父について… その2
中学を卒業後人に使われるのが嫌で山仕事を請け負い人を雇っていた。
小学生の頃戦後誰の土地かわからない地を友達と2人で開拓し500円で売ったそうです。それくらい商魂たくましかった。そんな売買大丈夫だったのか
そんな仕事をしながらバンドを始めた。バンド名は「CMC」意味は知らないとか。バンド仲間が付けたみたいです。その当時の写真があり父は
ウッドベース 「なんでこれなの」
と聞くと「弦が高くだれもやりたがらなかったから」だそうで、
近くの公会堂でライブ 女子高生からの追っかけからサインをもとめられたり、その当時 メグロの250ccのバイクで女の子を送ったり イケイケな青春。メグロとは戦後まで日本を代表するバイクメーカー。ホンダやスズキが生まれるずっと前品質もよく壊れにくいと評判のバイクメーカーなのだ。
そんなバイク回りにも乗っている者はいない。女の子たちはこぞって後ろに乗りたがった。
時にはボーカルをする事も 時代的に
プレスリー? 「誰の歌唄ってたの?」の答えが「村田英雄の
王将」 いやーある意味期待を裏切る
まさかの王将❗️ バンド仲間の一人は東京にでる❗️お前ならやれると誘われたそうですが 興味がなかった との事でした。
少しして父は京都に出た。
建設会社に住み込みで入り 重機や大型の資格をとる為に。
そこの社長の所には女の子しかいなかったのだろう三男の父に目をつけたのか姉妹どちらかをと思ったのか近づけさせた。「二人両脇に抱いて寝た事もある」でもそこも免許をとったらすぐに辞めた。結婚していれば社長になれたのに。
京都ではケンカで一度捕まっている。
前科持ちです。京都の祇園祭の最中
護送車で運ばれていたらしい。
私はニュースで毎年目にする度に父のそのネタを思い出してはにやけてます
留置場には三人先客がいた 古株の人は色白のなよっとした男で痴漢をしたらしい その人は留置場でモテたらしい。出るときには女みたいになってたとか。 「わしは男はダメだった」
けどトイレは気を使ったらしい
大をする時音がでるし 20日ほどお世話になったそうです。