散歩の日
彼と離れて行動します。
心配でたまらない彼をよそに、彼女は何をしでかすのでしょうか。
つりあがった目を大きく見開いたまま動けない。
見たこともない程広いダイニングルームは、端から端まで目が届きそうも無かった。テーブルの数もどのくらいのなのか、見当もつかないのだ。黒と白の制服を着た給仕が行き交う中、色とりどりの衣装を着た客たちが談笑している。さざめくようなその喧騒の中を、控えめな音楽が流れていく。
国籍も年齢層も多彩な客層に、ホテルの大きさを再認識する。聞こえてくる言語は殆どが英語だろうが、由良には殆ど理解できない。開け放たれた大きな窓の向こうにはテラスがあり、その向こうから潮風が吹き込んで来るのに余り寒いという気がしないのは空調の効果なのだろうか。
抵抗した挙句、ドレスを着ることを諦めさせてビジネススーツのようなタイトスーツ姿になった由良は言葉も出ない。
セイラの左肘にしがみつくようにぶら下がったまま、呆然とするばかりで、彼が近寄ってきた給仕の男性と交わした言葉にも気がつかなかった。
「おいで、こっちだってさ。」
しがみついたセイラの腕が動いたのでそれに引きずられるように付いて行く。
品のよさそうな給仕の中年男性がうやうやしくそのテーブルに案内してくれる。椅子を引かれて由良はおずおずと腰を下ろした。
「そんなに緊張することは無いよ。ドレスコードこそあるけど、ここはかなりラフな方だから。」
「無理、無理・・・。緊張しないなんて、無理。」
広すぎるレストラン、見たことも無いような客層の人々。
硬直して動けないでいる目の前の彼女がおかしくて、またセイラは笑った。
「あのね、ドレスコードがあるのは犯罪防止策の一つなの。セレブだからとかそういう理由じゃないんだよ。料理だってビュッフェスタイルだから気楽でしょ?他のお客さんをよく見てごらんよ、年配の人が多いと思わない?勿論僕らくらいの人もいなくはないけど、少数派。子連れの人だっている。ここを選ぶ人達は、安全面を重要視しているんだ。」
視線を誘導して厨房寄りの壁に並んだビュッフェを促す。言われて見ればお客さんは皆手に小皿やグラスを持っていた。反対側にはブラスバンドがいるのが見える。聞こえてくる音楽はあそこで演奏していたのだ。
そこまで言われて少しほっとした様子の由良は、わずかな間、セイラの視線がブラスバンドの方に留まっていたことに気がついた。
「セイラ・・・?」
「うん?料理取りに行こうか?」
「あ、そうだね。安心したらお腹空いてきたよ。」
「ここはね、ビュッフェに少しだけ日本食が入ってるんだよ。」
「本当?楽しみだな~。」
出来るだけ静かに席を立つ。
セイラに恥をかかせないように気をつけなければいけない、と最新の注意を払う。
由良は、緊張を忘れた振りをしているけれど、本当はまだ緊張していた。
理由は目の前を歩いていく青年のせいだった。
・・・日頃と別人みたいで、どうにもこうにも。
長い金髪を後ろで一つに括っている大きな背中を追いかける時も、由良の目は泳いでしまっている。後姿さえ凝視できないでいる。テーブルで向かい合わせに座ったときには、セイラの青い目から視線を外し続けていたのだ。
・・・こんなの、ずるいや。
心の中で小さく悪態をつく。
翌朝には海岸を散歩した。
肌寒いので上着を着込んでのんびりと歩く。
・・・昨夜も、うなされてなかった。
きっと疲れてしまったせいだろう。由良は夕食後にお休みを言って別れた後、悪夢にうなされた様子も無くぐっすりと眠ったようだった。
それが嬉しかった。
ゆっくりと眠れると言う事は何よりの休息だ。心身ともに疲弊しきっている彼女には必要なことだった。
散歩に誘った時にも、由良はいつもの格好に戻っていたセイラの外見に安心したように何度も溜め息をついていた。
「少し寒いけど、気持ちがいいね。」
いつもの彼であることを確認するかのように、先を歩く彼女が何度かセイラをふり返る。
「君が気に入ってくれたのなら、よかった。」
潮風でまとわりつく長い金髪を、時折片手で押さえながら彼は嬉しそうに笑う。
海岸には彼らのほかにも散歩する人影がちらほらとある。
堤防の辺りまで歩くと何人かの人が集まっているように見えた。若い人のようだった。
外国人である由良にもわかった。性質の悪そうな子達であるのは、その奇抜な服装からではなく、奇声を上げたり、下品な笑い声を立てたりしている態度から察することが出来る。10人弱ほどの若い子たちが集まって、何がそれほどに盛り上がるのか、薬でもやっているのか、異様な興奮状態に見えた。
「・・・行こうか。そろそろ朝食の時間だ。」
それに気付いていたのか、セイラが由良の肩を優しく抱いて、ホテルへ戻るよう促す。
「うん。」
関わり合いになりたくないと思うので、セイラに同意する。
ちらりともう一度だけ堤防の方を見たとき、その連中の中に見覚えのある姿があることに気付く。
ターミナルでみかけた、黒いジャンパーの青年が砂浜に座ってこちらを見ていた。
顔をよく見ると、確かに少し秀に似ている気がした。だが、決定的な違いがわかる。瞳の色が違うのだ。数人の仲間と思われる連中といた青年の目は灰色だ。
秀の瞳は真っ黒だったのだ。薬の作用で、そういう色になったのだと聞いている。
その灰色の目は、確かにこちらを見ているような気がした。
二人で昼食を取った後、セイラは単身でかけてしまった。
「どうしても会っておかなくちゃいけない人がいてね・・・。君を連れて行ってもいいんだけど。」
「ううん、遠慮しておくよ。英語もわからない私は邪魔にしかならないと思うし。大丈夫だよ、子供じゃないんだから、お留守番くらい出来るって。」
なんとも言えない困ったような表情になったセイラは、心配でたまらないように何度も念を押す。
「出来ればホテルから出ないで。どうしても退屈だったら出てもいいけど、敷地からは出ないでね。プライベートビーチまでなら散歩してもいいから、絶対遠くへ行っちゃ駄目だよ。」
「わかった。そんなに心配しないで。貸してもらったコレもあるし、翻訳機もあるから、わからないことがあったらホテルの人に聞けばいいんでしょう?」
サーベルに似せた武器があることは、由良の気を大きくする。それがまた困りものではあるけれど、かといって丸腰にさせるのも心配だったのだ。
誰に会うのか、どんな用事なのか、そういう事も一切聞かず、由良はただセイラのいう事に従う。そうする他無いのだと言う事は勿論だけれども、元来彼女はひどく従順で、一度信頼を寄せた人間には盲目的に従ってしまう性格なのだ。
・・・そこが可愛くて。危なっかしいんだ。
後ろ髪を引かれながらもタクシーに乗って出かけて行ったセイラを、ぼんやり見送る。
由良としてはそこまで心配をかけている、ということが申し訳なくて、どうにもやりきれなかった。
ホテルの玄関から庭園を散歩しようと歩き出した由良に、英語で声をかける者がいる。最初はホテルの従業員かと思って振り返ったが違うようだ。再び歩き出すと、庭園の中のバラのアーチの茂みから、黒髪の頭が覗いているのがわかった。
『ねぇ。今の侯爵だろ。あんた、彼の彼女?』
早口の英語で語りかけられて目を丸くするしかない由良は、呆然とその場に立ち尽くす。
ホテルの客と従業員以外には立ち入れないはずの庭園に、例の黒髪にジャンパー姿の青年が立っている。
「誰・・・?」
灰色の瞳は、まるで挑戦するかのように威圧的だ。
腕の翻訳機のスィッチを慌てて入れた。
近くで見ると、確かに顔立ちは秀に似ていた。だが、声と瞳の色は明らかに違う。それに体格もよかった。秀は鍛えられてはいても細身だったのだ。
『俺?俺はジェイク。地元の猟師の息子だ。・・・余り優秀じゃないけどね。』
「ジェイク・・・?」
聞きなれない外国語の名前を反芻してから、由良は警戒しながらポケットの武器に手を置いた。
黒髪の青年は彼の何を知っているのでしょうか。