表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
酒場の親父は転生者  作者: 乱世の奸雄
酒場の親父は転生者 第一巻
7/51

とある親父の就職事情

 草原には涼やかな風が吹いていた。

 太陽は中天に差し掛かっていたが、気温はそれほど上がっておらず、過ごしやすい気候と言えた。

 季節は秋の訪れを間近に控え、草木は色づき始めている。

 草原の中、緩やかに蛇行しながら続く道が、果てしなく続いていくように見えた。

 そんな道を、二人の旅人が黙々と歩いていた。

 旅をしているにしては、不思議な程に何も荷物を持っておらず、軽装とすら言えない有様だ。

 二人とも長い間歩いてきたのか、全身を汗にまみれているが、その足取りは確かである。

 男の一人が、袖口を使い額の汗をぬぐう。もう何度もそうしてきたのか、袖口は黒く変色していたが、気にする様子もなかった。



(まあ、ナレーションにするとこんな感じか)

 俺は疲労やストレスをごまかすためのいつもの癖で、現実を逃避していた。試験勉強をしているときに掃除がはかどる理論『試掃論』の実践である。――実際には、そんな理論あるわけないが。

 もちろん二人の旅人とは、俺とゴードンの事である。

 あの後、俺の事情は全部話していた。

 異世界から無理矢理連れてこられたこと、異世界で得ていた地位や財産の事、全てを失って再起中の身であること、その資金が先ほどの金であること、手紙は就職のための紹介状であったこと、そして再び全部を失ったこと、すべて洗いざらい話した。

 ゴードンは、はじめ半信半疑の様子だった。自分を励ますための与太話とでも、思っていたらしい。

 それはそうだろう、こんな話、とてもじゃないが当事者でもなければ信じられるはずがない。少なくとも疑わない奴の頭はどうかしている。

 だが最終的には信用してくれたようだ、魔法がある世界だからだろうなと一瞬思ったのだが「お前が俺に嘘を言う理由がない」と言われ、俺自身を信じてくれたらしいと知る。胸熱だ。

「あと、一時間ぐらいで村につく。そこで一休みさせてもらおう」

 ゴードンは、道の途中にたつ道標を見て、俺にそう教えてくれた。町から等間隔に建てられているらしいそれは、旅人の心に安心をもたらし、自分達が目指す先に人の暮らす世界があるという証明書だ。

特に一人旅の時は、次の道標が待ち遠しくなったりすると、ゴードンは笑って言った。

 そう、ゴードンは笑っていた。ゴードンは相棒を失い、この先の商売について見通しが立たなくなっていた事もあり、失意の底にいたはずであるが、既に笑うことが出来るほど立ち直っていた。タフな男である。

 ゴードンにしてみれば「二度もすべてを失って諦めていない奴がいるのに、嫁もあり、蓄えがあり、この世界にコネがある俺が、いつまでもショックを受けているのは情けない」となるのだが、神でもない俺に他人の心を読むことなどできる筈もなく、立ち直ってくれたことを素直に喜んだだけだ。

「正直に言うと、足がもう限界だな。座ったら立ち上がれる気がしないよ」

 この先、さらに一時間も歩き続けると聞いて、気が萎えそうになりながら冗談で紛らわせようとした。

「まあ、正直な話、俺もだな」

 お互い顔を見せ合って、途端に笑いあった。

 快適な足を失ってしまった二人は、その後、徒歩で歩きつづける羽目になり、夜になると木の下で眠り、朝方重い体を引きずりながら歩き出していた。

 もちろん、途中休憩をしながら、小川で水分を補給したり、ゴードンが隠し持っていた塩袋の塩をなめ、自生している木の実を齧ったりしてなんとか凌いでいた。

 しかし、休息も十分な疲労回復をもたらしてはくれず、歩みは遅々として進んでいないように思えた。道標はそんな二人の心に、若干の明かりを灯してくれた形だ。

「無理してもしょうが無い、一休みしようか」

 俺は提案し、ゴードンも頷いたので適当な場所を探す。水場は無いとのことだったので、道の脇にある、少し盛り上がった草地に二人して腰を下ろす。ゴードンの話によれば、次の村は村と呼べないほどの小さな集落で、その先メセルブルグの町までは、大体六時間位の距離ではないかとのことだった。ちなみに、休憩時間は含まれていない。先は長いというか、心が折れそうである・・・・・・。

 三十分ほど小休止して疲れた体に鞭打ち、なんとか歩みだそうとしたとき、ゴードンが何かに気付いた。俺もつられて同じ方向を眺めやる。遠くでなにやら動いているものが見え、気のせいかと思ったがドンドン近づいてくるのが判り、確信に変わる。

「馬車だ」

 ゴードンが確信を込めた声でいうので、俺だけの幻ではないらしい。

「乗せてもらおう!」

 俺は喜色を前面にだし、勇んで言う。

「ああ、もちろん。それに多分知り合いだと思うぜ」

 ゴードンはにやりと笑い、自信ありげにもう一度腰を下ろした。

 ほどなくして、馬車の上の人が視認できるほどの距離に近づいてくる。が、何かがおかしい。どうも遠近感合わないように感じ、何度も首をかしげてしまう。

 だが、その馬車が近づいてくるにつれ、ようやくその違和感の正体に気付いた。

大きい、ゴードンの相棒よりものすごく大きい。あっちが軽量級か中量級なら、こっちは重量級か無差別級位違う。同じ馬とは思えないぐらいだ。

 ゴードンは、俺の驚愕に気が付いたらしい。

「あれは輓馬ひきうまだ、力が強くて持久力がある。大きいだろ?」

 ゴードンの言葉にコクコクと頷くことしかできない。

「ただなあ、大飯ぐらいで長旅には向かない。俺みたいな行商するにはちょっと不向きだな」

 ゴードンはそう言うと、立ち上がって馬車を操っている人物に手を挙げ挨拶した。

「おーい、オットー」

 オットーと呼ばれた男もすでに気が付いており、被っていた麦わら帽子を取ると、大きく手を振った。

「よお、ゴードンやっぱりお前かよ」

 そういいながら、馬車を操作し、ゆっくりと止める。間近で見ると輓馬はやはり大きかった。だが、その眼を見た途端、つぶらな瞳にゴードンの相棒を重ねてしまい、目頭の奥がじんわりと熱くなる。

(いかん、もう馬は無理かもしれん・・・・・・)

 俺は、輓馬から視線を外し、御者台に座る男を見た。男は老人と言っていい歳で、額には深い皺が刻まれている。顔は日に焼けているのか真っ赤で、顔中に人懐っこい笑顔を浮かべている。

「悪いが、町まで載せてくれ。俺とコイツの二人だ」

 ゴードンが見上げて言うと、オットーは御者台から身軽に降りてきた。

「おう、勿論いいぜ、心配してたんだ。もしかしたらアイツはお前のじゃないかってね」

 オットーは親指で後ろを指さし、それを見て俺たちは気づいた。

「俺の荷車じゃないか、運んでくれたのか」

 ゴードンは驚いてオットーを見る。

 ゴードンの言うとおり、オットーの馬車の後ろにはゴードンの馬車のながえを荷台の柵に括り付けて、無理矢理連結してあった。

「おうよ、荷がそのままだったんで、馬に何かあったんだろうと思ってよ。そしたら案の定・・・・・・、そのよ、残念だけど、気ぃ、落とすなよ?」

 オットーはゴードンの相棒を見かけたのだろう、一瞬痛ましそうな顔をして、慰めた。

「おう、もう平気だぜ、ありがとよ・・・・・・。そうだ、紹介するぜ、今度メセルブルグに住む予定のウートさんだ」

 ゴードンも気丈に答えると、俺をオットーに紹介してくれた。

「ウート・ヴォージオンだ、ウートでいい、よろしく」

 俺は進み出て、自己紹介する。

「俺はメセルブルグの木工ギルドで御者やってるオットーってもんだ、よろしくな。こんな辺鄙なところだが、いいとこだぜ、歓迎するよ」

 オットーは気さくな人柄を見せ、俺を歓迎してくれた。この世界の人は大らかというか擦れた所がない。接しやすくてとても助かるのだが、心配になったりもする。

 まあ、擦れた人ばかりの世の中ってのも、おかしいのかもしれないが・・・・・・。

(それだけ人同士が、傷つけあってる世の中という事だからなあ)

 俺は改めて、元の世界の世知辛い一面を認識してしまった。

「ゴードン、荷車はそのまま持ってきたつもりだが、中身確認してくれるか? それに何があった?」

 オットーの声が不安を帯びたものになる。同じ街道を使う以上、他人ごとでは無いからだろう。気持ちは痛いほどわかる。三人は、確認のために後ろに連結したゴードンの荷馬車に向かう。

「実は、盗賊に襲われたんだ。三人組なんだが、すれ違わなかったか?」

「なに! いや・・・・・・。気が付かなかったな」

 ゴードンの問いに、オットーは記憶を探りながら答えた。街道は一本道だ、すれ違わなかったとしたら、奴らがやり過ごしたのだろう。

 ゴードンは荷台によじ登り、荷物を検め始めた。俺も横から覗き込むように確認する。

「エール二樽はそのままだな、さすがに大きすぎたんだろうな。後は、葡萄酒樽が、一つ足りないな。っくそ、見逃すはずはないとは思ってたが、極上葡萄酒もお持ち帰りか、まあ荷台が戻ってきただけ御の字だが・・・・・・」

 ゴードンは改めて確認する被害に、悔しそうに顔をゆがめる。一度はあきらめていても、悔しいものは悔しいのだろう。

「なあ、ウートさん、盗賊たちはどんな奴らだった? また出るだろうか?」

 オットーは不安からか、俺に尋ねてきた。

「やつらは三人組で、目つきの鋭いガッチリした体格の男と、背の低い男と見上げるような大男だ。ガッチリした奴は一見してみると頭が良さそうだし、服とかもカッチリと着ていたな。どっかのお貴族様の三男とかに見える感じだが、文字は読めないようだったから、格好だけそれっぽくしているだけだろう。もう一人が、背の低い疳高い声の男で、ガッチリした男の腰巾着みたいだった。しかしこいつが短気な奴で、酷い目に遭わされたよ。そう言う意味で一番要注意だな。大男の方は、体に合わない服を着て腹を大きく出した頭の巡りの悪そうな男だ、あとちょっと気が弱そうだった。奴らはどうもルーデンブルグで俺たちに目を付けたようでなあ、いつも街道にいるわけじゃあ無いだろう。近くにいれば見つかる恐れもあるし、奴らはゴードンの馬を殺しちまったし、タップリ稼ぎもした。近くにいるのは危険と考えて、どっか遠くに逃げただろ」

 俺はオットーの不安を和らげるため、三人の特徴と今後の予測を話してやる。オットーは少し安心したようだ。

 その間に、ゴードンは点検を終え、荷台から降りてくる。やれやれと溜息をついた。

「とりあえず出発するか、最大限の損害から少しは圧縮できそうだ。もう、それで良しとするしか無い。オットー悪いが、このまま街の酒場で頼んでいいか?」

「おうよ、まかしときな。大事な俺様のエールちゃんも乗ってる事だしよ」

 オットーは冗談めかして言うと、俺たちに馬車に乗るよう合図した。御者台には荷物が乗せられていたので、二人で荷台に乗り込む。オットーの馬車の荷台には、蜷局とぐろに巻いたロープの束と輓馬ひきうまの餌にするための飼い葉が積まれていたので、俺たちは柔らかそうな飼い葉の上に腰を下ろした。オットーは、木工ギルドの製品をルーデンブルグに納品してきた帰りだと言うことで、荷台は全て空となっていた。

「助かるぜ、もちろん後で一杯奢らせて貰うよ」

「おいおい、一杯だけかよ、しけてんなあ」

「った~、大損害の商人様にそんな余裕あるわきゃ無いだろ。一杯だけで勘弁してくれ」

「はいはい、しゃ~ね~な、そろそろ出発するぜ。ハイッ」

 二人は軽快な掛け合いを繰り広げ、どうやら話はまとまったようだ。まあ、ほとんど冗談なんだろう。オットーのかけ声と共に、馬車は前進を開始した。

「いや~楽だね~馬車は、本当に助かった」

 俺は正直な感想を述べる。正直体は限界で、もう少し鍛える必要があると痛感する。今日も朝起きたとき、全身の筋肉痛やら、膝の関節やらが悲鳴を上げていた。

「確かに・・・・・・。それに、俺も早く次の相棒見つけないとなあ」

 ゴードンは少し遠くを見つめる目つきになり、ぼそりと呟く。あんな別れ方だったからな、しばらく後を引くのは仕方の無いことだろう。

「資金は大丈夫なのか?」

 俺は、肝心の購入資金について訪ねた。なんせ金貨二十枚。元の世界で言えば二千万円というクラクラする金額だ。しかもゴードンは、稼ぐ手段の大本である相棒を失った形だ。

「正直言って、大丈夫とは言い難いが何とかするしか無い、あいつほどの馬を買うのはすぐには無理だろうが、しばらくは馬を借りて凌ぐか、安いのを買うしかないだろうな」

 ゴードンは、厳しい商人の顔になり、今後の予定を考えているようだった。俺としても応援したかったが、何せ自分の方がもっと深刻と言える。

「それで、相談があるんだが」

 なるべく深刻にならないよう勤めながら、相談する。

「街に着いたら職を探したいんで、誰か紹介してくれそうな人物に心当たりは無いか?」

 俺の相談に、ゴードンは不思議そうな顔になり、問い返してきた。

「領主様の元には行かないのか?」

「それなんだが・・・・・・。もうこれ以上、貴族様につきあうのは嫌なんだ。紹介状があるなら借りを作るのは俺じゃ無くて書いた奴だが、それが無い以上、俺が借りを作る事になるかもしれないし、ただでさえ領主様は問題を抱えているんだ、それに巻き込まれでもしたら馬鹿見るだけだからな、今回みたいに」

「それもそうか」

 俺の話に、ゴードンは腕を組み、考え込むように項垂うなだれる。

俺としては、もうこれ以上は王位継承権問題のごたごたに巻き込まれたくなかったし、簡単にはいかないかもしれないが自力でなんとかすべきだろうという思いもあった。

それに、まともな領主経営すら出来ない貴族とか、仕えるにしても最悪の選択としか思えない。最悪仕事が無いようなら日銭仕事で金を貯め、居を移すしか無いと考えていた。

「う~ん、そうだなあ、何人か心当たりはあるんだが、おまえに合った職があるかは保証できないぜ」

 ゴードンは頭を上げ、俺の目を覗き込みながら気乗りしなさそうに言った。

「選り好み出来る状況じゃないし、しばらくは食って行けさえすればいいさ。その後は自分でなんとかするしか無いからな」

「しかしなあ、こう言っては何だが、凄くもったいないんだよ。お前なら何処でも立派にやっていけるだろうし、それこそ商会経営さえ楽にこなせるんじゃ無いか?」

「無理無理、俺は自分で動くのはわりかし得意だが、人を使うのはそうでも無いんだ」

「そうかあ? お前の物事に対する考え方を聞いていると、俺達とはどこか視点が違うんだよ。遙かにうえの視点から全体を見ているというか・・・・・・。まあ、お前がいいなら俺は全力で協力するぜ」

 ゴードンが断るとは思っていなかったが、心当たりもありそうで少しほっとする。気がかりも消えたところで、限界まで溜まった疲労が、体に休息を要求する。つまりはものすごく眠くなる。

「悪い、少し眠る。用があったら起こしてくれ・・・・・・」

 言い終わるか否やの間に、眠りに落ちる。我ながら圧倒的な寝付きの良さだ、きっとゴードンは呆れていたに違いない。



 ゴードンに揺さぶられて目を覚ますと、既に小規模な集落は通り過ぎ、かなりの時間がたっていた。オットーに会ったのが正午前で、今は十五時頃らしいので、三時間ぐらいは寝ていたらしい。集落に着いたときは、あまりにもグッスリと寝入っていたので、起こさずいてくれたらしい。おかげで、深刻なまでの疲労感は幾分和らいでいる。

 ゴードンは途中の村で、隠し持っていたお金を使い食料を購入していた。これは俺もゴードンに言われてまねしており、俺も厳密な意味で一文無しでは無かったが、精々が銀貨三枚位なので、多少ましという程度だ。ちなみに、パンツの裏とか、靴底の裏とかに隠している訳だが、そんなのをうら若き女性店員さんとかに渡すなんて・・・・・・、ニヤニヤが止まらんな。

 そんな馬鹿な妄想は久し振りだが、余裕が出てきた証拠なんだろう。

 俺は、黒パンと干し肉、果実に水という、久々の人間らしい食事に感動し、驚くほどの勢いで食べ尽くした。腹がふくれると人間は眠くなる。本当は食事してすぐの睡眠は体にも良くないのだが、休息の欲求は凌駕しがたく、気がついたら意識を失うように寝入っていた。

 再び意識が戻ったのは、空は赤く染まる頃である。

(寝る意識をせずに寝たときって、起きたら寝る直前の感覚が丸々残っていて、時間がまるで一瞬で過ぎ去ったような感覚を覚えるのは何でだろう? 俺だけかな? 特に平日に二度寝したときの時計の進み具合に、心臓が止まりそうになることがあるんだが・・・・・・)

 そんな錯覚に包まれつつ、目が覚める。乾いた草の匂いに包まれた仮の寝台から体を起こし横を見ると、ゴードンも寝ていた。

 起こさないように気を付けつつ、ストレッチをして体をほぐす。体中が痛いのは相変わらずだが、疲労感は大分無くなっていた。それに筋肉痛がすぐに出るのは若い証拠だという。翌々日だったらかなりへこみそうだ。

 俺が起きたのに気が付いたのか、オットーさんが振り返る。

「起きたか? ぐっすり寝ていたな。まあ無理もないが、もうちょいで町に着くぞ」

 そう告げられ、進行方向に目を向ける。

 空は、夕闇に包まれつつあったが、まだ視界を危うくするほどではない。視界の先に人口の建築物がいくつも確認できる、町についたのだ。

 俺は言い知れぬ安心感を覚えて、ふと気が付いた。

(人の住まない場所というのは、それだけで人に緊張を強いるものなんだな)

 巨大な都会の中で生まれ育った俺には、長期間人里離れて生きていく事が大きなストレスなのだと気が付く。また、多くの人にとってもそうなのだろう。だから人は自然の大切さを理解しながら人口の建築物を作り、都市を築く。そこが人の住む場所だと認識し、安心したいのかもしれない。

 視界に移る街には、城壁の類がない。これはこの世界に来て知った驚きの一つだが、この街だけではなく王都にすら城壁の類はなかった。

 怪物の類がいないわけでは決してない。だが、何というか人間の生活圏に比して世界が広すぎるらしいのだ。

 人は自分たちにとって住みよい地域を支配し、その地域を「世界」と呼び、その外を「辺境」とか「蛮地」とか呼んでいる。

 その「世界」すら、まだまだ広大で開拓が進んでおらず、手つかずの場所が多いらしい。また、辺境に至るには巨大な山脈や広大な森、大河などを越えねばならず、現状では冒険を求める者が挑むぐらいで、ほとんどの人間にとっては、別世界も同然なのだ。

 その蛮地には、怪物たちの築いた王国や、人間では太刀打ちできない竜族などの住む山脈もあるという。そう言った一部の例外を除けば、団結した人間の力で駆逐できない怪物はおらず、世界の安定は保たれているといってよかった。稀にこの世界へも、蛮族の地から溢れたりはぐれたりした怪物の進入が有るのも事実だが、冒険者にとっては格好の稼ぎ時であり、大きな被害が出ることはない。

 また「もし人類にとって、大きな危険となる重大な危機が発生した場合には、『教会』から神のお告げとして報告があり、必要な戦力を組織してこれにあたる」事になっているらしい。

 今のところ、騎士団クラスの出動で対処できる問題以外は起こった事が無いそうだ。案外平和なのである。

(『勇者召喚』なんて儀式があるくらいだから、ピンチになると勇者を召還して対処する他力本願な人達かと思ったら、結構自立してるよなあ、どういうことだ?)

 自分が勇者じゃないとの自覚はあるが、そこはかとない寂しさみたいなものも感じるのである。そもそも、あのイルゼ王女の召喚は本当に『勇者召喚』の儀式だったのだろうか? なんというか、印象だけで考えると『悪魔召喚』の方がしっくりきたが・・・・・・。

 そうなるとそれに呼ばれてきた俺は一体何者だ? となってしまう。

(は、まさか! 俺には人知れず『悪魔君主デーモンロード』の血が眠っていて、その血が反応したのか! 「今に見ていろ人間どもめ、我が悪魔の力思い知らせてやる」とか言っちゃうのか?)

 これでは立派な中二病患者である。俺はそれに気が付くと、自分を戒める。

(いかん! 中二病的妄想は、三十歳童貞で魔法使いになれないと悟った時に、童貞卒業と一緒に封印すると誓ったじゃないか!!!)

 しかし、俺はここで愕然とする。

(まさか、俺の童貞はこの時のために取っておくべきものだったのか? 童貞なら異世界転生直後に大魔法使いとして大活躍できたのか!? まさかそんなフラグが残っていたとは・・・・・・)

 だが、折れそうな心を、俺は必死に叱咤する。

(いやまて、この世界では魔法使いと童貞は関係がないはずだ、でなければ、ヤンみたいなやつが魔法使いに成れるはずがない。きっと、俺にもまだチャンスはあるはずだ。そう、奴はしたり顔で、末生り瓢箪みたいな顔をしていたが、あの歳で宮廷魔術師をやってるぐらいだ、金は持ってるだろうし、さぞかしモテることだろう。きっと、純真な乙女たちをたぶらかして食い散らかしているはずだ。そうだ、そうに決まってる・・・・・・。まてよ? まさか・・・・・・、まさか、まさか、まさか! あのメイドさんにも手を出しているんではあるまいな・・・・・・。許さん、許さんぞ魔術師ヤン! お前は今日から俺の宿敵だ! いつかこの俺が、大魔術師となって打ち滅ぼしてくれるわ!!!)

 脳内では、完全な八つ当たりとともに、壮大な決意と、宿敵が誕生していた。

 いつの間にか目を覚ましていたゴードンと、御者台に座るオットーが、心配そうな目で、俺を眺めていた。いや、どちらかというと生暖かい目で俺を見ていた。

どうやら一部始終を呟いてしまっていたらしい。俺は、ワザとらしく咳払いをしてごまかした。

 そうこうするうちに、馬車は町へと到着する。

 町の入り口にはアーチが掲げられており、何やら書かれているが、この世界で文盲な俺は読むことが出来ない。ゴードンに訪ねると「ようこそ、メセルブルグへ」だそうだ、どこも同じようなことをするもんなんだな。そう慨嘆する。

 そのアーチの下には衛兵らしき姿の二人組が、簡素な槍を片手に立っていた。

 頭には、鉄の兜をかぶり、鎧は皮鎧をベースにして重要箇所の表面に鉄板による補強が施されている。腰には直刀の短剣を差しており、こう言ってはなんだが練度はそれほど高そうに見えない。

 これは、街中で大卒新人の青白い警察官を見た時に感じる不安と同じもので、聞いたら「公務員で安定しているので警察官になりました」と答えそうな感じだ。いざという時、守ってもらえるか不安を覚える。逆に、強面でヤクザと見紛う人がいるが、そういった人の方が逆に正義感が強かったり、いざとなると頼りになる気がする。少なくとも、ビビッて逃げたと周りに思われるのはプライドが許さないだろうから、その心配だけはしなくてよくなる。

 どちらにしても、警察官は間違いなく町の治安を維持していて、安心して暮らせていたのは間違いない。この二人には、それが期待できるだろうか? 俺はそんな基準で二人を値踏みする。

(この二人じゃあ、一対一ならチビにも負けそうで、二対一ならインテリヤクザも苦戦しそうな感じだな。デクの戦闘力が未知数だが、三人全員を抑えるとなると五人以上は確実に必要だという事だな)

 俺は勝手な評価を下す。ちなみに俺ならこいつらに一対一でぼろ負けする。

 俺は、他人の評価は辛いが、自分の評価に関してはもっと辛いのである。

 兵士達は特にオットーを止めるそぶりを見せなかったが、後ろに繋いだ馬車と俺たちを見て、怪訝な顔をする。オットーは説明するためか馬車を止めた。

「おかえり、オットーさん。何かあったかい?」

 兵士たちは、俺たちの方を気にしながら尋ねた。口調は丁寧で好感が持てる。

「おお、それがよお、どうも盗賊に襲われたらしくて、馬を失っちまったらしいんだよ」

 オットーはいかにも気の毒な話だと、声のトーンを落とす。

 兵士達もつられて、つらそうな顔をしている。

「お前たちもよく知っているだろ? 旅商人のゴードンさんだ、あとはそのお連れさんのウートさんだ、今日は宿屋に泊るから、詳しい話は明日でいいか? お前さんらも、上がりの時間だろ?」

 オットーがそう告げると、兵士たちはいかにも当然だというふうにうなずいた。俺は内心「おいおい、警備ゆるすぎだろ!」と突っ込みを入れる。

 だが、話は済んだとばかりに、オットーは馬車を発信させ、兵士も止めるそぶりを見せない。どうやら勤務終了の時間らしく、たぶん詰所なのだろう小屋に戻っていくのが見える。

「あっさりしているな」

 俺は驚いたように言うが、ゴードンは首をかしげる。

「こんなもんじゃないか? 差し迫った問題じゃ無いしなあ」

「俺が不審者だったらどうするつもりなんだ?」

 呆れたように俺はいう。

「町は別に柵に囲まれているわけじゃない。入ろうと思えば入れるのに、正面から堂々と来るやつを疑ってもしょうがあるまい」

「そういうものか」

「そういうもんだ」

 そう、ゴードンに諭されて釈然としないものの、一応納得する。

 言われてみれば、警察権の行使とは公権力の介入という意味を持っている。これの乱用を許せば、市民たちの生活は立ち行かなくなる。ちっぽけな一市民の生活を打ち壊すには、十分すぎる力だ。

 よく事件が起きて、警察の介入が遅れると批判されるのを見るが、一方だけの意見を聞いて行動に移して冤罪を発生させた場合――良くあるのは痴漢冤罪事件だ――、警察にとってより厄介な公権力の乱用と取られかねず、裏付けを取るのに時間がかかり、手遅れになる事案が発生するのであろう。

 そう言った報道を見ていると思ってしまうが、物事には多面的な事情があるはずなのに、センセーショナルなニュースに飛びつく市民と、市民に媚びたマスコミからは失敗を非難する声しか聴いたことがない。元の世界とりわけ日本においてのジャーナリズムとは、『他人のニュースをコピペして伝えること』に辞書の内容を変更すべきかもしれない。

 もういっそ、スクープ記事に著作権を認めて、コピペするときはニュースソースを載せてくれればいい、著作権料を払いたくない奴は逆方向の記事を書くだろう。そうすれば多角的な見地から事件を知ることが出来て一石二鳥である。まあ、今更言っても仕方が無いのであるが。

 そういう意味では二人の態度は、この世界の警察権の行使の水準から見れば、妥当なのであろう。

(王妃の父上様とやらは積極的な統治をするつもりがないか、もしくはできないという事だな。ある意味で自由ともいえるが、何か事が起こったときは自己防衛する必要があるという事でもある。一長一短と言えるだろうが、俺的にはむしろ歓迎すべきかもしれない。民主主義に慣れすぎて、貴族様を敬う気持ちなんてこれっぽっちも湧かないから、干渉が多すぎるとキレちまいそうだからなあ)

 現領主の統治についてそう結論付けると、俺は辺りを見回し街並みの観察に移行する。

 その道は、街道から直結するメインストリートらしかった。道幅は広く取られ、石畳による舗装もされている。

 街並みは王都と違って、木でできた建物ばかりだ。そしてやはり高層建築は見られず、せいぜいが、二階建迄の建物である。王都より少し素朴な感じだが、逆に親しみやすくもある。木造建築の効果だろう。

 そんな感想を抱きつつ周囲を観察しているうちに、馬車は、一件の店の前に止まった。

 大きな馬と馬車が、店の入り口を塞ぐ格好になるが、ゴードンの荷車を止めるためのやむを得ない措置だ。

 俺たちはゴードンの荷車を外すため、オットーの馬車に結びつけていたながえをはずし、荷台を下りて二人でながえを少し持ち上げる。それから、オットーに合図をして馬車を進めてもらい交差を解く。

 そんな作業をしていると、騒ぎを聞きつけた店の中からエプロンを身に着けた五十代くらいの老婦人が出てきた。

「あれまあ、オットーこんな所に馬車を止められたら、お客様が入れないじゃないかねぇ」

「おっと、ハンナすまねぇ、すぐどけるからよ」

 オットーは、頭に手をやりながら老婦人に詫びを入れると、俺たちに手を挙げながら言った。

「おれぁ、こいつを置いてくるわ、また後でな~」

 どうやら馬車を置きに行くらしい、馬の世話もあるのだろう。俺たちは見送ると老婦人に向き合った。

「すまないな、ハンナ。途中で馬を失くしてな。オットーさんに運んでもらったんだ。しばらく置かせて貰うがいいかな?」

 ゴードンはすまなそうに、老婦人に謝った。老婦人の名はハンナと言うらしい。

 ハンナは驚いた表情をして、その後、悲しそうな顔をする。

「あらぁそうなの・・・・・・。あの子、かわいい子だったのに。残念だねぇ・・・・・・。ゴードンさん、あんたも気を落とすんじゃないよ、車なら置いておいていいから」

 ハンナもゴードンの相棒を知っているらしい、しばしの間、各自が思い出に浸るような間が出来る。

「――それと実は、来る途中で盗賊の被害に遇ってしまって、納品予定のエール二樽、葡萄酒三樽の内、葡萄酒を一樽持っていかれたんだ。すぐに戻って手配するが、それまで大丈夫かな?」

 ゴードンは事情を説明しつつ、ハンナの確認を取る。店の在庫状況が保つのか、心配しているようだ。

「そうだねぇ、次に来れるのは三週間くらい先かねぇ? まあ、それぐらいなら多分大丈夫。なんとかするさ、ちょっと味が薄くなるかもしれないけどね」

 そう言って、朗らかに笑う。

(えっと、そんな堂々と水増し宣言していいの? まあ、この世界の葡萄酒は水で薄めて飲むのが普通だし、元の世界でも水商売ってそういう意味だけど、そんなに大胆に宣言していいのか?)

 俺は、ハンナの明け透けな物言いに困惑する。これで商売やっていけるとかすごいな。

「ところで? どちらさんだい? 初めて見かける顔だね」

 ハンナに話しかけられ、俺は妄想に入りかけていた思考を無理矢理引き戻すが、すぐに現実にフィットできずに一瞬の間が発生する。それでも、なんとか再起動してハンナに話しかけた。

「申し遅れました。初めまして、私はウート、ウート・ヴォージオンと申します」

「あらやだ、ご丁寧にどうも。私はこの店をやっているハンナ・コットーだよ。今後も、ご贔屓にしておくれ」

「こちらこそよろしくお願いします」

 俺もにこやかに答える。この辺りは社会人生活がしみ込んでいるなと自分でも思う。ゴードンは、二人の挨拶が終わるのを見届けてから言った。

「ハンナ、とりあえず今日持ってきた分はいつもの場所に運んでいいか?」

「ええ、お願いするわ」

「いやいや、これも仕事のうちだから」

 ゴードンはそう答えると、荷台の上に上がり、樽を下ろす準備を始める。俺も手伝うために、後に続いた。

「樽を運ぶときは、少し傾けてからバランスを取りつつ転がすんだ」

 そう言いつつ、ゴードンは見本を見せてくれる。俺も見よう見まねでやってみると、最初傾けるのにかなりの力が必要だが、後はバランスを取るだけで比較的容易く運ぶことが出来る。

 ゴードンは、そうやって、荷台の端まで持ってきた樽を横倒しにし、荷台から地面まで二枚の板を立て掛ける。丁度、樽の中央部が二枚の板に嵌まるぐらいの間隔で立て掛けてあり、今度は荷台の後部中央にある金具に手早くロープを結びつけ、そのロープを樽の中央付近についていた金具の輪っかに通すようにする。それから、ロープの端を余裕を持って握り腰だめに構えると横倒しになった樽の腹を軽く蹴って転がす。

 樽は転がり落ちようとするが、そのスピードをロープでうまく調整し、地面まで下ろす。地面まで運べば、後は先ほどの要領で転がすことが出来る。

 そうやって、二つのエール樽をあっという間に下ろしてしまった。

「上手いもんだ」

 俺が感心して賞賛すると、ゴードンは照れたように笑い「慣れだよ」と笑った。

 二人して樽を転がし、店内に運び込む。床を傷つけないために、目が粗く分厚い麻袋に使うような布を事前に敷き詰めておいてからである。

そうやって運び込む準備をしながら、店内の様子を観察する。これは、いつでも誰かを飲みに誘えるようにするため、いいお店を常時複数は確保しておきたいサラリーマン時代の癖と言えた。

 例えば、可愛い女の子がいて、残業で遅くなったときなんかに「ちょっと、飯食って帰らない?」と華麗に誘い、その後「もう一軒飲みに行こうよ」と続けるための準備である。ちなみに、成功どころか、実践する機会すら無かったのだが・・・・・・。

 だが、そうして注意深く観察していくことで、得たものが無かったわけでは無い。それは、飲食店を見るかなり厳しい観察眼を得る事に繋がったのである。

 そんな厳しい目で、店内を観察すると色々と解ることがある。店内は、六つの座席と五つのカウンター席があり、酒場としては中規模の店だった。

 しかし、営業時間が始まっているだろうにもかかわらず、店内は六人から七人の客しかおらず、閑散とした印象を受ける。そして、客のほとんどが干し肉や炒り豆等の簡単なつまみしか頼んでおらず、通常なら料理屋としても機能するはずであるこの世界の酒場としては奇異に見える。

 また、客層もほとんどが高齢者で、全体的に落ち着いたを通り越して枯れた雰囲気になっている。

(ここじゃあ、俺でも若造扱いだな。若い奴は入って来られないだろ、この雰囲気じゃあな。若い奴がいないんじゃ、消費も進まないし活気も出ない。ハンナには悪いが、このままじゃこの店長くは無いな)

 俺はそんなことを考えつつ、ゴードンを手伝ってエールと葡萄酒の納品を終えると、店の席を借りて一休みする。ガラガラなので、座り放題である。

 するとそこに、オットーが馬の世話を終えたのか戻って来たので、夕食がてら借りを返そうという話になり、三人は席を共にすることになった。

「とりあえず、エールでいいな」

 ゴードンが確認するので俺とオットーさんは頷く。まあ、この世界のエールは日本のビールと違って薄いし冷え方が足りないのだが、不思議と不味くは無い。ただ、仕事の後の一杯はキンキンに冷えたビールが最高だと思うのには変わりないため、何時か何とかしたいとは考えていた。

 反対も無かったので、ゴードンは何気なく、いつもの調子と言った風にハンナを呼び、注文をし出した。

「エールを三杯、それと食事も頼む。後はつまみに炒り豆もくれ」

 その瞬間、何故かオットーが驚愕に顔を顰める。明らかに顔に「しまった」と書いてある。それどころか、店内の常連客からも「え?」っと言う顔を向けられ、見渡すと慌てたように顔を伏せられてしまう。

どうも何かあるらしい。その間、注文を取り終えたハンナがどこか嬉々として、厨房へ戻っていく。

 姿が見えなくなったことを確認してから、オットーが慌てたようにゴードンに食って掛かった。

「ちょ、ゴードン、おめえまさかここで飯食うのが初めてとか言わねえよな?」

「いや、勿論そんな事無いぜ? ジルさんの料理は絶品だったしな」

 ゴードンは、きょとんとした顔をしている。何で責められるのか解らない。という顔だ。

「そりゃあ、いつの話だよ! 最近だよ最近。ジルが亡くなってからだ」

 オットーはゴードンの理解の低さに、危機感を覚えたかのように食って掛かる。

「ああ、その後か。なんか気まずくてな、ハンナも一人で切り盛りして忙しそうだったし、宿屋で済ませてたな」

「なんだと! く~俺としたことが、おめぇが知らないとはな、へたこいちまった」

「何があるんだ?」

 現状の異変を未だに察知できないでいるゴードンに変わり、俺は素早く聞いてみる。

「料理だよ料理、いや、あれを料理と言っていいものやら、とにかくここじゃ料理を注文するのは御法度なんだよ!」

「酒場でか? 普通は料理と酒を楽しむもんだろう? それが何で料理御法度なんてことになる?」

「お、俺もなんと説明したら良いのかわからねえが・・・・・・、とにかく出てきた料理は全部残さず食うこと、これがこの店の暗黙のルールなんだよ!」

「何でだ? 問題があるなら残せばいいだろう」

 俺は理解できず、怪訝な顔でオットーを見る。

「ハンナの奴が落ち込む。それもすごく落ち込んで、しばらく店を開けなくなる。ここは街で唯一の酒場だから、酒が飲めなくなる。そうすると常連が困る。だからこの街の常連は、ハンナが落ち込まなくて言いように料理を頼まないように避けているわけだ。そして、避けきれなかった奴は必ず全部くう。そういうルールになったんだ」

「常連じゃ無くてもか?」

「例外無くな。この街に来るのは商人や旅芸人と言った連中だからな。食わねえと、この街での仕事はねえぞと脅して、全部食わせてきた。逃がすわけには行かないからな、でないとこっちがとばっちりを食う羽目になる」

 俺は溜息をつきたくなった。どうやら逃げ場は無いと言うことらしい。

「そんなに不味いのか?」

「思い出すのも避けたくなる程度にはな、俺はあの味を的確に表現する事が出来ねえ。そんな言葉知らないからな」

 オットーは言い切る。一体どんな味なのか俺にも見当がつかなくなった。

 なんとも言えない、緊迫した時間が流れる。三人とも死刑執行を待つ死刑囚のような顔色だ。周囲の常連客も固唾をのんで見守っている感じだ。

 そんな空気を全く、一人だけ気づかぬ様子でにこやかなハンナがエールとパンを運んでくる。

 運ばれてきたエールやパンは、何処から見ても普通に見える。問題は、メインの料理と言うことなのだろう。

 三人は顔を引きつらせつつ、とりあえずエールで乾杯した。雰囲気的には、今生の別れをする前の儀式的なあれだ。

 ハンナは、そんな三人にさらなる爆弾を投げ込みながら、厨房に戻っていく。

「料理はあとちょっとかかるよ。今、腕によりをかけて作ってるから、もうちょっとだけ辛抱しておくれ」

 勿論、にこやかな笑顔も忘れない。最高の「お・も・て・な・し」をする喜びに満ちた笑顔である。

(もうその笑顔だけで、お腹いっぱいなんです!)

 俺はそう叫びたかった、他の二人も同様であろう。

 しかし、常連達の無言の圧力は半端ではなく、そんなことは口が裂けても言えそうに無い。ここで人間関係を破壊することは、今後に差し支えると嫌でも解ってしまうため、踏み出す勇気は無い。ゴードンとて大事な取引先に失礼なまねは出来ないだろう。

 無意識のうちに、死刑執行の同意書にサインしていたという訳なのだ。

(楽しい時間は過ぎ去るのが早いが、その逆は辛すぎるな。時が止まったように感じるぜ・・・・・・)

 身じろぎすら憚られる緊迫の時間が過ぎ去る中、とうとうその時間がやってくる。刻は止まってはいなかったらしい。

 ハンナが料理を運んでくる気配がして、先ずその臭いに圧倒される。

(え? ちょっと、なんで消毒液の臭いがするの? それも強烈な奴が、何処の野戦病院ですかここは!)

 常連がざわついている。聞こえて来るそれは「いつものやつよりすげえな」という、息をのむ声だ。ハンナの「腕によりを掛けて」は、誇張でも何でも無かったらしい!

「さあ、栄養たっぷりの野菜スープだよ。冷めないうちに食べておくれ」

 ハンナが三人の前に毒物を、いや料理を並べてくれる。

 見た目のそれは、何かの煮込み料理のようだった。木の深皿によそられたそれは、ゆらゆらと湯気を立て、謎の消毒液臭を発している。色は、限りなく黒に近い緑色だ。

「さあ、遠慮はなしだよ。あんたら疲れてそうだから、ハンナさん自慢の薬草を普段よりサービスしといたから」

 三人は恐る恐る匙を取り、その料理を皿からすくい上げる。匙も木製である為、かなり大きく加減がしづらい。予定より沢山掬えてしまうのだ。それに見た目以上の粘度が有り、まるで謎の『不定形粘性生物』のようだった。

 俺は、息を止めて、味を感じないようになるべく一気に飲み込もうとした。したのだが・・・・・・。

(うっぎゃあああ~)

 やばい喉が、喉が受け付けようとしない。危険物認定されたかのように、断固として拒否しようとする。それでも意思の力を最大限に発揮し、何とか無理矢理エールで流し込んだ。

 オットーがその味を表現する言葉を知らないと言っていたが、俺も似たようなものだった。それでも無理矢理に表現しようとすると次のようになる。

「正○丸を砕いてはっかと一緒に煮込みつつ、後味に家庭用洗剤の濃縮液を残すようなケミカリーな味」と。ついでに香りが鼻を抜け、目がしみる。劇毒指定間違いない代物である。

 なんとか、エールで後味を誤魔化し感想をまとめたところで、ゴードンを見る。

 すると、驚くことに無表情でパクパクと食べていた。

 え? 思わずガン見してしまう。何て根性ある男なんだ! と・・・・・・。

 しかし、よくよく見ていて気がついた。

(気を失って、白目をむきながら食ってる。だとおおお。記憶に残すのを拒否した結果か! そんな特技ずるいぞ、さっさと起きろ!!!)

 悔しさに、友を無理矢理覚醒させたくなるが、食事中にそんな真似をすればハンナに不審がられるし、本音を言えば自分も真似したかったがそんな芸当できそうに無い。

 覚悟をもって一気に飲み込もう、苦痛は短いほどよい。そう覚悟したその時、 ガッターンと、唐突に椅子が倒れる音がして我に返る。――オットーが泡を吹いて倒れていた。まさかの敵前逃亡、裏切りだった。



 まあ、そこから店内は大騒ぎとなり、結果として俺は残りの料理に手を付けるのを免れることが出来た。不幸中の幸いと言うべきなのかこれ。

 オットーは、幸い死んではいなかった。今は部屋の隅で顔を青くしながら介抱されているところだ。

 俺は流石に、放っておけないと思った。

 常連の皆様には悪いが、これ以上放置したら今に死人が出る。なぜならこの期に及んでも、まだハンナは自分の料理が原因だと気がついていなかったからだ。

 ハンナに悪意があるとは到底思えない。しかし、何をどうしたらこんな料理が出来上がるのか聞き出し、さりげなく方向修正を試みても問題無いだろう。俺は密かに、雑談に紛れた情報収集を開始することにした。

「――オットーさん大丈夫ですかね」

 俺は、いかにもオットーに原因があるかのように装いながら、ハンナに話題をふった。ちなみに、ゴードンは食べ終えるとそのままの姿勢で気絶している。器用な奴だ。

「ほんとだよ。まあ、ここに来る客はもうみんないい年だからね、いつお迎えが来てもおかしくないんだろうけど。うちの亭主もちょっと調子が悪いって横になったと思ったら、あっという間だったからね・・・・・・」

 そう言って寂しそうに語るそこには、旦那への愛情と常連客へのいたわりが感じられる。しかし・・・・・・。

(まさかこの料理が原因じゃありませんよね!?)

 そんな風に思ってしまった、それぐらい料理のインパクトが大きすぎたと言える・・・・・・。

「ハンナさんはずっとこの店を?」

「そうだねえ、二十五年になるよ。この店をジルが、ああ亡くなった亭主なんだけどね。ジルが始めたんだけど、そこに私が働きに来て、そのまま一緒になったんだよ」

「へえ、やりますねぇ、旦那さん」――これは、一見旦那を褒めているように聞こえるが、実は間接的にハンナを褒めるという高等テクニックである。その辺りをニュアンスにのせる。

「いやだよー、こんな年寄りからかって。昔は私も勝ち気がすぎてねえ、貰い手が無かったのさ。それなら自分の力で生きてやる、なんて強がって働きに来たんだけどね。そんなときにここでジルと出会って、まあ色々すったもんだしたあげくに、だったんだけど」

 ハンナは、若かりし頃を思い出しているのか少し遠い目をしているが、その表情に悲壮感は無く純粋に昔を懐かしんでいる様子だ。俺は頃合いとみて、肝心な事情に切り込んでいく。

「その頃から料理はハンナさんがされていたんですか?」

「いや、元々料理はジルの担当だよ。ジルは起用で何でもこなす人だったんだけど、唯一の欠点が話し下手って人でねぇ、接客が苦手なもんだから任せられなくって。でも、だからって私が料理下手って訳じゃ無いのさ、お互いにより得意な方を担当していただけなのよ」

「へえ・・・・・・、そうだったんですね。それじゃあ、旦那さんへも手料理をご馳走してたりなんか、したんでしょう?」

「もちろんさ、いつもはジルが作った店の賄いだったからね。そうじゃ無い日の、ジルの誕生日なんかには腕を振るったもんさ。ジルは喜んで、いつも無口なあの人が『不味い』なんて憎まれ口を叩きながら、残さず全部食べてくれたよ」

「いい・・・・・・、旦那さんだったんですね」

 解決策を、旦那の対処法に求めようとした俺だったが、聞けたのは妻への愛情に溢れる、一人の『勇者』の伝説だった。

(しかし、なんというポジティブな人なんだ。本人の『不味い』という訴えを、残さず食べたと言う結果を見て照れ隠しの言葉と受け取ってるとは。まあ、そう信じられるぐらい旦那に愛されていたんだろうな)

 俺は、常連客の気持ちがなんとなくわかってしまった。彼らは酒を飲むためと言いながら、ジルの意思を尊重してハンナを傷つけないように見守っているのだろう。

(それを壊す権利は俺には無いな・・・・・・。手がかりもないし、お手上げだ)

 諦めた俺は、エールを注文しハンナが離れた隙にこっそりと自分の分を未だに気絶しているゴードンの皿に移し、空腹はパンと炒り豆でごまかすことにした。

 エールを注いだハンナが戻ってきて、皿の中身を無意識に再び食べ始めたゴードンを見て「今日は大人しいねえ」と呟いている。そっとしておいてあげて下さい。

「ウートさんは、商人かなんかかい?」

 一瞬、その名前が自分名であることを忘れかけて、返事が遅れる。

「――ええ。いえ、違います。今のところは」

 慌てたので、変な回答になってしまう。

「それじゃあ、冒険者か何かかい?」

 どう答えたものか、迷う。ゴードンがいればその辺りをフォローしてくれたのだろうが、彼は今『勇者』修行の真っ最中であるからして無理なのである。

(この町に住むのに、へんな隠し事をするのは後々しこりを残すことになる。ここは正直に打ち明けて、協力を求めた方が賢いだろう)

 俺はそう計算すると、ハンナに事情を打ち明ける。

「実は、王宮に勤めていたのですがヘマをしまして、偉い人に目を付けられて居づらくなってしまったんですよ・・・・・・。そこで、この街に来てやり直そうと思いまして、ゴードンさんに頼んで連れてきて貰ったんですが、運悪く途中で盗賊に襲われたというわけです。当座の生活費も奪われたので、早めに働き口を探さないとだめなんです。ハンナさんは何処か良いところを知りませんか?」

 俺はなるべく声に悲壮感を込めず、やる気を感じられるよう明るく言った。

「まあ、お気の毒に・・・・・・。ちょっと待って遅れ、みんなに聞いてあげるよ」

 ハンナは同情する素振りを見せたが、それより必要なのは就職先だと気がつき協力を買って出てくれる。

「みんな、ちょっと聞いとくれ。ウートさんはこの街で働きたいらしいんだけど、なんか心当たりあるかい?」

 ハンナの呼びかけを聞いて、常連客達は、俺のテーブルに集まってくる。ざっくりとした事情を聞かれ、ハンナにした説明をもう一度繰り返す。

 彼らは、夜は大抵ここで飲んだくれているらしいが、昼間はどこそこの工房の親方だったり、商店のご隠居だったり、木工ギルドの幹部だったりと、この街ではそれなりの地位にあるらしい。

 そのコネクションを総動員して、あてが無いか探してくれる。――だが、中々適当なのが無いらしい。

 そもそも、この世界には徒弟制度があるので、滅多に転職する者はいない。そうなると、普通の就職先はそれほど多くは無いというのが現状である。

 しかも、それほど大きな街では無いので、日雇いの仕事等もあまり発生せず、空きは無いのだという。

(やはり、領主に頭を下げるか、居を移すしか無いかな・・・・・・)

 俺はどちらも気が進まなかったが、背に腹は代えられないと言うこともある。それに、ニートになるつもりは無かった。

(そもそも、家も無い、金も無い、生活保護なまぽも無い。じゃあ、ニート即死亡フラグだからなあ、そういう意味で、ニートは環境依存の存在なのか)

 イルゼ王女とヤンを煙に巻くために派手にニート論をぶちかましたが、状況が許せば自分もニートになる自覚が多少あるだけに、それほどニートに対する忌避感は無い。

ただその一方で、自信の状況を他者に委ねる気にもならず、自身の生活を維持するため働いているに過ぎなかった。天秤はその間を常に揺り動いている、と言える。

(このままじゃあ、ニートにすらなれずに野垂れ死ぬ運命だ、それだけは回避しないと)

 そう思っていると、ふと、常連客の一人でこの街最大の組織である木工ギルドの顧問をしているらしいマルセロ氏が、何かを思いついたらしく俺を見た。

「なあ、ウートさん、あんた料理は得意か?」

 その言葉に、常連客の顔に一斉に『!』が点灯する。そして俺も状況を理解する、ここから先は下手を打つことは出来ない。

「ええ、まあ。人に出したことはありませんが、そこそこ上手い自信はあります」

 簡単な自炊しか経験が無かったが、ここは嘘も方便。食べられるものなら問題無いというのは、ものすごくハードルが低い。練習すれば、少しはましなものも作れるようになるだろう。俺は、マルセロの提案に飛びついた。

「それなら問題無いな。なあ、ハンナさん。こいつをここで雇っちゃどうだい?」

「え、ここでかい?」

 ハンナは、マルセロ氏の提案に驚いたように問い返す。

「今はハンナ一人で全部切り盛りしなくちゃならなくて大変だろう? 俺たちは慣れているからいいが、せっかちな若いもんは待たされるのが嫌で足が遠のく。前みたいに厨房を任せちまえば、客も戻ると思うんだよ」

 流石は、木工ギルド顧問である。老獪な話術で、ハンナを傷つけないように客が来ない理由をごまかしている。その上、顧客増員迄ほのめかして籠絡しようとする。

(素晴らしい手腕だ、もっとお願いします)

 俺は心の中で喝采を叫ぶ。

 だが、ハンナが俺をちらりと見てから暗い顔をする。その様子だと、気乗りしないらしい。

「いやねぇ、雇ってあげたいのは山々なんだけど・・・・・・、そのね、王宮勤めをしていたような立派な人に、満足してもらえるような十分なお給料が出せそうに無いんだよ」

 ハンナは言い辛そうに顔を伏せる。このままでは、せっかく見つかりそうな就職先を逃してしまう。俺は必死だった。

「それでは、こうしましょう。一年間はお給料をいただきません」

 そう宣言するとハンナを含む全員が息をのんだ。これは就職先を確保する為の打開策であると同時に、一年間を修行期間に当てることを思いついたからだ。そうすれば、ある程度の失敗は許容される事だろう。

「そんな訳にはいかないよ」

 だが、ハンナは申し訳なさそうな顔をして断りを入れる。人を無給で働かせることに抵抗感が強いのだろう。しかし俺は、既にこの店に何としてでも就職するつもりでいた。チャンスというのは、逃したら二度と再び巡って来ないかも知れないのだ

「まあ、聞いて下さい。俺もこの仕事をやっていけるかどうかは、正直やってみないと解りません。ですから一年間は修行期間をいただきたいのです」

 俺は、チャンスを逃すまいと全力でハンナを説得にかかる。

常連客達は、その成り行きを、固唾を飲んで見守っている。自分達にとっても死活問題だからだろう。

「流石に、寝る場所と食事――これは賄いでかまいません――の面倒は、お願いします。そのうえで、二年目からのお給料は、売り上げを見て決めていただくと言うことでいかがでしょう?」

 俺は自信満々に迫り、最後の部分には懇願を滲ませてハンナに選択を迫る。ここまで言えば、経済的に断る理由は無く、人情的には断りづらいだろう。就職先を探すと最初に切り出した義理もある。

「本当にいいのかい? なんだか、私ばかり得をしているような気がするんだけど」

 ハンナは困惑しているようだが、嫌がっていると言うよりも本当に申し訳ないと思っているようだ。

「いいじゃないかハンナさん、本人がこう言っているんだ。それに本当に困っているみたいだからね、人助けだよ、人助け」

 マルセロ氏がなんとも絶妙なタイミングで後押ししてくれる。これから足を向けて寝られないな。

「本当にお願いします」

 俺は深々と頭を下げ、

「ここでダメなら路頭に迷う可能性が高いんです、一生懸命やりますから置いて下さい」

 ハンナはどうやら、自分の迷いが杞憂であると納得してくれたらしい。晴れやかな顔で言った。

「そうかい、そこまで言うならお願いしようかね。一人じゃきついのも確かだ、給料は大して上げられないけど生活の面倒なら見てあげられそうだし、そこまで言われちゃあね、断ったら女が廃るってものだろうよ」

 その答えに、俺は気色を満面に出し、再度頭を下げる。

「ありがとうございます。助かります」

 それは、本心からの言葉だった。



 その後、常連客達は我が事のように喜び――ある意味、我が事に違いない――、前祝いだと騒ぎだし、本格的な宴会が始まる。

 気絶していたゴードンも復帰し――すぐにトイレに消えた。

 俺は心の底から安堵していた。

 生きていくための小さな、ほんの小さな足掛かりを得たのだ。

 これを元に、少しずつ足下を固めていく決意をする。

(俺は、酒場の親父にきっとなる!)

 ――こうして俺は、酒場の親父をやることになったのだった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ