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日常への帰還

 僕は回復した。統合失調症から。


 診断名をつけてくれたクリニックの診察券は、平成十五年に作成されている。

 今は平成二十五年。

 悪あがきの中に、少しずつ光明が差していった十年だった。

 狂気の海を十年かけて泳ぎ切り、こちらの岸に戻ってきた。

 雫を落として立ち上がり、振り返ってみれば、

狂気というものは理路整然としたものだった。

 何を感じたかというその発端と、論理的または感情的な思考の末の、

その発露の結果が異常だっただけだ。


 狂気とはこんな感じだった。

 赤の他人に突然「うるさい!」と言われれば腹が立つ。誰でもそうだろう。

 その声が幻で、自分以外の誰にも聞こえないものだとしても。

 自分にとって現実ならば。

 偽りの現実に捕らえられることが、狂気の入り口だった。

 その後の行動は、人として常識的に取り得るものだったはずだ。

 ただ入り口が常人とは違っていたために、出口も別次元に通じていた。


 多くのトラブルを起こし、奇行の果てにどうにか生き残った。

 それも昔の話だ。

 嵐は過ぎ去った。

 今はもう幻聴など聞こえない。

 幻聴はなかなか取れないものらしいので、僕は幸運だったと言える。

 不幸中の幸い。知覚の正常化。

 処方されたリスパダールという薬は、僕の脳内物質にバランスをもたらし、

生活に平穏を呼び戻した。


 ダメージは残ったかもしれない。

 側頭葉の傷んだ細胞は死んで洗い流され、たぶんちょっとした穴ぼこが開いているだろう。

 それでも問題ない。

 ニューロンは新たな結合をして理性の通路を作り、僕に正気をもたらしてくれた。

 物静かで理性的な態度。

 確実に現実を把握する能力。

 健康な人には当たり前の感覚。

 僕はそれを再び身につけた。

 

 だが、統合失調症においては精神の平板化、

感情鈍麻という状態に陥ってしまう人もいる。

 病気によって感じ過ぎた神経が焼き切れてしまったような、無感動状態だ。

 僕のように人並みの受け答えができる場合、物静かで理性的な態度と、

精神の荒廃した無感動状態は、外から見た限りでは区別がつきにくい。

 だから、主治医の先生は偶にこんな質問をしてきた。春を迎える季節になったりすると。


 齢八十近い先生は、目尻に皺を寄せて、にこやかに尋ねてくる。

「暖かくなってきたけど、君さ、桜の花なんかを見て、綺麗だなーなんて思うかい?」

 僕は正直に答える。

「はい」と。


 青空を背にして、堂々と咲き誇る満開の桜は美しい。

 夏の空、遥かな高みに居座る入道雲も美しい。

 秋、木々の葉が舞い落ち、枝の広がりが明らかになっていく様も。

 寒風の吹く寂れた通りに流れ聞こえてくる、仕舞い忘れられた冬の風鈴の音も、物悲しくて好きだ。


 僕には残された。

 美しさを感じる心が。

 だが、さらに高次で複雑な脳の機能はどうだろう。

 人と人との関わりあいなど、もっと複雑な事柄を処理する機能は、どこまで戻ったのか。

 例えば恋愛感情などはどうなったのだろうか。

 多くの若者が、本格的な恋を知る時期に精神の変調をきたし、統合失調症を発病する。

 恋愛感情はそれだけストレスフルな、脳にとって込み入った機能だ。

 自分一人だけの中では完結できないものだから、他者と関わり、その反応を吟味して、より多くの情報を処理しなければならない。


 僕は再び恋をすることができるだろうか。

 僕の脳はその負荷に再び耐えられるようになっただろうか。わからない。


 先生は時偶、こうも言った。

 薄くなった白髪を撫でつけながら。

「早くさ、結婚しちゃいなよ。どんな相手でもいいからさ。共働きならなんとかなるよ」

「いやー、でも相手がいません……」

 僕はいつものように苦笑いで答える。


 この時点で僕は、回復してからまだ恋愛感情を抱いたことはなかった。

 いちおうの仕事はあったものの、時給九百円じゃ相手を養えない。

 そういう経済的な尻込みもあったし、職場には孫もいるような高齢の女性しか居なかったのも事実だ。出会いがない。


 状況を悪くさせる要素は他にもあった。

 僕はもう四十歳になる。その年齢だ。

 病気が悪くなるのと良くなるのに、青春を使ってしまった。

 この歳にもなると、僕の脳に恋愛感情を抱く機能が残っているのか、確かめるのも厳しい状況だといえよう。


 それがリアル。

 世の中、「リアルとネットの違い」などという言葉が耳目を引くようなった。

 インターネットを利用していれば尚更だ。

 確かに「リアル」と呼ばれる現実世界と、インターネット上の広がり「ネット」とは違う。

 そこに居る人々の佇まいというものが。

 リアルで四十過ぎの中年男性が、ネット上では十代の女子高生を演じ続ける場合もある。

 そういう極端な変身者の生活を除いたとしても、リアルとネットでは人々の有様が違う。

 ネットを通しての間接的な接触は、人の寛容さを引き出す。


 リアルで少女に声をかけたら通報されてしまうような身の上でも、ネット上ではその少女と楽しげに会話することが出来る。

 もっともその少女が、リアルでは僕と同い年の中年男性という可能性はある。

 相手が本物の少女であろうとも、中年男性であろうとも、本質は変わらない。

 リアルでは接しようもない人間同士が、ネットでは容易く繋がることができた。


 匿名性を利用した攻撃的な面々が揃う場所があるかと思えば、匿名性を排除して気さくに話し合えるような場所もある。

 何より、同好の士が見つかり易い。

 同じ町内には居なくとも、日本全国という規模で探せるネットでは何十人も見つかる。

 彼女とも、そんな具合にネットで知り合った。同好の士として。


 若いころから僕は本を好み、また物語を書いていた。

 それも歳を重ねるごとに不自由になっていった。

 次第に読み書きが困難になっていく不可思議が、統合失調症の発症によるものだとわかったのは、病魔が炸裂した後になる。


 常軌を逸し、医者の世話になるようになったが、治療が始まってからも、五年はノンフィクションの本しか読めなかった。

想像力の必要な小説は、読んでもまったく頭に画が浮かばないような状態だった。

 それでも諦めずに薬を飲み続け、身体を動かして働き続けたのが功を奏したらしい。


 僕の精神活動は、近年急激に回復していき、小説を読むどころか、書くことも可能になっていた。

 パソコンで書いた小説を、ネット上の投稿サイトに発表する。

 そんな遊びを覚えたとき、その投稿サイトで僕よりちょっと早く常連になっていた一人が彼女だった。

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