第五話「後悔とはじまり」
1
基地の西側の、風がそよぐ丘。
「ハル……」
翔が一人、草の上で寝転んでいる。
ハルを守れなかったことや、ハルを助けに行く事ができない事、玄田に言われた事。
――見習いだ、力が無い――
そのことが、それらの全てのことが、彼の目から光を奪うことになっていた。
もし、玄田や遠也がハルを助けて連れ帰ってきたとしても、この無力感を振り払う事は出来ないと思う。
「ちくしょう」
力なく、怒りの声が漏れる。自分の力の無さに対し、どうしようもない怒り、ぶつけようの無い怒り。
涼しい風がすっと吹いた頃、どこかから明るい声がする。
「元気か〜? 翔」
遠也だった。明るい笑顔で、翔を見下ろしてきた。
「遠也」
その名を呼んだ。でた声は思っていたより小さく、遠也まで届いているかどうかわからなかった。
「暗ぇな〜、安心しろって。俺達であのカワイコちゃん助けてやるからさっ」
翔の横にどっと座る遠也。右手にVサインを作っていた。
それが力強かった。自分よりもずっと偉く見えた。同時に、自分がすごく弱い人間に思えた。
ハルを助けにいけない自分……
そう思うたびに、暗い感情が心に燻る。あの時、長い時間お店にいなければ……。ハルが狙われていることを、忘れていなかったら……。自分が、ハルの側にいたら……っ!
だが、過ぎ去ってしまったことは、今更どうにもできない。誰もが知っていることだ。
だからといって、そう簡単に冷静になれなかった。
「任せとけって」
何を言ってるんだ。それがだめなんだ。余計に自分の無力を感じさせられる。自分で助けたいんだ。
だが、それを言ったら小さい人間と思われてしまうだろう。そう思うと非常に歯がゆかった。
結局、自分がほめられたいだけだ。ハルのヒーローになりたいのだ。ミスを自分で取り返せる男になっていたいのだ。
考えもしなかったことが次々とあふれ出る。こんなこと最初は感じてもいなかったはずなのに、頭の中はどうしてしまったのか。結局、なにが本心なのか。その心の中で渦巻くのは、何もできなかった悔しさ、力の無い自分への憤りと深く心に刺さる後悔だった。
翔は、奥歯をかみ締めて感情を押し殺した。そうでもしないと、心が折れそうになる。
俯いて歯を食い縛り、自分を落ち着かせる。その間、遠也は何も言わずに、空を見上げていた。
涼しげな風が止み、翔が落ち着いてきた頃。
「それじゃ、いくか」
唐突に遠也が言った。
「えっ」
翔は、飛び上がるように起きていた。この後の遠也の台詞に、あらかた予想がついて。
「ハルちゃん助けにだよ、お前も」
2
「駄目だ」
玄田の声が静かに響いた。
作戦会議室にはやはり全員がおり、翔と遠也以外は着席していた。
遠也がどうにか、今度の作戦に翔を投入してほしいと頼んだのだが、玄田は聞き入れなかったのだ。
「で、でもさ、翔の優先条件……」
「翔がハルを『守る』という条件だ。『守れなかった』場合に助けに行かせる、というものではない。第一、今の翔が行ったところで何が出来る? 力が無いものは、殺されに行くようなものだ」
力がない――再びその言葉が胸に突き刺さる。一筋の汗がたらりと、出た。
「で、でも、ぼくは……」
なぜか口から言葉が出た。なんというつもりなのか、自分にもわからない。
「ぼくは……」
発言に力がこもっていないことが自分でわかる。これ以上何も言えない。
「だめだな、それじゃ。君はこないほうがいい」
発言したのは、光輝だった。翔達の視線が、玄田から右の光輝へと移る。
「邪魔になる」
光輝の目が冷ややかに翔を見つめ、乾いた口調で翔を責める。
「大体、君は軍人としての自覚がなさ過ぎる。入隊したばかりなんていう言い訳は聞かない。ハルといったか、その子どころか、誰も守ることはできはしないよ……少なくとも、今の君は」
誰も何も言わなかった。光輝の言っていることに対し、賛成しているか、反対意見が思いつかないかの違いはあるものの、まったく異論がないからだ。遠也や美奈でさえも、何も言えない。
「それでも……」
翔の口がまた、勝手に開いた。なにを言うつもりかわからない、その口が。スイッチの壊れた電化製品のように、勝手に脳から口へと信号が伝わってくる。
「それでも、何だ?」
玄田が、サングラスで隠れて見えないが、目を鋭くして言った。
「うっ」
何もいえるはずがない。何かを言おうとして口をあけたのでないことは翔が一番良くわかっていた。反射だ。単なる反射運動だ。厳しい口調に対し、とっさに言い訳しようとしただけなんだ。
しかし――
「そ、それでも、ぼくはっ!」
言わなきゃいけない。ここで自分の意思を伝えなければ、ハルを助けに行くことができない。ハルを守りたい、助けたいと思った気持ちを、ここで。さっきまで燻っていた、本心かどうかもわからない感情は、完全に消えていた。余計な私欲のようなものではなく、真っ直ぐな思いが残っていた。
「ぼくは、ハルを助けたい。なにか、できることをしたい……です」
言い終わるころには、翔の目に再び燃え上がる熱がよみがえっていた。
「なんでもいいです、弾除けでも」
玄田は黙り続けていた。翔を見つめ、なにも言わずにただそこに座している。
「そ、そうだな、そうだな翔! ほら大佐、こいつこんなに覚悟決めてるんスよ! ね、いいじゃないですか!」
遠也も、火がついたようにしゃべりだした。どうにか、翔とハルのためにしてやりたいのだ。
だが、玄田は黙ったままだ。
「やめろやめろ、意味のない演説は」それを埋めるように、光輝が言う。
「うるせぇこのチビッ!」
「ち。チビッ!? な、なんだ、こ、こ、ここ……」
目を見開いて冷や汗をたらす光輝。階級が下の遠也に怒鳴られたからではなく、翔や遠也より背が低いので、気にしているからだ。
「いいんじゃないですか? なんでも経験ですよ」
そう言ったのは、美奈だった。翔が左の方を向くと、片目を閉じてウィンクする美奈がいた。
「経験と言うのなら、美奈と共にオペレーターをすれば良いのではないか?」
今度は、美奈のさらに左に座る史が言った。厳しい目つきではあったが、口は笑っていた。
美奈が言い返す。
「でも、翔くんは戦闘隊員ですから、やはり戦闘局面に組み込むべきかと」
美奈の額から、一筋の汗が流れた。史に対しては多少緊張しているようだった。
「ふぅむ、無理があるな。訓練さえしていないと言うのに」と、史は鼻で笑う。そのまま美奈も黙ってしまった。個人的感情があることは既にバレているのはわかっていたし、何か言いたくても、何を言ったら理論的に翔を戦場へ繰り出せるかわからなかった。
「いいだろう。特別に認める」
またしても、意外だった。翔は耳を疑った。
「瀬辻 翔、お前を今回の作戦に加えよう」
玄田が、脈絡無しに翔の戦闘加入を許可したのだ。遠也は小さくガッツポーズをとり、美奈は翔に向けて微笑んだ。史はにっ、と口を三日月のようにかたどり、光輝は「な、なぁにぃい〜〜〜っ!?」と叫んで玄田に振り向き、口が開きっぱなしになった。
そして、翔は、光輝よりも驚いた顔で、目の前の、玄田の前に呆然と突っ立っていた。
「し、しかし何故?」遠也が玄田に聞く。
巨体を持ち上げるように立ち上がる玄田。
「『弾除けにでもなる』と言った覚悟を試させて貰おう」
3
最初の戦場の遥か上空を飛んでいた。翔、遠也、玄田、光輝、そして史は、地下室の隠し倉庫にあったという中型偵察機に乗り込み、敵の小隊基地へ向かったのだ。偵察機には、光学迷彩とステルス機能があるが、騒音は隠せなかった。そのため敵に気づかれないよう、通常の飛行機のように通過しようとしていた。ちなみにパイロットは史である。
「ここに、ハルが?」
モニター表示された周辺の地図を見て翔が呟く。地図中心に、赤く点滅している場所があった。
玄田が全体を見渡して言う。
「美奈のネットワーク操作によって得た情報によると、この基地には三つの出入り口がある」
山中のこの基地は、茶色く長方形の四角い、2階建てと地下1階の建物だ。出入り口は、一つが通常使われる正門、後二つは非常脱出口と、屋上のドア。ほかに窓がいくつかあったが、人が入れるような窓は存在しない。
「まず、私と光輝が囮になり、屋上のドアへ向かう。おそらく敵の注意は私達二人と、潜入を恐れ非常脱出口に集中するだろう。そこで翔、遠也、史。お前達は警備の手薄になるだろう正門から突入するのだ」
「せ、正門から!?」遠也は目を見開いた。普通の軍隊なら、正門から飛び込むことはありえないと言っていい。その基地に、何人いるかも分からないのだ。門番を突っ切って中へ入れば、たちまち多くの敵の餌食となる。そうなると助かる術はない。たぶん、逃げることもできないだろう。遠也の表情が多少の恐怖を帯びた。
「げ、玄田さん、いや、大佐。大丈夫ですか?手薄って言ったって、たくさん軍人がいるんでしょう?」翔も、変な声をだしながら玄田に進言する。
だが、玄田は冷静に返した。
「安心しろ。ここは小隊基地。美奈の情報によれば、この基地には通常7〜10人しか人間はいない。最悪でも、お前達の行く場所には3、4人しか敵は現れん」
相槌を打って、史が続ける。
「うむ、そうだ。そして、ハルはおそらく、地下の独房に捕らえられているはずだ。今日の17時に、敵軍の軍用機がやってきてハルを連れて行ってしまう。美奈の情報によれば、そのようになっているな」
美奈の情報網に驚きつつ、翔は拳を握り締めた。
「ハル……」
「よし、作戦開始!」
数分後、パラシュートを使って、玄田と光輝が飛び降りた。手にはそれぞれライフル銃とマシンガンを持ち、背にしょったリュックサックに手榴弾を3つずつ持っている。
「さて、我々も5分後に出動だ」
そう言って史は、偵察機を下降させ、数百メートルはなれた森の中に着陸した。
着陸した森は、大木が生い茂る密林だった。
地面からは木の根が隆起し、その隙間を埋めるように、コケや背の低い植物が群生している。
「ふ〜、ようやく地に足着いたぜ。いてっ!」遠也が、偵察機から地面に飛び降りながら言った。その直後すべってころび、腰を打った。
この森の大地は、太陽の光が入りにくく、水はけが悪いらしい。遠也は、ぬかるんだ地面に足をとられたのだ。
「いって〜〜〜!」
「大丈夫?」
慌てて駆け寄ろうとする翔。それを、史が止める。
「どけ、翔。すぐに治療だ」
「どもっす……」
軽く礼を言う遠也を無視して、史は手際よく靴を脱がせる。見ると、足首の辺りが赤くはれ上がっていた。
無言で、腫れた部分に手をかざす史。
すると、史の手にぼんやりとした淡い光が灯った。
「これって……史さんも?」
史は、なぜかあの優しいサディスティックな笑顔でもって答える。
「ああ、私はな、人間の自己治癒能力を促進できるのだ」
「自己治癒能力の?」
人間の自己治癒能力。そのままの通りの、怪我を治す為の、細胞分裂による人体の修復作業である。それを促進する光を、史は掌から出せるのである。
「あ、ありがとございました、史さん」
ものの数秒で遠也の打撲傷は治り、遠也は改めて礼を言って立ち上がった。だが、なぜ史が治療に際してもサディスティックな表情がでるのかはわからないが……。単に、やさしい笑顔もこれなのかもしれない。
「気をつけろ、森の中に何があるかわからん」
森の中に入り、3人は周辺にあるだろう罠を警戒しつつ、少しずつ基地に近づいていく。遠也が落とし穴にかかりそうになったり、翔が警報装置にぶつかりそうになったりしながら、どうにか基地の正門近くまで辿り着く。
「よし、一気に行くぞ」
近くの草むらに伏せて隠れた。そして、史がひとり、翔と遠也が二人の二手に分かれ、隠れながら正門へと向かう。
「そろそろだな」
岩陰に移動し、正門の様子を確認しながら遠也が呟く。
「なにが?」
「みてろ、翔」
そう言って遠也は、懐から短い棒を取り出して、それのスイッチを押した。
「それっ」
発煙筒だった。遠也はこれを入り口付近に投げ込む。おそらくは2,3人いる敵兵の注意を反らせようとしたのだ。早くも悲鳴に近い驚きの声があがる。
「なんだ? 火事か?」
「水もってこい」
「違う! 発煙筒だ」
「早急に対処せよ」
「敵襲か」
「レーダーもってこい」
「了解しました」
「来たのねぇ、敵さんが♪」
ん?
敵が騒ぎ出したとき、翔達三人はある違和感を覚える。
いま、明らかに、8人分の声がしたのだ。
「……今、敵……」
翔が呟いたとき、頭のすぐ上から不意に声がした。
「バレバレよ、坊ーーーや☆」
「いっ!」
見上げると、満面の笑みの女が岩の上から翔を見下ろしている。翔は驚きのあまり体が硬直し、ただ目を丸くする事しか出来なかった。
びゅっ
空を切る音。
だんっ
地面に何かが打ち下ろされる音。
たっ
「わっ!」
翔の驚く声と、飛び退いた足の音。一緒にいた遠也のことを考える暇が無かった。
「あらぁ〜、避けられちゃったわね♪」
女は、愛嬌を振りまきつつも、どこか邪に翔を見つめて笑顔を作る。このとき、翔は初めて女の全身を見た。
ウェーブのかった紫色のショートヘアに、おそらく、カラーコンタクトをつけたと思われる、鮮やかな紫色の瞳。そして、紫の口紅に紫色のイヤリング。
首から下は、革製の黒いジャケットと黒いタイトなミニスカートを着ている。ジャケットの隙間から紫のカラーワイシャツと蜘蛛の刺繍がはっきりと見える、赤紫のネクタイをしていた。そして、パンプスを高々と鳴らすブーツも、赤紫の色をしていた。顔は美しいといえる。だが、その毒々しく悪趣味な格好に、翔は嫌悪感をもった。同じ紫でも、ハルのペンダントとはえらい違いだ。
「なぁに? ジロジロ見ちゃって、恋しちゃったぁ? キャハッ!」
翔の顔を覗き込むように顔を近づける女。速かった。非常に速い動き。
速い動きと言えば、美奈から聞いた、ハルをさらった犯人。
「お、お前がハルを!」
後ろに飛び退きつつ、叫んだ。
「ハル? あ、あのコ。残念だったわねー、もうすぐ上層部がつれてっちゃうわよ!」
女―――三月華梨亜は、ハルの正体ではないかと目される桜咲渚姫のことは言わなかった。そのことで翔は、ハルと渚姫は関係ないのかと一瞬だけ安堵感をもったが、すぐに間違いだと気づく。西日本の王族は、庶民の前に姿を現さないという事を聞いていた事を思い出したからだ。
ばか
余計な事を考えた。その隙だ。隙が出来た。これだからおれはだめなんだ。
急激に視界が流れた。息ができない。背中に強烈な痛みが走る。
ひっぱたかれた。腹だ。服が破れている。
ズボンが濡れていた。血だ。全身に伝わる衝撃――――
肉体にきたものか、精神を襲ったものか。
「どぉしたのん? かわいいボクぅ?」
鞭がしなる。その一撃は、鉄の塊がぶつかった様に重く、翔は吹き飛ばされた。
ボールの様に身体が弾んだ。飛びかける意識を必死につなげ、顔を上げる。
華梨亜の手には、鞭がにぎられていた。