第一話「出会い」
1
西暦3015年。
未来の世界を、今の常識では考えられないような驚きに満ち溢れた時代になると信じていた、2000年代初期の人間達の期待とは裏腹に、生活基準はその頃とそれほど変わっていなかった。
車は地を走り、飛行機は空を飛び、ロケットが載せる人間は限られたものだけ。しかし、政治は変わっていた。2400年初頭、日本は関東と関西でそれぞれ分けられ、東日本、西日本へと名を変えており、また、西日本は大阪を首都として王制となっていたのである。最初は選挙で王が決められていたが、2500年代後半になって、世襲制へと移り変わった。そして東日本はというと、民主制でそれほど変わっていない。
3000年代―――東日本と西日本の間は良好と思われている時代―――
「どこだ、姫は!」
「あいつら、既に気づいていたんだ!」
山奥にその建物はあった。木々に囲まれ、偶然かローラー作戦で探すかしなければ絶対に見つからないようなその場所を前に、ライフル銃を持った、青い軍服を着た4,5人の男達が騒いでいた。建物が窓から煙を吐いた。男達によって爆破されたのだ。男達のうち一人が、その軍服の胸ポケットから小さな黒いカケラを取り出して、建物に向けて投げた。するとそのカケラはまばゆい閃光をかっと放ち、轟音と爆風を巻き上げた。
「ちっ」
カケラ――爆弾を投げた男は、怒りをあらわにした表情で燃え行く建物を背に歩き出した。
「捜すぞ!」
「ハッ!!」
既にこの建物から姿を消していた人物――――『姫』を捜すべく、森の中に姿を消していった。
2
「はあ、はあ……」
彼の名前は瀬辻翔。
中肉中背。高校2年生の少年であり、異性から2,3人のファンがいてもおかしくない好感の持てる顔立ちをしている。短いが所々に飛び跳ねた黒髪が彼の元気を象徴している。
秋も盛んな10月の日曜、彼は川沿いにジョギングしていた。多少冷たい空気が顔をさし、風があたる。目を暫くあけていると乾燥し、それを防ぐために自然に涙が出る。その涙を着ていたトレーナーで拭う。
「ふぅ、泣いてるみたいに思われないよな」
そう言って、翔は前に向かって素早く蹴りを放つ。ぶん、と、空を切る音がする。けりのスピードではなく、はいているズボンが舞う音だ。しばらく走りながら蹴りを繰り出し、それが次第にゆっくりになっていく。徐々にペースを落としながら運動を止めると、疲れにくいためだ。
「さてと、そろそろ帰ろうかな」
帰路につこうとUターンし、歩きながら上がっていた息を整える。
「ん?」
川から何か大きなものが流れてくるのを見つけた。ゆらりとピンク色のそれが近づいてくる。なんだろうかと思い、凝視する。
「た、大変だ!」
すぐに川に飛び込んだ。それが人間だったからだ。夏から秋に変わり、すっかり冷たくなった水に、運動で温まった翔の体温は簡単に奪われた。それでも、翔はその人物を肩に抱える。その人は動かなかった。
「うぉ……女の子?」
ここではじめて、それが自分と同年代の少女だということに気づいた。あどけなさの残る、美しい少女だった。山吹色の長いストレートヘアに水が滴り、太陽の光がそれを輝かせる。
少女はピンク色のワンピースを着ていた。飾り気の無い普通のワンピースだが、首からは卵ほどの大きさの、紫色の宝石のようなものをペンダントとして下げていた。
少し心臓の鼓動が早まるのを感じた。翔は、脈を図って少女が生きている事を確認し、水を吐かせようとした。だが、人工呼吸のやり方を教わった事もあったが、中学の時に教わってそれきりだったことと、間違えたやり方をすればより危険になるということを知っていた為、どうすればいいかわからない。
「どーしよ……携帯も持ってないし」
ジョギングする時は携帯を落とさないよう、家に置いている。
「こほ、ごほっ!」
迷っていると、少女は水を吐き、目を覚まし始めた。
「あっ」
「う、うん……?」
少女が目をあけると、紫陽花のように可憐で大きな目が露になる。黒色で、紫色をしているわけではなかったが、翔はそう感じた。
「大丈夫?」
彼女の顔を覗き込む。
「あなたは?」
彼女は、驚いた様な顔をしている。
「あ、俺は瀬辻 翔」
翔は、自分が流れてきた少女を助けたことを説明した。
「そうだったんですか、どうもありがとう……」
「い、いや、お礼なんて。それより、どうして川になんか?」
聞いてみると、少女の顔色がさっと青くなった。何の理由があるかわからないが、翔は、それ以上の詮索はできなくなった。
そのあと翔は、近くにある自分の家に少女を連れて行った。
翔の家は2階建ての一軒家。玄関には靴箱の上に花瓶が置いてある。以前は母親が花を活けていたらしいが、親は両方とも地方に赴任して翔が一人暮らしするようになってからは、放っておかれてしまい今は花瓶のみが埃を被っている。また、両親は翔が高校に入学した時とほぼ同時に家を出ている。それから翔は親の残した金と仕送りで暮らしている。
「ま、とりあえず暖まったほうがいいよ。はい、肉まん」
体を拭き終わり、互いにタオルに身を包んだ状態。翔は、蒸気の昇るほくほくの肉まんをなぜか渡した。少女はそれをどう受け取って良いかわからなかった。
「……こういう時はお風呂を貸してくれるとか……」
「そんなこと言ってもまだ沸かしてなくてさ」
普段は運動を終えて家に帰ってきたときに既に沸いている状態にしたかったのだが、単に忘れてしまっていた。こういうときに限ってびしょ濡れになったりするもんだな、と思う。それで、一番暖かいもの――大好物の肉まんをレンジで温めてわたすことにした。
「だからっていくらなんでも肉まんはないんじゃない?」
「そう? 俺、冬には毎日肉まん食べて暖まってるのに」
本当に、翔は肉まんが大好きなのだ。とはいえ、やはりこの状況で肉まんは無いだろう。
「いいから着替えとか貸してよ!こっちは寒くて震えているのに」
「俺だって君を助けたときにずぶ濡れになって震えてるよ!風呂入りたかったら銭湯でもいけよ! とりあえず、着替えはこっちにあるのを着ててくれよ」
翔は、母親の服が入っているタンスのある部屋に案内した。
「……覗かないでよ」
少女は疑念に満ちた目で睨んできた。
「覗かないよ!」
「着がえ、終わったわ。ありがとう」
2階のダイニングルームで、翔は木製のテーブル向かい椅子に座り、肉まんを食べている。2つ食べたあたりで、着替え終わった少女がドアを開けて入ってきた。
「あ、うん」
「どうかなコレ」
少女は、翔の母親が若い頃にきていた白いワンピースに、最初から身につけていた紫のペンダントを下げ、可憐な少女に気品を与えた。
「綺麗だな……」
翔は感嘆の声を出し、ペンダントに見とれた。高貴にして可憐な輝きがそこにある。見たことの無い、深く美しい輝きを放っている。そして、その裏に、どこか翔に見覚えのある銀色の細工があった。
「ん?」
ダグトップだった。よく見ると、魚の絵が掘り込まれているように見える。
「これは……」
「なに見てるのよ」
翔は、じとっとした視線を感じ、はっと気づいた。ペンダントもダグトップも少女の胸に位置している事に。
「ご、ごめん!いや、そういうつもりじゃなくて!」
慌てて謝ったが、少女はすでにその目を軽蔑ににたものに変化させていた。
「エッチ」
「あぁあ……」
ため息に似た声を漏らす。人間は誤解をした時、訳を説明される前に相手の言う事に耳を貸さなくなる。それを知っていた翔は瞬間、途方にくれた。
その時、玄関のチャイムが鳴った。
「誰か来たみたいよ」
冷たい言い方で少女はそう言う。翔はそれを聞かない振りをするようにすっと玄関へ行った。
ドアを開けてみると、2人の黒服の男たちがいた。一人は長身、一人はやせていて翔より背が低い。どちらも見た目で相手が畏怖する事を目的としたようなサングラスをかけている。
「姫様はどこだ?」
長身の男は、翔の体を飛び越すように視線を室内へと送り、中を窺うようにして言った。
「え? 姫? 誰のこと?」
「退け。邪魔だ」
事情を知らない翔に聞いても無駄だと悟り、黒服の男たちは無理やり押し入ろうと翔を押しのける。
「わ、なにすんだよ!おい、やめろよ!」
翔が止めるのも聞かず、男達は部屋に押し入った。ダイニングルームに少女が居るのを痩せ身の男が見つけ、長身の男が2階へ上がっていく。
翔は、身を奮い立たせて男達からかなり遅れてダイニングルームに入った。
「いやっ、やめてっ!!」
少女を無理に押さえつけ、縛ろうとしている二人の男。少女はほとんど動く事ができない。
「こ、こらっ!!!やめろっ!!」
「た、たすけて!」
少女が叫んだと同時に、長身の男が痩せ身の男に向かって頷いた。すると痩せ身の男はすぐに翔に向かって跳んだ。その跳躍は椅子やテーブルを飛び越し、一気に翔のいるドアの所まで到達しようとしている。それまでの短い時間に、男は跳び蹴りの体制を作り、翔に喰らわせようとしている。
「ハッ!!」
翔が叫んだ。後ろに隠し持っていた傘を、跳んできた男に投げつけた。そしてその傘は、普通に、真っ直ぐに飛びはせず、翔の目の前で、ぎゅるぅぅぅぅと音を立てて回転する。まるで、翔を守るための盾のように。
棒転防――――それがこの技の名前である。棒に強烈なひねりを加えて投げる事で、短い時間盾として使えるようにできる。痩せ身の男は、前の網を外した扇風機に突っ込むように傘に衝突し、弾き飛ばされテーブルの上の、箸立ての箸や肉まんの上に落下した。
「っづぅぅっ!!」
「あっ、肉まん!」
翔が嘆いたような顔をする。その隙を突くように、長身男が懐に手を入れる。
「このぉっ!」
この時、少女も長身男の隙を突いた。男の脛を思い切り蹴り飛ばし、男が苦悶の表情を上げるのを見向きもせず翔のところへ走った。
「大丈夫!? 早く逃げなきゃ!」
「うんっ!」
翔は無我夢中で逃げた。少女の手を引き、できるだけ早く家から出ようとした。
軽い。身体が軽かった。何者かに襲われ、極度の緊張を感じている。唾を飲み込もうとして、喉がからからに渇いていることに気がついた。膝が笑い出して足がもつれそうになるのに、なぜか速さを感じる。脚を床に下ろそうとしたときには、また同じ脚を下ろそうと考えていた。脚を上げる事を感じない―――思考が追いつかない。そんな感じだった。そんな感覚が数秒だけ、あった。
玄関に着いて靴を履こうとしたとき、男達に追いつかれてしまった。
「まてっ」
「やばっ」
男達が懐に手を入れる。銃を取り出そうとしている、そう感じ取った少女は顔を青くして目を反らせた。
「ぬっ!?」
「だぁあっ!?」
男達が叫んだ。少女が一度反らせた方向へもう一度視線を戻すと、男達の足元に血のついた拳銃が転がり、さらにまたぽた、ぽた、と血が落ちていく。男達の手に銀色の塊が刺さり、血が流れ出したためである。
「お前らみたいな奴のやることは大体わかってるんだ。銃くらい持ってるだろうさ!」
銀色の固まり――よく見れば鏃のような形をした刃は、翔が投げたものだった。実は靴箱にそれは隠されており、玄関についた時点で翔はそれを取り出していたのである。
そして、こういう強引な黒服の男ならば、危険な組織に属していると考え、男たちが懐に手を入れた時点でナイフを投げる準備をし、それが銃であるかどうかをすばやく確かめ、男たちが銃を構える前にナイフを男たちの手に向かって投げたのだった。
少女は目を丸くして驚き、翔を見た。
「棒にナイフ投げ。あなた、一体……?」
「一体、か。それはこっちの台詞なんだけどね、ま、いいか!」
銃を拾おうとする男達を尻目に、翔は今度こそ少女を連れ出して家を飛び出した。
「くそ、追え!」
長身男が痩せ身男にそう叫んで、ドアを勢いよく開けた。
「ああ、早くあけろ」
命令されて気に入らないのか、痩せ身男は長身男に対し悪感情を向けて、うさ晴らしを兼ねたかのように急かすと、返事をする代わりに、長身男は前向きに倒れた。
「あん?」
痩せ身男が不思議に思って、長身男をまたいで調べようとすると、こつん、と顎で音がした。
「へっ」
次の瞬間、痩せ身男も倒れ伏した。
一体何があったのか。それは、男たちがドアから出た瞬間に翔が空手技・寸剄を使用したのだ。寸剄とは、自分の拳と相手の体が零距離にあるとき、肩・肘・手首を除いた、空手の基本技である正拳突きに使用する関節を一気に駆動させる事で体重を相手の体に叩き込む技である。
「すごい……」
思わず少女も簡単の声を漏らす。翔は得意げに技の説明をした。
「一体、どうやってこんな技を?」
「ハハ、趣味の通信教育でね」
「通信」
思わず呆れ顔になる少女。
「なんだよ、通信制の何が悪いのさ」
そう翔が言ったとき、がちゃりという不吉な音が鳴った。
「っ」
この音は、なんだ。思わず呼吸が止まる。何か危険な音なのでは、そう認識されるような音だ。
「調子乗りすぎだ、ボク」
男の声がした。今の二人組みの仲間だろうか。この少女を狙う謎の男の仲間―――。
「姫を渡すんだ、異邦人」呟く男。
「姫……?」翔は少女に目をやると、少女もそれに気づいて首を横に振る。
「一体の何の事だ!」
翔が叫ぶと、男は歯軋りをして呟きだした。
「10」
「?」
「9」
「なんだ……」
「8」
「おい!」
「7」
「なんだよ、このカウントダウン!」
翔も少女もすぐに気づいた。この男は、あきらかにカウントダウン終了時に翔を撃つつもりだ。さっきの音は、拳銃の安全装置を解除する音だろう。
「……4……」
「やめろっ!やめろって言ってんだろ!」
余裕が無くなった。見えもしない恐怖が襲い掛かってきたのだ。3,2と数字か数えられるたびに確実に近づく死への道。今の翔には、少女を見捨てて自分が助かろうと思いつくゆとりさえなくなっていた。
「……1――」
「〜〜〜〜〜〜っ」
終わった。全て終わった。これでぼくの人生は終わりだ――――
「ぐあっ」
しかし、銃声は鳴らず、男の悲鳴だけが上がった。
「えっ」
二人の声が重なった。翔と少女が同時に振り向くと、そこには大柄で色黒な、サングラスをかけ、タンクトップに迷彩柄のズボンと重そうな靴を履いた、スキンヘッドの巨漢が仁王立ちしている。足元には先の二人と同じ格好をした男が、銃を持ったまま倒れていた。