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酒場の親父は転生者  作者: 乱世の奸雄
酒場の親父は転生者 第一巻
6/51

とある街道の盗賊事情

 酒場で大騒ぎした翌日、早朝から青い顔をした男が二人馬車に揺られていた。

 二日酔いである。

 なぜ人は、そうなることがわかっていながら酒を飲む事を止められないのだろうか?

(まあ「命の水」とかいう人がいる位だからな。刹那の快楽に比べれば、未来の苦痛なんて考慮にも値しないってことだな)

 俺は、朝、出発前に宿屋で汲んでもらった水筒を取り出し、がぶ飲みすると残りをゴードンに差し出す。二日酔いには水分補給が一番いい。ゴードンもわかっているらしく素直に受け取ると、残りを全部飲み干してしまった。

 馬は、そんな二人を気にするそぶりもなく、せっせと歩みを進めている。

「今日もいい天気でよかったな」

「ああ、神に感謝だ。と言っても、この先森をとおるから太陽とはしばらくお別れだな」

 ゴードンの言うとおり、かなり先には鬱蒼とした森が姿を見せている。道はその中を続いているようだ。

「なんか、熊とかでそうなんだけど」

「ああ出るぞ」

 俺は冗談のつもりで言ったのだが、ゴードンは動じた様子もなく答える。

「大丈夫なのか?」

俺はとたんに心配になり尋ねた。

「まあ、今の季節なら食い物が豊富だからな。冬籠り前にたくさん食べなくちゃならないからそっちに夢中で襲ってくることは稀だ。それに、熊は意外と臆病で人の気配を避けるんだ。こっちからちょっかいをかけないかぎり、向こうの方が避けてくれるよ」

 特に気負う様子もなく答えるゴードンに、安心感を覚えた俺は熊への恐怖を薄れさせ、緊張を解いた。そういえば、元の世界にも熊よけの道具として「熊鈴」とかあったのを思い出す。

「森で一番気負つけなくちゃならんのは、狼だな。奴らは人を恐れないし、群れで攻撃してくるからなあ。ただ、今の時期は獲物が豊富で飢える季節じゃないし、元々この辺りでは毛皮目当てに狩られちまって、あんまり見かけなくなってる。その上、出現情報が出ると冒険者達がこぞってやってきて、みんな狩っちまうんだよ、いい金になるからな。だから安心しな 。ハハハ」とゴードンは豪快に笑う。

 狼の話に顔が引きつりかけた俺も、明快なゴードンの解説に納得し危険が少ないことに安堵した。そもそも、護衛も付けずに旅が出来ている時点で大きな危険は無いのだろうと踏んでいたが、ここまで特に危険な目にも遭わずに旅が出来ている。レーゼンハイム王国は王位継承権問題さえ無ければ、治安も安定し、そこそこ豊かで暮らしやすい国だとの印象を受ける。

 そもそも平民にしてみれば、雲の上の存在である貴族のさらに頂点に君臨する人々の内情など遠い異国の話に過ぎないだろうし、俺だって特殊な経緯――異世界召喚――が無ければ気にもしないだろう。庶民とは存外そういうものである。 

(そういえば、冒険者か。まだ出会ったことは無いが、リアル冒険譚とか胸熱だな。知り合う機会があったら、色々と話をしたいもんだな)

 俺は、身体能力ステータスが低すぎてとても勤まらないとヤンに教えられていたので、早々に冒険者を諦めざるを得なかったが、そこはそれ、重度のファンタジーオタクである俺が冒険者に憧れを抱かぬはずが無い。

 なお、この世界でいう冒険者達というのは、荒事専門の傭兵みたいな連中の事だ。

 稼ぎ方はいろいろで、怪物モンスター討伐の依頼を受けたり、危険な地域での採集を請け負ったりする連中もいれば、盗賊退治や商人の護衛、果ては戦争へ参加する連中迄いる。

 基本的には、金で命を売る特殊技能集団で、元は食い詰め者が多いとのことだ。貴族の三男以下や平民でも親の後を継げない者、逆に一攫千金を狙い進んで身を投じる者もいるらしい。

 世の中にはこうした者たちがどうしても一定数出てしまうから、その受け皿として存在し人々に受け入れられているのであろう。

 元の世界でも、元は任侠道を謳う極道組織があったのだが、やがてその精神は廃れ「暴力団」となってからは、堅気衆を食い物にして暴利を貪るようになり、法律の改正等によって年々勢力を衰えさせている。

共存共栄を忘れたが故に許容されなくなり、自らの「暴力」を過信したが故に堅気衆の団結力を侮ったのであろう。まさに「衆寡敵せず」本当に怖かったのは、堅気衆の方だったわけだ。

社会に溶け込めないものすら許容する社会から、許容しない社会へ変わりつつあるという事でもあるが、それを招いたのが自身であるから自業自得と言う他ない。

 また、この世界では明確な力を必要とする場面があり、警察力等の代わりとなっている場面も多く、人々から頼られ感謝される場面も多い。そのため、冒険者達は社会から受け入れられているとの自覚もあり、社会の一員として一定の歯止めが効いている。

この辺りが、元の世界とは大きく違う点かもしれない。そんなわけで、自身の力で世の中を渡っている集団が、冒険者達ということになる。

 そうこうするうちに馬車は順調に進み――ほとんどが優秀な馬任せだ――、森の入り口に到着したので、そこで小休止を取る。

 俺は、旅の間にすっかりなじんだ馬の世話を買って出て、手早く汗を拭いてやる。馬の方は、さも当然と言わんばかりに悠々としている。終わった後、マイペースに草を食みに行くのもおなじみの行動だ。

(何というか想像以上に良いものだな、馬っていうのも。俺も買いたいな。幾らくらいなんだろう?)

 俺は、自家用車を買う感覚辺りを想像して、ゴードンに訪ねて見ると驚くべき答えが返ってきた。

「ん~、金貨20枚位かな。もちろん値段はピンからキリまであるぜ、だけど商売に使うためには何より信頼性が大事だから妥協できない。欲しい奴を見つけても売約済みだったり、手が届かなかったり、色々と悔しい思いもしたけど、今となってはいい思い出だな」

(まあ、いい話。なんだけど! 金貨二十枚だと? 二千万ですよ、二千万、奥様~聞きまして? 見かけによらず、超ブルジョアじゃないですか~。イヤだ~、もう、惚れてしまいそうですよ!)

 俺は思わず脳内パニック症状を起こしつつ、現状把握を試みる。

(しかも、この世界にはローンなんて無いだろうし、生き物だから病気や怪我だってする可能性もある。つまり、即金でリスクの高い商品を買う購買力があるわけだ。そりゃ~モテる筈だよ。奥さん見る目有るわ。)

 俺は思わず尊敬の眼差しで、ゴードンを見る。決して、決して本当に惚れたわけでは無いのである。本当に。

 ゴードンは「イヤイヤ」と――照れ隠しだろう――、手を振りながら溜息をつくように言った。

「まだまだだって、王都で店を出すには色々金が掛かる。店舗だって最低でも金貨百枚は掛かるんだ。それだってめったに出ないチャンスなんだぜ。必要な時に必要な金を用意できて初めて一人前と言えるだろうよ」

(なるほど、熟練の旅商人らしい含蓄ある言葉だな。こいつは将来、大商人になるかもしれない。この出会いは大切にした方がいい。その意味でヤンはグッジョブだ、評価赤丸急上昇だぞ)

 本人がいないところで、まさかの高評価である。今頃くしゃみを連発しているかもしれない。

 その後、道は森に入っていき、まばらだった木々が段々と鬱蒼と茂って薄暗くなってくる。ゴードンによれば、この森は相当広大なんだそうで、一説によると耳長エルフ族の住む、大森林へとつながっているそうだ。

(いるのか、エルフ族。会ってみたいなあ。ディー○リッドさんみたいなのかなあ・・・・・・)

 ちなみに耳長エルフ族 は、大森林の奥に自分たち以外立ち入れない結界を張っており、他の種族との接触をほぼ完全に断っているそうで、ゴードンすら見かけた事も無いそうだ。非常に残念な事である。

 俺たちは小休止を終えると、森の中へと馬車を進めた。森の中と言っても道はしっかり整備されており、馬車の通行に関しては何の問題もない。

 ゴードンの商売は順調なようで、積み荷は大分少なくなっており、積荷はエールの大樽が二樽、葡萄酒の中樽が三樽、メセルブルグの領主に届ける極上葡萄酒の小樽(中樽の葡萄酒一樽で卸値が銀貨三枚なのだが、その半分の容量の小樽にもかかわらず、卸値は銀貨十枚なのだそうだ)が一樽、となっており、出発した時に比べると積載量は三分の一にも満たない。

 その為、馬の脚は軽くなっており、比較的軽快に進んでいる。

 ゴードンはこの後、メセルブルグで最後の商談を済ませ、王都に戻りながら各地で商品を買い付け、王都に戻って売り捌くのだそうだ。つまりは往路では卸売り、復路では買い付けをしながらの商売となる。

 馬車の輸送力を生かした、無駄の無い商売の様である。

「そろそろ野営にするか」

 ゴードンが、あたりを見回しながら宣言する。野営をするのに適した馬車を止める場所を探しているらしい。

「早くないか?」

「森の中は、暗くなるのが早いからな。明るいうちに準備をしておかないと面倒なことになる」

「なるほど」

 ゴードンは視界の先に適当な場所を見つけたらしく、馬に合図を送り、徐々に速度を緩めて馬車を止めた。

 ゴードンが馬車を止めたその場所は、少しだけ周囲が開けており、野営をするのにちょうど良い空間だと思えた。よく見ると、同様の野営をした跡があり、以前から野営場所として使用されているらしかった。

「ここで野営にしよう。ここからなら、馬の脚で明日の夕刻にはメセルブルグに到着するはずだ」

 ゴードンは馬車を降り、馬車と馬とを繋ぐ馬装を外しにかかりながら言った。

「了解。馬の世話はやるよ」

「おう、頼んだ。野営の準備は任せろ」

 俺は馬の世話を引き受け、ゴードンから手綱を受け取って、馬車から少し離れた位置まで連れてくる。皮の水筒から水を少し取り、布を湿らせてから堅く絞る。それを使って馬の体の汗を拭いてやる。馬も慣れたもので、俺の指示でも素直に従ってくれるようになった。まあ、ここまで来るのに五日かかっているのだが。

「終わったら、近くの木に繋いで飼葉をやってくれ」

「ん? 繋ぐのか?」

「ああ、夜に馬が怯えるようなことがあって、暴れて怪我するかもしれないからな。念のためだ」

「わかった」

 言われたとおり離れた位置に手綱を括り、荷台から飼葉をたっぷりと与えてやる。さらに時間があったので、仕上げとばかりにブラッシングもしてやると、心地よさそうに鼻を伸ばして身を委ねている。

 俺は馬にすっかり魅了されつつあり、何としても金を稼いで馬を買いたいと思うようになっていた。俺にしては大きな目標である。現代日本でいえば「二千万の高級車を買う」のと同義である。かなり大それた野望と言える。

 ゴードンは、街を出るときに買ってきた薪と、休憩中に拾っておいた石などで簡易的な竈を器用に作り上げ、その中に積んだ薪に火を付けると、馬車から降ろしてきた鍋に水を入れて火にかける。

 一度沸騰させてから、様々な野菜を小さなナイフで切りながら入れ、小さく切り分けられた干し肉と、小さな皮の袋から取り出した岩塩を入れ、そのまま煮込んでスープを作り出した。

 これぞ男の料理という大雑把な作り方だったが、朝一番に宿屋で買った黒パンを合わせれば、野宿にしては立派な夕飯の出来上がりだ。

 馬の世話を終えた俺も焚き火の側に座り、徐々に煮立ってくる鍋を見つめながら、ゴードンとたわいないおしゃべりに興じる。

 ゴードンは鍋をかき混ぜ、頃合いと見たのか野営用の皿にスープを取り分けてくれる。味見とばかりに一口飲んでみたそれは、俺の予想以上に美味であった。

 俺はゴードンの料理の腕前を誉めつつ、男の料理に舌鼓を打つ。

「なあ、ウーツは、メセルブルグで商売を始めるのか?」

 食べながら何気ない感じで、ゴードンは訪ねてくる。俺との初日のやりとりから避けていたはずの話題だった。

「実はまだ解らないんだ」

 俺は正直に答えた。

「解らない?」

 ゴードンは不思議そうに尋ねてくる。それはまあそうだろう、自分のことなのに解らないのは変な話である。しかし、一度ついた嘘は突き通さなければならない。その事に良心が痛む、ゴードンは良い奴だしな。

「前に話したとおり、王宮でヘマをやってお偉いさんの不況を買っちまったんだ。それで王宮にいられなくなったんで、コオロン様に泣きついて就職先を紹介して貰ったんだが・・・・・・、何分急な話だったもんでメセルブルグの領主様へ紹介状を書いて貰うのが精一杯でな。だから行ってみなけりゃ解らないんだ」

 俺の嘘にゴードンは「そうか」と、納得したように頷いている。

「どうして急にそんなことを聞いたんだ?」

 俺は逆に問い返す。

 ゴードンは、少し考えをまとめるように言葉を途切れさせると、自分でも答えを探すように首をかしげた。

「王都からここまで旅をする中で、お前とは色々な話をしてきたが、初めは何てものを知らない奴なんだと思っていたんだ・・・・・・」

「だけどな、話せば話すほど解らなくなってきてなあ。なんというか、結構色々な分野に引き出しがあるし、商売のコツみたいなのを解っている気もするし、もし商売を始めるなら結構成功するじゃないかという気がしたんだ。それなら今後も力になれるかなと、いや、正直に言えば、商人として儲け話の種にならないかと考えたわけだ」

 現役商人にここまで認められているとは思っても見ず、素直に嬉しく思ってしまう。褒められてその気になるのは俺が単純すぎるのだろうか? それに、商売の為だと協調してはいたものの、そこには少なくない好意を感じた。そして、そちらの方が何倍も嬉しく感じる。

「そうか、まもなく王都に進出しようかという大商人様に認められるとは、俺もまだまだ捨てたもんじゃ無いな。もし商売するようなことになれば、こちらこそ、是非ともお願いする」

 大商人という世辞には苦笑いだったものの、お互いの気持ちを確認し合って二人はどちらからとも無く手を差し出し、強く握り合った。異世界に来て、人生初の親友と呼べる奴になるかもしれない予感があった。

 お互いに少し照れくさくなり、食事の後片付けをして誤魔化す。

「少し早いが、寝るか。明日の朝はなるべく早めに出発しよう」

 ゴードンはさっそくマットを敷いて、寝る準備を始めている。  

「交代で寝るのか?」

 初めての野宿なので、勝手がわからず聞いてみる。

「いや、この季節なら暖は必要ないし、放っておいていいだろう」

 ゴードンは、既に寝る体制に入っていた。

 俺としても他にすることもないのでそれに倣う、ゴードンは旅慣れたところを見せて、たちまちのうちに寝入ってしまったし、俺も寝つきはすこぶるいいので、その後を追うようにすぐに寝入ってしまったのだった。



 ふと目を覚ましたのは、別に気配を感じたからでも、虫の知らせでもなんでもない。ただ単にもよおしただけのことだ。

 既に焚き火は消えかけており、かろうじて燠火が残っていたが、明かりとしては殆ど役に立たない。

 明かりの消えた夜の森は、真っ暗で何も見えない気がしたが、月でも出ているのか、それとも星明かりという奴だろうか、辛うじて木々の輪郭ぐらいは確認できた。

 現代人の俺は、小といえども寝ている場所に臭気が漂うのが気になったので、慎重にゆっくりと野営地を離れ、十分な距離を取った後、木陰に入り用を足す。

 この世界の衣服に、ファスナーなどという便利なものはついてない――開発できれば立派な商品になるが原理が全く分からない――ので、 その部分はボタンで代用されている訳だが、なんせ手元が暗い。手探りで何とかボタンを留めるしかなく、思ったより時間がかかってしまう。

 俺は飛びつつあった眠気に、もう一度気合を入れて寝なおすべく野営地に戻ろうとした。

「・・・・・・やめてくれ」

 その時、唐突にゴードンの声が聞こえてきた。しかし、普段の声とは全く違う弱々しい声だ。明らかに様子がおかしい。

 何か柔らかい物を殴るような音がして、その後にゴードンのくぐもった声が聞こえる。

「もう一人いたはずだ、どこへ行った」

 甲高く、粘りつくような不快な声だった。どうやら俺を探しているらしい。何があったかわからないが、寝具は二つ、人は一人。となれば、俺の存在はとうに奴らに知られていることになる。

 どうやら、脅されているらしいというのはわかるが、問題は奴らの正体だ。

 野営の明かりはとうに消えていたが、奴ら自身が持ち込んだ松明の明かりに、ゴードン以外に三人の人影が見えた。ゴードンは、痩せて背の低い男の前に膝をつき、腹を抱えて蹲っており、殴られ脅され、俺の居場所を聞かれているらしかった。

 残り二人のうちの一人は、見上げるような巨漢の男で、見るからに怪力を発揮しそうなタイプだが、巨漢に合った服がないのか窮屈そうに上半身に服を着ているものの、腹の部分が丸々外に飛び出している。下半身も膝から下が見えており、ズボンもボタンが留められずに紐で縛るという、凄まじく変な格好をしていた。

 また、その大きな体格に見合わず、肩を丸めるようにしており、視線をあちこちに彷徨わせてオドオドしているようにも見える。

 残る一人は、引き締まった体形をしており、他の二人と違い見かけ上も崩れた印象が薄い。

仕立ての良さそうな黒い服をきっちりと着こなしており、一見するとまともそうに見え無くも無いが、他の二人より目つきが鋭く、油断ならない雰囲気を放っている。その印象を俺の持っている表現で一番しっくり来る言葉で表現するなら「インテリヤクザ」と言うことになる。

 ちなみに先の二人に関する印象はもっと簡単で、背の低い方は「チビ」大きい方は「デク」となる。

(もしかして、盗賊なのか?)

 俺は経験不足から確証はないものの、どうやら盗賊らしいと気づく。チビは右手に抜身で反りある刀を持っており、俺はゲームの知識からシミターという刀を思い出す。

(どうすればいい? こんな森の中では助けを呼ぶ事すら出来無い。逃げるべきか?)

 俺は一瞬にして迷う。俺は荒事には向いていないし、慣れてもいない。出て行ったとして出来ることは何もないのだ。

 しかし、ゴードンが再び殴られそうになったとき、俺は条件反射で叫んでいた。自分でも驚くほど反射的に、・・・・・・だ。

「やめろ! やめてくれ・・・・・・、俺ならここにいる」

 俺は、両手を上げてゆっくりと奴らに近づいていく。

(怖ええええええええ、死ぬほど怖えええ)

 内心では震え上がっていた。情けないと言うなかれ、俺は勇者じゃない。ただの親父でしかないのだ。

 三人は一瞬ギョッとした様子だったが、俺の姿を認めると、チビが抜身の刀を下げたまま、怒ったような表情をして近寄ってきた。反対の手には松明を掲げている。

「どこに隠れてやがった」

 チビは俺の喉元に刃を突きつけながら、叫んだ。

「よ、用を足しに行っていた、だけだ・・・・・・」

 俺は、出来るだけ相手を刺激しないよう、声を抑えながら答えた。

 チビは俺の顔をジロジロ見ると、なぜか納得したように頷き俺の後ろに回る。

(なんだ? 顔を確認した? 初対面のはずなのにか? まさかヤンが裏切って殺し屋を差し向けてきたんじゃ・・・・・・)

 赤丸急上昇中だったヤンの株は、俺の中でストップ安を記録した。

「そいつの横に並べ」

 チビは、相変わらず耳障りなほど疳高い不快な声で叫ぶと、後ろから俺のケツを蹴り上げ、俺はたまらずゴードンの横に並んで膝をついた。自然と手が頭の後ろに回る。抵抗の意思は無い、という意思表示だ。

 ゴードンを心配して横目で様子を探ると、奴もこちらを見ながら驚いている。

(どうして戻ってきた、殺されるぞ)

 その顔にはそう書いてある。

(聞くなよ、俺にもわからない)

 素直に俺の気持ちを表現すると、そうなる。目でその意思を伝えると、ゴードンはつらそうに目を伏せた。気持ちを汲んでくれたのだろう、俺も泣きたくなる。

 その間、盗賊たちはインテリヤクザを残して、荷馬車を漁りに行っていた。

 俺とゴードンには、彼らをどうこうする力はなく、二対一の状況でもインテリヤクザ一人の相手すら出来ないだろう。

インテリヤクザは油断なくこちらを見張り、それでいて踏み込めば一気に攻撃出来そうな立ち位置を取りながらこちらの様子を伺っていたし、抜いてこそいなかったが、細身の直刀を腰に下げている。

 素人目にも、こいつが一番手ごわいとわかる。単にそんな気がするだけだが。

 やがてチビは戻ってくると、ゴードンの荷物を漁りだす。しかしそこにあるのは、大半が着替えや証書の類であり、現金の類はない。今は商売の往路であり、帰りにも商品を仕入れながら帰るため、旅商人の知恵として、現金はなるべく持ち歩かないとゴードンが話してくれていたので、それが解る。

 チビは、ゴードンの荷物を漁っても金目の物が見つからずに苛立ったのか、既に火が消えている野営の焚火痕に、鞄の中を丸ごとぶちまける。想像以上に短気な奴だ。

 そればかりか、手に持った松明の火で、燃えやすい衣服に火をつけ「これで見やすくなった、良い薪じゃねえか」と嘯いた。

 チビはすぐに俺の荷物も見つけ、無遠慮に手を突っ込み、邪魔とみるや同じように火にくべながら、漁っていく。

 俺は焦燥感に駆られたが、手出し出来るはずもなく、内心を覆い隠して目を伏せ黙っているしかなかった。これが現代の日本で、ただのオヤジ狩りなら俺も大声を上げて抵抗しただろうが、それだって他力が期待できると解っているから出来るのだ。

 やがて、チビは目的のものを見つけたとばかりに、ヤンから与えられた生活資金の入った革袋を取り出し、高々と掲げる。

「アニキ、ありやしたぜ」

 嬉々としてインテリヤクザに報告し、俺の革袋を放り投げる。

 インテリヤクザは両手で受け止めると、革袋の中身をざっと確認して、明らかに驚きと喜悦に顔をゆがめた。その顔は欲望で醜く歪んでいる。

「こりゃ~またとなく、良い獲物だったな」

 初めてインテリヤクザが口を開く。低くドスの効いた声で、チビとは比べものにならないほど威圧感がある。チビの声は、唯々不快なだけである。

「ほら~、言ったとおりでしょ、こいつらたんまり溜め込んでやがるんですよ」

 チビは妙に得意げだ。

 しかし、俺は会話の内容に違和感を感じる。襲われたときに一瞬ヤンを疑ったが、どうやらそれとは違うらしい。完全に金目当てのようだ。

 そうなると、何処か別の場所、この旅行中に目を付けられたことになる。同じ宿屋に泊まっていたなら見覚えがあるはずだが、心当たりは無い。となると、思い当たるのはルーデンブルグの酒場位だ。酒に酔って気が大きくなり、派手に金を使いすぎたのかと気がつく。こっそりとゴードンの様子を伺うと、同じような結論に至ったらしく、しまったとでも言うように顔を歪めている。

 なんとかこの窮地を脱するべく交渉の糸口を探すが、こういう手合いは暴力が通用する場面では手に負えない。いくら交渉を進めても、自分たちが不利になれば暴力で容易く状況をひっくり返してしまうだろう。

 チビは、銀貨だけでは飽き足らなかったのかしつこく俺の荷物を漁り、ついに、俺の生命線である紹介状の入った木箱を見つけ出す。金目の物と思ったのか、木箱を開け、高そうな布を見て期待に目がギラギラと輝く。しかし、布を取り払った中身はただの羊皮紙である。それに気がつくと、当てが外れたのだろう、途端に渋面になり、つかみ上げた。その際、先に包まれていた布を懐に押し込んでいる。金になると踏んだのであろう、大した浅ましさである。

「アニキ、なんか変な物を持ってやすぜ」

 チビは羊皮紙の手紙を持って、インテリヤクザに近寄っていく。

 インテリヤクザはそれを見て、手紙の中身を確認する事も無く一瞥すると、俺たちをにらみつけた。

「こいつは何だ?」

 中身を確認しなかったところを見ると、文字が読めないのかもしれない。そして、それを部下に知られるのを嫌ったように見える。どうやらインテリヤクザは買いかぶりだったようだ。

「王宮からお預かりした、め、メセルブルグ男爵へのお手紙だ。お届けするよう言われている。そのお金もな」

 俺は、少しでも交渉の材料にならないかと考えて、メセルブルグ男爵の名前を出す。この地域の領主の名は、盗賊達にとっても無視できないだろうと考えたのだ。つまり領主の名前を出して、奴らをビビらせたかったのだが、予想もつかない反応が返ってきた。

「フン、それなら何も気にする必要はねえな。いいから燃やしちまえ」

 チビは、嬉々としてその命令に従い、俺の大事な手紙を火に投げ込む。良く乾燥された羊皮紙は、それでも若干火に抵抗してから、耐えきれないように火を放ち、真っ黒に炭化していく。同時に俺の未来も閉ざされていくようで、目の前が真っ暗になる。

(なんてことしやがる。てめぇらの血はなに色だ~~~~!)

 俺は、この世界に来て二度目の血の叫びブラッドボーンを心の中で上げる。多分、顔色は真っ青に青ざめているだろう・・・・・・。

 しかし、解せない。

 領主の名前を出せば多少の歯止めになると思ったのだが、歯牙にもかけないとはどういう事だ?

 こいつらは領主を恐れるどころか、端から問題ないと、決めつけてかかっている。それはインテリヤクザの様子や、チビの様子から見ても間違いない。

 身分制度が確立している時代において、平民が貴族をないがしろにしていると言っていい。こいつらがアウトローだからなのか? しかし、それにしても大胆すぎる気がする。

(考えられる可能性は二つ。こいつらが、現領主の弱みを握っている。もしくは、現領主など問題にならないほどのバックがいる。このどちらかじゃないか?)

 そんな考えが頭をよぎる。

どちらにせよ、ますます窮地に陥ったと見て間違いなかった。

 貴族である領主すらないがしろにするような連中だ。平民である俺たちの命なんて、銅貨一枚程にも価値を見いだせないに違いない。

 殺されるかもしれない。

 そう思うと、心臓はドンドンと音が聞こえてきそうなほど、激しい鼓動を打ち始める。

 全身のバランスが崩れ、体が小刻みに震えだす。送り込まれる大量の血液に耐えきれず、体中が不調を訴え、背中には冷や汗が伝う。

(どうして? どうして? どうして・・・・・・・・・・・・)

 頭の中はさっきから同じフレーズが延々と繰り返されるだけで、まともな思考をしてくれない。

――その時、突如天空から一条の光が差し込み、そこから、全身に黄金の甲冑を纏い、全体を炎に彩られた剣を持つ美しい天使が舞い降り、俺たち二人に微笑むと、その手に持つ断罪の剣で敵を薙ぎ払った。

 などという、異世界ではよくありがちな、一流のラノベ作家たちが巻き起こす奇跡は、俺の前には表れなかった。理不尽は理不尽のまま存在し、命は容易く失われる。それが現実だった。

(隠れているべきだった)

 正直なところ、そう考えてしまう。考えなしに行動した結果が、八方手詰りの状況を生み出したのだ。

 しかし、出来なかった・・・・・・。

俺が出て行かなければ、俺を探し出すためゴードンに暴力を加え聞き出そうとしただろう。最悪の場合、俺の目の前で殺されていたかもしれない。

 もし、そうなったらと考えると、俺には隠れていることは出来なかった。

 そうやって、一人生き残ったとして、

何とか、この世界で職を得たとして、

仮に、普通の生活が出来たとして、

親しい、知り合いが出来たりして、

万が一、家族を持てたとして、

――その時、俺はふと思うだろう「俺は卑怯者だ」と。

 そして絶望する。

自分の心の醜さに、卑しさに、浅ましさに。

 そこに幸福な暮らしはあるだろうか、自分を許せる日は来るだろうか。

 もちろん、咄嗟にここまで詳細に考えられたわけではないだろう。

だが、咄嗟だからこそ、人は自分のこころが正しいと感じる行動を自然と選び取ってしまう。

 災害などで、他人を助けるために命を落とす人がいる。後からそれを知れば、「なんで逃げなかったのか? まずは自分の命が優先だろう」俺だってそう考える。それが自然で、当たり前のことだからだ。

 だが咄嗟だからこそ、異常な状況に置かれているからこそ、人はそうしてしまうのだ。

 こころが求めてしまうのだ、そうしたいのだと。

 自分のこころに正しくありたいのだと。

 だから端から見れば馬鹿でも無茶でも危険でも、己のこころに誇り高くあろうとするのだと、俺は思う・・・・・・。

 俺は、次第に心が落ち着いていくのを感じていた。

 悪く言えば、諦めたのかもしれない。自分の命を。

 善く言えば、覚悟を決めたのだ。自分のこころに正しくありたいと。

 しかし自分はいい、この世界では天涯孤独の身だ。だが、ゴードンは違う。帰るべき家があり、愛すべき妻がいる。この親切で男前な未来の大商人を、何としてもここから無事に逃がさなければならない。

 それにはまず、意識を俺に向けさせる必要がある。そう考えた。

「なぜです? そのお金を奪えば、御領主様のお怒りを買いますよ。すでに連絡も届いているのですから」

 俺は、最大の疑問点の解消と盗賊たちの注目を集めるため、憤った声を上げる。突然の俺の逆襲に、デクだけがビクリと想像通りの反応をしめすが、インテリヤクザとチビは顔を見合わせて、事もあろうに大笑い始めた。

 二人はひとしきり大笑いしたあと、ようやくと言った風情で笑いの発作を収め、インテリヤクザは目じりの涙を拭って見せ、馬鹿はこれだから困ると言う風に、両手を広げてお手上げの格好を見せながら俺を嘲笑した。どうやら、何か俺の知らない、重大な事情を知っている。そんな風だ。

 俺はこの世界にまだ疎い、そういう事もあるだろうと思うが、その為に命を失うとなれば、せめてその理由を知っておきたかった。なぜって? もちろん俺の後に続く、異世界への旅行者のためにだ。先達は後進に、道を示さねばならないからだ。

「まあ、馬鹿なお前らには特別に教えてやろう」

 そのまま無視されるのかと思ったが、どうやら乗ってきた。話させるだけ話させて、情報を引き出すとしよう。それに、長い時間会話をするのにも意味があった。

 ストックホルム症候群という現象がある。本来現象と称するのはおかしいのかもしれないが、俺からはそう見えるので、そう呼称する。その現象を簡単に説明すれば、人質事件などで長い時間、緊張状態の中で共に過ごした犯人と人質が、お互いに共感しあうという現象だ。

 共に過ごす。というのは、多くの言葉を交わし、会話するという事でもある。少なくとも意識を共有する時間が発生する。また、インテリヤクザが俺たちにものを教えるという立場に立つ事で、即席だが教師と生徒の様な関係が成り立つ。インテリヤクザは先ほどの手紙の件を見ると、文盲なのを手下に隠したがっていた、自分が出来ないことがあることを知られるのを嫌ったのであろう。つまりは、自己を過大に見せたがっており、それゆえ賞賛欲求が強いタイプと思われる。

 ここは、素直に話を聞いてやり、その話に打ちひしがれてやれば、自身の絶対的優位性を確信し、俺たちを殺す価値も無く、自身の優位性を際立たせる者と感じるかもしれない。

そうなれば、殺すのを惜しむ気持ちも湧くかもしれない。

 淡い期待だが、今は何も縋るものが無い。「溺れる者は藁にも縋る」の心境だ。

「簡単な話だぜ、馬鹿なお前らには特別に教えてやるけどよう。ここの御領主様はなあ、現王妃のお父上って奴だ。そして、現王妃様は第一王女に組みする王国中の貴族を敵にまわしちまってる。だからここのお父上って奴も、王国貴族の鼻つまみもんなんだよ。だから、ここの領地から一歩出ちまえば、誰も俺らの捕縛に手を貸すやつはいねえのよ」

 インテリヤクザが得意げに御高説を披露する。その様子は、鼻高々というやつだ。しかし、その言葉は俺に予想以上のダメージを与えた。

(ヤンのクソヤロ~! そんな大事な話を黙っていやがったのか!!! 王位継承問題から逃げ出したつもりだったのに、真只中じゃねえか! 今のピンチもつまりは、巡り巡ってアイツのせいだ!)

 まあ、若干は八つ当たりも混ざっているのは認めよう・・・・・・。しかし、黙っていて良い話ではないはずだ。

 インテリヤクザの話が正しければ、メセルブルグ男爵はフレデリカ王女陣営にとっては政敵の実父となり、最重要かつ要注意人物のはずだからだ。

その人物の下に、本来隠しておきたいはずの俺を送り込めば、拙い事ぐらいわからないのか?

(バレ無い。とでも考えたのか?)

 そうだとすれば俺は、ヤンの、グレーテル王妃陣営の見通しの甘さに愕然とする。

(俺なら絶対に味方したくない。案外、人材がいないのか? 貴族階級がすべて敵だという事は、知識階層のほとんどが敵という事だからか・・・・・・)

 俺は、あまりの衝撃にガックリと肩を落とした。新天地に向かおうとしたら、そこに行く船はドロ船だった、という気分だ。

 そんな俺の打ち拉がれた姿に、気分を良くしたのだろう、インテリヤクザの御高説はまだ続く。

「それになあ、ここの御領主様は本当に無能なのよ。そりゃそうだよなあ、たまたま自分の娘が王様の目に留まっただけで、地方の貧乏貴族がいきなり大領主様になったわけだ。勝手が判らねえうえに、他の貴族様からは遠ざけられて、何も教えて貰えないと来たもんだ。今じゃあ面倒事を避けてお屋敷におこもり、狩猟遊び位しかやってないんだぜ」

 俺は、もうショックを通り越して呆れ返って投げ出したくなった。「なんだそれは」と言いたくなる。

 ガックリとこうべを垂れ、両手を地面につく。

「だから、たとえお前らが訴え出たとしても、絶対に動かないと断言できるぜ」

 止めを刺された。もうどうにもならん。

 盗賊大勝利! 盗賊大歓迎! 絶賛略奪御奉仕中!!! そんな感じだ。

 そりゃあ、こいつらが大笑いするわけだ、やりたい放題じゃないか・・・・・・。

「ククク、わかったか?」

 インテリヤクザが自説の正しさを確信するように語り終え、チビがお追従を言っている。俺たちに向かっては、まるで自分が成した事のように胸を張っている。虎の威を借る奴だ。

「まあ、少しは賢くなっただろうから、人生の授業料だと思って諦めな。俺たちはもう行くぜ、追って来なけりゃ命までは取らねえ、殺しは面倒になるからな」

 インテリヤクザは自分語りに飽きたのか、何気ない口調でそう言うと撤収の用意を命じている。

 それを聞いて、俺の全身を安堵がつつんだ。奴らがこちらを殺すつもりがないことを知ったからだ。ゴードンも同様であろう。

 奴らは馬車ごと奪おうとしているらしく、チビが馬の手綱をほどいて馬車に繋ごうとしている。馬はゴードンの相棒だ、出来るなら助けたい。だが、殺さないと言ったとしても抵抗すれば別だろう。その時は容赦するとは思えない。

 腸が煮えくり返る思いだったが、それはゴードンとて同じ気持ちだろう。いや、それ以上なのは間違いがない。こぶしを強く、真っ白になるまで握りしめ、歯を食いしばっている。

 人生は理不尽の連続だ、今夜はその集大成だ、だが、命があるだけまだましだ。この時の俺はそんな風に考えていた。

しかし、今夜は、理不尽を好物とする運命の女神は残虐なその本性を露わにし、まだ満腹には遠かったらしい。

 チビが、やっとの事で馬車近くまで馬を引っ張ってきていた。しかし奴は馬の扱いが下手なのか、単に慣れていないのか、それとも乱暴に扱っているからか、いつも大人しいゴードンの馬は、明らかに嫌がる様子を見せている。

それも当然と言えば当然かもしれない。深夜に起こされ、見たこともない男たちの姿に怯えていただろうし、あまつさえ乱暴に扱われるとなれば。

そう、簡単に言えば、馬は愚図っていたのだ。馬に対する敬意を欠く、チビの扱いに。

 その抵抗に業を煮やしたのか、チビがさらに乱暴に馬を扱った。そして、手に持った松明の火を、不用意に近づけさせすぎた。馬にしてみれば、当然の防御行動だったであろう、それも反射的なものだ。

 前足を跳ね上げ後ろ立ちになると、前脚でチビを激しく蹴りつける。驚いたチビは、松明を取り落とし、無様にすっころんだ。

「な、何しやがる」甲高い声で叫ぶ。

 だが、先ほどより鼻の詰まったような声になっている。

チビは、自分の顔面を恐る恐る触ると、その手にベッタリと血がついているようだ。それをワナワナと、手を震わせながら見つめている。

 馬の方は、インテリヤクザが流石の反応を見せ、手綱を押さえて落ち着かせようとしている。しかし、馬は依然として興奮した様子で、前脚で空を切る動作をしたり、インテリヤクザに噛みつこうとしたりしている。インテリヤクザも距離を取って躱しているが、落ち着かせる事が出来ずに手こずっている様子だ。

 それを、俺とゴードンもハラハラと見つめるしか無い。

 その時、チビがいつの間にか立ち上がっていた。

 俺はその姿に、胸騒ぎに似た嫌な予感を覚える。

 チビは、普段インテリヤクザをアニキと立てて追従して生きている。それはインテリヤクザを自分より強く、優秀だと認めてそれに従っているわけだ。そして自分はその威を借り、周りの者を自分より下位として扱うことで、プライドを保っているのだろう。

 俺は、そのこと自体、別段おかしな事だとは思わない。チビが極端にそう見えるだけで、皆似たようなことをしているからだ。例えば、大企業の人間が、自分より年配の下請け業者の社員に居丈高に振る舞う様や、社宅などで役員の妻が、部下の妻に対して横柄に振る舞う様は、何処にでも当たり前に見られる日常風景の一部だ。

 本人達は自分の力と考えているかもしれないが、相手にしてみれば滑稽なだけで、彼らが頭を下げているのは背後にある企業や役職者に対してだ。だから、そんなことにいちいち目くじらを立てていたら、社会ではまともに暮らして行けなくなる。彼らは風景と同じだ。そんなふうに考えている。

 なお、職務を遂行しているだけの場合や、本人にはそのつもりが無い場合もある。だから結局は、自分を客観的に見てその行動が自分に相応しいかどうか、その自覚があるかどうかだと俺は思っている。

 チビにしてみれば、強い者に従うのは当然のことで、その威を借り振るう力は自分も同然だと考えているだろう。また、自分もそうしているのだから他人もそうすべきで、強い者に逆らうなど許されることでは無い。だからそんな自分に従わず、ましてや傷つけられることは、自分の存在を全否定されたも同然となるだろう。奴は相当怒り狂っているはずだ。

 また、先ほどから短気な面を見せつけており、何をしでかすか解らない危なっかしさがある。矛先がこっちを向けば、最悪の事態を招きかねず、俺は嫌が応にも緊張せざるを得なかった。

俺は、ゴードンに目で合図を送る。もしこちらに矛先が向かうようなら、全力で逃げ出さねばならない。

 俺達に都合がいいことに、一番厄介なインテリヤクザが馬の方に気を取られていて、そばから離れている。チビも素早やそうであるが、馬に気を取られていることも有り、スタートダッシュを決め込めば仲間と離れてまで追ってこない気もした。

 ゴードンも理解しているのか、小さく頷く。そして、二人でいつでも逃げ出せるように腰を浮かし身構えた。

 しかし、世の中には計り知れない行動を取る奴がいる。どんなに解った気になっても、それは単なる予想に過ぎず、その内面の全てを知ることは出来ない。予想は単なる想像に過ぎず、起こってみなければ未来は正確な形を取らないのだ。

 チビは抜き身のシミターを右手に持ち馬の後ろに立つと、いきなり大上段から馬の左後ろ脚に切りつけた。

 一瞬、俺は何が起こったのか解らなかった。想定外の出来事過ぎて、理解できなかったのだ。そしてそれは、俺だけの話では無かった。

 ゴードンも、そしてインテリヤクザさえ、呆然とその出来事を見ているだけであった。

 だが、当然のごとく、切りつけられるという凶行を一身に受けた馬だけは違っていた。

 信頼していたはずの人間に裏切られ、傷つけられた。

 俺は、そのとき初めて、その馬の嘶きを聴いた。

 甲高く、悲しげであったことを、その後、長い間忘れられなかった。

 嘶きと共に後ろ足で立ち上がると、その場から逃げ出すように走り出す。インテリヤクザも驚いて手綱を手放していた。

 俺とゴードンは、思わず馬を追って走り出していた。

 逃げ出したのでは無い。

 人間に裏切られた馬を、助けたかったのだ。そこに他の感情の入る余地は無かった。

 あの優しい生き物を、旅の仲間を、相棒を助けたかった。唯それだけの為に我を忘れて走り、その姿を必死で追いかけた。

 後に残された盗賊達の事など、意識する余裕さえ無かった。

 俺とゴードンは必死で走った。鍛え方が違うのであろう、ゴードンはどんどん先へ行っていたが、俺は暗闇の中、森の中を走る道を必死で辿り追いかける。

 不摂生に鈍った体は言うことを効かず、心臓は過去最速の鼓動を刻むが、肺は仕事をさぼり酸素を取り込むのを拒む。

それでも足を止めず、必死になってどれくらい走っただろうか? 既に肉体の限界は超えていた様に思う。

 それに気がついたのは、当然先行していたゴードンで、俺はゴードンの姿に気がついたからそこに立ち止まっただけだった。

 森の中の道は、その場所で左へと緩く弧を描いており、その曲がり始める場所は森との境に僅かな落差を生じさせていた。

 その落差の先、森の木々に寄り添うようにして、それは横たわっていた。

 暗い森の中、それに気がつけたのは、それがまだ生きていたからだろう。必死で、生きようとしていたからだったろう。

 ゴードンは立ち尽くし、受け入れがたい現実に呆然としているように見えた

 一度は、別れを覚悟していたのだ。こぶしを握りしめ、別離の悲しみに耐えた。手元を離れても、誰かに売られてどこかで元気に働いているだろうと、思うことも出来ただろう。万が一、奇跡が起きて、買い戻すことさえ出来たかもしれないのだ。

 しかし、目の前の理不尽な現実は想像の余地も許さず、ただそこに泰然と存在し続けている。

 俺は現代日本に生まれ、特に縁も無かったから馬と触れ合ったことは無かった。この世界に来て、初めてこの気高く優しい生き物と触れ合ったのだ。だから、馬に関する知識なんてほとんど持ってはいない。精々が、テレビで見た知識や本で読んだ知識で、真偽のほどすら解らないものばかりだ。

 だが、紛れもなく事実と解っていることもあった。知らない方が幸せだったのかもしれないが、残念ながら知っていた。

 俺は思う。元来、知ると言うことに意味は無いのだと、そこには知識があるだけなのだから。ただ、物事を知り、その結果として生じる感情に、人間は意味を見出すのだ。

 ゴードンの前に横たわる馬は、体の下敷きになった左前脚を歪な方向に歪めさせ、残った右前脚で弱々しく宙を掻いていた。

(立てなくなった馬は、助からない)

 それどころか、苦しみながら死んで行くのだと言うこと迄、俺の腐った馬鹿な脳みそは覚えていた。肝心な事はすぐに忘れてしまうのに、どうしてこんな事を覚えているのか、どうせならもっと役に立つ知識であの場を切り抜けられなかったのか、そもそも、あんな場面を引き起こさぬよう、立ち回る術を覚えていなかったのか、押し寄せてくる問いには全く答えてはくれなかったのに。

(こんなクソッタレな事だけは、しっかりと覚えていやがって・・・・・・)

 悲嘆と絶望に暮れ、怒りで沸騰しそうな自分の感情に振り回されそうになるが、この非現実的な出来事をやけに客観的に冷静に見ている自分もいて、その自分がゴードンにやらせるのは酷すぎる。そんな義務感を俺に突きつけ、俺は辺りを見回し、森に分け入る。

 目的に沿いそうな、地面から真っ直ぐに生えた若木を見つけ、ポケットにしまってあった食事等で使うための小さな折りたたみナイフを取り出す。そして、若木の適当と思われる部分の皮に切れ目を入れ、ぐるっと一周させる。同じ物をすぐ下にも入れ、切れ目を縦に繋ぐように入れると、その部分の皮を剥ぐ。

 皮を剥いだ部分に、出来る限り切れ目を作ると、全体重を掛けてへし折っていく。

 格闘の末、そうやってなんとか若木をへし折ると、手元には、一本の真っ直ぐな木が残る。

 枝を落とし、適当な太さのところで削り、先端を尖らせていく。自分がやろうとしていることを思えば、気の重い作業だった。だが、やらねばならないと感じていた。あの優しい生き物をこれ以上苦しめるのは、裏切り以外のなにものでも無かった。

 やがて、目的のものが完成する。槍というのもおこがましい、ただの木の杭だ。

 俺は、それを持って二人の元へ戻る。

 ゴードンは、相棒の横に座り込み、ずっと謝り続けていた。馬はゴードンにとって、家族で有り、信頼できるパートナーだったのだ。

 俺は、即席の杭を持ち、ゴードンのそばに立った。

「心臓の位置、解るか?」

 俺は出来る限り平坦な声を出すように努め、いっそ冷血に思えばいいと思った。俺は奴の家族の命を奪おうとしているのだ。

 ゴードンは、止めてくれと言うふうに俺を見上げたが。再び視線を落とし、震える手で、両前脚の間辺りを指さした。

 出来れば苦しめずに殺してやりたかったが、自信など全く無かった。あるわけが無かった。

 手は震え、何度もくじけそうになる。

 まだ生きていて、苦しそうだが息はしているのだ。

 だが、現実的で冷静な自分が、それが最善であることを俺に強いた。

それは、命を奪う感触だった。

 馬は、暴れなかった。

 その体力すら、残っていなかったのかもしれない。

 肉を突き破る嫌な感触の後、最後にピクリと身を震わすと、そのまま動くことは無くなっていた。



 俺は知らないうちに泣き出していたらしい。気がつくと、大声で泣き叫んでいた。ゴードンの奴も泣いていた。

想像してくれ、いい年した親父が二人で号泣する様を。

 滑稽だろ? 可笑しいだろ? 笑えるだろ?

 でもそんなことどうだっていい。

 あいつのために泣いてやるためなら、体裁なんぞくれてやる。何とでも思えばいい。

 やがて、泣き疲れてへたり込む。言葉も無く、放心して、何も考えたくなくなる。

 だが、簡単に死ぬことは、命を奪ったものに対する冒涜だ。生き残った者は、必死で足掻いて生き続ける義務を負う。

 目的なんかどうでもいい。でも、生きていかなくてはならない。生きていくべきだ。

 俺は、立ち上がった。

 強引に、ゴードンの腕をつかみ歩き出した。

 だが、思いついて立ち止まり、そいつの元まで戻ると、おもむろにナイフを取り出して鬣を一房切る。それを自分のポケットに突っ込み、もう一房切ると、ゴードンの手に押しつけた。

 ゴードンは、手のひらのそれをしばらく見つめていたが、歩き出した俺に追いついてその横に並び、一緒に歩き出した。

「すまなかった」

 ゴードンはぽつりと言った。

「何のことだ?」

 俺はとぼけた。

「本当は、俺がやらなくちゃいけなかった。代わりに辛い思いをさちまった」

「俺は、冷静な第三者だから出来ただけだ。おまえの立場なら出来なかったさ」 

 俺は嘯く。散々泣いた後じゃ、締まらない事ったら無いが。

「そうか・・・・・・。ありがとな」

 ゴードンはそう言って、空を見上げた。また、涙をこらえているのかもしれなかった。

 空は、うっすらと色付き初め、夜明けが近いようだった。

 俺は、無性に話したくなってしまった。この男に隠し事はしたくなかった。

「なあ・・・・・・、聞いてくれるか?」

 ゴードンは何を? と聞き返さなかった。

 俺はポツリ、ポツリと異世界に来た経緯を語り始めた。

 ゆっくりと、メセルブルグに続く道を二人で歩きながら、時間を掛けてゆっくりと、幸い時間だけはたっぷりとあるのだから。


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