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珈琲と紅茶の日  作者: ちわみろく
7/8

パーティの日

ここで彼の特技を一つ。

「まあ、いいじゃねぇか。楽しむとしよう。今日は生のブラスバンドが入ってるんだろ。俺もたまには羽を伸ばしたい。」

夕刻に到着した静流は、ぴちっとスーツを着て夜会に参加するように二人に促した。

「えー・・・。」

異口同音に答えた由良とセイラは、余りそう言ったパーティが好きではない。泊まっているホテル主催の夜会が行われる時間に合わせてやってきた静流は、強引に二人を連れて行く。

 パーティと言っても、それほど堅苦しいものでもなければ、くだけすぎたものでもない。ドレスコードも夕食時と同様だし、場所も同じだ。時間帯を分けているだけで、飲み物にアルコールの種類が増える、というくらいの違いである。

 表情でセイラが疑問を投げかけているのがわかる。静流はそれにはただ頷くだけで黙って従えといいたそうな顔だ。

 食卓テーブルが片付けられて、低いソファやスツールなどが用意された広間には、すでに人が集っていた。照明もやや暗くしてある。

 給仕の青年が注文を取りに来る。

「何がいい?由良ちゃん。」

静流が愛想良く尋ねた。

「あ、・・・ジュースとかがいいです。未成年だから。」

「セイラは、ビール行っとくか?」

「いや、僕もアルコールは結構。ペリエを頂くよ。」

「なんだよ、付き合い悪いな。一杯くらいいいだろ?ガキじゃないんだから。」

「・・・一杯だけだよ。」

やがて注文どおりのドリンクを持ってきた給仕から、渋々と言った顔で、セイラは細長いビールグラスを受け取った。フルーツの飾り切りをふんだんに乗せたフレッシュジュースを嬉しそうに手にした由良が、赤いサクランボを口に入れる。

「さ、乾杯しようぜ。再会と、二人の未来に。」

 乾杯の作法も知らない由良は、先にグラスを口してしまっていた。決まり悪そうな顔をする。

 気にしないように手で制して、三人でグラスを合わせた。

 シャンパンをくっと口にした静流が嬉しそうに笑う。

「うまいねぇ。仕事の後の一杯は。」

「おつかれさまです。」

労わって一言付け加えた彼女の方を静流が優しい視線で見た。

「優しいねぇ・・・。」

 それからセイラの方に視線を移すと、いかにも、そうでしょうといいたげに微笑んでいる。

 不器用すぎる少女と優しすぎる青年を見比べるように何度も視線を往復して、青年の叔父はまたも笑った。彼はセイラの姉である鈴奈がどんな女性であるかを知っているし、姉にまったく似ていないのに彼女を慕っていた甥の気持ちや性格も熟知している。何を言っても聞かない姪の事は半ば諦め、周囲に気を使ってばかりいた甥の幸福を願っていた。

 静流の面差しはやはり鈴奈寄りだ。セイラの父親とは血がつながっていないので当然ながらセイラには似ていない。鈴奈よりもさらに日本人らしい容貌だったが、秀でた額のラインや大きな目が姪を思い出させる。それなりに整ってはいるが、40を過ぎた男性というには少々若すぎて見えた。その童顔も姪と同じようだ。その童顔とやんちゃそうな性格があいまって一層若く思える。

 会場の照明が変わり、静かなクラッシックを奏でていたブラスバンドの演奏が変わる。すると、静流はカウンターテーブルにシャンパンを置いて由良の両手を取った。

「踊ろう、由良ちゃん。ダンスタイムだよ。」

「ええっ私、踊れませんよ。」

「大丈夫大丈夫、教えてやる。そんなに難しいモンでもない。」

救いを求めるようにセイラの方を見る由良に、金髪の青年はただ微笑んだだけだ。静流に任せる、とでも言う風に。すると、静流はセイラに目配せをするように彼を睨んだ。

「お前もだ。行け、セイラ。」

「え?僕?僕は・・・踊ったりしないよ。」

「ちげーよ。お前はあっちだよ。」

叔父が目線で促したのは、アップテンポな曲に変更したばかりのブラスバンドの方だった。

「・・・もう、暫く触ってないから、弾けないよ。」

 ぼそりと、自信のなさそうな掠れ声でセイラが言う。

「いいから、いけってば。話は通してあるからさっさとしろ。」

 ビールグラスの残りを全てあおったセイラは、軽く金髪を撫でてから。

「よーし。わかった・・・。」

 呟いて、両袖をまくってつかつかとバンドの方へ歩き出した。

 そんな彼を呆然と見ていた由良は、ステップを踏む静流に足を踏まれそうになる。

「簡単だ。足の動きをちょこっと覚えれば、後は音楽に合わせて身体を動かすだけでいいんだよ、由良ちゃん。」

「こ、こうですか・・・?」

「そうそう。うまいじゃん?運動神経がいいって聞いてたけど、さすがだね。」

「でも、私音楽駄目なんですよ、音痴だし・・・。」

「なんだ、あんた知らないのかい?音楽っていうのはね、音を楽しめばいいのさ。」

 周囲でもたくさんの人が音楽に合わせて踊り始める。きちんとした振付けで踊る人もいれば、軽く身体を揺らすだけの人もいる。カップルの人もいれば、グループで談笑しながらの人も。

 ・・・へえ。ダンスって言っても色々なんだ。

 自由に音楽に身を委ねる周囲の人達を見ながら、由良も静流にあわせて身体を動かした。それほど難しいものではない。それが意外だった。

「な?簡単だろ?」

「はい。楽しいです。」

 正直に答える。

 そこで、こんなふうに身体を動かしていなかったことに気がつく。一昨日にホテルのジムで汗を流したが、何故かその時は酷く疲労感を感じた。さっぱりする、と口では言っていたが、実質は体が重くなった気がして、少々落ち込んでさえいたのだ。

 以前は訓練室で毎日のように鍛錬を重ねていたのに、今は殆ど運動らしいことをしていないためだろう。ひさしぶりのマシントレーニングは少々きつすぎた。

 だから、この程度の、軽く汗ばむ程度の動きで、リズミカルに手足を動かすのが不思議な程気持ちがいい。

「あはは、それはよかった。・・・次の曲は、よく耳を澄ませてな。」

「はい?」

 演奏者の方へ視線を向けた静流に習い、由良もそちらを見る。

 キーボードの席に、セイラが座っていた。隣りに、本来の演奏者の男性が教えるように立っている。

 遠いし照明が暗いので、あまりよく見えないが、やがてセイラの両手が鍵盤の上を動き始めるのが見えた。

 ・・・セイラが、ピアノを。

 彼のキーボードに合わせてバンドが演奏する。アップテンポな曲も、スローバラードも自在に奏でる。

 さりげなく近くまで寄って見つめていると、演奏するセイラの表情が見えた。

 ・・・楽しそう。セイラはピアノ弾けたんだ。こんなに上手に・・・。

 緊張と興奮の入り混じった表情で楽譜と鍵盤を往復するセイラはとても楽しそうだ。時折傍らの演奏者や、他の楽器の人達と視線を合わせて音を連動させている。細かいことは由良には分からないが、彼がとても演奏が好きなことは理解できた。

「な?楽しそうだろ。あんたも楽しみな?こういうのも時には大切なんだぜ。」

 好きなことに没頭する。

 由良は身体を動かすことが好きだったのだ。しばらく忘れていた。楽しむために運動するということを、失念していたのだ。ずっと、何かを忘れたくて、それだけのために身体を酷使するばかりだった。

 ダンスは余り経験がないけれど、やってみると意外と楽しいものなのだと、初めて知った。

 セイラがピアノに熱中して弾いている。そんな姿を見たのは初めてだった。彼があれほど何かに熱中しているのを見たのは本当に初めてで、嬉しかった。あんなに音楽が好きだったなんて。

 ・・・そっか。それどころじゃなかったもんね。

 静流が何故夜会になど誘ったのかがわかった由良は、彼の言う通り、この場を楽しむことに没頭した。


 パーティがお開きになると、静流が由良の部屋へ行って、二度目のカウンセリングに入った。その間、セイラは隣室でただ待つしかない。

 あえてこんな遅い時間に始めたということにも、意味があるのだろう。静流が由良の部屋を出て隣室へやってきたときには日付が変わり午前2時をまわっていた。

「随分かかったんだね。」

「ん・・・。ああ、まあな。」

言葉を濁す心療内科医の様子が少し気になり、セイラは立ち上がった。

「紅茶か何かいれようか。」

「そうだな。俺も、お前に話しておきたいことがある。」

「・・・え?僕に?」

 備え付けの椅子に腰をおろした心療内科医は、セイラが入れた紅茶のカップを受け取った。

「お前、あの子が好きなんだろ?恋人にしたいんだろ?」

 ストレートに問われ、少し頬を赤らめた金髪の青年はうん、と言ってベッドに腰掛ける。

「好きなんだ。他の誰かのものになっても、諦められなかったくらいに・・・。」

「その誰かってのが秀か。あの時の小僧がそんなご立派になってたとはな。だが、秀ももう、いないんだろ。」

「そっか。静流は秀と面識があるんだね。」

「人形みたいな小僧だった。つついても触っても反応のない、つまんねえガキだと思ってたよ。よくあんなのを鈴奈がひっぱってきたもんだ。」

 静流らしい言い方に思わず笑ってしまう。

「あのな。由良ちゃんは、そいつに凄く傷つけられてる。物理的にも、心理的にも、な。でも、死んじまったから、傷つけられた事を認めないんだな、悪いと思ってて。」

「物理的にもって・・・暴力を受けたってことかい?」

「それも無くはないだろうけど、ちょっと殴られたり蹴られたりしたくらいで怯むような子じゃあるまいよ。・・・性的に、だろ。」

「え・・・。だって、二人はつきあってたんだから、そういう関係があってもおかしくはない・・・、け、ど。」

 二人の親密だった関係を口にして、セイラ自身までダメージを受けそうになる。彼らが好きあっていることに気がついたときに、どうしようもなく落ち込んだことを思い出してしまった。隠れ家の屋上で、抱き合って口付けを交わす二人の姿を見たときは、足が震えて階段を踏み外してしまいそうだったのだ。

「莫迦。合意がなければ夫婦だろうが恋人だろうが暴力なの。国の法律でそう決まってんの。お前だって知ってるだろうが。そういうケースは意外と多いんだぜ。」

 専門家の意見をまともに聞いて、顔色を無くすセイラだった。

 セイラの覚えている二人の姿はとても仲がよかった。最初こそぎくしゃくとしていたが、いつのまにか二人でいることが当然のようになっていて、鉄仮面みたいな秀が由良の傍にいると表情豊かになり、笑ったり怒ったり、寂しがったりと、人間らしくなっていったのだ。秀との関係を深めて、少年のようだった由良は女の子らしく変化していった。

 そんな二人を複雑な思いで見つめていたセイラには、静流の言っていることが信じられなかった。

「だからさ、お前が本当にあの子を引き受ける気があるのかどうか聞きたかったんだ。そうでなくなってあの子には何もないだろ。身内もなく、仕事もなく、友人も殆どいない。人間ってのはさ、他者との関係が成り立ってはじめて人間たるものなんだ、と俺は考えるワケよ。今の由良ちゃんにはそれがないんだ・・・それこそ、お前しかいないんだよ。」

「・・・うん。確かにそうだ。今の彼女は凄く孤独だ。」

「だから、死にたくなったりするんだ。独りで生きていくなんてこと、彼女には到底無理なんだよ。」

「どうして僕じゃ駄目なんだろう。僕言ったんだ。好きだってことも、僕のために生きていて欲しいってことも、ちゃんと伝えたつもりなんだよ。」

「あの子に自信が無いからさ。秀を死なせたのは自分だと思い込んでる。生きてることそのものが罪悪感なんだ。」

「どうしたらいいんだろう静流。日本を連れ出してからは、凄く良くなってたんだ。暴走もなく悪夢をみてうなされることもなくなって、独りでどこかへ行っちゃうこともなくなって、このまま治ってくれるって、元の彼女に戻ってくれるんじゃないかって、そう思ってたのに・・・。」

「簡単なことだよ、セイラ。お前が毎日彼女をデートに誘って、楽しくて面白おかしい日常にしてやることだ。そして歯が浮くような甘い言葉で毎日毎晩愛を囁いてやるんだな。」

「え、ええ?」

 そんな無茶な。

 そんなことが出来るわけが無い。

 ホストじゃあるまいし、セイラにそんな真似が出来るわけ無かった。

「それに、仕事を与えてやること。学校にも行かせたほうがいいな、英語、全く駄目だろ、あれじゃ友達も出来ないぞ。・・・お前はさ、由良ちゃんが可哀想で可哀想で可愛くて可愛くて、閉じ込め過ぎてんだよ。あんな野生児、どうやって檻の中で飼うつもりなんだ。」

 ぐっと言葉を失う。

 野生児などと言われる自分の思い人が余りに不憫だが、ぴったり似合ってしまっている。

「ああ言う手合いはな、外飼いがいいんだ。首輪をつけて外で飼うんだよ。家の中で飼おうとするとストレスで死ぬ。で、時々首輪をはずして自由にそこらを走らせてやるんだ。そうするとちゃんと餌を食べにお前の所へ戻ってくるから。」

 大好きな彼女の事を、まんま犬の扱いで口にする叔父に、セイラは苦笑するしかない。

「外へ出そうとしたけど、中々彼女自身が・・・。」

「狭いだろ、それじゃ。自由になれない場所で外に出したって仕方がないじゃないか。日本を出たのは正解だったってお前も思ったんだろ?あの子は確かに心身ともに傷つけられたけど、それで終わってしまうわけじゃないよ。傷だって舐めてるだけじゃ良くならない。少しは放っておいてやるんだ。傷があることを忘れるくらい、別の方向に目を向けさせろ。それでも傷が痛いって言う時には、たくさん慰めてやればいい。照れくさがりのあの子がもう止めてくれって言うくらいクサイ台詞を連発してな。」

 まくしたてるように対処法を伝えると、喉が渇いたのか静流は紅茶を飲み干した。

「安心しなよ。あの子自身も、自分を治したいと本気で思ってる。・・・お前のために。」

 そうだとすれば、嬉しい。

 けれども、自分から死のうとしたのはこれで二度目なのだ。

「そうかな。そうなのかな・・・。」

 セイラがいても止めても、由良が死のうとしたことはとても辛い事実だった。

 ・・・僕じゃ彼女が生きる理由にはならないことを思い知らされているようで。それがとても悔しくて。

由良が生きていくためには、美夜子か秀がいなくてはいけないのだと言われているように思えて悲しかったのだ。

 青い目を伏せた甥を、心療内科医は呆れたような表情で見た。

「どうやって彼女から事情を聞きだしたと思う?薬を使ったんだぜ。・・・だから、今は眠らせてる。明日の朝、一応様子を見てやってくれな。副作用なんかはないと思うんだが。」

「薬を!?」

 静流は薬を使ったカウンセリングには否定的だったはずだ。だからこそ信頼出来ると思って頼んだのに。

「勿論、前もって由良ちゃんに許可を貰った。あの子が自分から俺に頼んだんだ。何を知られてもかまわないけれど、自分の口からは言えないこともあるからって、自白剤でも催眠術でもなんでもしてくれって言うんだ。まともに話していたら、また自分が暴れちゃうんじゃないかって、そうしたらまたセイラに迷惑をかけるんじゃないかって、そればっかり心配してたんだぜ。」

「本当に・・・?」

 あの由良が自分からそれを望んだというのか。

 薬を使えば知られたくないことまで白状してしまうことになる。プライバシーの侵害を静流は好まない。あくまでも本人の意思で語るからこそ意味があると思っている。それなのに彼女の方からそれを望んだなんて。

 ・・・彼女自身も暴走することを望んでいないのは確かなんだ。

「優しい子だ。だから、お前も優しくしてやってくれ。お前はただでさえ優しいけれど、こんだけ焦らされれば焦る事もあるだろう。そこをぐっと堪えて時間をかけて、優しくしてやってくれ。あの子は絶対にお前を好きになってくれるよ。・・・お前の全てを知っても、お前が愛情をかけているってことが理解できれば決して離れて行かないし、変な欲を持つことも無いだろう。」

 叔父の言い方に何らかの揶揄を感じてチラッと視線を向ける。静流はただニヤニヤ笑うだけだった。

「歯が浮くくらい甘い言葉とかクサイ台詞って、・・・どんなのさ?」


心療内科医の助言。

こんなんでいいのかどうか、さっぱりですけど。

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