彼と記憶
「おはよう」
俺はいつも通りブザーを押して中の人物に呼び掛けた。ここ最近毎日、妹の見舞いの前に立ち寄っている場所。同年代の女の子の病室だ。たまたま俺の気にいっている本を読んでいるところに遭遇したのだ。見た目はおとなしそうだが、話していると明るく、話の合ういい子だ。
しかし、昨日訪れたときにはカーテンはしまっており、中では何やら騒がしく人が立ちまわる影が見えた。何でも急変したらしい。安否がすごく心配だったが、スタッフたちは対応で忙しそうで、とても聞くどころではなかった。下手に聞いて、邪魔しては元も子もないため、昨日はおとなしく妹の病室へ早々と向かった。
ずっと気がかりだったが、今日はカーテンがあいているし、彼女はガラス窓の向こうのベッドにいつもどうり座っている。どうやら無事だったようだ。良かった。
「お、おはよ・・・」
俺に気付いて彼女はこちらを向いた。顔色は良いとは言えない。もともと色白だが、今日は特に血の気もなく、頬は真っ白だ。「今日は早いね」
「大丈夫か?昨日、急変って聞いて、心臓が止まるかと思ったよ。気になって早く来たんだ」
俺はガラスにそっと触れ、2メートルほど先の彼女に問いかける。彼女はわずかにうなずきながら
「大丈夫。ごめん、心配掛けて」とすまなそうに言った。
「でも、今日はお話しできそうにないや。ごめんね・・・」
「しょうがないって。気にするなよ。今日はゆっくり休みな。明日はまた面白い本教えてやるから」
「うん。ありがとう」
彼女は弱弱しくほほ笑んだ。ふと、俺の手元で視線が固まった。
「これ気にいった?妹にと思って、来る時雑貨屋で買ってきたんだけど、良かったらやるよ」
そう言って俺は備え付けの花瓶の横に手に持っていたぬいぐるみを置いた。ピンク色の小さなウサギのぬいぐるみだ。
彼女は目を見開いて、それを見つめている。食いいるように見つめているので少し違和感を覚えた。気にいったわけではないのだろうか?しかし少しして彼女は顔を上げると「・・・ありがとう」と言った。何だか様子が変なのは、やっぱり体調が悪いからだろうか。「それじゃあお大事に」と言い、俺はマイクの電源をオフにして、妹の病室へと足を向けた。
★★★
医師が去った後、俺は病室で放心していた。
治療不可能な場所にできた脳腫瘍。事故とは関係なく、逆に事故のおかげで検査して見つけることができた。しかし、治らないのなら、早期発見なんて意味がない。
余命半年。俺は死ぬわけにはいかないんだ。あいつが、妹がこんな状態なんだ。俺が面倒を見ないと。それに、あいつは両親もなくしてる。俺がいなくなったら今度はどうなるか・・・。くそう!何でこうなった?
俺は思い切りこぶしをベッドにたたきつけた。この感情のやり場が他になかった。この境遇に対する怒り、憎しみ、そして不安と恐怖。
それらの感情をぶつけるたびに、俺の体がきしむ。事故直後はあまりのことに動転して気がつかなかったが、どうやら肋骨を何本かやったらしい。その痛みがこれは夢じゃないと言っている。
何度も何度も繰り返す。こぶしが毛布に当たってくぐもった音を出す。その時、どさりと言う音とともにサイドボードから何かが落ちた。
けだるげに視線をやると、床に見慣れたバッグが転がっていた。ただ、持ち主の血で汚れたそれは、病院の清潔で白い床の上でなんとも不釣り合いだった。中身が散乱している。あいつのバッグだ。警察か、医者か誰かは知らないが、わざわざ持ってきてくれたのだろうか。
ピンク色のポーチ、真っ二つに割れたケータイ、血に染まった手帳、ハンドクリーム・・・そして、いびつに歪んだ箱。きれいにラッピングされていただろうそれは、包装紙も破け、リボンもほどけていた。鞄が大きかったのはこれのせいか。
妙に納得し、包みを拾い上げる。きっとおれに向けてだろう。だって今日は、俺の誕生日だから。
ゆっくりと包装をはがす。といってもほとんど破けているので簡単に開いた。歪んだ箱の中にはヘッドフォンが入っていた。箱と同じくそれもおかしな方向に曲がっていて、一目で壊れていることが分かる。だが、青いラインがなかなか洒落ていた。
一緒に手紙が出てきた。封筒に“お家に帰ってから読むこと!”と大きく書かれている。家じゃなくて病院だけど、俺はそれを開けた。
“お兄ちゃんへ
いつも音が悪いって散々文句言ってるけど、そりゃ100均のイヤホンでいい音が聞けるわけがないでしょう(笑)
そういうわけで、ヘッドフォンのプレゼントです!安物だけど、イヤホンよりは断然いい音が聞けるはずだよ。
お誕生日おめでとう。
いつも私のためにバイトとか、家のこととか頑張ってくれてありがとう。私も頑張るから、これからも宜しくお願いします。
PS・このヘッドフォン、あの話のバーチャルコントローラーに似てると思わない?一目ぼれしちゃった。いっぱい使ってね!”
手紙を読み終えても、俺は全く動くことができなかった。何でこうなったんだろう?
妹と食事をしながら、あいつがテーブルにいきなりこれを出す。俺はそれを驚きつつ受け取って、包みを開いてまた驚いて、それを嬉しそうにあいつが見ている。そして俺はあいつの頭をなでてやるんだ。そしたらあいつは「もう、子供扱いしないでよぅ」と口を尖らせて言うのだ。
そんな情景を想像した。想像して、泣いた。
・・・そうなるはずだったんだ。あんな事故がなければ。
夏が終わり、俺の怪我はほとんど回復した。日常生活くらいなら支障はない。少し肌寒い初秋の日、俺は退院の手続きを終えてひとりで病院を出た。脳の方は手がつけられないそうで、全く何の対処もされないまま、退院した。妹は相変わらず目を覚まさない。
俺の腫瘍は脳の記憶をつかさどる部分にできているらしく、徐々に記憶障害が出てくるかもしれないという。もし重篤な症状が出たときはまた入院することになるだろうから、いろいろ準備をしておきなさいと言われたが、準備って何をやればいいんだ?
そもそも俺はただの高校生なんだぞ。死期を前にしていったい何をしろと。悟れってか?それとも遺書でも書けと?
とりあえず通帳とかの名義は妹に変えておいた方がいいかもしれない。そして俺がいつ正気をなくしてもいいように、家賃とか、そう言ったものは先払いしておくか。学校はもういいか。バイトは・・・バス会社から結構な額の慰謝料が出てる。しばらくは大丈夫そうだ。この不景気に、なかなか奮発するなぁ・・・。
考えてみるといろいろやることはあった。俺はそんなことを事務的に考えている自分にあきれた。死を前にしたらもっと感情的になるもんだと思ってたけど、案外こんなもんなんだな。だけど、妹だけは心残りだ。俺が死んだ後、あいつはどうなるのだろう。それだけが不安で不安でしょうがない。
それから毎日、俺は妹の見舞いに病院へと足を向けた。学校も中退したし、バイトも止めたし、何の心配もない。俺は毎日朝から晩まで、目を覚ますことのない妹の寝顔だけを見て過ごした。そして毎日人形やら花やらと見舞い品を持って行った。寝てるんだから何の意味もないのだが、一冊だけ本も持って行った。妹が一番気に入っている物語。表紙にアニメチックなイラストが描いてある。異世界風の服に身を包んだ黒髪の少年が大ぶりな剣を構えている姿。その後ろにはヘッドフォンらしきものをつけた同じ少年が背を向けて立っている。わずかに振り向いて、悲しそうな表情をしていた。