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珈琲と紅茶の日  作者: ちわみろく
2/8

ドレスコードの日

宿泊するホテルで驚きの連続。

嬉しくて解き放たれてしまう彼女。

 雲が切れて日差しがさしてきた。

 タクシーがホテルに到着した途端に顔を出した太陽を、眩しそうに見上げた由良は大きく深呼吸する。

「なんて、眩しいんだろ・・・。」

 運転手にチップを手渡してから荷物を下ろしてもらったセイラがその隣りに並んだ。

「この季節だってのにいきなり太陽を拝めるなんて、君は運がいいね。」

「そうなの?」

「イギリスの冬は余り晴れないんだ。特にロンドンは、日本と同じでいつも曇っていることが多い。」

 確かに日本ではいつも同じような曇天の空だった。快晴になることもなく、土砂降りの雨が降るという事も無かった。

 フィメールが気候を管理しているせいだと聞いていたのだが、そう思うと気候を管理するというのは凄いことなのだと初めて感じる。

 そして、ホテルの門から見渡す美しい庭園に息を呑んだ。

 入念に手入れされた広い庭園は冬であるにも拘らず所々に花を咲かせ、美しい緑の層をなしている。

「・・・なんて、なんて綺麗なんだろ・・・!」

 スーツケースをその場に置いたまま駆け出した由良を止める暇も無い。白砂利の上を軽やかなステップで駆け回る彼女は余りにも嬉しそうで、邪魔するのは気が引けるくらいだった。

 ずっと緑とは縁の無い生活だった。

 人工の植物はあっても、本当の植物を見たのは流河の温室だけだったのだ。

 広い庭園の中を隅々まで見ようと早足で走る由良は、まるで籠の中の鳥が大空へ飛び立っていったかのようで。

 連れてきてよかった。

 あんな明るい彼女を見るのは久しぶりだった。

 チェックインをしなくてはならないセイラは、それでも荷物番をしながら彼女が戻ってくるのを辛抱強く待っていた。

 息を弾ませながら走り戻って来た彼女は、小さく舌を出す。

「・・・ゴメンね、はしゃいじゃって。他の旅行者の人に変な目で見られちゃったかな。」

散歩を楽しむ他の客に注目されたことに気がついて、恥ずかしくなったらしい。

「いいさ。無理も無いんだ。はしゃいでくれるほど君が嬉しいなら僕も嬉しいよ。」

「この国って、凄く綺麗な国なんだね!」

「まだ空港とターミナルとホテルしか見てないのに、結論が早いな、君は。」

「だって!」

 興奮を抑えきれないように息を切らしている由良がスーツケースを持ち上げた。

「何もかもが、違うんだもん。」

「それは確かに、そうだね。さ、とにかくホテルにチェックインをしよう。時差ボケもあるだろうから、少し休まなくちゃ。」

 素直に頷いた由良を促し、フロントへ歩いていく。

 セイラはツインの部屋を予約しておいた。シングルをドア一つで繋げた特殊なツインルームのあるこのホテルをわざわざ選んだのは、彼女が夜中にうなされることを想定しての事だった。

「鍵もかけられるから。安心して。」

 シングルを二部屋、と言えばもっと安く済んでいたかもしれないのに、部屋を取ること一つにも気を使わせている。

 由良は、セイラに申し訳ないと思いつつも、その事にどう反応していいかわからなかった。

「うん、わかった。」

短く答えて、扉の鍵をただ受け取るだけだ。

 一緒に旅行して、同じホテルに泊まるけれど別の部屋。他人で異性なのだから当然の事だった。

 小さなスーツケースを開いて、着替えを出す。手早くジャージに着替えてベッドに座り込んだ。手渡された鍵はベッドサイドの小さな棚の上に置いたまま。大きな窓からは庭園の向こうに海岸が見える。

 緑と、太陽と、海。

 知らないことだらけだった旅。

 開いたままのスーツケースから、黒い皮の手袋が覗く。

 秀は、海を見たことがあったのだろうか。輝く太陽を知っているのだろうか。

 彼が所属していたという軍はオーストリアに駐留していたのだと聞いた事がある。そこには緑も太陽もあったのだろうか。

 ・・・一人で死なせてしまった。傍にいてやることさえ出来なかった。

 知らなかったこととは言っても、それで罪の意識が消えるわけではない。あの時はただ彼の言う通りにするのが最善だと思えたのだ。ただ夢中で、そうするしかないと思った。

 秀は自分の命が尽きることに気付いていながら、その瞬間に由良が立ち会うことを望まなかった。だから由良をあの場から追い払ったのだろう。

 ・・・一人にしないって約束してくれたのに。嘘だったんだ。

 ・・・好きだって言ってくれたのに。ずっと傍にいるって、もう裏切らないって、約束したのに。

 それなのに、彼は最後の瞬間さえ傍にいさせてくれなかった。

 一月以上経った今でも、鮮明に思い出せるあの時の事。彼にしては豊かだった表情。冷たい肌。由良を残して逝ってしまったことが今も忘れられずにいる。

 美夜子も秀もいない世界に生きている意味などなかった。

 由良を必要としてくれる人間のいない世界など、生きていても仕方が無かった。・・・鈴奈が、貴緒のいない世界にさっさと見切りをつけてしまったように。

 そんなことばかりを堂々巡りしてずっと考えてばかりいた。

 何故自分だけ生き残ってしまったのだろうか、と。

 けれども今日はそんなことを考えている暇もなかった。初めての飛行機と、初めての外国。久しぶりの太陽に、緑の楽園。その美しさに気を取られて。興奮してしまっていた。

 ふと、ターミナルで見かけた黒髪の挙動不審者のことを思い出す。

 ・・・黒髪のせいかな。ほんの、ほんの少しだけ、秀さんみたい見えた・・・。

 だから気になったのかもしれない。

 イギリスにも黒髪の人はたくさんいる。日本のように大多数ではないだけだ。

 ぼーっと窓を見つめてそんなことを考えているうちに、いつの間にかベッドに倒れて眠ってしまっていた。 


 ノックの音にはっとする。

 続き部屋となっているセイラの側の部屋からの合図に、由良は飛び起きた。

「はいっ、はいっ起きてますよっ!」

大嘘をつきながら慌てて扉を開くと、濃紺のスーツを着たセイラが立っていた。

「・・・そ、その格好、ど、どしたの!?」

 ネクタイだけは締めておらず、襟を少し寛げている。フォーマルな格好の彼を見たのは初めてで、思わずじろじろと見てしまう。いつもと余りに違う印象に動揺が隠せなかった。

「ホテルの夕食だから、ドレスコードがあるんだよ。君がドレスを着るとはさすがに思わなかったけど、・・・まさかジャージとはね。・・・一休み出来たなら、夕食に行こうかと思って誘いに来たんだけど。」

 くすくすと笑いながら由良の方を見るセイラは凛々しかった。

 いつもの白シャツにエプロン、という格好がそれに黒パンツ姿しか知らない由良には、衝撃と言ってもいい。

 ・・・こんな、こんな人だったんだ、セイラって・・・!

 昔テレビで見た赤い絨毯の上を歩く外国の俳優さんのようだった。前髪を上げ、金髪を後ろにまとめているので余計に男性らしく見えるのだろう。

 こんな知り合いはいない。由良の知っているセイラではなかった。

 由良の知っているセイラはいつもエプロンをしていて、優しくて、紅茶をいれてくれるお母さんみたいな人だったはずだ。

「ゆう、夕飯は、いいや。機内食いっぱい食べたし・・・お腹空いてない・・・。」

 こんな人と一緒にごはんを食べるなど絶対に無理だった。芸能人に知り合いはいない。

 他人と一緒に食事が出来ない、と言っていた秀の言葉が、今はじめてわかる。恐らく意味は全く違うだろうが。

「そんなわけないでしょう。もう夜の8時だよ。到着してから5時間以上経ってるのに。」

「いや、いやいやいやいや、無理。無理だよ。ごはんなんか食べれない。本当に、無理。」

「そんなこと言わないで。ここは食事もいいんだ。君のために選んだのに・・・。」

「だ、だけど、私、ドレスとかないし、有り得ないし、無理だし。」

「わかってるよ。君の荷物の中身にそんな選択肢が無いことくらい。貸してくれるから大丈夫。おいで、一緒に選ぼう。」

「無理だって。私、そういうの駄目だもんっ。ずっと美夜子に頼りっきりだったからそういうの無理だもんっ」

「これからは自分でも気をつけるようにするって、約束したでしょう?」

「う・・・」

痛いところをつかれて、言い返せなくなる。

確かに、日本を出るときに行った美容院でそんな話をしたようなしないような気がする。

 うろたえて言葉につまった彼女の手をひいて、セイラはそのまま連れ出した。衣装を貸してくれる場所は同じ階にあるのだ。

「セイラっ、部屋、鍵は・・・!」

「オートロック。」


少しずつ二人の関係が変わっていけますように。

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