箱
箱
「世界は! 輝いている!」
深夜アニメのキャラクターが叫んでいるのを聞きながら、お酒を煽る。
世界は輝いている? ハッ(笑) 輝いているのは何も考えていない馬鹿の世界だけだ。
薄暗く、ダンゴ虫が住み着いていそうな部屋で、面白くもないアニメを観ながら腐っていく。
大学の春休みになって一ヶ月が過ぎようとしていた。
俺の世界はマンションの一室だけだ。遊ぶ予定がない訳ではない。しかし、誘ってくれる人達は友達と呼べる存在では無いのかもしれない・・・そんな事を思ってしまうほど心が腐っている。
やる気が無く無気力だ。
多分だが、今の俺は「諦め」の中にいると思っている。自分がどれだけ無力で才能が無くて自分が搾取される存在であると自覚している最中なのだろう。
ネガティブな自分は嫌いだが安心する。なんで自分を蔑むことで安心してしまうのか、それは日本人の謙虚の心なのだろう。
謙虚とは素晴らしく良い言葉だ。
相手を立てつつ、自分をも肯定してくれる。自分を下げているのにも関わらず、自分の価値を高めている。矛盾しているが、そんな事は関係ない相手がどう捉えるかが肝心なのだ。
謙虚と言う言葉を使えば今の俺も謙虚に生活して、良いことをしている気分になってしまう。就活に使えそうだな。
「私の長所は謙虚な所です! 大学生活では勉強に励み、先輩を立てて生活していました!」
あー、バカバカしい
自分の事を考えると生きているのが面倒になってくる。だけど死ぬ勇気なんてないから、それなりに生きている。
「私たちは差別はしない」
そんな事を考えていると、またもアニメのキャラクターが叫んでいる。差別をしないというのが、既に差別なのではないだろうか。
区別と差別の違いは? 悪意があるのが差別なのか、ではそもそも悪意の有る、無しの判断はどこでするのか。
腐っていると何にごとにも否定的になってしまう
この箱の世界から抜け出さなければ行けないとも思いつつも、肯定も否定もされない世界からは抜け出さないのである
抜け出すことは難しいですね