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そこにくるみの木があったから  作者: タラ吉の助
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大当たり

「スナック再会」は大当たりだった。地元では、ダム建設、高速道路工事、県の職員の単身赴任達、地元も商売人の町でもあり、人口の割りに大工、建設会社など沢山あった。何かの集まりがあればお声がかかり、昼でも店を開けていた。開店と同時に住み込みでホステスも来た。髪の長い大人しい18才のお姉さんだった。第一号だから覚えているが、あまり印象もなく早々と居なくなった。あとのホステスは地元のおばさん達、旦那が単身赴任だったり、未亡人、昼普通に働いて日雇いでうちに来ていた。うちもその方がずっと人を雇うより、忙しくなれば、次々とそのおばさん達に声を掛けて来てもらっていた。素人のおばさん達も酔っぱらい相手に騒いでお金になる。客も喜ぶし、おばさん達のいい小遣い稼ぎにもなり、にぎわっていた。なので父は調子に乗っていた。昼間から近所の土建会社の社長(のちに夜逃げをする)と近くのホルモン屋に入り浸り酒を呑んでいた。客の送迎が父の役目なのだが、酒の誘惑に負けていつとなく呑んでいた。私は店にいる母から父を連れて帰れと言われ、足の立たない父に肩を貸し連れて帰ったり、迎えにいって逆に叱られたりと、そんな日が続いた。母いわく酒癖の悪さは結婚してすぐにわかったらしく、神戸でのアパートでも怖くて一晩共同トイレで明かした事もあったらしい。私は相変わらず一人起きて、犬とオウムのピーコに餌をやって登校していた。学校に着くと2時間くらいで気持ち悪くなる。何日か我慢したが、ある日担任に訴えた。私は保健室で休めると思ったのだが、先生は職員室に連れて行き、自分の椅子に座らして、私に白湯を出した。飲んでみるとそれは砂糖湯だった。あぁお腹が空いていたから気分が

悪かったのか。父からは小学校に入ってすぐご飯と味噌汁の作り方を教えられた。だがまだ一人火を使うのは怖かった。2年生くらいになってイシイのハンバーグをゆでて、それでご飯を食べて行けるようになった。たまに朝起きると茶の間のテーブルにから揚げが置いてあった。お店のどくとくの匂いのするから揚げ。たまにといっても年に一回くらい、しおれたレタスとレモンの輪切りがこれ以上ないくらいの小さな三角に切って添えられて、なのでこれは私の為ではなく、客の数を間違えて作った時のものなので、だから年に一回くらいなのだ。

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