ある王太子の思惑
私の婚約者は素直で可愛い。
最初に会ったときは挨拶するだけで愛想笑いで何も言わなかった。
他の主張の激しい令嬢たちの相手は疲れるので一斉に行なう顔合わせの場ではなるべくサラ嬢の側にいた。それが原因なのかいつのまにか候補筆頭になっていた。まぁ、家柄も一番だしね。
何度会っても変わらない態度の彼女に興味が湧いて話しかけたり観察したりした。質問をぶつければ当たり障りの無い答え、目が合ってもすぐ逸らされる。
もしかして王太子妃を望んでいないのかと思った。正直そんな令嬢いるんだと驚いたくらいだ。俄然興味が湧いて会うたび観察した。
それなら彼女は何に興味があるのかな?期待に胸を膨らませながら過ぎる不安、私のことが嫌いなのかな?他に好きな人がいるのかな?だとしたら妻に望めない……
「王妃になれたら何を望みますか?」
直球でぶつけた質問に彼女が戸惑った表情を浮かべた。緊張しながら返事を待つ。
「何も……、あ、お努めに精進しますわ」
大抵こういう質問は素質を見るためにされるので上辺だけでそう言ってみせる令嬢はいた。
だけど欲しかったのはそんな答えじゃない。そもそもそういうつもりじゃなくて彼女が王太子妃を望んでいないかどうかを訊きたかったのだけど……
彼女は素で言ったように見えた。意気込みも何も無くなれたらそうしますと。積極的になりたいわけじゃないけど嫌なわけでもないってことかな?
ますます考えさせられた。考えて観察して嫌われてはいないようだと結論付けると早々に婚約を結んだ。彼女は戸惑っていた。
それから仲を深めるための二人きりでのお茶会が定期的に行なわれるようになったのだけど、彼女の態度が変わった。
より一層距離を置くというか余所余所しいというか。こちらが戸惑った様子を見せると気まずそうに近寄ってくるし、笑顔を見せてくれたと思ったら何かに気付いたように固まってそっと離れるし。
勝手に婚約を決めたことを怒ってるのかな?相変わらず彼女は心の内を口にしてくれない。また観察する日々が始まった。
どうやらこちらが距離を詰めようとすると引いてこちらが引くと近づいてくることが分かった。理由は分からないけど一定の距離でいたいみたいだ。
離れていかないのなら好きなようにやらせてもらおう。彼女が望む距離を壊すことにした。
事態が大きく動いたのは婚約して初めての社交シーズン開幕パーティで、彼女に睨まれた。原因が分からなくてその後いろいろ探ってみたらある令嬢に敏感に反応してることに気付いた。
本人は隠してるようだったけど態度は硬くなるし、目は泳ぐし、口数は少なくなるし、俯くし、その令嬢に対して思うことがあるのは明らかで、なのに理由を聞いてみてもなんでもないと答えるばかり。嫉妬なのか他に理由があるのか見極めるためことあるごとにその令嬢の話をした。
こちらの思惑通り彼女は面白いくらい翻弄されて私のところへ落ちてきてくれた。まぁ、やり過ぎて関係を壊しかけたのは反省かな。
「だから二人の仲を取り持ってあげたいんです」
傍にいてくれるようになった彼女は案外積極的だ。今まで特に親しくしていた友人はいなかったから他人への関心が薄いのかと思ってたんだけど、ユーリア譲と仲良くなってから頻繁に交流している。私のときはあんなに時間が掛かったのに…
「でも他人がどうこう言うのも良くないんじゃないかな」
「そうなんですけど、あの二人素直じゃないみたいで放っておいたらますます拗れそうで…」
他人の心配を真剣にしている彼女は本当に良い子だけど少しお節介かな。どうせなら私のことをもっと気にしてくれてれば良いのに。
「二人にはぜひ結ばれて欲しいんです」
彼女のお節介の半分の理由が自分の願望を満たすためだということを私は知っている。お互い素直になれない二人という組み合わせが好みらしい。
お節介だってあくまで二人が接触できるようにするだけで後は見守るだけらしい。見守るねぇ……
二人を見ているときの彼女は実に活き活きしている。目を輝かせ頬を染め楽しそうに微笑む姿は可愛いんだけど、恋してるわけじゃないと分かっていても他のものにときめかれるのは面白くない。
「え、なんですか?人の顔じっと見て……、あ、またからかってるんですか?」
笑顔から一転眉を寄せる姿に苦笑する。すっかり警戒されるようになってしまった。それはそれで楽しいけど。
「二人のことばかり気にしてるから寂しいなと思って」
「え、あ、それは…」
警戒してるくせに素直に信じるとか可愛いなぁ。まぁ、本心だしね。
「この後も仕事がたくさんあるんだ」
「ご苦労様です」
畏まる彼女の姿は働き人みたいでなんだかおかしい。そうじゃなくてね……
「抱きしめていい?」
「あ、えっと……はい」
真っ赤になって俯く姿は今すぐ抱きしめに行きたくなるけどどうせなら彼女から来て欲しかったので我慢した。
いつまでも何も起きないのを不思議に思ってこちらを見た彼女に微笑んで腕を広げて「おいで」と言うと真っ赤になって固まって、しばらくしても変わらず腕を広げて待つ私の本気を悟っておずおずと近づいてきて、そこまでが待てる限界だった。
「きゃっ」
早々に腕の中に仕舞い込んで抱きしめた。いつかは積極的に胸に飛び込んで来て欲しいな。
彼女のお願いを叶えるべく先日の醜態を見せてしまったお詫びという名目でハイドとユーリア嬢を私たちのお茶会に招いた。積極的に話そうとしない二人にサラが色々話題を振るが話は弾まない。
終わりにハイドのほうがユーリア嬢に今までの態度に対して謝罪して別れた。
「え、何あれ」
ユーリア嬢が呆気に取られてハイドを見送り、それをサラが心配そうに窺っている。
「私もこれで失礼します」
ユーリア嬢の去っていく背中を眺めながらサラが「どうしたんでしょう」と呟いた。
「まぁ、ハイドが彼女のことを誤解してたのは確かだから謝罪は当然だね」
「でも今日のお二人は覇気がありませんでした」
寂しそうに落ち込む彼女の頭を撫でた。見上げてくる表情はキスしたくなるほど可愛いので素直にしておく。
「もうっ、リオン様!」
「ごめんね、我慢できなくて」
この前までに比べて今の関係が幸せすぎて浮かれているのは自覚している。このままこの幸せを味わっていたい。
来年の結婚式に向けて順調に進んでいた中それは起こった。
「正気ですか?」
「そのようだ。まったくかの国も困ったものだ」
大袈裟にため息を吐く王の態度に受ける気がないのを認めて肩の力を抜いた。
国同士の政略結婚は珍しいことじゃなく、むしろ断るのが難しいので受ける場合が多い。
だが今回の場合はすでに私の婚約が整っていて結婚式の準備も始めている状態なので今更結婚の申し込みをしてくるのはよっぽどでないかぎりありえないのだ。
もちろんそのときの情勢で国の利益を考えて破棄し、他国の姫を迎え入れることもあるのだが今はその心配はないはずだ。
「確かあそこは今王位争いの最中でしたね」
「大方この国の後ろ盾を得ようと思ったのだろうが、こちらには大した利益もないからな」
どうせなら王子自身がこの国に乗り込んで懇意するに値すると思わせて後ろ盾を得ようとするほうが気概があって好ましいし、率先して王女を差し出すなんて人質のようなやり方は好きじゃない。
「我が国は恋愛結婚主義だしな」
こちらをからかうつもりで悪戯な笑みを浮かべる王だって立派な恋愛結婚だ。代々幸せな結婚をしているのでその子どもも恋愛結婚を望むのだ。
この話はこれで終わったと思っていた。
「かの国と婚姻話があるというのは本当ですか?」
いつものお茶会でサラの様子がおかしいと思っていたらまさかそんなことを聞かれるとは思わなかったので驚いた。
あの場で終わった話が彼女の耳に入ることはないはずなのに。
「どこでその話を聞いたの?サラ」
「本当なのですね」
沈痛な面持ちの彼女に婚約解消を言い渡された時のことが過ぎり嫌な予感に囚われる。
「サラ、どこで、その話を聞いたの?」
もう一度ゆっくり訊ねる。苛立ちを含む声を少し気にしたようだがサラの表情は浮かないままだった。
「ドレイク伯爵が家に訪ねてきて国のために身を引くようにと」
お腹の辺りに渦巻いていた苛立ちがうねりを上げて高まった。
「なぜドレイク伯爵が?」
「わかりません」
あの男は無能のくせに出世欲だけは高い男だから理由はなんとなく想像できた。どうせかの国に甘い言葉で唆されたのだろう。それよりも知りたいことがある。
「それでそれを聞いて君はどうしようと思ったの?」
「まずは事実確認をしてからと思って……」
「それで?」
「本当なら私は身を引きます」
予感が的中した。あの時からちっとも変わっていなかったのかと知って失望した。笑みが零れる。
「それでクローヴィスのところへ嫁ぐの?」
「ち、違います!」
嘲笑を感じてサラがひどく戸惑うのがわかったが今は優しくできる気がしない。
以前揉めたクローヴィスのことを皮肉る。あの時は流したけどゼンセの人のことだなんて納得するわけないだろう。
サラとはちゃんと向き合ってきたつもりだ。言葉でも態度でも気持ちを素直に伝えているし、不安なことがないように心を配っていた。あの時のようにならないようしっかり心を通わせようとした。
なのに……、私の気持ちを知っていてなぜ離れていこうとするの?気持ちを軽んじられているようでやる瀬ない。
「私が好きなのはリオン様です。クローヴィス様とは結婚しません」
「だったらどうして私から離れるの?」
「だって……」
泣きそうな顔に胸が痛むけれどこちらだって傷つけられたんだと嘆く気持ちが意地を張らせる。
クローヴィスとのことを本当に疑ってるわけじゃない。せいぜい憧れてたくらいだろうと思っている。面白くないけど……
彼女が私を好きなことはわかっているけれどそれだけじゃ足りない。もっと強く想って欲しいんだ。
「王家では一夫多妻制なんて当たり前かもしれないけど私は他にも妻がいるなんて無理です。夫を他の人と分け合うなんてできない。それくらいならリオン様とは結婚しません」
彼女は以前愛し合いたいと言っていたからそう思うのはわかる。私だって同じだ。だけど……
「相変わらず君は私の欲しい答えをくれないね」
私が望むのは独占欲だ。
「身を引くんじゃなくてどうして戦ってくれないんだ。どうして他の人と結婚しないで、私だけを愛してと、そう言ってくれないんだ!?」
「だって、国が係わってるのに私の個人的な感情でどうにかできることなんて」
「もちろん頑張るのは私だ。だけど君も同じ想いでいてくれないと頑張ったって空しいだけじゃないか」
「だって、どうしようもないことなのにそんなこと言ってリオン様を困らせたくなくて」
「たとえどうしようもない時でも言ってほしい。自分だけが好きだったなんて絶望的な気持ちになりたくない」
「そんなことありません、私はリオン様が好きです!」
私に駆け寄り袖を掴んだサラの目からは涙が零れていた。
「ごめんなさい、私そんなつもりじゃ……、リオン様を傷つけたかったんじゃないんです!ただ私が意気地なしで戦うのが怖くて逃げただけです。傷つきたくなくて……、だけどそれでリオン様を傷つけて」
ごめんなさい、ごめんなさいと震えながら泣くサラの袖を握る力が強くて抱きしめるための腕が動かせない。謝ってほしいわけじゃなくて、ただ離れて行かないでほしいだけなのに、
どう仲直りしようかと迷って黙ったまま何も反応を示さない私にサラは苦しそうに見上げると掴んでいた手を放した。
「また私同じことしてしまって……、あの時は笑って許して下さったけど今回はだめですよね」
すっと離れる気配がして慌ててサラの腕を掴む。まだ怒ってるし優しくできないけど別れる気なんてさらさらない!
「まだ逃げるんだ?」
「だって、リオン様の気持ちを踏み躙っておいて側に居たいなんてそんな厚かましいこと」
先に建て前を口にしてしまうのが唯一彼女の可愛くない部分だ。つい掴む手に力が籠もってしまい、サラが息を呑んで身体を固くした。
「本音は?」
「……これ以上嫌われたくない」
本音に幾分か機嫌が直る。だけどまだ甘やかさない。
「許さない」
「っ…」
サラの身体がびくりと揺れた。緊張して冷たくなっている手を握り込んで温めてやる。
「君が今以上に私を好きにならないと許さない」
呆然としているサラにやっと微笑むことができた。
「離れたら許さないから」
再び目に涙を浮かべるサラは震える声で優し過ぎますと言った。違うよ、一生償えって意味なんだよ。一生君を縛る言葉だ。
抱き寄せて腕の中に閉じ込めるとようやく安心できた。それを感じたのかサラの身体も力が抜けるのがわかった。
しばらく幸せに浸っていると腕の中でサラが身じろぎしたので逃がすまいと腕に力を込める。サラがより腕の中で埋まって、なんとか顔を出した様子が可愛くて顔が緩む。
「あの、リオン様」
「ん?」
「あの、大丈夫なんでしょうか?その……、戦争とか」
突然物騒なことを聞かれ面食らいつつ、そういえばかの国からの申し出は断ったことを伝えていなかったなと思い出す。
「大丈夫だよ。あの話はもう断ってるから」
「えっ……、そうなのですか?」
サラの表情が見る見るうちに情けないものになっていく。今口が緩んでしまったら怒られるな。
「どうして教えてくださらなかったのですか?そしたらあんな、言い合いをせずに済んだのに」
「君の気持ちが知りたかったんだ。あの頃と違ったら良いなぁって」
「うっ……、ごめんなさい」
「ふふ、意地悪でごめんね」
「…………」
非難したいけど後ろめたくてできないって、相変わらず顔に出てる彼女は素直で愛しくて堪らない。優しさに付け込んでしまう私を許してね。
ふと思いついたことを提案するため腕を緩めて向き合いやすいように少し距離を置く。
「サラに今以上好きになってもらうために考えがあるんだけど」
「な、なんですか?」
警戒するサラにとびきりの笑顔を向ける。
「会うたびに私に何か要求すること」
「え?……どうしてですか?」
「君にはもっと貪欲になって欲しい。もっと私に執着して」
「で、でも……」
「逃げるのは許さない」
「っ……」
すかさず弱みに付け込むとサラがひるんだ。苛めたいわけじゃないんだけどこれは譲れない提案だから。
少し押し黙った後困った顔をしてサラが訊ねた。
「要求ってどんな?」
「なんでもいいよ。抱きしめてとかキスしてとか、今すぐ結婚してとか」
「今すぐは無理ですよ?」
困惑するサラにわかってるよと言って笑った。現実的な彼女にたまには恋に溺れてほしいだけ。
「さっそく要求をどうぞ」
「え、そんな急に言われても」
一生懸命考える様子を見守りながら一体どんな要求をしてくれるのかと楽しみながら待つ。果たして思いつかないのか躊躇っているのか、どんなことでも叶えるのに。
「では、頭を、……撫でてください」
恥ずかしそうに言われた願いが意表をつくもので目を丸くする。
「子どもっぽくて恥ずかしいんですが前に撫でてもらえて嬉しかったから」
そういえばそのときの彼女が可愛かったなと思い出す。
「いいよ」
頭を撫でてまた見上げてきたらキスをしようと思いながら手を伸ばした。
恋愛結婚主義→乙女ゲームの世界ですから(笑)