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神通力の消失

 近くには他にもカラフルで可愛い美少女フィギュアなどがたくさん置かれていて、これはこれで興味深い。

 しばらく視線を彷徨わせていると、彼女が聖闘士星矢から離れた。

 店の奥へ進もうとするのを捕まえ、「PS3買っちゃおうよ」と声をかける。

 ここは長居したくなるほど楽しい場所でもない。


 それに、気付くのが遅れたが、こうしてうろついているのも、彼女なりの照れ隠しかもしれなかった。

 ゲーム機が置いてあるのは、レジの隣にあるガラスケースの中だった。

 その前へ彼女を連れて行き、好きな色を選んでもらう。黒と白の二種類があった。

「黒!」

 彼女は元気よく決めると、続けて言った。

「ホントにいいの?」

「うん、誕生日おめでとう」

 値段は二万九千八百円。

 僕にとっては高い買い物だが、この年齢で恋人の誕生日に贈るものとしては安い。


 近くの店員さんを呼ぶ。

「すいません」

「ヘイ、いらっしゃいませ!」

 店員さんが満面の笑みで元気よく応対してくれる。

 僕はこの店員さんから、二つの衝撃を受けた。

 一つは彼が外国人であったこと。

 中国人か韓国人か知らないが、微妙な訛りを聞くまでは、日本人だと思っていた。

 もう一つは、その笑顔だ。

 こんなに朗らかで誠実そうに見える笑顔、他では見たことない。

 一朝一夕で身に付くものではないだろう。

 もしかしたら、今の日本人には無理なのかもしれない。

 成田の店員は日本人ばかりだが、どんな種類の店でも、笑顔さえ向けられた覚えがなかった。

 仕事に対する真摯な姿勢が本来の性格を変え、この笑顔を作り出しているのだろう。


「三つ子の魂百まで」などと言うが、人の性格は日々変わっていくのが真実だ。

「態度」というような一時的な変化のみならず、長期的な成長と経験の過程でも変化し続ける。

 誰でも過去を振り返ってみれば、嗜好や物事の捉え方が変わっていることに気付くだろう。

 多かれ少なかれ。

 性格が不変だと思い込むのは、過去に起きた変化を認めるのは容易いのに対し、同様の変化が未来にも起こり得ることを認識するのが難しい為だという。


 人の性格は変わる。

 僕の性格は、薬と治療で変わった。

 先生は時偶、こんな事も言った。

 丸くなった背中をゆったりと椅子にもたらせながら。

「どこからどこまでが、その人本来のものなのか、この線引きは難しいんだよ」

 当時の僕にとって、自分の性格の不都合な部分は、すべて病気のせいだった。

 先生の言っている事は、よく飲み込めなかった。

「君は笑顔が出せるから、これ以上薬はいらないんじゃないかな?」

 この意見には、断固として反対したものだった。

 病気に関する本を読み、症状が治まっていても少ない量を服薬し続けるのが、安定への新しい知見だと知っていたからだ。

 薬の副作用も無かった身の上としては、この治療法を強く支持した。

 そのようなやり取りの後、先生は必ず「私は薬嫌いなものでね」と、笑っていた。


 先生の危惧はある意味正しかったが、僕の選択も正しかったと思う。

 僕の性格は穏やかなものへと変わっていき、どこまでが生まれ持った本来のものなのか、それはわからなくなっている。

 しかしもう、年中いきり立ってるような小人には戻りたくなかった。

 病気による混乱が治まれば、頭の回転は通常運行に戻るし、手先も器用になる。

 ここまで来るのに十年かかっていた。


 薬物の作用で性格が変化する事には、ネガティブなイメージがつきまとうだろう。

 だが、どのみち、人の性格は変わりゆく。

 それならば、クオリティ・オブ・ライフ向上の手段として、現代医学の恩恵を喜んで享受するべきだろう。


 病気が悪化していった過程でのトラブルなどで、昔からの友人など一人もいなくなっていた。

 ネット上であれリアルであれ、今いる友達はすべて、薬と先生のおかげで出来たと言ってもよかったし、今ではこうして、とうとう恋愛のとば口に立つことまでが可能になっていた。


 ハイであろうとローであろうと問題じゃない。

 安定しているかどうかだ。

 心の安定が強さを備えさせ、強さがあれば、この目の前の店員さんのように、見事な笑顔を浮かべられる。

 そういうものだろう。


 僕は店員さんの笑顔に向かって言った。

「このPS3の黒いヤツください」

「ハイ! お買い上げ有難うございます!」

 店員さんはきびきびと動き、ケースの中からゲーム機を出そうとした。

 その背中に追加の注文をする。

「別売りのHDMIケーブルもください」

 この別売りケーブルでテレビに接続しないと、PS3本来の綺麗な画質を楽しめないのだという。

 自分用に購入する予定はまだなかったが、その程度の知識はあった。

「ハイ! 有難うございます!」

 店員さんはケーブルも一緒に取り出し、僕たちをレジに案内する。

 お金を取り出していると、隣から彼女が礼を言ってきた。

「ありがとーう……」

 照れているのか、変に間延びした言い方だった。

 その顔からはむくみが取れ、数週間前の天使が戻っていた。

 ここまであからさまに態度が変わると、かえって可愛げがある。


 精算が済むと、店員さんは大きな紙袋の取手を僕に向けてきた。

 しかし彼女が、「アタシ持つから!」と手に取る。

 一応、確認のために聞いてみた。

「大丈夫か? かなり重いぞ」

 ゲーム機の箱はそれ一つだけで、大きな紙袋をほとんど一杯にしていた。

 重量もそれなりにあるだろう。

 それでも彼女は「大丈夫、大丈夫」と、自ら運ぶ事を選んだ。

「じゃ、これも持ってって」と、ポイントカードも彼女に差し出す。

 わざわざ作ってもらったものの、僕が使う機会はなさそうだった。

 彼女の財布が、また少し膨らむのかもしれない。


「有難うございました!」

 元気のいい声を背中に受けて、僕たちは出口に向かった。

 完全に機嫌を直した様子の彼女は、身体を傾けながら、よろよろとPS3を運ぶ。

 しかし、出口の階段の上で、ぴたりと動きを止めた。

 横に並び、何事かと顔を向ける。

 彼女はこちらに目を向けず、真正面を見据えたまま、ぼそりと呟いた。

「ちょっと持ってて」

 あれだけ威勢よく自分で持つと言っておきながら、まさか五メートルで音を上げるとは思わなかった。

 しかたない。

「ちょっと」の間では済まない事を承知の上で、僕は紙袋を引き受けた。

 ずっしりとした重さは三キロくらいか。大きさは嵩張るが、男なら苦にならない。

 そうして僕たちは店を出て、再び雑踏の中に入り込んだ。


 真冬のさなかだが陽射しが強く、寒さは和らいでいる。

 正午を過ぎ、人出が一層増えているようだった。

 店を後にするなり、衝動が思わず口をついて出た。

「そろそろちょっとタバコが吸いたいな」

「じゃ、こっち」

 彼女が方向を定めて歩き出したので、例のごとく半歩遅れて付いて行く。


 歩みを進めていると、すぐ異変に気付いた。

 来た時と違って、とても歩きにくいのだった。

 人混みの中に飲まれてしまう。

 人の数が増えたせいもあるだろう。

 それだけじゃない。本質的には違う。

 現在上機嫌の彼女が、歩きながら絵を描いてくれないからだった。

 今この場には、人々が忌避するカジュアルなクレイジーさはなかった。

 僕たちはありふれた二人組であり、人々がわざわざ遠巻きにする理由もない。

 僕たちも人混みの中では、その構成要素の一つにしか過ぎなかった。


 辟易しながら人の波間を進んでいくと、彼女が立ち止まった。

「すごい混んでるけど、どうする?」

 目の前には、またしてもドトール・コーヒーショップがあった。

 他に場所を知らないのかとも思ったが、確かにドトールならタバコを吸える。

 しかし、行列ができる程ではないにしろ、店内は満員御礼、ぎっしりと人が詰まっていた。

 僕は人混みに慣れていない。

 こんな大きな荷物を持って、あの中に入っていく気にはなれなかった。

 僕は落胆しつつ返事をした。

「やっぱり、いいや……」

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