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珈琲と紅茶の日  作者: ちわみろく
6/8

カウンセリングの日

どこかで見たことがあるような、その人は。


読んでくださってありがとうございます。

 翻訳機は耐水性ではなかったために、壊れてしまった。

「勿体無いことしちゃった・・・。」

そう呟いて、もはや起動さえしなくなったそれをテーブルの上に置く。いかにも残念そうにそれをハンカチで何度も拭っている様子がおかしいのか、白衣の男はまた笑った。

 今、由良と沢渡静流さわたりしずるは二人きりで特別室にいる。

 彼はロンドンで開業する心療内科医なのだそうだ。

 そもそも彼女がイギリスまでやってきたのは、彼に診て貰うためだった。予定を早めて現在彼女の目の前にいてくれるのは、海難事故でショックをうけているのではないか、という理由で呼び出されてロンドンからやってきてくれたのだった。

「君のカウンセリングが必要なんだってことは、セイラから聞いてた。まあ、予定より早まって驚いたけど。」

「はい。お手数をかけてすみません。」

「面倒臭いんで、自己紹介はとっとと済ませよう。俺はセイラの叔父だ。彼が英国にいた時分は親権者でもあった。鈴奈の後見人をしていたこともある。・・・おおよそ、日本でのことは理解しているつもりだ。だから、妙に隠し立てをする必要はないから、正直になんでも話してくれていい。どんなことを君が俺に語っても、守秘義務が生じる。秘密は絶対に守る。」

「はい。わかりました。」

「カウンセリングは一度で済むこともあるし、定期的に続けなければいけない場合もある。症状によっては投薬の必要性も出てくる。了承出来るかい?」

「はい。」

 向かい合わせに座った医師の言葉に、あくまで素直に頷く彼女は神妙な顔だ。

 そうして始まった二人のカウンセリングは、およそ二時間ほどに及んだ。

 その間、セイラは叔父の静流についてきた彼の奥さんの相手をする。

『すまないね、シャーリー。急にこんなことになってしまって。』

『びっくりしたのよ。診療中に、突然黒服の男性がやってきて、まるで彼を拉致するみたいに連れ出そうとしたから。』

『本当に、悪かったと思ってる。僕も、こんなことになるなんて、思いも寄らなかったんだ。』

『まあ大人しく言う事を聞くようなあの人じゃなかったけどね。』

病院の外へ連れ出して、夕刻営業のカフェへ向かった。夜になると冷え込みも厳しいので、彼女はワインを注文する。

静流の配偶者であるシャーリー自身も同じ心療内科医だ。語学の問題さえなければ、本当は彼女に由良のカウンセリングを頼みたかったくらいである。女同士の方が何かと話し易いだろうと考えたからだ。

『まだ診療中だ、患者でないなら出て行け!って一喝したあの人ってば格好良かったわ~。結婚してヨカッタ。』

 何しろ、あの鈴奈の叔父でもあるのだ。一筋縄ではいかない人物なのは勿論だが、度胸もかなり据わっている。

 明るい茶色の髪を揺らして笑うシャーリーは、セイラと同じ青い瞳だった。

『お詫びにご馳走させてもらうよ。なんでも頼んで。』

『侯爵家からなんて随分久しぶりだったわよ。あの人は何も言わなかったけど、それで貴方が帰国したんだってわかったの。』

『今頃は本家にもバレてるね・・・。まさか、海軍を動かすとはな~、参ったよ。』

『侯爵夫人はお元気?』

『お元気だったよ。僕も久々にお会いしたけど・・・相変わらずでお元気でお綺麗だった。』

『やっぱり帰国したら一番最初にご挨拶に伺わなくてはならないのはあの方ですものね。』

『うん。・・・僕に取っても恩がある方だし。』

セイラは注文した紅茶が来たので、ミルクと砂糖を足した。

白いグラスワインを傾けるシャーリーが、のんびりとカフェの店内を見渡している。

『・・・ロンドンに戻ったら開業するの?』

『そのつもりだ。・・・僕が出来ることはそれだけだからね。』

『侯爵家には戻らないの?』

『戻らないよ。今更だし・・・迎えが来ても断るつもりだ。』

『断れる?』

『静流を見習って、客じゃないなら出て行け!って一喝するとしようかな。』

 シャーリーが盛大に笑って、カフェの店内の客が一瞬こちらを見る。あら、と恥ずかしそうに手で口元を押さえる仕草が可愛らしい。

 静流の奥さんはチャーミングだ。いつも陽気で周囲を和ませるような力がある。きっと静流はそんなところに惚れたんじゃないだろうか、と思うくらいだ。波打つ茶色の髪を軽く手で梳いて、またくすくすと笑う。

『貴方の彼女、中々可愛いわ。静流の前ではあんな大人しくしてるけど、ホテルで大立ち回りをやって、警察まで呼ばれたんですってね?』

『・・・悪いのは彼女じゃない。敷地内に不審者がいたんだ。彼女はそいつを退治しただけさ。』

『まあ、頼もしいのね。』

『僕だって敵わない。』

 またシャーリーが小さく笑う。


 翌日には退院を許され、二人はやっとホテルに戻った。

 二人で支配人に謝りに行ったが、逆に支配人はこちらへ謝罪した。

『あのような不審者が庭園内にいたこと、こちらの警備が甘かったからです。まことに申し訳なかった。』

 思わず顔を見合わせた二人は、ラウンジへ降りて飲み物を頼む。

「・・・昨夜は大丈夫だったの?」

「うなされなかったか、ってこと?うん、平気だったよ。凄く疲れてたからかな。寒中水泳なんてしたことないし。」

「処置が早かったから異常なしで済んだけど、あと数分でも海水に浸かってたら危なかったんだからね。」

「はい、ごめんなさい。」

素直に謝る由良が、ラウンジのソファの上で縮こまる。

「静流、なんか言ってた?」

「・・・今夜、また来るって言ってた。夕食時にここで落ち合おうって。」

「そうなんだ。手間をかけて申し訳ないな。」

 給仕の女性が紅茶とコーヒーを運んでくる。セイラは小声で礼を言って受け取った。

「ね、どうして君はその男にコーヒーをご馳走してやったりしたの?」

「・・・わかんない。同情、かな。」

「同情?君が見ず知らずの男に?」

「あの、ね、」

少し言いにくそうに言葉を止める。

「・・・?」

「顔が、少し秀さんに似てた。勿論違うのはすぐにわかったよ。体格や目の色が違ってたし。ただ、前に刀麻さんが言ってたでしょ。彼の顔は、整形用のモデルだって・・・。あの人も整形したのかな。そんな大きな怪我か病気してたのかなって思ったら、なんとなく、見逃してやりたくなってしまって・・・。」

「その挙句あんな事件起こしちゃったんでしょ。」

「ごめんなさい。」

「君を暴走させたのは、なんだったのかな。」

「・・・殴られたから。」

「君を殴ったの!?」

 白い拳が強く握られ、ぐっと震える。

 戦い慣れていて、自分も敵わないほど強い女性だとわかっていても、由良が手を上げられたことに怒りが込み上げる。

「平手打ちされてんだけど。・・・怖くなって・・・私、秀さんにはとうとう勝てなかった。勝てないままだったから・・・ジェイクに殴られてカッとなっちゃって。その後の事はもう殆ど覚えてないの。彼の方は逆上した私が怖くて震えてたって言うから、きっと私が叩きのめしちゃったんだろうけど・・・。」

「ジェイクって、言うんだ・・・そいつ。その彼が僕の事を調べてたんだ。」

「貴方の事を知ってるって。なんて言ったかな、その、ナントカって言う職業?の人だって・・・。私全然わからなくて。日本語に訳されても意味がわからなくてね。」

「君はそう言ったの?」

「うん。だって知らないことは答えようがないもん。・・・それに、私はセイラが何者でも別にかまわないから。」

「・・・僕の事、知りたくないの?」

「知らなくてもいいよ。だって、私が知ってるセイラはここにいるじゃない。綺麗で優しくて、料理が上手で、美味しい紅茶を入れてくれる貴方がいれば、それで充分だよ。」

「由良ちゃん・・・。」

 自分の事を知りたくないといわれ、かすかな落胆を覚える。彼女は自分に興味がないのかと、寂しくなってしまう。

 だが、その一方で、彼女のその割り切った考えに救われもするのだ。セイラが何者であっても、彼女の気持ちは変わらないと、そう言われているような気がする。

 彼女に話していないことはたくさんある。それを全く追求しようとはしない彼女。それについて一切聞くこともないけれど、セイラの言葉を疑いもしないのだ。

 ・・・どうしてもそうまで簡単に信頼しちゃえるんだろうね。君って人は。僕のように隠し事の多い人間を。

 一度信用したらずっと従い続ける。一片の疑念すら持とうとしない。そんな素直な由良が愛おしく、心配で仕方がない。

「僕があの時、海の中で君にキスしたことは、覚えている?」

「う、うん・・・。覚えてるよ、ほら、人命救助のための、人工呼吸みたいなもんだよね?」

「そうだね。」

 どうしてか気がつかないでいた。

 いつの間にか、彼女はセイラが触れても、それほど敏感に反応しなくなっていた。ホテルに一人で置いておいても、徘徊もしない。夜中にうなされることもなくなった。

 だから、もう治りかけているのだと。逆上することもなくなって、きっと治っているのだろうと思えてしまったのだ。

 以前は手が触れるだけでも敏感に反応してしていた。少しでも詰め寄れば逆上していた。相手がセイラであってもだ。それなのに、イギリスへ来てからは自然に肩を抱いたり、手が触れたりしてもなんともなかった。

 逆上して暴れた海の中で、強引に抱きしめてもキスをしても、由良は激しく抵抗するのではなく逆に正気に戻ったのだ。

 彼女の中で何かが変化したのは確かだと思う。けれども、やはり昨日のように激しく暴れまわることがあるというのは放っておけることではない。

 質問の内容に照れて赤くなる所はいつもと変わらない。あえて人工呼吸だなどと言って見せたのは、特別な意味を持たせたくないのだろう。

 ・・・そうだ。あんな、甘くもないキスなんか、忘れて欲しい。


カウンセリングの結果は?

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