を思うと胸が少し苦しくなるから……。
「先生、どうして私は捨てられたのかなぁ」
答えようもない子供な質問だとわかっているのに、ついこぼしてしまった。
ふわりと背中が温かいものに包まれた。
後ろから先生の静かな息遣いが聞こえる。
「先生、私ここを出たらいつか両親を探し出して理由を聞くよ」
「そう……だったら1つ約束なさい」
ゆっくりと私を椅子から立たせ、正面からまっすぐに私を見つめる先生は少し寂しそうな目をしてやさしく微笑んでいる。
「見つかっても見つからなくても、その時はここへ報告に来て顔を見せなさい。私にとってもあなたも大切な子供達のひとりなんですからね」
「うん、必ず。それにたまには遊びに来るから」
先生を抱きしめる。
私を育ててくれた人。悪い事をした時、本気で叱ってくれた人。いじめられて泣いているとやさしく抱きしめてくれた人。
すごく怖くて、すごく強くて、すごくやさしい人。だけど初めて知ったよ、こんなにも細い体だったんだね。
涙が溢れて零れそうになるのをぐっと堪える。
今やっとわかったよ、どうして先生が私達孤児に徹底して『先生』としか呼ばせなかったのか。
「さあ、もう行きなさい。住む場所もまだ決まっていないのでしょう?」
「うん。先生ぇ、いってきます」
「いってらっしゃい」
笑顔で送り出してくれる先生を背に、お手製の肩掛け鞄とガジの木で作られた杖を持って、私を育ててくれた孤児院を出る。
少しだけ紫がかった空。
早朝の涼しい風が、少し火照った私の頬を撫でていく。
静けさの中に、畑の麦が揺れてかすれ合う音がやさしく耳に届けられる。
顔を叩いて気持ちを切り替える。
この日のために、街でお手伝いをして少しずつ小銭を貯めてきた。
領主が決めた規則で15歳を迎えたら孤児院を出なければならないから。
だけど15歳からは冒険者ギルドに登録が出来るようになる。
小銭じゃなくて、それなりのお金がもらえる仕事があるかもしれない。
そうだ、まずは冒険者ギルドに行こう。
両脇に畑が広がる街道を冒険者ギルドへ向けて歩いていく。
孤児院が建っているのはこの街の外れだけど、街を囲む防壁の中にあるので危険な魔物に襲われる心配はない。
ロンブルク王国にあるこの街ブリトールは、数百年周期で起こる魔界からの進軍、それによって引き起こされる天魔戦争と呼ばれる魔物達との戦争の際、『最も戦場に近い街』という歴史がある。
そのため街の防壁に関してはなかなかのものらしく、余程の事がない限り破られる事はないと言われている。
お手伝いの時に何度も歩いた道を通って、家が立ち並ぶ所まで来る。
ここまで来るとお店なんかもあってそれなりに賑わっているんだけど、今はまだ時間が早かったね。閑散としてる。
そういえば冒険者ギルドってもう開いてるのかな?
考えても仕方ないか、気にせず向かおう。
開いてなかったら外で待てばいい。
到着したとき、冒険者ギルドは開いていた。
受付嬢に聞いてみたらずっと開いているそうだ。
緊急時の対応や夜間でしか出来ない依頼もあるかららしい。
人がまばらなギルドの広い待合所には、いくつかのテーブルと椅子が置かれている。
そのうちの1つに腰かけて受付嬢からもらったギルドメンバー登録申請書を記入する。
文字の読み書きは孤児院の先生に習っていたから、特に問題もなく羽ペンを走らせると、必要事項を記入した申請書を持って空いてる受付に提出した。
受け取った書類を事務的に目を通した受付嬢が顔をあげる。
「ティアズ・S・オピカトーラさんですね。今日で15歳になったのですね。それでは、こちらに手を置いて下さい」
言われた通りカウンターの上にある石版へ手を置く。
ヒンヤリとした感触がするものの、特に何も起こらない。
「はい、登録が完了しました。手を放して大丈夫ですよ。ギルドについての説明は必要ですか?」
この石版は何の意味があるんだろう? 気になったけれど、今は説明を聞くことにする。
「あ、うん。お願い」
「それでは、ギルドランクから説明しますね。ギルドランクはFからAまでと最高位のSがあります。ティアズさんは現時点でFランクになりますが、ランクによって受けられる依頼に制限がかかるので注意してください」
「制限?」
「はい。自分のランクより低い依頼は受けられますが、高い依頼は受けられないんです。例えばFランクですと薬草などの収集系か家鼠駆除などの雑用のみですが、Eランク以上になると魔物の討伐依頼を受けられるようになりますし、Cランク以上であれば護衛依頼を受けられるようになりますが、Fランクのティアズさんは制限により魔物討伐の依頼も護衛依頼も受けることは出来ません」