見習い始めます。
トントン。
部屋の扉をノックする音。
「はい」
返事をすると、扉向うから。
『マチ様、馬のお世話の時間になります』
10代半ばの少年の丁寧な言葉が返ってくる。
扉を開けると、マチよりも10センチ低い少年が
既に仕事が出来る服装で立っていた。
「あ、ごめん。宜しくお願いします」
初日から、若い先輩に起こされるとは、失態だ。
馬担当は、夜明け前。
世話が終わると、昼間は馬の受け渡しくらいで
仕事が楽になるそう。
厳しいのは、預かる馬が多い時だとか。
一応4人が担当だが、暇であれば馬車の清掃
簡易馬車での門から玄関までの送迎に
借りだされることもあるのでそこは臨機応変。
前日に馬の世話係用の服を渡されていたので
慌てて着替える。
少年に案内されて、階段を降りると、1度に100人食事が出来る
従業員食堂だ。大きな窓から本館が見えて、芝生の庭も見られるという
結構お洒落なレストランの内装。
あちらの世界なら、十分に内装だけで雰囲気の良い店だ。
(こんな感じの店は、あちらでは結構高い価格の店になるよな)
木のトレイを持って並ぶと、担当者が今日のメニューをどんどん渡してくれる。
最初にナイフとフォークが置かれ、ロールパン3個、サラダ、
長い15センチウィンナー3本、野菜スープ、コーヒーを
トレイで受け取り、景色が良い窓側の少年と同じテーブルについた。
馬番の少年は、アルニ村のパーシグ15歳。苗字はない。
北の農村出身の四男で、仕事凱旋しているギルドで紹介され
面接を受けて合格し
2年前からこのホテルの従業員として働いている。
『マチ様、この食堂は24時間開いていますので、お腹が空いたり
休憩で使ってもいい施設です。従業員も交代制ですから。
馬の世話が終わった後に、また食べればいいので、今は食事の量は
少ない方がお薦めですよ』
食べ過ぎると仕事に支障をきたすという事か。
しかも結構融通が利く。
「あのさ。マチ様って言わなくてもいいよ。
俺、君よりも年上だけど、仕事では後輩なんだから」
『それは無理です。農民出身の私からは、とても無理です。
お友達として接するとしても、呼び方は変えられません。
これは、たぶん。このホテルで働いているほとんどの人達が
出来ないと思います。農民出身が多いですから。
もし、出来るとしたら、貴族とか王族、マチ様と同等の立場か
それ以上の方でしょう』
「・・・そうなんだ」
『お名前呼び以外は、私は普通に接して頂けるのなら
おこがましいかもしれませんが、同じ従業員仲間としても
宜しいでしょうか』
「まあ、君がそれで譲歩するなら、仕方がないね。
無理を言って困らせるほど、俺も無茶は言わない。
受け入れるよ。でも、俺は、バーシグを仲間であり友人だと
思ってるのも受け入れてくれ」
マチの言葉に、バーシグは嬉しそうだ。
彼にとって、農民よりも別の職業の人々は
自分よりも身分が上だと考えてしまうものらしい。
否、彼だけでなく農民出身の者達はそう考える。
それは、この国が身分社会だから。
この世界のことで、この国の当たり前な考え方なので
彼の意志は尊重しようとマチは思う。
『はい、宜しくお願いします』
そして、お互い了承したということで握手を交わす。
マチにとって、初めての友人になる。
ホテルで働いている人間は、150人。
フロントで6人。メイドが20人。コンシェルジュが4人。
レストラン15人。食堂10人。バー担当5人。
門番4人。馬番4人。馬車管理4人。
庭担当3人。施設内掃除担当10人。洗濯担当10人。
その他臨機応変応援人員。
出身は、農村から貴族、獣人、ドアーフ、エルフと様々な人種。
本来の職種も様々。
領地内のギルドで、人員募集で面接を経て勤務している。
一生の仕事としている者、短期間、長期期間契約している者もいる。
特に若い冒険者は、旅の資金集めとしているし
若い女性は、結婚を気に退職する者もいる。
その辺りの事情は、あちらもこちらも同じようだ。
45年前から働いているような従業員は、一生と考えている人が
多い。しかも、祖父母とかなり親しいことから
一緒にホテルの経営を考えて軌道に乗せた者達だろう。
爺ちゃんに言わせると、ホテル経営の戦友。
食事を始めようとして、マチは気が付いた。
ロールパンを器用にウィンナーを食べる為に用意されたナイフで
横に切り込みを入れ、そこへマヨネーズで和えたサラダを押し込み
ウィンナー半分にして挟んで、ケチャップをかけて
ホットドッグ風。
口を開けてガブリと齧り付くと、正面に座っていたバーシグが
口をあんぐりしていた。
モグモグと口を動かすと、唖然としていた。
「何?」
『あ、あの・・・そのような食べ方を始めてみたので』
大抵は、ナイフとフォークを使って食事をするものだ。
手で掴んで食べる豪快な食べ方は、外で食べる時くらいしか
思いつかなかったようだ。
「あ、ああ。爺ちゃんは、しないのか?」
あちらの世界で、ホットドッグの食べ方を知っているはずの
同郷の人物の名を出すと、首を傾げられた。
『爺ちゃん?在人様のことですか?在人様は、若い時は
こちらの食堂を利用されていましたが、今はご高齢なので
自宅でエフィル様とご一緒されていると聞いています』
バーシグは、在人と食事をとったこともないし
食べている姿を見たことがない。
丁寧に返答され、ホテルの従業員としての教育の賜物を
見た気がした。
「そうなんだ。この食べ方は、ホットドッグって言うんだよ。
話し変わるけど、文字とか言葉遣いって、ギルドの近くの学校?」
『はい。それまでは村の訛りのある言葉しか言えなくて。
王都に近いこちらの領地内の方と会話が通じなくて。
あの学校で、誰とでも話が通じる言葉を習いました』
(標準語ってやつか)
「そうか。俺もなんとかして行かないとな」
『どうしてですか?マチ様は、綺麗な言葉を話されていますよ』
「う~ん。こっちの国の文字が読めなくてね」
『ああ、そうなんですか。マチ様の国の字はどんな』
バーシグが興味を持ち始めたので、ポケットからメモ帳を取り出し
ボールペンで、日本語を書くと
『これが文字なんですか?不思議な感じがします』
感慨深げに眺めている。
それから、マチの世界の話をしながら、食事再開。
つい話が盛り上がる。
「バーシグ。そろそろ時間じゃないか?」
夜明け前だったのだが、本館側のメイドの女性陣の姿が食堂に現れる。
『あ、そうですね。片づけて行きましょう』
庭を通り、厩へ行くと、既に1人作業中。挨拶を交わすと
マチ達に後からまた1人と、時間差のように現れ、挨拶を交わして
それぞれ担当の仕事に就く。
『今日の仕事は、馬の世話が初めてなマチ様には、
馬に慣れてもらうところからです。』
マチがこれから3か月お世話をするというメス馬のところへ連れて
行かれる。
そこで、綺麗な茶色の見るからに綺麗な馬と対面した。
「うわ。綺麗に世話されている馬だな」
『これは、エフィル様の馬です。あの方は、どこかへ行くのに
馬に乗ってお出掛けになるので』
ちなみに、在人は絶対に馬車だとか。
「何故?」
『聞いた話では、若い時は馬に乗れていたのですが
60代の時に歳を感じたとか』
(杖を引いていたな。足が悪くなったということか)
マチが考えをまとめていると、バーシグはマチにエサの与え方の
説明を始める。
『では、いいですか?』
馬の世話がなんとか終わると、今度は馬術の練習に入る。
厩の預けられている馬ではない、このホテルで乗馬が出来る
乗馬用の施設へ案内される。
(乗馬施設なんてものがあるのか。うわ、広い。)
ホテルの正面左には、馬術専用の施設。
ホテルの上客も利用していて、領内の観光で湖畔までのコースがある。
湖畔で釣りやBBQをするとか。
特に王都の領地がない騎士や兵士の家族連れには、大盛況。
『お待たせしました』
背後から声を掛けられ、乗馬施設を眺めていたマチは
慌てて振り返った。
馬術の講師が出来るという元貴族で六男のフェブリック・ウェトアールが
マチの乗馬指導担当だ。
「元貴族?」
『そう、よろしくマチ様』
「いやいや。俺の方が様を付けるだろう」
『私の家は名ばかりで弱小貴族だ。長男以外は、皆それぞれ独り立ちする。
家名は名乗れても、領地もない。
特に6人目の私は、貴族だからこそ、貴族の学校へ行くことは出来た。
今その術を生かして生活している。
このホテル内では、気軽にブリックと』
「わかった。俺は、マチで宜しく」
本来、騎士学校にいたのだから、騎士になる。
彼は騎士になったものの
弱小貴族なだけで結構扱いがぞんざいで辞めたのだ。
『手駒というのかな。ただの人形というのか、人間扱いでないんだ』
「権力者の息子が威張っているのか」
『貴族の間では、通常のことさ』
乗馬施設の馬番が、2頭の馬を準備した。
『さあ、ではまず馬に乗ってみましょうか』
(乗れませんでした。)
引きつったブリックさんは、体育系の顔を見せた。
元騎士だ。しかもかなり苦労してきた過去もある。
きっとノリは体育系の男達の指導。
その黒いものが見える笑み。
『今日中に馬の背には乗れるようにしましょう』
(鬼がいる)
ブリックの空き時間での乗馬訓練が終わった後、従業員の食堂で
マチはテーブルに顔を伏せて、全身で項垂れていた。
お茶をしに来たバーシグが、仲間1人とマチのテーブルへ
やってきた。
4人の内2人づつ休憩を取るのだそうだ。
『マチ様、乗馬どうでした?』
『ブリックさんは、乗馬には厳しい方です。
僕らも馬が乗れなくて指導を受けましたが
厳しかったですよ。
やはり厳しかったですか?』
マチが顔を上げると、彼らはテーブルにつき
それぞれおやつのケーキとお茶のカップを乗せた木のトレイを置いた。
「鬼だよ。足ががくがく。腰は痛いよ」
泣き言を言うマチに、バーシグ達は、『やはり』
と頷き合う。
『マチ様。まだ1日目です。頑張りましょう』
(いや、もう・・・1日十分て思う俺は、情けないだろうなあ。
しかし鬼だよ。あの人。鬼教官。これが毎日と思うと・・・)
大きくため息を吐くと、バーシグ達が笑った。
その後、またバーシグ達と馬番の場所へ向かい
馬をホテルから出て行く客へ誘導する仕事をしたり
迎えたりして、途中お昼や休憩を交代で取りながら
その日の仕事は終わった。
門は日暮れになると、門番の2人によって施錠される。
もしかの魔物や夜盗の侵入を防ぐ為だ。
ホテル内では、レストランとバーで客達は飲んだり食べたり。
朝食と夕食は、宿泊料金に含まれているので、
バイキング式レストランは大賑わい。
酒類は、別料金なので、お酒が本人に運ばれた時にお金を渡すシステム。
音楽は、メインロビーの真ん中で、ホテルと契約している
国内のいろいろな楽隊が1か月単位で訪れて奏でている。
知っている曲があると、楽隊の周囲で客達のダンスが始まったり
一緒に歌ったりと、毎日が楽しい夕食になる。
マチも食堂で夕食をとり、バーシグ達とお風呂に入って
後は寝るだけになり部屋に戻ると
携帯の電話が鳴った。
携帯が通じるように、アンテナがどこかにあるので
主な主要の人物のみ携帯を所持している。
マチが電話をオンにすると
「マチ、お疲れさま」
「爺ちゃんか。お疲れ」
「どうだ?この世界は、あちらの世界でいうところのヨーロッパの
フランス革命よりも少し前の時代と似通っている」
「ああ、そうなんだ」
「あまり先の科学を進めないで、ゆっくりとこの世界と
生活していきたいと思っている」
「だから、電気以外は隠して使っているわけか」
「そうだ。知っている者は、私やエフィルと仲間だ。
このホテルの灯りが電気だということも知らない。銭湯にしても
温泉を掘ったことも知らない。それでいいと思っている」
在人の考えが読めてマチは苦笑した。
「爺ちゃんの考えは分かった。俺も分からないよう協力していくよ。
ただ、アルフ伯父さんの事を考えると、セキュリティシステムを
見えないところでやらせてもらってもいい?」
マチはマチで考えていた案を祖父に話し始めると
「なるほど。視点が違うと、いい案が出るものだな。それは許可しよう」
「で、さあ」
マチは大きく息を吐き出すと、自分のさらなる希望を述べる。
「なんだ?マチ」
「自転車の持ち込みの許可も」
必死に綴る言葉に、在人は携帯を持ちながら噴出した。
「そうだな。馬に乗れたら、許可しよう。」
プッ。
携帯は無情にも切られた。
馬番担当
アルニ村出身 バーシグ 15歳 男 茶髪 可愛らしい顔
アシスタントマネージャー
ハンス 男性 50歳 元冒険者 世話好き 清楚なダンディ
馬術指導
フェブリック・ウェトアール 男性 31歳 王都の弱小貴族六男