子供みたいなヤツ
「美佳、誕生日オメデトー!!」
私の誕生会を名目としたコンパが始まったのは午後7時だった。乾杯の音頭の代わりに翔子が叫び、テーブルのあちこちでジョッキやらグラスやらが涼しい音を立てる。既に部長が出来上がっているのはご愛嬌だ。早速一年生が被害に遭っている。
乾杯を終えた翔子が隣にやってきた。
「あらためておめでとう、美佳」
「ありがと。今回は翔子が幹事やってくれたんだって?」
「ま、こういうときくらいはね」
グラスを合わせると翔子は意味ありげな笑みを浮かべてみせる。
「21って言うと一気にフレッシュさがなくなるこの虚しさ!あんたにもよーく分かったでしょう?」
「ああ・・・“ハタチ”だとなんかまだ若いイメージあるもんね」
成人したてだからこそのフレッシュさというか、そういうものは確かにある。もっとも去年は一ヶ月ほど早く成人していた翔子と酒を呑みまくって見事に酔い潰れ、初々しさの欠片もない誕生日を過ごしたのだけれど。むしろ翌朝の二日酔いによるひどい吐き気の方が印象強い。
「――ところで美佳」
「なに?」
「どうしたの、アレ」
翔子が指差す方を見ると、少し離れたところで大輔くんがちびちびとコーラを啜っていた。いつもと同じように小奇麗な格好はしているけど、その表情はなんだか固い。
「言いだしっぺの癖して今日やけにテンション低いのよね。あんた何かしたの?」
別に思い当たる節はない。ここ一週間くらい普通に接してきたつもりだ。
「・・・っていうか、何で私に訊くわけ?」
尋ねると翔子はグラスから口を離した。
「あいつがテンション低いとこ初めて見たもの。こっぴどく振られたんじゃないかって思うのは妥当じゃない?」
まあそんな風に見えなくもないけど。
「だからって私が原因って決め付けることないでしょ」
「何言ってんの。美佳以外に考えられないわよ」
「・・・さいですか」
よっぽど普段邪険に扱っているように見えるらしい。
「だってほら、今日城夜と会話した?」
「え?」
翔子に訊かれて考えてみると、確かに今日は一度も話していない気がする。
「・・・何かしたのかな、私」
「話しかけてくれば?案外あっさり立ち直るかもよ、『美佳センパ~イ』って」
とうとうテーブルに突っ伏してしまった栗色の髪を横目で見ていると、さすがに周りも気付いたのか足やら箸やらでつんつんと小突き始める。
「・・・放っとけばいいでしょ、別に。たまには邪魔されずに呑みたいし」
「ま、そうね。本当に関係ないのかも」
翔子が別段気にしていない風でまた呑み始めたので私も負けじとグラスをあおったとき、視界の端で誰かが大輔くんの手首を掴んで揺さぶった。
「おい、こいつ脈がないぞ!」
「バカ、見つかってないだけだっつの。頚動脈で測れよ」
ぎゃあぎゃあと騒ぐ男子ズ。通りがかった店員さんも苦笑いしている。
「・・・つくづくバカの集まりね」
隣で翔子がぼそっと呟いて、私も黙って頷いた。
2時間もすると少しずつ人が抜け始め、そろそろお開きにしようかという雰囲気になった。
「――じゃあまたね、美佳」
翔子は手を振るなり少し先に停まっている車の方へ走っていく。もう遅いから、と浩二くんが迎えに来てくれたらしい。羨ましいことだ、と思った瞬間ぶるっと身震いした。お酒が入っているとはいえさすがに夜は冷える。駅に向かわなくてはいけないので同じ電車組を追いかけようと足を早めたそのとき、後ろから突然声をかけられた。
「美佳センパイ!」
「・・・大輔くん?」
結局2時間ずっとあのままだった大輔くんは、少し青い顔をしながらも笑顔を浮かべた。
「あの、もう少しだけ付き合ってくれませんか」
そのときの私は酔っていたのかもしれない。
「いいよ」
何処へ、とも何時まで、とも訊かずに彼の方へ戻る。
「ちょっとついてきてください。大事なお話があるんです」
そう言うなり路地裏の方へと歩き出した大輔くんを、私は慌てて追いかけた。
そろそろ人気がなくなったか、というところで大輔くんはやっと立ち止まった。路地裏の奥の奥といったような雰囲気に、今更ながら少し怖くなる。
「美佳センパイ」
「なに?」
大輔くんは少し深呼吸をしてから口を開いた。
「・・・お、お誕生日おめでとうございます」
大きく息を吸った割にぼそぼそとした台詞に拍子抜けする。
「えっと・・・ありがとう」
「いえ、はい・・・」
そのまま沈黙が降りる。少し酔いが醒めてきた私は、この段になってやっと疑問を抱き始めた。
「大事な話って、まさかこれのこと?」
「そ、そんなわけないじゃないですか!だからその、ええと・・・」
「どうしたの?」
いつになく歯切れの悪い大輔くんの顔を覗きこむ。
「ねえ、早くしないと帰っちゃうよ」
門限はないけど、出来るだけ早く帰りたい。すると大輔くんは慌てたように私の肩を掴んだ。
「美佳センパイ!!」
「えっ、ちょっと大輔くん!?」
まさかとうとう理性が外れたんだろうか。振りほどこうとするけど、年下とはいえやっぱり男の人でびくともしない。
切羽詰ったような大輔くんの顔が迫ってきて、いくらなんでもこんなの最悪だと思わず目を瞑った瞬間――。
「――結婚してくださいッ!!」
ぱち、ぱち、ぱち、とぴったり3回瞬きをして固まった。
「・・・・・・は?」
疑問符を口に出すと、大輔くんはもう一度繰り返す。
「俺と結婚してください、美佳センパイ」
どうやら聞き間違いではなかったらしい。
「えっと・・・何を言ってるのかよく分かんないんだけど」
「え、何でですか?」
心底不思議そうに首を傾げる大輔くんの手を肩から外す。
「いきなりこんなこと言われたらそりゃ意味分かんないでしょ」
「えー、今日ずっと悩んで考えた台詞なのに・・・」
ストレートに言った方が伝わるかなって思ったんですけど、と大輔くんは頬を掻いてみせた。その表情はいつも通りでやっぱり底が見えない。
「っていうか大輔くん、そういう風にからかうの本当にやめて欲しいんだけど。心臓に悪いってば」
私は何でもなかったことにほっとしながら溜息を吐いた。
「からかうだなんて、そんなつもりないですよ」
「はぐらかさないで。そもそも付き合ってもないのに結婚っておかしいでしょ。それにプロポーズするなら普通指環とか用意するもんじゃないの?」
計画の穴を指摘してやると、納得したように頷く。
「ああ、言われてみるとそうですね。うっかりしてました。・・・そうだ」
そう言うなり、大輔くんは突然走り出した。
「ちょ、ちょっと大輔くん!?どこ行くの!!」
「少しだけ待ってください、すぐ戻りますから!!」
「少しって・・・ああ、もう行っちゃったし」
背中はあっという間に見えなくなり、私は途方に暮れてしまった。
「・・・大輔くんのバカ」
こんなところに女の子を独り置き去りにして、一体どういうつもりなんだろう。何かあったら絶対訴えてやるんだから、と思いつつも狭く暗い路地裏に対する恐怖感は拭えなかった。酔いはもうとっくに醒めてしまっている。
「さむ・・・」
両手で肩を抱き締める。少し身体が冷えてしまっていた。このまま放置されたら死んでしまうかもしれない。
腕時計を確認すると、暗さでよく見えないけどどうやらもうすぐ10時になるところらしい。解散してからもう1時間近くが経過していることになる。
「・・・もう、どこまで行っちゃったんだか」
壁と壁の隙間から見える細長い夜空を見上げて何度目か分からない溜息を吐いたとき、騒がしい足音とともに大輔くんが戻ってきた。相当急いできたのか、少し息が上がってしまっている。
「お、お待たせして・・・すみません」
「あ、ちょっと大輔くん!こんなとこに放ったらかして一体どういうつもり――」
問い詰めようとしたとき、大輔くんが右手を突き出した。
「あの・・・色々考えてみたんですけど、これじゃダメですかね・・・?」
握っていた右手を開くと、そこには小さな白い花が握られていた。
「これ・・・」
「シロツメクサです。いわゆるクローバーですね」
「これがどうしたの?」
四葉を渡すならともかく、花を渡してどうしろって言うんだろう。
「美佳センパイ、ちょっと左手出してもらえます?」
「え?」
話を掴めないでいると大輔くんが左手を取る。
「動かないでくださいね」
そのまま私の指に手を掛けたとき、ようやく彼のしようとしていることを悟った。
「――はい、出来た」
大輔くんが手を離したときには、左手の薬指に小さな指環が出来上がっていた。指に巻いて結び付けただけの簡単なものだけれど。
「本当はちゃんと編みこみたかったんですけど、指のサイズが分からなかったんで」
こんなの子供のお遊びだ。草を編んで花冠にするとか、そういう類のものと何ら変わらないお遊び。私だって昔やった覚えがある。
「美佳センパイ・・・美佳さん」
大輔くんは真っ直ぐ私の目を覗き込んで言った。
「――俺と結婚してください」
その瞳は大真面目で、何の冗談も含まれてはいなかった。
「ふふっ」
「・・・美佳センパイ?」
突然笑い出した私を、大輔くんが怪訝そうに見つめてくる。
「何かもう・・・本当、馬鹿みたい」
やっと、分かった。
底が見えないんじゃなくて、底しかないんだ。自分の気持ちに何でも蓋をするのが京介なら、何にも蓋をしないのが大輔くん。ただそれだけのこと。私はつくづく、おかしな男に引っ掛かる運命らしい。
本当に、子供みたいなやつ。
「ねえ、大輔くん」
「な、何ですか?」
私はこみ上げる笑いを堪えながら言った。
「いいよ、結婚してあげる」
「へ?・・・・・・ええ!?」
「自分から言ったくせに何で驚いてるの?」
「いやだって・・・ほ、本当に・・・?」
大輔くんはまだ信じられないといった風で立ち尽くしている。
「本当だってば。もう、変なところで疑り深いんだから」
だって放っておけない。こんな子供みたいな大輔くんをいつまでも見ていたいって思う私がいるから。
なおも信じてくれないので、私は彼の首に腕を回すと少し背伸びをして――小さくキスをする。
「――好きだよ、大輔くん」
そう言って微笑んだ瞬間、大輔くんの身体が大きく後ろに傾いた。
「えっ――!?」
そのままどしん、と尻餅をつき、私もその上に折り重なって倒れこむ。
「ちょっと大丈夫、大輔くん・・・って」
下はアスファルトだから相当痛いはずなのに、大輔くんはにへら、と締まりのない笑いを浮かべていた。
「もう死んでもいいやぁ・・・」
思わずぷっと噴き出す。
「・・・全く、大げさなんだから」
――21歳の誕生日の夜は、一生忘れられない大切な思い出になった。