表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/10

ドトールで山場

 暗澹たる気分で一度電話を切り、僕は意味も無く周囲を見回した。

 意味も無く、だ。

 

 誰かに「助けてくれ!」と縋ったところで、どうにかなるものでもなし。

 この寒い駅頭で放ったらかしにされてしまったら、僕には行くあてが無かった。

 東京見物をする気にもなれない。

 僕はもともと旅行などを楽しめるクチではなく、あても無くぶらぶらすることが苦痛な質だった。

 このままでは、何をするでもなく成田に直帰するしかない。それも困る。

 

 仕方がないので、彼女に再び電話をかけた。

 今度は何か反応があるまで粘るつもりだった。

 その決意とは裏腹に、意外と早く彼女に繋がる。

 ほっと安堵したものの、事は滑らかに進まなかった。

 スピーカーからは、もごもごもにょもにょと呪詛めいた呟きが聞こえてくるばかり。

 彼女なのは確かだが、何を言っているのかさっぱりわからない。

 明らかに寝起き直後だ。

 僕は一方的に言うしかなかった。

「おはよう。今、こっちに着いたから」


 しばらく間が開いてから、彼女は答えた。今度は聞き取れる。

「……じゃあどっかで時間潰してて」

「この前のドトールで待ってるから。ゆっくりでいいよ」

「わかった……」

 これで電話を切った。通じてしまえば簡単なものだ。


 今日どこへ行って何をするかは、彼女も承知している。

 池袋のビックカメラへ行って、PS3というテレビゲーム機を誕生日プレゼントとして買う。それがメインイベント。

 あとはそこそこのお値段がする店で食事でもしよう。

 僕の目論見はそんなところだった。


 一安心して電話をコートのポケットにしまった。

 店へ向かって歩き出そうとしたところで、しまったばかりの電話が鳴る。

 彼女からだった。

 まだ着信には慣れてない。

 僕は慌てて、ぎこちなく通話ボタンを押した。

「もしもし……」

 彼女は前置きもなく、唐突に切り出した。

「午後からじゃなかったの!」

 先ほどまでとは打って変わって、シャキッとした怒りを含んだ非難の声だった。


 そんなことを何故今更言われるのかわからないが、僕は弁明する。

「午前中には着くって言ったんだよ」

「だからって早すぎない?」

「十時には店が開くからいいかなと思って」

 彼女は大きく溜息をついてから言った。

「わかった。待ってて」

 電話はそれで終わった。


 空は青く晴れ渡っていたが、心象的には暗雲がかかり始めた。

 このような言ってもしょうがない文句を、わざわざ言わなければ済まない心理も理解できる。

 しかし、普通なら表に出さない。

 彼女の不機嫌の要因はなんなのか。自分の晴れの日だというのに。

 こっちこそ溜息をつきながら、僕はドトールへ入っていった。

 コーヒーとタバコが必要だ。


 店内に漂う芳しい香りに幾分癒される。

 僕は一番大きいサイズのブレンドを注文した。

 たっぷり一時間は待つことになるだろうと予想してのことだった。

 それでも構わない。

 すぐに出てきた特大のカップを持って、奥の喫煙席を目指す。

 座ってタバコが吸えてコーヒーも飲めるなら、一時間なんてどうってこともない。

 それに、今なら電話でツイッターも出来る。

 暇つぶしには持ってこいだ。


 店はけっこう繁盛していて、二人掛けの小テーブルはすべて埋まっていた。

 僕は七人掛けの大テーブルの端に座るしかなかった。

 まずはタバコを一服すると、コーヒーの香りと相まって、楽天的な気分が蘇ってくる。

 結局、彼女は寝起きでちょっとへそを曲げていただけなのだろう。

 少しすれば、誕生日デートということでめかしこんだ、可愛いカーゴ・リリィが現れる。

 僕は無邪気にそう思っていた。


 タバコの後、コーヒーを啜り、電話を取り出す。

 通話が目的じゃない。ツイッターをするためだ。

 電話をネットに繋ぎ、不器用なボタン操作で、こう入力した。

「彼女の最寄り駅なう。化粧待ちなう」

 ツイッター上で繋がっている創作仲間たちは、みんな今日のことを知っている。

 創作仲間には主婦もいたし、無職者もいたし、職場から一日中ネットを覗いている者もいた。

 まだ正月休みという者もいただろう。

 平日といえども、こうツイートしておけば、誰かが暇潰しの相手をしてくれるはずだった。


 誰かが返事してくれるのを待つ間、一旦ネット接続を切った。

 この日、相手をしてくれた人はいたが、僕がそれに返事をするのは何時間も後になる。


 僕が二口めを啜ろうとカップを持ち上げたとき、背後から声がかけられたのだった。

「ちょっと……」

 怒りを押し殺したような、重量感のある女の声。

 振り向けば、そこにカーゴ・リリィが立っていた。

 僕の時間感覚が一瞬混乱する。

 先ほど電話を切ってから、まだ十分経ったかどうかというところだ。

 彼女の家がどこにあるのかはまだ知らないが、それにしても早すぎる。

 だが、現実として彼女はそこに立っていた。

 どのようにしてこれだけ早く着いたのかはわからなかったけど、彼女の姿は一つの真実を証明していた。

 省けるものは省いてきた、と。

 髪を梳くのも、化粧をするのも、誕生日の服を選ぶのも端折った。

 顔を洗ったかさえ疑わしい。


 僕に会うために急いだのだろうか。

 彼女の纏う雰囲気は、そうではないと語っていた。

 僕は理屈で考えようとした。

 彼女は人を待たせることに苦痛を感じる質なのかもしれない。

 僕のためというよりは、自分のエゴを優先させた結果なのだろう。

 そんなふうに考えたものだったが、今にしてみると、感情の発露に理屈ばかりで考えても意味のないことだった。

 彼女は機嫌を悪くし、省けるものは省いてきた。徹底的に。


 数週間前の天使はどこに消えたのか。

 髪は寝癖そのまま、頭から直角に飛び出し、むくんだ顔に化粧っけは無い。

 黒いミリタリージャケットに茶色いコーデュロイのズボンを着け、大きく膨らんだズタ袋的なバッグを肩から下げている。

 この前とほぼ同じ服装だ。いや、むしろ悪くなっている。


 僕はもう「常識」というものの曖昧さを受け入れているつもりだった。

 人というのは同じ国に住んでいてさえ、それぞれ異様だと。

 それでも予想外の衝撃だった。

 もう少し身なりを整えないと、僕なら外に出られない。


 とはいえ、僕もいい歳だ。素直に驚き叫ぶこともない。

 受けた衝撃からなんとか立ち直り、僕は努めて軽い調子で言ってみた。

「君も一杯どう?」

「一杯って……」

 彼女は怒気含みの震え声を出し、一重の瞳で僕を睨みつける。

 迫力があった。その恫喝が滲みだす眼差しには見覚えがある。

 これは……朝青龍の眼だ!

 あの大横綱の!


 彼女は痩せている。

 顔も細面だが、人相において太っているか痩せているかの印象は、鼻より下の肉付きで決まるという。

 言い方を変えれば、彼女のように痩せていても横綱の眼を持てるということだった。

 僕はつばを飲み込んだ。

 鋭い眼光に物怖じしていると、彼女はいきなり踵を返した。

 カウンターへ向かう。

 不平がましい態度を取りながらも、素直に注文をしに行くのは可愛い。

 僕は暢気にそんなこと考えていた。

 彼女の姿を目で追いながら、ほっと一息をつく


 再びコーヒーを啜ろうとカップを傾けた。

 直後、驚きで指の力が抜け、カップを落としそうになる。

 彼女はカウンターを素通りし、まっすぐ外へ出て行ったのだった。

 躊躇が無い。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ