看病
心の中でゆっくりと百五十まで数えたボツゼルは、念のためもう五十、数えます。
スーミィの様子に変化がないことを、しっかり確認してから、彼女に声をかけました。
「スーミィ、この薬だったら、飲めるよね?」
「うん、多分」
「じゃあ、薬を用意するよ?」
スーミィの返事を聞いたボツゼルは、もう一度ユイキリをブローチのスプーンで掬います。
今度はスプーン一杯を、カップ半分のブドウ酒にとかしました。そして、さっきと同じように抱き起こしたスーミィにゆっくりと飲ませました。
ボツゼルのすることを、オババは黙ってじっと見ていました。
ベッドに戻ったスーミィが小さな寝息を立て始めて。息を止めるように見守っていたボツゼルが、肩の力をぬきました。
そこでやっとオババの方を見た彼は、
「オババ、もう少しだけブローチを借りていてもいい?」
と、申し訳なさそうに尋ねます。
「そりゃ、構わないけど」
「よかった」
安心したように笑うボツゼルに、オババはさっきから気になっていたことを尋ねます。
「あんたの家にユイキリがあるなら、おっかさんにも飲ませりゃよかったんじゃないのかい?」
熱を出して寝込んだま死んでしまったお母さんは、きっと治せたでしょう。
毒へびに噛まれて死んでしまったお父さんは、助けられなくても。
「お母さんはもう、薬師じゃなかったから」
「薬師じゃなくても、使い方は知っているじゃないか。あんたにも、教えられたのだろ?」
「このブローチは、持ってなかった」
オババを含めた普通の薬師がただのシンボルだと思っているブローチは、上級薬師にとっては仕事道具でもあるのです。ユイキリようなごく少しずつ使う薬を計るためのメジャーなのです。
「追放が……」
声を潜めたオババにうなずいたボツゼルは、スーミィの額に浮かんだ汗を自分のハンカチでぬぐうと、ベッド脇の床に腰をおろしました。
王都の神官と上級薬師だったボツゼルの両親の恋は、罪でした。
互いを選んだ二人は、神殿とギルドから追放されました。その時に、お母さんのブローチは取り上げられてしまったのです。
「この街にたどり着くまでも、さんざん苦労して。『これ以上、他人とは触れ合いたくない』って、森に住むようになったっていうのに、最後の最後まで……」
「でも、二人とも『覚えたことは、取り上げられない』って、俺に、いろいろ教えてくれたよ」
読み書きから生活のあれこれに、薬草のことまで。二人は、自分たちの知っている全てを、ボツゼルに伝えようとしました。ボツゼルの方が、『これは、いらない』って覚えなかったこともあります。例えば……お金のこととか、ね。
そんな話しの合間にも、ボツゼルは何度もスーミィの汗をぬぐいます。
「ひどい汗。体力がもてばいいが……」
「ユイキリが飲めたから、大丈夫」
ユイキリが使いにくい理由のひとつに、患者を選ぶ性質があるのです。薬が合わないと、逆に命取りになります。
「そうだ。それも聞きたかったんだよ」
オババが、体をのりだします。薬師の好奇心で、うずうずしているのか、見ていてわかるほどです。
「最初の゛味見゛に、一回分を飲ませるのは、危ないじゃないか。そのあとも、すぐにもう一回、だっただろ?」
合わないかもしれない薬は、まず少しで様子を見るのが、普通の方法です。二回分を、ほんの少しの間隔で飲ませるなんて、もってのほか。
「ユイキリは、少しずつ試すと、危険なんだ。一気に飲ませると、合わなかったら吐き出す」
少しずつだと体の反応が遅れてしまうので、全身に薬が回ってしまいます。
そして、最初は多めに飲ませるのも、この薬の特徴なのです。
オババが好奇心のままにする質問に答えているうちに、粉屋の若奥さんが帰ってきました。
「ボツゼルは夕食、食べる? オババは?」
「もう、そんな時間かい?」
「食べるなら、一緒に支度しておこうかと思って」
「わたしゃ、いらないけどね。ボツゼルは、今夜つきそうのかい?」
オババの問いに、ボツゼルは黙ってうなずきました。その間も、視線はスーミィから目を離しません。
「スーミィは、どう?」
「薬を飲んでくれたから……」
「そう。じゃあ、一安心ね」
ホッとした声の奥さんに、オババは薄いスープを作ってもらえないか尋ねます。スーミィの様子では、スープを飲むのが、やっとのようですからね。
奥さんは、持ってきた汗拭き用の布をボツゼルに渡すと、二人分の夕食の支度にもう一度帰って行きました。