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そこにくるみの木があったから  作者: タラ吉の助
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嫁と姑

隣から知らないおばあさんがよくやって来る。杖をついて。「また 嫌な奴が来た!」三輪車をキコキコこぎながら思っていました。多分3才くらい知らないながらもなんか嫌いでした。

でもすぐに帰るのです。

大人になって聞くとうちに来ては「これはうちのだ!」と言っては何かしら持って帰る。私のひいおばあさんでした。私のおばあちゃんはハサミからござの果てまで名前を書いてもおかまいなし 私のひいおばあさんでした。

すぐに帰る理由もわかりました。

大人の事情があったみたいで

私のおじいさんは長男なんですがお嫁さんをもらうんですが 三男が居座り仕方なく隣に家を立てたのが私の家です。長男が親を見る予定が三男が見るとゆーのです。長男を頼ってはうちに来るのですがすぐに連れ戻されるのです。三男は少し乱暴で我が家が屋根の瓦をふきかえていたら 物干しざおに鎌をつけて瓦職人の邪魔をしたり

長男のおじいさんは乱暴な弟に手を焼いていて連れ戻されるときもひいおじいさんたちは泣いていたそうです。

そんな私のおじいさんには愛人がいたそうです。温泉街の芸者さん。

戦争に負け 日本の男たちは全員玉を取られるとゆー噂がちまたに流れこれは遊ばないと!と思ったからだそうで2年かこっていたせいでどんどん貧乏になったそうです。そんな噂信じる。

そうゆう時代だったんですね。

母も子供の頃マッカーサーがきて殺されるって噂信じていたそうです。

彼はそんな暇な人じゃないとおもいますが まー今の世の中も広がり方は違いますが噂とは恐ろしいものです。

おばあちゃんにばれた後 おばあちゃんは彼女と話合い別れさせたそうです。その時うちの父を連れていて彼女が父にキャラメルを渡してくれたのですが おばあちゃんは取り上げて投げていたそうです。そりゃ腹がたちますよね。彼女も罪悪感はあったでしょう。

そんな苦労ばかりのおばあちゃんとは私が4才くらいの頃に別れが来ます。

多分脳内出血のような病名ではなかったでしょうか 倒れて間もなく亡くなりました。しかもあのひいおばあさんと同じ時です。 どちらも入院していてどちらが早かったかは今も謎で

多分私のおばあちゃんが一時期ほど早かったのではと母の記憶。

嫁と姑 同じ日の死亡 親戚中大変

右へ左へと大移動。

父は言います。おばあちゃんは年金がもらえるようになったと喜んだのもつかの間 一度もらったくらいで死んだのでは と。

それがきっかけで父は私に年金を納めなと そして滞納していたら市役所から納めるようにと 私は1999年世界が滅びなかったら なんて言ってたら

結婚して主人の会社から扶養手当を支給するのに年金を支払うようにとの事で何年間か払いました。

ろくな事を言わない父です。

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