第五話 田中君と相沢さんのとある月曜日 その③
駅に程近い高層ホテルの最上階。眼下に見える窓からの夜景が余りにも綺麗で、ついつい男の僕でも見惚れそうなほどの景色が視界には広がっていた。
「……綺麗だね」
「……」
「ああ、ごめん。此処は『相沢さんの方が綺麗だよ』って言うべき?」
「……」
「……相沢さん?」
「……田中」
「なに?」
「だ、だい……じょうぶ?」
「なにがさ?」
「こ、ここ! た、高いんじゃないの!?」
「さあ? どうなんだろう? でもまあ、安くは無いんじゃない?」
「い、幾ら優待券があるって言ってもさ! きっと高いよ!」
「というか、こういう所って優待券とかあるの?」
「……へ? で、でも田中! お昼の時に!」
「ああ、あれ? 嘘に決まってるじゃん、そんなの。相沢さんとご飯食べに行きたくて言っただけ」
「そ、そんな! わ、私、そんなにお金持ってないよ? か、貸してくれる?」
すまなそうにそう言って見せる相沢さんに、僕は思いっきりため息を吐いて見せる。
「ご、ごめん!」
「いや、怒ってるワケじゃなくて……ああ、違う。怒ってるのか。あのね、相沢さん? 僕、言ったよね? お詫びだって」
「お、お詫びって……あ、あれは、違うの! わ、私が勝手に拗ねただけで!」
「いや、まあそれは分かってるけど」
「わ、分かってるなら!」
「でも……拗ねさせた理由って僕でしょ?」
「……」
「違う? 僕が中川さんとデートに行くと思ったから拗ねたんじゃないの?」
「……違わないけど、違う」
「うん?」
「た、田中が香織とデートに行くとは思って無いけど……で、でも、田中が香織と楽しそうにお喋りしてたから……辛かった」
「可愛いな~」
「か、かわっ! も、もう! からかわないでよっ!」
「ごめん、ごめん。ともかく、本音はともかく建て前では『お詫び』なの。そんなの、僕の奢りに決まってるでしょ?」
「だ、ダメだよ! その、お給料だってそんなに変わらないし!」
「ヤな事言うね、相沢さん。まあ同じ職場で同期だから財布の中身は大体分かるだろうけど……ともかく、たまには見せさせてよ?」
「み、見せさせて?」
「男の甲斐性ってヤツ」
「……馬鹿」
「馬鹿かな?」
「そ、そんな奢って貰うから、好きになるとか、そんなの無いから!」
「まあ、物で釣ってるようで感じは悪いけどね」
「そ、そうじゃなくて! そ、その……」
そんな事しなくても、もう充分ホレてる、と。
「……可愛いな~」
「だ、だから!」
「ま、それはともかく……こういう場所でディナーって、イヤ?」
そんな僕の言葉に、フルフルと首を左右に振る。
「……すてき」
「良かった。オシャレでドレスコード無い店探すの、ちょっと大変だったんだ。だから、喜んでもらえて良かったよ」
「そ、そうなの?」
「そ。まあ、たまには僕もしてみたかったし」
「なにを?」
「帰宅デートってヤツ」
「……ばか」
「……イヤ?」
「……それは、ホレなおすヤツ」
「それは重畳。それじゃ――」
どうぞ、お姫様? と。
ドアを開けてエスコートをする僕の手を嬉しそうに取って、二人で店内に入った。
◇◆◇
「……美味しかった?」
「最高。何食べても美味しかった。ヤバい。凄い」
「語彙力無くなってない?」
「だって本当に美味しかったもん。綺麗な夜景も見れて、目の前には田中が居て……なんか、夢みたい。まだ月曜日なのに……大丈夫かな?」
「なにが?」
「明日から田中成分不足になるかも知れないじゃない」
「そうなの? むしろ逆に補給できるとか無いの?」
「用法用量守ってって言ったでしょ? 突発的な田中成分の補給はヤバいの」
「どういう意味さ、それ?」
「食べなければ我慢できるけど、ちょっとだけって食べると止まらなくなっちゃう感じに似てる。スイーツみたいに」
「スイーツ扱い、僕?」
「甘い、って意味じゃそうかも」
「本当に語彙力足りて無いんじゃない? それはちょっとしょうもないかも?」
「私も言った後、『さぶっ!』って思ったから良いの」
そう言って楽しそうに笑う。と、その笑顔が不意に曇った。
「で、でも……本当に大丈夫?」
「なにが?」
「その……こんな所に田中と一緒に来て。デートってバレたら……」
「バレないバレない」
「そう? なんで?」
「あのさ? 一応言っておくけど、今日の相沢さん、ちょっと怒ってたじゃない?」
「う……ご、ごめん。私も本当に田中怒らせたかと思ってちょっと慌てた」
「別に怒っては無いよ。嫉妬、可愛いとは思ったけど」
「も、もう! そ、それで? 私が怒ったらなんで大丈夫なのよ!」
「だから、皆相沢さんが怒ってるから宥めて来いって意味で僕を送り出したの。だから、別に誰も僕と相沢さんの関係を疑って無いの」
むしろ申し訳無さそうだったし。
「う……それ、なに? 荒ぶる山の神に『静まり給え』って言う役って感じ?」
「まあ、当たらずとも遠からずかな」
生贄って言ってたし、小山君と中川さん。
「う、ううう……そ、そんな風に思われてたなんて……」
「ま、これに懲りたらちょっとは怒るの止めたら?」
別に他人のフリ……というか、必要以上に邪険にする必要はないかな、とは思う。
「……出来ないもん。田中と一緒にいる以上、絶対甘えた顔、でるもん」
「……僕的にはご褒美なんだけどね?」
「だ、ダメ! 転勤は絶対イヤ! 今は……側に居られるだけで、良い」
セリフだけ聞くと凄い健気に聞こえるんだけど……行動がな~。
「……あ! そうだ!」
「ダメだよ」
「田中、良い事――だ、ダメ?」
「どうせ『いつもプンプン怒ってれば田中とまたご飯行ける!』とか思ったんでしょ」
「……」
「……」
「……エスパー?」
「彼氏」
「……なんで分かるの?」
「分かるよ。でもね? それはダメだよ。僕にきついのは良いけど、他の後輩とか先輩にあたっちゃ。今日は緊急避難的な感じだったけど、そんな事してたら相沢さんの評判も悪くなるから」
「……そっか。そう、だよね」
「……まあ、説教臭くなったけど、そう思ってくれるのは嬉しいから。気持ちだけ、ってことで」
「……うん」
そう言ってコクンと頷いて見せる相沢さん。その素直な姿が可愛くて、僕の頬も緩む。
「……それじゃ、帰ろうか?」
「……」
「相沢さん?」
「……その、ね?」
「うん?」
「その、さ。今日は本当にありがとう。凄く嬉しくて、凄く楽しかった」
「それは良かった」
「でね、でね? こんなに幸せで……なのに、こんなワガママ言うのはダメなんだけど」
頬を赤く染めて。
潤んだ瞳で、上目遣いで。
「……今日、田中の家、泊まっちゃ……だめぇ?」
……ダメって言う訳ないじゃん。