第2章 アンデッド
年齢不明の女性のレギュラーが登場いたします。
「むふふふ~」
一見、20代に見える黒髪の和風美女が椅子に座り、江戸川乱歩先生の『孤島の鬼』を読書中。ダークスーツの上着は背もたれにかけているのでラフな格好。
シャツの上からでも解るほどのナイスな体つき。
「レディ・オーガ!」
逞しさを全身より賑わせる男がドアを開け、部屋に飛び込んできた。男の服装は黒い軍服、こちらは襟元も正し、しっかり着ている。
「おいおい柿木園さんよ、レディの部屋にノックなしに飛び込むとは紳士のやることじゃねぇぞ」
黒髪の和風美女、レディ・オーガは栞を挟んで『孤島の鬼』を閉じる。レディ・オーガは偽名、部隊の誰も彼女の本名を知らない、おまけに本当の年齢も。
「すみません」
しっかり謝り、逞しさを賑わせる男、柿木園は姿勢を正す。
「GGDが現れました。テレビのニュースを見てください」
GGDの名前を聞いた瞬間、レディ・オーガの顔が引き締まる。
机の上にあったリモコンを持ち、テレビをつける。ニュース番組に合わせるまてもなく、どのチャンネルでも盛綱市で起こった連続爆弾テロの事件を速報で流していた。
「防犯カメラで確認しました。この事件の犯人はGGDです」
犯人はGGD、ならば動機は1つ。
「あの野郎、今度は爆弾を使いやがったな。これなら、一気に広範囲に……」
腹が立っても冷静さは失わず。
「柿木園、市の封鎖は?」
「すでに完了しております、絶対に外に出すわけにはいきませんので」
「good」
外へ出してしまったら大変なことになる、それこそ取り返しのつかない状況になる恐れ。
立ち上がり、椅子の背もたれにかけていた上着を引っ掴む。
「収集をかけろ、《ダーククロウ》の出陣だ!」
◆
「秀介!」
「わぁっ」
思い余って弘一郎は秀介を抱きしめる。たまらず秀介の顔は真っ赤。
「一体どうしたの、こ、弘一郎くん」
「あわわっ、すまん」
慌てて離れた弘一郎の顔も赤くなる。
深呼吸して秀介は気を落ち着かせ、きょろきょろと周囲を確認。
「どうして僕は、こんなところにいるの?」
病院の手術室だというのは解る、何かのテレビドラマで見たことがあるから。
「何も覚えていないのか?」
「うん」
記憶を辿たどる。秀介の記憶では谷畑が鉄パイプを持ち上げた瞬間、光に包まれるまで。
そこで途絶え、気が付いた時に寝そべっていたのは手術台の上。パニックを起こさないだけでも秀介はしっかりしている方。
「体に痛いところは?」
「どこも痛くないよ」
殴られて病院に運ばれたにしては体のどこにも痛いところはなし、むしろ調子はすこぶる良い。
本人が見ても誰が見てもどこから見ても、秀介の体には火傷の欠片さえも見当たらない。
「4月1日でもないし、質の悪いイタズラなのか、これは……」
ついそんなことさえ、弘一郎は疑いたくなってしまう。
今の状況を秀介も把握しきれてはいない、一体全体、何が何なのか?
2人が戸惑っていると、心配になった幸乃が手術室を覗いてきた。
元気な秀介の姿を見た途端、ぷつりと張りつめていた緊張の糸が切れてしまい気を失う。
「お母さん」
手術台から飛び降りて駆け寄る。
幸いにもここは病院、すぐに看護師が駆けつけてきてくれた。
幸乃は気を失っただけで、しばらく寝ていれば意識は回復するとのこと。
正しテロに巻き込まれたケガ人で病室のベットが埋まっているため、看護師たちの休憩室で幸乃を寝かせておく。
問題なのは秀介の方、いきなり全身の50%近くに及ぶ重度の火傷が完全に治ってしまったのだ、尋常な事態とは言えない、それはとてもとても。
病院も把握しきれてはおらず、秀介は精密検査を受けることになった。
制服がボロボロだったので、看護師から渡された検査衣を秀介は着る。
ベンチに座り、俊介は紅茶、弘一郎はコーヒーを飲みながら、検査が始まるのを持つ。
「大火傷を負った僕が意識不明だったって、本当のことなの?」
看護師に話を聞かされても、俄かには信じられない。記憶に無いのはともかく、体のどこにも異常が無いのだから。
病院にしてみれば、異常が無いのが異常なのだが。
「正直、俺もよく解らん」
弘一郎自身、テレビのニュースと幸乃に聞いただけ。
テロに巻き込まれたことを告げているのは、焼け焦げた制服のみ。
「だがな、何があっても俺はお前を信じる。これは揺るぐことはない」
強い意志で言い放つ。
「ありがとう、弘一郎くん」
嬉しいので素直な気持ちでお礼。
「よせよ、照れるじゃないか」
照れ隠しにコーヒーを一気に飲み干し、
「アッチチ」
プチ悶絶。
ついくすくす笑ってしまう秀介。ますます照れくさくなり、少々乱暴に紙コップを握り潰してごみ箱に投げ捨てる。
突然、廊下の向こうから、女性の悲鳴が聞こえてきた。
何事かと秀介と弘一郎は顔を見合わせ、悲鳴の聞こえてきた場所へ向かう。
そこに居たのは看護師と死体、間違いなく死体である。焦げた体はズタボロ、頭の上からつま先のどこにも生きているぞとは主張しておらず、これで生きているなんて冗談でしかありえない、それも質の悪いジョーク。
なのに動き、看護師に馬乗りになって噛みついている。千切れた左肩から歪んだ骨が伸び、蔦の様に複雑に絡み合い、三本爪の左腕を形成していた。
動く死体、すなわち、ゾンビ、アンデッド。
どっからどう見ても真っ当な状況ではない、映画ならともかく、ここは映画の中ではないのだ。
考えるよりも早く、弘一郎がアンデッドに立ち向かう。
肩に噛みつこうと反応したアンデッドの動きは鈍い。
「キェィィィィィィィ」
気合一閃、正拳三段突きを胴に叩き込み、止めとばかり、力いっぱいの回し蹴り。
相手は死体、手加減の必要はない、手加減していたら、やられるのはこっちかもしれないのだ。
もろに回し蹴りが決まり、アンデッドは壁に叩きつけられた。普通なら起き上がってはこれないほどのダメージ、普通の相手ならば……。
今回の相手はアンデッド、すでに死んでいる。死んでいる者にダメージは通らないようで、のろのろとアンデッドは起き上がり、焼け爛れた顔の口を裂けんばかりに大きく開く。
これには弘一郎も怯む。
「あっちいけ!」
持っていたままの紅茶を秀介は投げつけた。これがアンデッドの顔にヒット。死者は痛みや熱は感じないが、一瞬の目くらましの効果にはなった。
「逃げるぞ、秀介」
この一瞬を逃してはいけない、秀介の手を掴み、引き寄せる。
見れば廊下のあっちこっちで、テロに巻き込まれた死者が動き出していた。
焼け爛れ、中には体の各部分が欠けてボロボロなのに動いている奴さえいる。
アンデッドは医師や看護師、他の入院患者など、病院にいた生きている人たちを襲っているではないか!
周囲に悲鳴が巻き巻き起こる。アンデッドを見た恐怖の悲鳴、そしてアンデッドに襲われた悲鳴。
ここにいたら、生者の2人は襲われる側。弘一郎は秀介をお姫様抱っこにして病院の廊下を構わずに走りに走った。
病院の廊下では走ってはダメなんて守っている余裕はない状況、襲い掛かってくるアンデッドの間を走り抜ける。
鈍足のアンデッド、体力の有り余っている弘一郎の全力疾走。簡単にアンデッドたちを引き離すことが出来た。
テロの被害者が運び込まれた病院はアンデッドで溢れかえって危険地帯、階段を駆け下り、外へ飛び出す。
街中をがむしゃらに走る弘一郎。お姫様抱っこに戸惑いながらも、振り落とされないように秀介はしがみつく。
パン屋と服飾店の間に飛び込み、秀介を下ろす。
「大丈夫、弘一郎くん」
「ああ、平気だ。いつもの鍛錬に比べればなんてことはない」
呼吸を整え、物陰から周囲の状況を確認。通行人の姿がないどころか人の気配すらない。みんな避難したのか、それとも……。
一息ついた弘一郎はスマホを取り出し、警察に掛ける。
いくら待っても誰も出てこず、繋がらないのではなく、一斉に誰も彼もが電話を掛けたのでパンク状態が原因。
一度に誰も彼もが、警察に電話を掛ける事態とはどんな事態なのか?
導き出されるのは病院での惨劇と同じことが、あちらこちらで起こっていうこと、あまり考えたくもないが。
「お母さん!」
落ち着いたことで幸乃を病院に置き去りにしたことを思い出す。
「ほらよ」
スマホを秀介に渡す。
「ありがとう」
お礼を言って、母親に繋げる。
『秀介、あんた無事なんやな』
声からして無事、ホッと胸をなでおろす。
「うん、今、弘一郎くんと一緒に病院の外にいるんだ」
『弘ちやんと一緒なら、安心やな。ウチはお医者さんと看護師さんたちと立て籠っとる。ウチのことは大丈夫や心配しなくてもええ。折角、元気になったんや無駄にしたらあかんで、そんなことしたら、かあちゃん、絶対に許さへんからな』
普段は標準語を使っているけど幸乃は関西出身、怒ったり緊張が取れた時に関西弁が出る。
どうやら、完全に緊張の糸は解ほぐれた様子。
関西生まれの女性は強い、本人の言うとおり心配ないだろう。
電話を切り、次に父親に連絡を取ろうとしたら繋がらない。電話に出られない状態やパンクなどではない、全く繋がらないのだ。
「俺がやってみる」
返してもらったスマホで掛けてみるも繋がらない。
パンクで繋がらないだけで、一応、警察に通じたし、病院にも通じた。なのに秀介の父親の和人には繋がらない。
試しに道場と父に電話を掛けてみる。
道場には通じた、秀介が無事だと話すと、祖父も母の聡子も我が事の様に喜ぶ。
道場には、まだ異変は届いていないなかった。そこで弘一郎は戸締りをしっかりしておくようにと警告。
いくらなんでも、今、起こっていることを話しても信じてもらえそうになかったから、テロリストがうろついているように思わせておく。
会社勤めの父に掛けたら、こっちも通じず、もう一回、掛けてもダメ。
「どういうことなんだ?」
何故、通じる相手と通じない相手がいるのか、通じない場所にはメールも届かない、スマホをいじりながら首を傾げる。
「――市外」
2つの共通点に秀介は気が付いた。総合病院も道場も盛綱市市内にあり、秀介と弘一郎双方の父親の会社は市外にある。
盛綱市に和人は向かっている最中で、まだ到着してはいない。
指摘が正しいか弘一郎は市内、市外の知人に掛けてみる。異変に気が付いていない人、異変に気が付いて逃げている人、錯乱中の人、立て籠もり中の人、出ないものの通じることは通じる人、市内の知人には通じる。一方、市外の知人に掛けてみたら、全くの不通。
再度、スマホを借りて秀介も試してみても結果は同じ。
爆弾テロ、アンデッド、市外に通じなくなった電話。
「何が起こっているの……」
得体の知れなさに秀介は震える。何が潜んでいるのか解らない、真っ暗闇を進んでいるような不安。
◆
総合病院の休憩室には幸乃と男性医師1人、看護師の女性2人、聞き込みにきていた刑事の鈴川の5人が立て籠もっていた。
椅子や机でバリケードを作り、ドアを補強、そう簡単に破られないようにしておく。
不幸中の幸いか休憩室には夜食やおやつ用の食糧が置いてあり、電気、水道、ガスなどライフラインも使え、ネットワークも健在。
これなら、しばらくは持ちこたえれそう。
窓から外を見ている幸乃。
病院の近くに人影は見当たらない。今はそれでいい、下手に病院に近づけばアンデッドに襲われるだけ。
鈴川はテロリストへの用心に持ってきていた銃のSAKURA M360Jの手入れして、いつでも使えるようにする。この中でみんなを守るのは刑事である自分。
警察無線を使って署に連絡してみても、向こうも手一杯で混乱状態、簡単に助けに来れそうにない。
ここでも市外に無線は通じない、スマホも固定電話も一緒。
看護師の1人は泣いていて、先輩の看護師が慰めている。
「ケガした人を放置していてもいいのでしょうか、それに入院患者や重篤患者も心配ですし」
医者として病人やケガ人を助けるのは義務、それを行うために苦労して医者になったのだ。
「やめた方がいいと思う」
窓から離れた幸乃、喋り方が標準語になっている。
「この手の映画だと、ゾンビに噛まれた者もゾンビになるでしょ」
言われてみれば映画ではゾンビに噛まれた者もゾンビになるのはお約束。
ゾンビは映画の中の産物、常識の世界には存在しない。今、その常識が崩れ去った。
そもそもアンデッドが徘徊する外へ出るのは危険すぎる。しばらくは、このまま立て籠もっているのが最善策。
病院の廊下に転がる遺体、みんなテロ被害死者のアンデッドにやられた犠牲者たち。
突然、目を見開き、立ち上がった。生きていたのでも生き返ったのでもない、瞳孔は開いたままでどんより。
そのまま立ち上がったものの他、傷口から歪な骨、触手や触覚が生えるもの、異様に首や手や足が伸びるもの、四つん這いで歩くもの、仰向けの体制まま、手足の関節が逆になって動き出すもの。
不気味な姿に変貌する死者、その姿を形容する言葉はモンスター。
幸乃の懸念は当たった。アンデッドに噛まれた者もアンデッドになってしまった。
ベットで寝ていたテロに巻き込まれた重体患者や重傷者も起き上がる。もう生きてはいないアンデッド以外の何物でもなし。
総合病院の病室の1つ。
この部屋の入院患者とともに看護師の男が1人、隠れていた。
音を立てればアンデッドに気づかれてしまうのではないか、そんな懸念から、誰もができるだけ音を立てないように息を潜めている。恐怖と緊張感が部屋にいる人たちを飲み込む。
テロに巻き込まれたものの、軽傷で済んだ女性。大したケガではなかったが用心のため、この病室に入院していた。
「ぐあっ」
先ほどまで何ともなかったのに、いきなり苦しみ出す。顔色は、どんどん悪くなっていった。
「大丈夫ですか」
慌てて看護師は介抱しようとした。
嘔吐する、吐瀉物の中には何本もの歯が混じっていた。
ギョッとした看護師が女性の土気色の顔を見ると、抜けた歯の代わりに並んでいるのはペッシ・カショーロのような牙。
恐怖で金縛り状態になった看護師の喉に噛みつく女性。
隠れていた人たちの悲鳴が連鎖。
病室の患者たちには逃げ場所は無し、外へ逃げ出せたとしても、そこには更なる数のアンデッドが徘徊している。
命に別状がないはずの軽傷者たちまでもが、アンデットに変貌。
総合病院に収容された死者、重傷者、軽傷者構わず、テロ被害者はアンデットと化した。
増殖したアンデッドはノロノロと蠢き、新たなる得物を求め、病院の外へ出ていく……。
当初、幸乃さんはか弱いキャラ設定だったのですが、ああなってしまいました。
秀介くんと弘一郎くんもああなっちゃうし。
ペッシ・カショーロは幼いころ、開高健さんの本で見て、あの面構えがインパクトに残りました。
一度だけ、首の剥製を見たことがあります。




