<間話>とある魔術師(メイジ)の家庭教師(かてきょ)事情
ヤンは歩き慣れた廊下を、急ぎ足で王宮の外へと向かっていた。
いつもであれば仕事を終え、翌日の段取りを整えながらのんびりしている時間だが、今日は当分ゆっくりできそうにない。
これから屋敷に帰り、魔術師協会会長を務める父親に会い、報告と相談をする予定だった。
「急がないと」
思わずつぶやく。先に連絡をして多忙な父の予定を変更して貰ったのだ。時間に厳格な父の機嫌を考えると、のんびりしているわけにはいかなかった。
それに、本日の出来事は、早急に他者を交えず直接父に報告する必要があると感じてもいた。グレーテル王妃派のブレーンを務め、フレデリカ王女派と渡り合っている父親に隠していて良い情報ではないし、早急に手を打たねばならないことも多い。
益々足を速めながら、すれ違う顔見知りの歩哨に軽く手を上げて挨拶を送る。
城下との行き来もすでに慣れたもので、考え事をしながらでも容易く辿ることが出来るようになった。
父の命で、イルゼ王女の家庭教師兼護衛役を務めるようになって半年ほどが経つ。だが、はっきり言って終始振り回されっぱなしの毎日だ。
今日の召喚儀式にしても、いつの間に準備をしたのかヤンは全く気が付かなかった。
家庭教師兼護衛役であるヤンは、彼女のスケジュールをほぼ把握している。それにもかかわらず、全く気付かせずに準備を行ったイルゼ王女の手腕には恐れ入るが、どうせならその才能をもう少しましな方向へ発揮してもらいたい。そう嘆息する。
彼女は間違いなく魔術の天才である。齢五歳にして魔術の素養を開花させると、11歳の現在では既に上級魔術の習得へと足を踏み入れている。
召喚魔術もそのうちの一つで、先日ヤン自身が手ほどきをしたばかりなのだが、魔力容量の問題があり実践は困難なはずであった。
(あんの親バカが、あんな装備を用意していたとは、迂闊でした・・・・・・)
外部に漏れれば不敬罪は免れえぬ罵声が脳裏をよぎる。なぜなら、親バカの親とは国王その人の事であるからだ。
しかし、事情を知れば百人が百人、親バカと認めるであろう。
それというのも、イルゼ王女の装備していた杖、ローブ、帽子を総額にすると、金貨千枚という途方もない金額になるからだ。一品一品が準国宝級の価値を持つ魔法の装備なのである。
ちなみに、ヤンの俸給は年間金貨二十枚であり、決して安くはない額なのであるが、その五十年分ということになる。
その馬鹿高い装備のおかげで何倍にも引き上げられた魔力容量が、不可能を可能にし、困難なはずの召喚魔法を成功させてしまったのだ。
ヤンが発見した時にはすでに、召喚儀式の終盤に差し掛かっており、止めると危険が伴う状態であったため止めることは困難であった。
ヤンとしては儀式の失敗を望んでいたのだが、やはりイルゼ王女は天才なのだろう、本人の意図したような人物ではなかったかもしれないが、儀式自体は成功させてしまったのだから・・・・・・。
儀式によって現れた人物は、一見すると冴えない何処にでもいそうな中年の男性であった。
イルゼ王女は、自分が思い描いた理想とは余りにも違うその風貌に愕然とし、失望し、怒り狂っていた。まあ、イルゼ王女の要望を満たすような人物は、彼女が隠れて読んでいる少女向けの恋愛小説の中にしか存在しないということだろう。本人は気づいていないが、理想を取り込みすぎてもはや人格の体をなしていないと言うことでもある。
最初はヤンも「どこかの平民を誤って召還したのだろう」と思っていたのだが、会話を交わしていく内に、その印象がとんでもない誤りであることに気がついていた。
実は、イルゼ王女自身にも話していないことなのだが、先祖代々魔術師の一族であるコオロン家には、一族のみに伝承される秘匿された魔術がある。
ちなみに、秘匿された魔術自体は珍しいものではなく、魔術とは本来研究し編み出した魔術師に属するものであるため、それを他人に伝えるかどうかも個人の判断に委ねられる性質のものである。
その一方で、魔術師は軍事力としての側面があるため、適正を持つ個人へ魔法の力を広めることは、所属する国だけで無く魔術師全体の利益にもなるという考えから、戦闘用の魔術など、その存在が広く知られている術式については公開し、魔術師の門戸を広げることも行っていて、魔術師協会等はその代表的な存在だといえる。
だが、魔術師達というのは本来、秘密主義の権化と言っていい人々である。自らが編み出したり、一族のみに伝わったりしているような魔術は枚挙に暇がなく、その多くが秘匿されたままとなっているのだ。
それは、才能ある人々に広く魔法の力を広める目的で設立された魔術師協会において、そのトップである協会長を担っているコオロン家においてさえも例外では無いのだった。
そして、そんなコオロン家によって秘匿されている魔術と言うのは『感情感知』という特殊な術式である。
それは、人の感情を視覚化することによって、対人調査において術士に大きな判断材料を与えるという術式である。
しかも、術式の対象が自分自身であるため、余程のことが無ければ相手に気づかれることなく行使することが出来る。
魔術の素養がある者には魔術を使用している痕跡に気づく者もいるが、魔術師は通常から何らかの魔術を行使していることがごく自然な存在であり、痕跡だけではその術式の内容まで読み取られることは無いと言って良い。
この魔術により、コオロン家の魔術師達は対人スキルが異常に高く、交渉や駆け引きに強い。その結果、魔力などでは特筆すべき存在では無いにもかかわらず、魔術師協会の中では重職を歴任しているのだった。
(まあ、そもそも魔術師達は研究者肌の人間が多いですからね、研究以外のことに時間を取られるのを嫌っていますし、むしろ率先して面倒事を引き受ける我が家は奇特な存在と思われているのですが・・・・・・)
ヤンは、内心で苦笑と共にそう呟く。一般人から見ると、奇特どころか異常者にすら見られかねない魔術師達。その中にあってさえ異質なコオロン家という存在は、果たして一周回って正常となるのだろうかと考えてみたりする。
だが、すぐにその考えを脇に追いやり、その日起きた出来事を反芻し始める。父親への報告には、何よりも正確さが求められるからだ。
コオロン家の秘匿魔術、ヤンもコオロン家の魔術師としてこの魔術を受け継いでおり、しかもそれをほぼ常時常駐させている。イルゼ王女の護衛役として、害意あるものの判別や不意打ちを防ぐためである。
そのため、異世界からの召喚者についても、その特殊な術式で油断無く観察することが出来ていたのだった。
(時折、強い怒りは発していましたが、恐ろしいまでの自制心で押さえ込んでいました。一瞬害意を向けられましたが、呪文で攻撃を受けたと勘違いしたせいでしょう。それすら一瞬で押さえ込んでいましたし、一体どんな精神修行をしたらあれほどの自制心が身につくのか・・・・・・)
その時点で、ヤンは驚きを隠せなかった。秘匿魔術が無ければ、絶対にその感情の大半を見破れなかったであろう。正直言って、その時点で相手にのまれたと言って良い。もし当の本人が聞いていたら「現代の日本でクレーム対応していたら嫌でも身につきますよ」と答えただろうが・・・・・・。
流石に戻れないと聞いたときはショックを受けていた様子だったが、それすら『感情感知』が無ければ見抜けたかどうか、ヤンは今ひとつ自信が無い。
もし自身が同じ境遇であったら、あそこまで自制し抑制した態度をとれるだろうか?
「難しいでしょうねえ・・・・・・」
ヤンは、小さく首を振りながら自嘲する。
イルゼ王女の突然の逃走にも、ヤンはとっさに対応することが出来なかったが、彼は怒りを見せることも狼狽することも無く、師匠が遙かな高見から弟子を見るような感心した素振りと、ヤンへの労りと同情に似た感情が示されており、ヤンは自身の醜態を思い返すと赤面の至りだ。
帰れないと知ったその後も、ショック状態を長引かせることはせず、自身の置かれた状況を把握するため、ヤンに的確な質問を浴びせ続けた。その内容は非常に濃く、この世界の歴史、地理、政治、経済とあらゆる分野に及び、驚くほど短時間で吸収していった。
正直その内容をイルゼ王女に叩き込もうと思ったら、半年はかかるのでは無いかと思う・・・・・・。
「優秀な生徒への教示は、自ずと熱がこもるものだ」
そう授業で語って嘆息していた、過去に教えを受けた教師の言葉が重い出される。まさにこの事なのであろう。
ヤンが一つ懸念していたとすれば、異世界に無理矢理召喚された猛が、状況を把握するなりフレデリカ王女陣営に駆け込む事であったのだが、まるでそんな内心を見透かしたように実利を取る提案を行い、彼自身にとって最大の利益を得る事で復讐するつもりの無い事を示し、懸念を払拭させた。
そればかりか、今後の連絡手段を残すという提案で、関係改善の糸口さえある事を示してきた。
ヤンとしては、これは本当に願っても無いことでもあった。出会ってわずか半日しかたたないが、それまでに見せた自制心、状況判断能力、情報分析力、そして交渉力。どれも驚くべきものであった。
ニートと言う謎の職業の件や、異世界の召喚者ということが無かったのならば、父に推挙して陣営に迎え入れたいと思わせるほどの人物であった。
「しばらく距離を置いて様子を見ましょう。時が経ち、この世界の人物としての実績が出来れば、或いは登用のチャンスもあるかもしれません。それまでは存在が露見しないように色々と手を打ちましょう」
父に相談するあれやこれやを脳裏にまとめていく。自分でも驚くほど的確で、詳細な計画だ。
今日一日、猛と語り合った結果、脳が活発化しているらしい。思考法の影響を受けている様にすら感じる。自身で自覚するほどの変化を短時間で成し遂げるほど、猛との会話は濃密な時間だったのだろう。
(これは益々手放すわけにはいかなくなりました。王女も偶には良いことをすると言うことでしょうか)
自身でも驚くほど不遜な考えが浮かぶが、それすらも何故か当然と感じる自分に驚きながら、ヤンは自宅への道を急いで行った。




