自転車騒動記
馬で通学するのは、大変だよなあ。
本当は、自転車でなくバイクがあると便利だよな。
車は流石に近代化し過ぎで、この世界がおかしくなるかもしれないから
辞めておこう。
マチの頭の中は、いかに楽に通学するかを考えている。
今は乗馬施設内の馬番と一緒に馬の世話を仕事としている
ところだ。
ブリックは、他のメイドや施設内の兼任人員と一緒に湖畔へ行っている。
乗馬でBBQコースを2組の貴族の親子達10人が参加中。
馬に乗れない者は、ホテルの馬車を出している。
外見執事羊獣人のバルグも御者として行くのだと、
嬉しそうに朝の食事で話を聞いている。
(バルグに限っては、馬車が運転出来ることが、嬉しいのだろうな)
「湖畔のBBQって、楽しいのかな」
馬の背にブラシを掛けながら、疑問を口にすると
隣りでエサを与えていた馬番の猫獣人男性ハリーが笑った。
『僕も手伝いに行ったことがあるですニャ。従業員は大変ですニャ
接待される貴族家族側が楽しいように務めるからニャ。
湖畔は綺麗だニャ』
「そうか。その手伝いは1度体験したいけど。湖畔は今度休暇にでも
行ってみたいなあ」
そんなところへ、ガチャガチャと音をさせて
こちらへ誰かが向かっている足音に2人は気づいた。
「ん?」
2人で振り向くと、在人とエフィルだった。
「爺ちゃん、婆ちゃん。どうし・・ああっ!」
2人が笑顔で歩いてくるので、よく見ると
エフィルの横に、何度も切望していた物が見えた。
「それ、自転車」
喜んだのもつかの間
「何故、ママチャリ?」
孫が悲壮な声を上げたので、祖父母の2人は驚いて立ち止まった。
ハリーも驚いて、猫耳をピンと立て、ひげをピクピクさせつつ
マチの顔を伺う。
「どうした、マチ」
『貴方の念願の自転車よ。在人は、自分が乗れないから
中々持ち込まなかったと聞いて、エリイに相談したのよ』
エフィルによって、爺ちゃんの秘密が暴露される。
爺ちゃんは、顔を引きつらせている。
それよりもママチャリだ。
(母さんの嫌がらせか)
思わず、コソコソと3人から離れて、携帯を掛ける。
相手はもちろん
「はい、木ノ嶋です」
「母さんか」
「あら、マチ。頑張っているそうね。安心してるわ」
「それは頑張っているけど。ママチャリはどういう意味だよ」
母はしばらく沈黙してから
「あら、お婆ちゃんが自転車欲しいっていうから、女性なら
ママチャリかと思って。でも、お婆ちゃんいきなり2輪では
乗れないかと思って」
「・・・ん?」
祖母は、娘に自転車が欲しいと伝えただけで、自転車の種類までは
考えていなかった。いや、知らないんだ。自転車が
どんなものなのか。しかも、爺ちゃん自転車乗れないって。
「自転車、俺の為に言ったんだ」
「・・・あら。そうだったの。ママチャリ高いの買ったのよ。
マチ乗るのなら、我慢してよ」
そう言いながら電話は切られた。
ママチャリをよく見ると、前かごと後ろにも籠が付いている。
もっとよく見ると、タイヤが3つ。
(うわ、大人用三輪車。前輪が1つで、後輪が2つのお婆さんが乗る
安全タイプのもの・・)
その場で愕然したのは言うまでもない。
「どうした?マチ。念願の自転車を渡しに来たのに」
「爺ちゃん、それお婆ちゃん用の自転車だよ。
それだとスピードが出ない。出来れば、マウンテンバイクが良かった。
背中にリュック背負って、馬よりも速く行けるのに」
俺の泣き言に、エフィルは茫然とした。
『もしかして、自転車はいくつも種類があるものなの?』
知らなかった事実に、エフィルは夫の在人を睨んだ。
『貴方、知っていたんでしょ。自転車に乗れないからって
私に説明しないのはどうなの!』
在人は言い訳をしたが、妻に勝てるはずもなく。
「分かった。私からエリイに伝える」
「いや、俺が伝える」
最期には、爺と孫の言い合いになった。
ハリーは、三輪自転車に興味深々。
『マチ様、これはどのように使うのですニャ。私は初めて見ますニャ』
その声に揉めていた2人は、猫獣人を振り返った。
マチは、ハリーに見本を見せることにして
エフィルから自転車を受け取り、乗ってその場を3M程往復して
見せた。
『凄いですニャ。これ、荷物が置けるのですかニャ』
「ああ、この前籠と後ろの籠に物が乗せられる。
落とさないよう、このゴムで籠の端から端を抑えると
こんな感じで、落とさないように出来る」
猫獣人の瞳がキラキラ。
「乗ってみる?」
ハリーは、何度も盾に振る。
自転車を前に置くと、恐る恐る触れ、マチが乗ったようにまたぐ。
「ブレーキは左を押して、速度が落ちたら右も」
速度が理解出来ないので、何度かブレーキの掛け方として
見本を見せてみる。
「やってみて」
ハリーは、頷く。
ちょこんとサドルに座ると、ほおっと感動のため息を吐き
彼の長い尻尾が揺らめく。
足をペダルにかけ、回し始めると
自転車が前へと動き始める。
タイヤが3輪なので、傾くことなく進み始める。
乗馬施設の入り口まで行ってみる。
マチの乗り方をじっと見ていただけはあり
上手く回り込み、元の位置へと戻ってきた。
『うはあ、感激ニャ。自転車凄いニャ。座って移動出来るなんて便利ニャ』
何も言わないでいると、勝手にまた同じコースを繰り返し
乗り回している。
『ハリー、気に入ったみたいね』
「どうする?ホテル内で連絡用に使う?」
マチの問いかけに、祖父母はお互い見つめ合い、首を傾げ。
『どうします?貴方』
「エフィル。ハリーが乗れるなんて悔しい」
「爺ちゃんでも、あれなら乗れるよ」
(会話成り立ってないし)
あまり悲しげな顔をさせるので、ハリーに代わってもらい
祖父が自転車に乗る。
「足を回して漕ぐ」
マチが説明すると、在人は足を回し始めて
前輪がふらふらして、自転車が器用に倒れた。
在人以外が、皆驚いた。
「凄いよ。3輪で転ぶなんて」
マチは慌てて駆けつけると、自転車を立て直し
祖父を気遣いながら、立たせる。
祖父は孫から手を離して立ちつつ、肩を落としていた。
その様子を見ていつつも自転車に興味を持ったエフィルは
マチの前に来て言う。
『私、乗ってみる』
エフィルが自転車を受け取り、ブレーキについて説明を受けると
跨りペダルに足を着けて漕ぐと、自然に前方へ進む。
「あ、乗れた。」
『エフィル様、速いニャ』
「エフィル、ズルい~」
三人三様の返答が来て、エフィルは笑った。
『自転車、いいわね』
その言葉に、乗れなかった在人は項垂れた。
マチは、母に別の自転車を請求し、3輪車はホテル内の
配達係が使うことになった。
『いや~、便利ですよ。毎回走って門やあちこちの施設へ向かうのに
大変でしたが、これは速くて荷物も乗せられるし
嬉しいです』
配達係の白い猫獣人アルファは、笑顔で配っている。
1週間後、母エリイから新しい自転車が届けられた。
祖母の手で、また乗馬施設まで持ち込まれた。
「どうしてママチャリの籠を取り付けるかなあ」
見た瞬間、マチは嘆く。
タイヤは太めのクロスカントリー・マウンテンバイクで、
マチの要望の物なのに
何故か前に専用ではなくママチャリの籠が取り付けてあった。
(どういう意図で、勝手につけたのやら)
大きくため息が出る孫に、祖母は首を傾げる。
『あら、籠があると便利じゃないの?』
女性は、どうしても荷物が乗せられると便利だと思うようだ。
「・・・・。ソウデスネ」
『3輪ではないのね。どうやって乗るの?』
エフィルは、興味深々。
後方では、在人がテーブルとイスを持ち込んで、寛いでいた。
しかも、1人メイドがお茶セットを持ち込み
お茶の準備をしていた。
「爺ちゃん・・・何しに来てるんだ」
猫獣人のハリーは、また瞳がキラキラ。
その隣では、今日は空き時間で馬の世話を手伝っていたブリックもいる。
『それがマチ希望の自転車なんですか?』
「そう。これがね」
早速サドルに座り、足をペダルに乗せ
前へ進みだす。
『へえ、2つの車輪でも乗れるとは、マチ器用だな。
私もやってみたい』
『私もニャ』
マチは、3輪よりも難しいと説明し
子供に教えるように一から自転車の乗り方を教えた。
「バランスだからな」
最初は直ぐに足を着き、中々乗れなかった2人だったが
交代で1時間もすると、双方楽しそうに漕いでいる。
『これは、速い。しかも便利だな』
『3輪車より速く走れるニャ』
『このブレーキというのも凄い』
『いいニャ~』
交代で乗りながら、2人が感激した言葉を楽しそうに
マチに話してくれる。
「そうかあ、良かったなあ」
ついでにエフィルもちゃっかり教えてもらって
乗りこなしていた。
後方でお茶を飲んでいた在人は、カップを置いて
項垂れていた。それをメイドとエフィルに慰められていた。
こうして、自転車騒動記は終わり
自転車の便利さを知った異世界の者達は
在人にしつこく頼むこと数か月。
観念した在人が、娘エリイに追加の自転車ということで
ママチャリで2輪を10台注文していた。
間違っておかしな自転車にならないよう
もちろんマチが用意したカタログで、
確認していたことは言うまでもない。
ホテル内で、自転車は大活躍。
ホテルからちょっと村までの少量の買い物も
王都へちょっと用事の時も活用されていった。
そのうち王都で自転車屋があっても
いいかもしれないと商売を考えたマチだった。
ちなみに、在人はエフィルに習って、3か月かかって
自転車に乗れるようになった。
見守っていた従業員が、その日隠れて確認し
フロントへ連絡したことで、急きょ
在人様が自転車に乗れたお祝いパーティーが開かれ
その時の楽団はお祝いの音楽を奏で
ホテルの宿泊客を巻き込んで大騒ぎなパーティーになった。
バーの片隅の席で祖父母と一緒にお祝いの食事をしていたマチは
感動していた。
「いい仲間だね、爺ちゃん」
『本当に』
妻のエフィルも喜んでいたのだが、当の本人は
「恥ずかしすぎて、穴があったら入りたいくらいだ。
自転車に乗れなかったことを知られ
こっそりと練習していたことも知られ
3か月もかかってようやく乗れただけの話しを、
こんなに大勢に知られるなんて赤面ものだ。
こんな幼児でも乗れる物が乗れた話は、自分と妻だけが
知っていればいいものだ。
ああ、もう・・」
情けないよと
ブツブツ言いながら、ワインをがぶ飲みしていた。
その正当な考えに、マチは心の中で「確かに」と同情してしまった。
「マチ。自転車もいいが、馬が主流の時代を
私は大切にしたいから、乗り物は入れなかった。
乗れなかったからじゃないからな」
何本飲んだのか、段々と口調が酔っ払いになっていく。
エフィルは、慌てて水を飲ませる。
『まあ、飲み過ぎですわ。在人がこの世界を大切にしてくれているのは
私は承知していますから。マチも分かっていますわ』
優しい妻の言葉に在人は、久しぶりに穏やかな笑みを見せつつ
倒れた。
『きゃあ。医師のベルを呼んで~』
医師やメイドやコンシェルジュが慌てて駆けつけ
自宅の寝室のベッドに寝かせると、穏やかな寝息が
聞こえてくる。
『寝てる』
ただ単に酔って寝た事実を医師のベルが告げて
従業員一同、心底ホッとしたのだった。
乗馬施設
馬番
ハリー 16歳 猫獣人 男 ナナキ村出身 「にゃ」という語尾がつく。
猫耳、長い尻尾あり。 全身真っ黒猫。155センチ
童話の長靴の・がイメージされる。
ホテル内配達係
アルファ 13歳 白い猫獣人 男 ナナキ村 標準語を話す
猫耳 長い尻尾あり ハリーの白い猫バージョン 150センチ
ホテル 契約医師
ベル・マレン 80歳 エルフ 女性 外見20代
ホテル創業時からの祖父母の友人のひとり