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そこにくるみの木があったから  作者: タラ吉の助
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いつの間に!

ある朝早く玄関先の大声で私は飛び起きた。Yちゃんだった。「くるみちゃん学校よ!みんな待ってる!」「学校?」「うん!今日から学校!」母も寝ていたので起こし「早く!早く!」「嫌だ!行きたくない!」ポロッと言葉が出た。なんの用意もできていないのに知らない所へ行くのはいや!どうやら私は小学生になっていた。無理矢理Yちゃんと寝間着すがたの母に連れられ大勢の子供達の中に入れられた。SちゃんやKっちゃんも待ってくれていた。小学校一年生の時の担任は母の小学校の恩師でもあった。私の新一年生初日は顔もろくに洗ったか定かでない初登校だった。家に帰ると母から「明日から一人で起きて学校に行くように」と言われた。「お母ちゃんは夜遅いから朝起きれないから」と言われた。いつからだろうか記憶にない。夜母は家にいなかった。うちは夜の飲食店を始めていた。大人になって聞いたのですが、きっかけは母が化粧品を売っていた隣町の飲み屋のママが私の町に新店舗を出したいから物件を探してほしいと言われたらしい。そして銀行から売りに出されていた物件を紹介したが気が変わったようで出さないと言われ、それじゃ私達でやっちゃう?になったそうです。父もそろそろダンプの仕事に見切りをつけ始めていたそうだ。回りや建設会社にもダンプの運転手が増えてきたからだ。ダンプを売って店を買ったものの内装にもお金が掛かる。茶の間に飾ってあった日本刀もひとふり またひとふりと減っていった。うちはスナックではなくキャバレー、バー 風俗の店です。スナックは喫茶店でお酒を出せる程度、キャバレー、バーは客の隣に座り接客ができるお酌やダンスもできる。その分料金もサービス料として請求できる。風俗営業は警察の許可がいる。父は自分名義で申請した。いろいろ手続きを進めていくと、警察の人に「あなた前科がありますね、前科のある人には風俗営業の許可は出せません。」といわれ父は目の前が真っ黒になった。しかし、すぐに「まーいいわ、昔の事だし」なんてゆるい時代。大人になって店が私の名義になり風俗営業講習を何年かに一度警察で受ける。今では昔以上に厳しくなり 薬物検査など病院での証明書も提出しなくてはならない。公共施設や学校も近くにあると出店できない。何度か講習に行った。テキストにはキャバレー、バーについて キャバレー、バーなのどの店は客に接待してもよい。接待とは客の歌などをはやしたて、もちあげていい気分にしてやる事と、書いてあった。挿し絵にはサザエさんみたいな絵で水着か下着みたいなビキニスタイルの女性が立ち客は目隠しをして女性を探してる そしてママらしき着物を着た女性やホステスみたいな女性が拍手をしている。よそは知らないけどうちはしない。ちょっと笑える。歌が下手でも上手い、と言えと警察に言われているようだったからだ。店の名前は再び会うとゆー意味で「再会」父は「かもめ」と付けたかったのですが、母に客が飛んで行くわ!」と突っ込みがあり却下。結局どこかのスナックのママにつけてもらった。本当はキャバレー再会なのだが父のお兄さんからキャバレーとゆー響きが嫌だと言われ、店の玄関にはキャバレー、バーの証明プレートをはっているのだが看板は「スナック再会」なのだ。うちは田舎なので、タクシーがなく、父が客の送迎をサービスでする事になった。母はママになり出世していた。だからといって一人娘の小学生に一人起きて学校に行きなさい。なかなかの母である。赤ちゃんの時の夜中のミルクはサボるわ、小学生の娘の為に朝起きはしないわで、本当に自由人である。それを注意しない父も父である。

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