第3話:高鳴る鼓動
登場人物
主人公:滝野翼
ヒロイン:水澤美紗姫
「いよいよ明日か……」
俺のテンションはあり得ないくらい上がっていた。
体育祭や文化祭、そして、修学旅行の前日のようなわくわく感……
いや……それ以上の高鳴りであった。
一生で一度になるかもしれない大勝負。
否が応でも期待は膨らんでしまう。
もし、彼女と恋人になれたならば……
そんな妄想に捕らわれながら浅い眠りを何度も繰り返した。
こんなにも時間を長く感じたのは退屈な授業を受けている終わり10分くらいのものだ。
今の俺の頭の中には彼女への告白が失敗した時のヴィジョンなど微塵も思い浮かんでいなかった……
「そろそろ起きるか……」
目覚ましはまだ朝の7時を示していたが、これ以上、布団の中に潜っていて寝坊してしまっては目も当てられない。
布団を跳ね退けると重い身体を引き摺りながら洗面台へと向かった。そして、顔を洗うと風呂にお湯を張り始めた。
折角、早く起きたので全身も洗うことにした。
湯が張り終わるまでの間、俺は純白なシャツと彼女に見られても恥ずかしくないパンツを用意した。所謂、勝負パンツというやつである。
「そろそろお風呂が沸いた頃か……」
大切な下着を握り締めると俺は風呂場に向かった。
「あら?今日は随分と早起きなのね」
お風呂場に行く途中、母親が顔を覗かせた。
「たまの休日くらい早起きもするさ」
「ふ~ん?そんなものかしらね?」
「そうだった。今日は昼ご飯入らないや」
「そうなの?」
「友達と遊びに行って食べてくるから」
俺は彼女とデートに行くことを母親には言っていなかった。
「夜ご飯はどうするの?」
「一応用意しといて多分そんなに遅くならないから……」
「わかったわ。一応用意しておく」
優しい笑顔を浮かべると台所へと戻っていった。
「早くお風呂に入ろ……」
冷えた身体を温めるべく風呂の中へとダイブした。そして、身体の隅々を入念に磨き上げると何度も鏡を見ながら髪型をセットした。
「準備は完璧っ!あとは……」
母親の目を掻い潜ると俺は母親の部屋から高そうな香水を引っ張り出して首周りや手首など汗を掻きやすい箇所に軽く振りかけた。
「それじゃ、行ってきますっ!」
母親に香水を付けていることをばれる前に家を飛び出した。
彼女と待ち合わせた時間まで、まだ1時間以上あったが、とりあえず、待ち合わせた場所に向かうことにした。
「流石にまだ来ていないよな……」
逸る気持ちを押さえながら待ち合わせ場所である駅前の噴水に視線を向けた。
するとそこには可愛い私服に身を包んだ彼女が待っていた。
「……え?どういうことだ」
慌ててスマートフォンを取り出すと現在の時刻と彼女に送ったラインを確認した。
そこには確かに朝の9時に集合と書かれており、現在の時刻は朝の8時前であった。
間違いなく彼女との待ち合わせ時間には早かった。
……にもかかわらず、既に彼女はやって来ていた。
考えられる可能性はそれだけ彼女も楽しみにしていてくれているということである。
「とにかく声を掛けなければ……」
状況を理解すると直ぐさま彼女へと近付いた。
「お、おはよう……」
「……おはよう、翼くん」
見つめていたスマートフォンをポケットに仕舞うと挨拶を返してくれた。
「待ち合わせ時間まではまだ大分あると思うんだけど……かなり待たせた?」
「ううん、そんなに待ってないよ。私も今さっき来たところだがら……」
軽そうな腰を上げると彼女は明るく微笑んだ。
「まだ、開園時間まで時間があるけど……どうする?」
思いも寄らぬ展開に俺達は時間を持て余してしまっていた。
「折角だし……そこら辺を散歩でもしない?」
「散歩か……」
駅前の時計はまだ8時になっていない。
今から遊園地に向かっても待ち時間が1時間……
一定の場所に留まっているよりも景色を見ながら話をした方が会話が弾むかもしれない。
そう考えた俺は彼女の提案に乗ることにした。
「どこを散歩するんだ?」
「そうね……あそこのスポーツ公園内でも歩いてみない?」
彼女が指差した公園は外周5キロ程度あるランニング用のための公園であった。走れば、おおよそ25分程度……歩くと大体1時間くらいである。
空いた時間を潰すには丁度良かった。
「それじゃ、ちょっと歩くとしよう……」
彼女の手を引くと俺達はスポーツ公園を目指して歩き出した。
静寂に包まれた朝の雰囲気……
木々の葉の隙間から漏れる淡い光が彼女の服に落ちる。
彼女の服装は純白のスカート、その裾には薄ピンク色の可愛いフリルが施されており、何とも気合いが入っている感じがした。
上着の方はもこもことした薄灰色の毛糸で編まれた半袖のセーター、その上には紺色のウィンドパーカーを羽織っていた。
動きやすく、かつ、程よく温かそうな格好で遊ぶ気満々な様子が伺えた。
そんな彼女の姿を見つめながら頬の筋肉を緩ませた。
「1つ聞いても良いか?」
「ん?何?」
「どうして、こんな朝早くに待ち合わせ場所にいたんだ?」
「そうね……楽しみで早く起きたからかな」
やはり、彼女も楽しみにしていてくれたようだった。
「それに……早く行けば何となく翼くんに会える気がしたから……」
「え?それって……」
彼女の言葉に鼓動を逸らせた。
「別に深い意味はないの。ただ、そんな気がしただけだから」
俺の心を見透かすように柔らかな微笑みを浮かべた。
「そうか……結果オーライだったな。おかげでこうして美紗姫と散歩ができたんだから」
彼女の笑顔を見ながら俺も笑い返した。
「おはようございますっ」
俺達が散歩していると目の前からマラソンをする人が挨拶してきた。
「おはようございます」
「おは……」
唐突の挨拶に対して素早く挨拶を返す彼女、俺の方は状況を理解するのに戸惑ってしまい、返す間もなく通りすぎてしまった。
「結構、走っている人がいるのね」
「そうだな……」
彼女に言われて辺りを見回すとランナーウェアに身を包んだ人達がちらほらと見受けられた。
折角の休みの日の朝だというのに本当にご苦労なことである。
「そういえば、翼くんは高校に入ったら何か部活に入ったりするの?」
彼女はランニングする人を見つめながら質問してきた。
「ん?部活か?」
俺は彼女の傍に居たくて身体を鍛えていたが、身体を鍛えて何かをしようとは考えていなかった。
第一部活に夢中になり過ぎて彼女と過ごす時間が削られてしまっては本末転倒も甚だしい。よって、俺は部活に入る気など全くなかった。
「特に予定はないな……」
「そう……」
残念そうな表情を浮かべると溜め息を漏らした。
「そういう美紗姫は何か部活に入ったりしないのか?陸上部とか?」
「う~ん……運動部には入らないかな」
はっきり言って彼女は運動があまり得意ではなかった。
人並み程度ではあるが、ずば抜けた身体能力はなく、身体を鍛えているわけでもなかった。
「それなら文化部はどうだ?」
「そうね……」
悩まし気な表情を浮かべたまま固まってしまった。
考えてみれば彼女も小、中学校と部活には入っていなかったため、いきなりは決められないのかもしれない。
「何か良い部活が見つかればいいな」
そう会話を切るとそれ以上の詮索することは止めた。
にしても……何で美紗姫は部活に入らないんだろうか?
そんな疑問が思い浮かんだが、今は口に出すのを止めた。
これ以上、彼女を悩ませるのも悪いと思った。
「ありがとう……翼くんも良い部活が見つかると良いね」
顔を上げると彼女は優しく微笑んだ。
そんな彼女の横顔を見つながら心をときめかせた。
そして、これから向かえる高校生活について一頻り語り合った。
「……そろそろ目的地に向かうか?」
「もうそんな時間?」
彼女が腕時計に目をやると間もなく朝の9時になりそうであった。
「何かあっという間だったね」
「そうだな……」
本当にあっという間に思えた。
彼女と話ながら歩いていただけなのに何とも言えない充実感であった。