スポーツレアメタル
お楽しみいただければ幸いです。
毎年、毎年、かわり映えもしなければ新しみも何もない形式ばった挨拶を、よくもまあ平然とこんなおおぜいの人間の前で壇上に立ち、大の大人が感情豊かに、身振り手振り交えてご披露できるものだよな…
菊は今年も、暮れてゆく長いようで短かった一年の締めくくりを、「地上街」の中でも世界随一と言っていい大都市の中心部にあるホテル最上階を貸し切った豪華なパーティ会場で過ごしていた。
壇上に立つ男は、4年に一度行われる(そして次回開催は来年に迫る)レアメタルスポーツの祭典、レアメタル世界選手権がいかに、年々その規模をいや増し、世間からの注目度を日々刻々と飛躍的に向上させ続けているかということ、そしてそのために尽力した人物がどれほどまでに影響力を持ち、人格者で、なおかつユーモアにあふれる愛すべき人たちなのかを…もうかれこれ5分以上の時間をかけて熱く語り続けている。
…退屈だ…。
菊はとうとうそんなステージにこっそりと背を向け、まだ誰も手を付けていない今宵の料理や飲み物が並ぶテーブルがある方へと、盛装の人波の間をくぐり、背を丸めて移動し始めてしまった。
どうせ、自分のことなど誰も注意してみていやしない。
いつも取っている食事の食器の、大げさではなく100倍は値の張りそうな、質の良い陶器の皿を手に取り、菊が未だ乾杯前であるにもかかわらずパーティの盛り付けに見目麗しく並べられた大皿から好みの肉やチーズをぽいぽいと自分の手元に取り分け始めても、確かに周囲には誰一人苦笑を向けるどころか、菊に一瞥の視線をくれる者すらいないのであった。
ことがこの宴のテーマであるレアメタルスポーツに至るとき、この菊という人物は、決してその歴史から外して語ることはできない重要人物であるにも関わらず、である。
菊が研究生という名目で40歳になる今も住み続ける「地下街」の中でも政府関連の人々ばかりが住まう厳かと言っていい雰囲気を持つとある区域にひっそりと、だが相当に大規模に設けられたレアメタルスポーツ研究施設に入所したのは18歳になったばかりの年であった。
菊はごく平凡な地下街の一角の住宅街の家庭に生まれ、ごく平凡な子供時代を過ごしていた。
今から34年前、菊と周囲がその「能力」に気づくまでは。
そして、その瞬間が、今や知らぬ者はいないまでになっているメジャーなスポーツ<レアメタルスポーツ>が、この世界に産声を上げた瞬間でもあったのである。
菊が6歳の頃。
家の近くの空き地で、隣接する民家の壁に向かって、何気なく「ソレ」を作っては投げつけているのを初めて発見したのは、母親の友人だった。
「菊…ちゃん?きくちゃん?!やだっ、ちょっと、ナニして…きゃぁぁぁぁぁ!誰か、だれかきてえぇぇぇぇ!!この子、この子、ちょっとおぉぉぉぉイヤぁぁぁぁ!!!」
菊は驚き、取り乱し切って叫び声をあげ走り去っていく母の友人の背中をぼんやり見送りながら、頭上1m程の空中で固めかけていた「雪玉」…を、ぼと、と地べたにしゃがんだ小さな尻の傍に落として潰した。
「いつから?いつからこれができるようになったの?正直に言いなさい、菊」
菊はそれがいつからで、何がきっかけだったのかをよく覚えてはいない。
特に周りの大人に隠そうと思ったことも、なかった。
走ったり、歌ったりするのと同じで、皆ができることなのだと思い込んで過ごしていたのだ。
菊には、空気中の水分を思念によって宙に回し固め、
頭上で高速回転させながら凍り付かせて「雪玉」を作ることができる、能力があった。うまれつき、あったのだ。
そして、ある程度大きくした雪玉を遠くに放り投げる遊びを覚え、たまに一人で所在ないとき、面白がってそれをし始めていたのである。雪玉をしゅるしゅると纏め、ポンと前に放ると壁に当たって砕ける、それが何とも言えず愉快に思え楽しかった。気づくと、何時間もそれをして背に陰る傾く陽にはっと気づくことさえあった、子供の菊にとっては、ただそれが楽しかったのだ。
しかし、周囲にその能力を知られた瞬間から、菊は平凡な子供ではいられなくなってしまった。
全国において同時多発的に同様の能力を持つ子ども達が発見されていることが政府によって把握されると、菊たちは両親たちとともに幾度も通知を受け、公的施設に呼び出されるように、なった。程なく、両親の同意のもと、定期的に身体、精神の検査を受けデータを記録すること-つまりは、政府直々の研究の対象となること-を、強く推奨される立場ともなった。
戸惑うことも多くはあったが、菊にとっていいこともあった。
そこに集まった子供たちと一緒に、広い場所で自分で作った雪玉を投げあうことは、今まで経験したどの遊びよりも飛びぬけて楽しいことだったのだ。
どちらかと言えば物静かで、おとなしい方の子供だと思っていた菊が、政府が用意した「観察室」の中で、それと知らず全身を使い雪玉を作っては投げ、疲れを知らぬように転げまわって他の能力者の子供たちとはしゃぐ姿に、両親は驚き、そして同時にこれがこの子の運命なのかも、と心を決めた。
そして菊はそうした子供たち―全国で、わずか20数名であったーだけで形成された特殊学級に通い、研究対象となりながら、寮生活を送って生きてきた。
レアメタルスポーツ。
菊は自分や仲間が生まれながらに持つその能力がいつしかそう呼称されるようになり、地下街のみならず、あの華やかな地上街においてでさえも大きく取り上げられるほどのニュースになっていくことを、ただ、他人事のように眺めるしかできないまま目まぐるしく過ぎる日々を過ごしていた。
日がなあけずに脳波を図られ、血液を採られ、作った雪玉を提出させられて調べられる。
その合間を縫うようにして教育科目を受講し、座学のテスト、体力テスト、文化祭や体育祭、そういったものも外部の学校同様執り行われていた。
非常に、多忙な日々だと言えた。
もちろん、休日もあった。
大型バスに乗り、地下街の繁華街のみならず、時には引率の教師とともに地上街の繁華街までも、連れて行ってももらえた。
静かで規律のとれた施設内の景色とは全く異なる、地上街の雑踏はいつでも目にまぶしく感じられたものだった。
きらびやかなその世界に憧れの言葉を口にする学友も少なくなかったが、
そんな菊たちに教師たちは事あるごとに言ったものだ。
「外の世界は厳しいぞ。とくに君たちのように特殊な体質のものにとっては生きていくのは容易くない世界だぞ」
そして、菊や学友は成長するにつけ、その教師の言葉が本当の事だと感じるようになった。
研究生でいさえすれば、学生でいる間、最低限の生活は保障されるし、その後も職員として施設に残れば給与をもらいながら生活もできるし、充分な貯蓄もできる。
自分の意志で研究生でいることをやめ、「外」の世界に居を構え生活することを選択するのはいつでも自由だったが、だからといって積極的にそうしたいかというと…
青春、青年時代を経て、仲間たちはそれぞれの選択をし、ほとんどが雪玉を投げることをやめてどこかへと去っていき、そのうち一人として、二度とは施設内に戻ってくることはなかった。
菊は幼少期からの学友がこの年月のうちに選んでいった、それぞれの途を思い浮かべては何とも言えない気持ちになることがある。
菊たちの身体を、能力を研究し尽くした結果。
政府の組織は、菊たちが持つちからの秘密を遂に科学的に解明することに成功した。
それは、実に驚くべき結論であった。
菊たち能力者は全身の皮膚から、吸気から、地中や空気中にわずかに存在するレアメタルを吸収し、体内の神経に蓄積することができるのだ。
そしてその複数種のレアメタルを特異な方法で代謝させ、生じた波動を頭蓋、頭部の皮膚を通じ、大気中の水分に影響を与えるエネルギーとして放射し、更に凍り付かせて雪玉を作成し、それを投げることまでが可能なのだ。菊たちの体内に、このような信じがたいメカニズムが存在していることが、遂に突き止められたのである。
そこから研究はさらに進み。
現代においては、菊たちが生まれつきに持っていたこの能力を人工的に模写できる機器が開発され、それを使用したレアメタルスポーツ選手の育成が地下街、地上街の各国で、公的、民間を問わず盛んに行われるまでになっているのだった。
今、壇上に新たに登り、満場の拍手喝采を浴びている百合もそのひとり。
菊は施設内で、時折百合の練習の手伝いをすることもある。
百合のような若い選手の目には、私のことは一体どのように映っているのやら…
百合はとても筋がいい。
菊が機器を使わずに作り出し、次々に打ち込む雪玉を、最新の機器を次々にすぐに使いこなしてまるで生き物のように周囲の水滴を固め、雪玉だけではなくルールの範囲内で薄氷にし、雨にし、小さな吹雪にまでしてディフェンスし、そして強く正確な雪玉をストライクゾーンへと的確に打ち込んでくる。
40歳になった菊には、刷新され続けるルールを覚え、練習相手になるだけでいつでも精いっぱいだ。
菊と、百合のような若手の現役選手が、直接語り合えるような場は用意されておらず、
百合はいつも練習が終わると儀礼的な一例だけをしてさっさとコーチやトレーナーの方へ歩み去る。
菊はいつも複雑な気分でその背中を見送っているだけだ。
私たちが若いころは、ただひたすらデータを集める対象となるだけで、華やかなスポーツの舞台など初めから望むべくもなかった。
スポットライトを浴びる百合は、誰もが思わずつられて笑ってしまうような美しい笑顔を満面にたたえながら、また新たに機能が追加されたレアメタルスポーツ用機器のヘッドセットを捧げ持ち、その機能やデザイン性がいかに優れていて、次の大会で新記録を達成できそうであるか、などを誇らしげにそして屈託なくスピーチしている。
菊の胸中にはこんな時、この世界を離れていった学友たちの残した、様々な感情の吐露されたいくつかの台詞がよぎる。
「おれたちは、産まれてくる時代を間違ったよ」
「こんなところで政府の言いなりになって暮らすのはもうごめんだ、僕は明日から自由の身だ、さよなら!」
…そんな学友たちは、「外」の世界で「自由」を手に入れた、だろうか?
そして、ここに残ることを選択したわたしは間違った世界を生きる、不自由な存在…なのだろうか。
そうとしか思えないようでもあり、そうでもないような気もしていた。
ここにいれば思い切り、誰はばかることなく機器も使わずに自分の生まれ持った能力を使って「雪玉」を作り、心ゆくまで投げていることができる。
それが、菊にとっては何よりもの自由のように思えるし、
それが結局、菊の心の最奥で希求しているたった一つの事のようにも思えるのだ。
壇上を降りる百合に向けた、ひときわ大きな拍手の波が沸き起こった。
菊も両掌を合わせて幾度かのんびりとした拍を鳴らした。そしてその微かな音は、誰の耳に届くこともないまま、熱気に満ちた会場の空気へとただ、消え去っていくのだった。
ふひょー。体力使ったぜい。