オババの提案
ユイキリとボツゼルの看病のおかげで、スーミィの熱はすっかりさがりました。妖精も、ユイキリの匂いを嫌わずに、パン作りの手伝いをしてくれています。
ボツゼルは、また元通り森に住んで、薬草を育てています。
そんなボツゼルに、春祭りも近くなったある日、オババが言いました。
「王都へ行って、薬師になる勉強をしてみないかい?」
と。
「薬師? 俺が?」
「そう。薬草の知識は今だって十分にあるのだから、頑張れば上級薬師になることだってできると思うがね」
そして、将来。オババの跡を継がないか、というのです。
お母さんと同じ、薬師になれるかもしれない。
それは、たしかに魅力的な提案でした。オババの跡を継げば、スーミィと同じように街で暮らすことにもなります。
一瞬、浮かれかけた気持ちは、けれども。
スーミィの名前がうかんだ次の瞬間には、沈みました。
「オババ」
「うん?」
「薬師とパン屋は一緒に暮らさせないよね?」
「……」
薬師とパン屋が結婚するなら、どちらかが仕事を辞めないとならないでしょう。
ボツゼルは。
スーミィの焼くパンを食べられなくなることは、嫌でした。
それ以上に、パンのために病気になっても薬を飲まないようなスーミィに、パン屋を辞めさせることは、もっと嫌でした。
『薬師には、ならない』
そう、結論をだそうとしたボツゼルを、オババは止めました。
「急いで決めなくて、ゆっくりと考えればいい」
「でも……だって……」
「おっかさんに言われたんだろ? 『身につけた知識は奪われない』って」
「……うん」
勉強をすることは、薬草作りを続けるうえでもきっと役に立つ。
そんなオババの言葉に送られて、ボツゼルはこの日も、パン屋へと向かいました。
「いらっしゃい。って、どうしたの?」
ボツゼルを迎えたスーミィが、心配そうに声をかけます。
一目見て心配になる程、彼は暗い顔をしていました。
「うん……」
スーミィの顔をちらりと見て。
ボツゼルの視線が、足元に落ちます。
話すことが苦手だったボツゼルを急かすことなく、スーミィは売れ残りで作った゛おやつ゛を差し出して、辛抱強く待ちました、
ぽつりぽつりと、オババの提案を話したボツゼルは、深いため息をつきました。
「『行かないで、薬師なんかにならないで』って言うのは、私のわがままよね……」
「いや、俺も気持ちの半分は、行きたくないんだ」
答えたボツゼルは、指先で右の目尻をこすります。
それを見たスーミィは、『これは、かなり困っている』と、思いました。
考え事をする時、彼は必ず右の目尻をこすることに、大分前からスーミィは気付いていました。
「スーミィは……いつか、俺と結婚してくれる?」
考えて考えて。
ボツゼルは、突然、そんなことを、尋ねました。
スーミィは驚きました、が。
病気をしたとき、『ボツゼルと、このまま一緒にいたい』と、付き添ってくれている彼の姿に思ったこと。
あの日からずっと、一人の夜が寂しかったこと。
いろいろな想いが、浮かんで。
「私は、ボツゼルのお嫁さんになりたい」
そう、答えました。
その答えを聞いたボツゼルは、嬉しいような、照れたような。そして、困ったような顔で、森へと帰って行きました。
春の間ずっと、ボツゼルは悩みました。
遊びにきた鳥たちのおしゃべりにも、上の空。
オババやスーミィは、そんなボツゼルをそっと見守り続けます。
そして、小麦の収穫も終わる頃。
その日、三日間、降り続いた雨が上がりました。
ボツゼルは、久しぶりに顔を出したお日様ような表情で、オババの家を訪れました。
「オババ、俺は薬師にはならない」
「……決めたのかい?」
「うん」
自分が森を出ていってしまえば、オババは薬草を手に入れることができなくなります。今まで大切に育ててきた畑も荒れます。
そしてなにより、スーミィがもしもまた熱を出したら。いったい誰が彼女に、ユイキリを飲ませてあげるというのでしょう。
「だから、俺は、これからもずっと薬草を育てていくよ」
そう言ったボツゼルは、いつものように運んできた薬草をテーブルに広げました。
次の春祭りを少し過ぎた頃。
ボツゼルとスーミィは、結婚しました。そして、パン屋の二階で一緒に暮らし始めたのです。
スーミィは、毎朝パンを焼きます。
朝ご飯に彼女のパンを食べたボツゼルは、パン屋の台所に薪や水を運ぶ力仕事をした後で、森へ行って畑の世話をします。合間には、森で探し出したり畑で収穫したりした薬草を乾燥させては、オババからの注文の品を揃えます。
そして、お昼ご飯を届けにきたスーミィと、森の家で一休みしたあと、午後の仕事に取り掛かるのです。
そんなボツゼルの胸元に、ひとつのブローチがつくようになったのは、夏の盛り。
オババのとは少し違って、小さな小さな゛スプーンと鎌゛が細い鎖でついています。
オババが薬師仲間と協力して、薬師に薬草を売る仕事を゛薬屋゛として、ギルドの一部に認めてもらったのです。
経験をつんだ薬師の元で五年以上仕事をした人か、薬師の師匠の元で勉強した人が、試験に合格すれば薬屋になれる、と決められました。
ボツゼルは、その最初の試験に合格して、薬師ギルドに入ることができたのです。
そして、秋のある日。
ボツゼルは、お昼ご飯のあとで、スーミィの手を引いて、畑の片隅に向かいました。
そこには、一本の木がオレンジ色の実をいくつもつけていました。ユイキリの木です。
初めて自分を助けてくれた薬の材料を見たスーミィが、小さくつぶやきます。
「クルクルの実……」
「え?」
「私の故郷では、そう呼んでたの。毒があるから、食べたりしたらクルクル回って、死んじゃうって」
「あー、うん。このまま口に入れるのは、ダメだね」
薬になるのは種の部分だけで、それも複雑な作業で十分に毒を薄めないとつかえません。
「そうか、クルクルの実、か」
パンを初めてたべて、雀たちに゛クルクルの実゛の話しを聞いたのが、とても昔のことのようです。
小麦とユイキリ。
二つの゛クルクルの実゛が、ボツゼルとスーミィを結び合わせてくれました。
そして。
来年の小麦の季節には。
パン屋に、もう一人、新しい家族が増えることでしょう。
END.