No.3 って、なんやてーーーーっ!?
緑色に光る箱が無数に並んでいる部屋を後にして、通路に出た。
灯りは足元が見える程度のもので、光る箱が無い分、さっきの部屋よりも薄暗く感じる。
先を行く男は歩く度にコツコツと足音が鳴り、裸足の私はひたひたと鉄の感触が冷たい。
男は部屋を出てからは一切喋らず、無言で通路を進んで行く。
対して、私も話す事も無い。長く続く通路には、靴音と足音だけが不気味に鳴り響いていた。
「っと、到着や」
男は足を止め、後ろを歩く私も同じく止まる。
しかし、男が立つ正面にあるのは壁だけで、何かがあるようには見えない。
「ったく、いちいちこないな事せなあかんなんて面倒ったらあらへん。厳重に保管するんはええけど、どないにしろ誰もまともに持てへんのに……」
男はぶつぶつと言いながら、何やら人差し指で壁を何度も押している。
そして、最後にポケットから取り出したカードを壁に通した。
カシュッ、と小気味の言い音がしたと思えば、今度はピーっという甲高い音が鳴り始める。
「天国が地獄か、運命の分かれ所や」
壁だと思っていた所に縦に白い線が入り、壁はゆっくりと開いていく。
「……ッ」
開いた壁の奥から光が放たれ、眩しくて目を細める。
徐々に光に目が慣れていき、視界もはっきりとなっていく。
「……なに、ここ」
現れたのは、部屋。
さっきの部屋や通路よりも明るく、今まで薄暗い場所に居たせいか一層明るく感じる。
「つっ立ってないではよ入りぃ」
先に部屋へ入っていく男を追って、私も中へ入る。
中は余り広くは無く、部屋の中央には人が一人寝転がれそうな大きさの台座があった。
「……な、に?」
部屋に入った瞬間、違和感を覚えた。
金切り音のようなのが頭に響くというか、なんて言い現せば良いのか解らない。
無意識に、毛布を掴む力が強くなる。
「あん? 何してん、さっさと来いっちゅうに」
その声で我に返ると、男はいつの間にか台座の前にまで移動していた。
さっきの違和感は消えて、今は何も感じない。
気のせいだった、とは思えない。一体なんだったんだろう……。
疑問を頭に抱えて、とりあえず男の所まで歩み寄る。
『それが新しい実験体ですか?』
男の隣まで近付いた所で、どこからか声が聞こえてきた。
隣に居る男とは声と喋り方が違う。別人のものだというのはすぐに解った。
「せや。今まで試しても無理やったんや、どうせこのガキも駄目やろうけどなぁ」
『私達も調べてはいますが、やはり条件は謎のままです』
男は顔を上げて、聞こえてくる声と会話を始めた。
男が顔を向ける先を追ってみると、数メートル上に張られたガラス窓の向こうから、私達を見下ろしている人が居た。
短髪に眼鏡を掛けて、白衣を羽織っている男が一人。
「たまにスキルが目覚めたモンが出るけど、大概は造って棄てての繰り返し。これで何体目や?」
『この部屋で選別を試すのは、これで六千三十五体目ですね。途中廃棄のも含めれば、一万三千ハ百七体です』
「っかー、五割以上が途中廃棄やもんなぁ。やんたくなってくるわ」
『そう言わないで下さい。私達はこれの他に二从人格も並行しているんですから』
白衣を着た男の口が動くと、同時に声が聞こえてくる。
どうやら、金髪の男と話をしているのはあの人のようだ。
『それにしても、今回の実験体は妙に小さいですね』
「あー、製造過程で手違いがあったんかどうかは解らへんが、こない珍妙なのが出てきよった。途中で奇形変形して廃棄されるんはよう見るが、こんなんは初めて見たわ」
『えぇ、今までに無いケースです。スキルは十六から二十歳までが目覚めやすい時期と言われ、その付近での年齢のヒトを生産しています。それなのにこんな幼子が造られたとは……』
白衣の男は中指で眼鏡を軽く上げて、興味津々といった視線を私に向けてくる。
『それに、他の研究員達が欲しがりそうですよ。今まで廃棄された中に幼女なんて居ませんでしからね』
「ここの研究所には特殊性癖がそない居るんか? こない小便ガキの何がええのか、俺にはさっぱり解らへん」
『年端もいかない幼い子供を犯すという背徳感、綺麗なモノを自分が汚すという支配感。その二つに快感を覚えるのでしょう』
「けったいな物好きが居るもんやな、ほんま」
大きな溜め息を吐いて、隣の男は頭を軽く掻く。
「ま、こんガキはスキルが目覚めておらへんからな。この選別で駄目やったら廃棄行きや。欲しがったら好きにしてええで」
『それは有り難い。皆が喜びますよ』
「ガキ一匹で喜ぶ大人っちゅうのもどうか思うけどなぁ」
『しょうがないですよ。この研究所で手っ取り早く出来る娯楽はこれ位ですから。使えるモノは有効活用しなければ』
「なんや、どっかで聞いた台詞やな」
『何か?』
「いやいや、なんでもあらへん」
上手く聞き取れなかった白衣の男が聞き返してくるが、金髪の男は軽く手を振って誤魔化す。
『他にも、使うだけ使って用済みになった実験体を裏ルートに回したりしている者もいるらしいですし』
「裏ルート? 初耳やな」
『実験体は肉体的、精神的に何かしらの欠陥がありますからね。その分、安値で売り捌いて小遣い稼ぎをしているようで』
「そんな不良品を欲しがる奴が居るんか?」
『居ますよ、それも沢山。戸籍を始め、学歴、病歴、DNA、その他諸々が全て無い。つまり、この世に存在しない事になっているんです。これ以上無い、テロには持ってこいのアイテムじゃないですか。何処かの独裁国家なんかは特に欲しがるのでは?』
白衣の男は眼鏡を外し、白衣のポケットから布を出して眼鏡を拭きながら話す。
『勿論、ここと同様に可愛がるのが目的で購入する方も珍しくないとか』
「大丈夫なんかぁ? そないあっちゃこっちゃに売ってしもたら、ここの足が掴まれんちゃうか?」
『大丈夫ですよ。売ると言ってもほんの僅かですし、大概は売り捌く前に賞味期限が切れて棄てられますから』
眼鏡を拭き終わり、白衣の男は眼鏡を掛け直す。
『大分脱線してしまいましたね。選別を済ませてしまいましょうか』
「っとぉ、せやったせやった。ガキが静かなんでつい話し込んでもうたわ」
私の事をすっかり忘れていたようで、金髪の男は微苦笑してこっちを向く。
「ほな、最終審査といこか」
その言葉が合図のように、目の前の台座が動き出した。
上部が開き、少しずつ台座の中が露になっていく。
「ラストチャンス……一世一代の運試しやで」
金髪の男は右手の親指立て、台座の中を指す。
「……ッ」
また頭に響く、あの感覚。
――――ギィ、ン。
刃鳴り音みたいな、金属がぶつかり合った音。
「こいつを持つ事が出来たら天国。出来ひんかったら……いや、今までの会話聞いとったなら言うまでもあらへんか」
小さな隙間から白い歯を覗かせて、僅かに歪ませた唇。
不気味さを覚える笑みを、金髪の男は私に向けた。
「……持つ?」
「せや。お前にやってもらうんは簡単簡潔、単純明解」
金髪の男が親指で差している先。
開かれた台座に置かれていた、それ。
年代を感じる古びた外装に、白く光を反射させる鋭い切っ先。そして何より驚くのは、その巨大さ。
そこにあったモノは、ひたすら大きな剣。大人の身長よりも長くて大きく、見た目だけでも重量があると解る。
刀身なんか、私よりもある。
「こいつを持てるか試してもらうだけや」
確かに、簡単で解りやすい。
ただ、自分の身長を軽く超す大きな剣を持てと言われても、多分無理だと思う。
「……わかった」
けど、やるしかない。言われた事は全て従えと、そう教わった。
誰に、どう教わったかは覚えていない。だけど、そう教わったならそうしなければ。
台座の前に立って、置かれている大きな剣を見つめる。
「……ッ!」
――――ギィン。
また、あの音が頭に響く。
この部屋に来た時からたまにする、変な音。
奇妙な感じではあるが、五月蝿いとか邪魔だとか、不快感はしない。
「…………」
そっと手を差し伸べて、剣の柄に触れる。すると同時に、あの刃鳴りみたいな変な音は綺麗に消えた。
その事を不思議に思いながら、ゆっくりと柄を握る。
刀身が大きければ、当然柄も大きく、握っても手が回りきらなかった。
だと言うのに何故か、しっくりと手に馴染む気がする。
「なんや、黙ったまま動かのうなって。期待はしてへんかったけど、やっぱ無理やったか」
柄を握ったまま固まっていた私の顔を覗き見て、金髪の男がぼやく。
ぶっきらに頭を掻いて、再び上の窓ガラスに視線を向ける金髪の男。
「ダメや、ダメダメ。今回もやっぱ無理や」
そして、上げた腕を交差させてみせる。
『やはり駄目でしたか』
白衣の男はガラスの向こうで、返事しながら中指で眼鏡を押し上げる。
「廃棄行き決定や。欲しい奴が居ったならやるで。早いモン勝ちや言うとき」
何やら話を進めていく金髪と白衣の男達。
「……待って」
剣から隣の金髪の男へと首を曲げて、見上げる。
「あんな、囲碁も将棋も人生も待った無しや。勝負も世の中もそんな甘とう無い」
金髪の男は腰に手をやり、肩を竦めて答える。
「スキルも目覚めへん上に、禁器も持てへん奴に用は無いんや。大人ししゅう、ここの物好き共に可愛がられるんやな」
「……禁器? それって、これの事?」
「せや。お前が持っとる、そのデッカイ剣の事や。今まで誰一人、使う所か持てる奴すら居らへんかったんや」
「……そう」
「やから、持ったり使えとうする奴を探してたんや。ま、今回も駄目やったけどな」
「……そう」
「ったく、いつになったら持てる奴が見付かるんかなぁ……ゴールが見えへんから一層気が滅入るわ」
「……そう」
「解ったら、さっさとその禁器を台座に戻しぃ。そないガキが持って遊んでいいモンちゃうんや」
「……わかった」
「ゆっくりと丁寧にやで。なんてったって、古臭くても大切な代物や……」
「……うん」
「って、なんやてーーーーっ!?」
言われた通りに、台座へ禁器を戻そうとしたら、金髪の男がいきなり叫び出した。
思わず、驚いて身体をビクつかせてしまう。
「関西人はノリツッコミは基本やけど、あまりに自然過ぎてホンマにスルーしてまう所やったわ!」
金髪の男が何を言っているのかはよく解らないが、驚きと焦りは感じ取れる。
「なんで禁器持っとんねん!?」
「……あなたに持てと言われたから」
「そうやのうて! なんで早う言わへんねん!」
「……だから、待ってって言った」
聞かれた事に対し、淡々と答えていく。
すると、金髪の男は肩を落としていき、額に手を当てて溜め息を吐き出す。
「っかー……なんや、こんガキは天然か? 天然なんか? どないなボケも天然には敵わへんさかい……」
なんて、金髪の男はまた意味の解らない事を口にしている。
「って、そないな事を言うとる場合やあらへん。その大剣、重とうないんか?」
「……おもとう、ない?」
「重たくないか、って事や」
「……全然、むしろ軽い」
首を左右に振って、金髪の男の問いに答える。
この禁器と呼ばれる大きな剣は、見た目から反して凄く軽かった。
「ちょい、片手でも持てるんか?」
「……持てる」
一度頷いて、言われた通り禁器を片手で持ち上げて見せる。
「ふ、ん……よっしゃ、それでそこの台座を斬ってみ」
つい、と金髪の男は顎を台座へ突き出す。
「……いいの?」
「構へん構へん。思いっ切りやってまえ」
両手で大剣の柄を握り、台座へと向く。
「ただし、台座を真っ二つにするイメージを頭に思い浮かべるんや。出来るだけ明確に、より的確に、可能な限り鮮明に。対象のモノをぶった斬り、ぶっ壊すのを想像しぃ」
「……わかった」
手に握る大剣を横に構えて、目を瞑る。
真っ暗になった視界の中で、想像するは真っ二つになった台座。
手にした大剣で斬り伏せる自分の姿。抵抗も無く綺麗に斬られる目標。
強く思い描いた想像を結果として出そうと。
イメージを固め、瞑っていた目を開く。
「……ッ」
柄を握るのを強め、両手に力を込める。
そして、巨大な剣を力の限り横薙ぎに払う。
フォン、という鋭い風切り音。
大剣は勢いが止まる事無く、横一線に振るわれた。
大剣を振った動作で、肩に掛けていた毛布がハラリと床に落ちる。
「……斬れてない」
そして、少しの間を空けてからぽつりと呟く。
斬った筈の台座は、何事も無かったように形を変えないままそこにあった。
しかし、不可解な部分がある。
私は大剣を横に払い、右から左へと完全に振り切った。なのに、台座は無傷。
古びた大剣とは言え、当たれば傷が付いたり、多少欠けたりする筈。
だけど、台座にはそんな形跡はどこにも見当たらない。という事は、私が振るった大剣は台座から外れたのか。
でも、こんな近い距離で外すだろうか? ちゃんと目を開いていたのに?
「……なに、してるの?」
首を曲げ、隣にいた金髪の男へと視線を向けると、可笑しなポーズをしていた。
左手は頭の上で、右手はお腹の前。更に左足を曲げて『4』の字で片足立ち。
「なにしてるの? やあらへんわ、アホか! 何も言わんといきなり振りよってからに! 俺も一緒に斬られる所やったっちゅうに!」
あぁ、そうか。隣に居たから巻き込む所だったらしい。
でも、避けるにしても、なんであんな変なポーズなんだろう。
「ったく、思わずシェー言うてもうたわ。んで、斬れたんか?」
変なポーズをやめて、金髪の男は聞いてきた。
それに対し、無言で首を横に振る。
「っかしいな……話によると、『斬る』という事に特化しとる聞いたんやけどな……デマやったんか?」
台座をまじまじと見て、金髪の男は一人言を言っている。
左手で顎を擦り、右手の人差し指で台座を軽く小突く。
「おぉ?」
すると、台座に薄らとした一筋の横線が浮かび上がってきた。
その線は段々とはっきりしていき、横線を境に台座の上半分はゆっくりとズレていく。
そして、鉄の塊が床に転げ落ちた。
ズン……と重々しい音を立てて。
「……斬れてた」
見事に二つに別れた台座を見ながら、他人事みたく呟く。
「っく、くくく……あっはっはっはっは!」
それを見て、金髪の男は額に手を当てて笑い出した。
部屋に響く程の声で、口を大きく開いて。
「見付かったわ! ようやく見付かりおった! しかも、こぉんなガキとはなぁ! あっはっはっは!」
私にはよく解らないが、何か面白い事があったらしい。
天井を仰いで、金髪の男はまだ声を上げて笑っている。
「正直、聞いた話だけじゃ半信半疑やったが……こんな結果を出されたら信じなあかんわな」
笑いを止め、台座の前まで移動する金髪の男。
そして、屈んで二つに分かれた台座の下半分の切れ目を、人差し指でなぞる。
「見てみぃ、鉄製やった台座が見事に真っ二つや。しかも、切れ目が鏡みとうになっとる」
興味深そうに、金髪の男は唇を斜めにする。
「名のある日本刀でも、こんなんするんは無理やて」
そう言って、台座から私が持つ大剣に目を移してきた。
「……これは、なに?」
なぜ私がこんな事をされているのかは解らない。
だけど、これは普通の代物じゃないという事はすぐに理解出来た。
「っくく……造られて目が覚めたばかりのガキでも、“ソレ”の異様さは解るっちゅう訳か」
この見た目よりも遥かに軽い重量。自身よりも大きいというのに私が持てている。
それに、台座を斬った時の感覚。余りにも感触が無さ過ぎて、台座を外したかと思ってしまった。
「お前はな、そのデッカイ剣に選ばれたんや」
「……選ばれた?」
「せや、“所持者”としてな……」
ゆっくりと立ち上がり、金髪の男はこちらに顔をやる。
「おめっとさん。お前は天国行き決定や」
にこやかな笑顔を私に向けて言う。
「……そう」
天国と地獄がどう違うのかは解らないが、それに対して一言だけで返す。
ただ私は、その笑みは好きになれないと、そう思った。
『何やら笑い声が聞こえましたが……』
聞き覚えのある声が、部屋に聞こえてきた。
すぐに声の主が誰なのか気付き、上の窓ガラスを見上げる。
そこには、さっきと同じく白衣の男が立ってこちらを見下ろしていた。
『いやはや、やはり幼女は人気で大変でしたが……ようやく引き取り手が決まりましたよ』
「引き取り手?」
『えぇ。先程パソコンで全ての研究員と連絡を取りまして。お陰で少し時間が掛かりましたが』
「あー、なんや……せっかく引き取る相手を見付けてくれた所悪いんやけどな。やっぱ無しや、無し」
『は? 無しというのはどういう事で?』
「見ての通り、こういう事や」
金髪の男が答えて、親指を立てた右手を私へ向ける。
『は……え、は?』
白衣の男は掛けている眼鏡の縁に手をやり、私を見てきた。
その顔は信じられないモノを見るように目を見開き、驚愕の色に染まっていた。
『そんな……禁器を持つ事が出来たのですか!?』
「そういうこっちゃ。六千三百……えと……」
『六千三十五体です』
「そう、それや。六千三十五体目でようやく当たりが現れよった。それより、モリちゃんに連絡せぇへんでいいんか?」
『そ、そうだ! 驚きで忘れてました!』
白衣の男は慌てて、ポケットから手の平サイズの機械を取り出して話し始める。
誰かと話しているようで、部屋に声は聞こえて来なかったが、数秒で会話は終わった。
『主任もすぐにこちらへ来るそうです』
機械をポケットに戻し、白衣の男の声が再び聞こえて来る。
『長年探して来ましたが、まさかこんな小さな少女が持てるとは……』
「持てただけやない。しっかりと振るって、斬って、扱う事が出来とるで。その証拠にほれ、見てみ」
こつん、と。金髪の男は台座を足で軽く小突いた。
「鉄が豆腐みとうにバッサリや」
『“文書”に記されていた通り、ですね』
白衣の男は一人言のように呟き、形を変えた台座を興味津々に眺めている。
「所持者が見付かったと連絡を受けたけど、本当なの?」
金髪と白衣の男が話しているのを静かに聞いていると、後ろから声が聞こえ、振り向く。
「お、来おった。随分と早いやないか」
「ずっと探し続けていたのが見付かったと聞いたら当たり前でしょ」
そこに居たのは、先程、別の部屋で会った白衣の女。
口にはまた棒付きの飴を啣え、コツコツと靴音を鳴らして近付いてきた。
「まさかこの子が選ばれるなんてね、思ってもみなかったわ」
私の前で立ち止まり、白衣の女は私が手に持っている大剣を見やる。
「あなた、何をしてるの。早くこの子のデータを調べなさい! 製造過程、DNA、使用薬物、全てを隅まで!」
『は、はい! わかりました!』
白衣の女は叫んで、窓ガラスから見下ろしていた白衣の男に言い放つ。
言われて白衣の男は、焦るように窓ガラスの奥へと姿を消えていった。
「おめでとう。あなたは記念すべき一人目よ」
白衣の女は床に落ちていた毛布を拾い、私の肩に掛ける。
「……あなたは、さっきの」
「ふふっ、まさか本当に名前を教える機会が来るとはね。約束通り、私の名前を教えて上がる」
飴を啣えた口の両端を釣り上げて、白衣の女が言う。
「私はモリ。または主任と呼ばれてるわ。好きな方で呼びなさい」
「……モリ」
それが、この白衣の女の名前らしい。
主任とも呼ばれてるらしいが、それは単語からして名前ではないだろう。
「せっかく毛布を掛けてあげてたのに、また裸にするなんて……やっぱりあなた、そういう趣味なの?」
「アホ言うな、そのガキが勝手に裸になったんや。俺にはそんな趣味はこれっっぽっちもあらへん」
「冗談よ。所持者になったのなら、この子の監視はあなたの仕事よ。間違って斬られないようにね、テイル」
「もう既に一度斬られそうになったっちゅうに」
モリがそう言うと、金髪の男は肩を竦ませて小さな溜め息を吐く。
「……テイル?」
モリが話した中に、聞き慣れない言葉が混ざっていた。
気になり、思わずその言葉を口にする。
「あら、あなたまだ名前を教えてなかったの?」
「ついさっきまで廃棄になると思っとったんやで? 廃棄行きの奴に名前なんて教えても無駄やろが」
「それもそうね。私もそれでさっきは教えなかったんだし」
金髪の男が言った事に納得しながら、モリは顎に手を当てて頷く。
「てな訳で、俺はテイルっちゅうんや。お前の監視役……ま、子守り役みたいなモンや。よろしゅうな」
肩に掛かっていた三つ編みを指で弾いて、金髪の男……テイルはそう言った。
「……モリと、テイル」
二人を交互に見て、名前を反芻する。
「……覚えた」
そして、確認するように小さく頷く。
「さて、これから忙しくなるわね。スキルと二从人格に加え、禁器も調べなきゃならないなんて。徹夜が続きそうね……」
「餅は餅屋ってなぁ。俺は専門外やさかい。ま、頑張ってな、モーリちやん」
「あら、何を他人事みたいに言ってるのかしら。禁器の実験が出来るようになったなら、禁器の実験体の監視役でもあるあなたの仕事も増えるのよ?」
「んな事ぐらい、わかっとるわ」
「そう、ならいいけど。それじゃ、私はこれからこの子を調べるから。あなたは今夜、S.D.C.で材料探しでしょ? 開始時間に遅れないようにね」
「んなっ!? ちょい待ちぃや! 禁器だけやなく、材料集めもせなあかんのか!? それは禁器が使える奴が見付かるまでの仕事やったんやないんか!?」
「あら、何を言ってるの? そんな訳無いじゃない、人手が足りないって言うのに。関西弁で喋るくせに、つまらない冗談を言うのね」
「マジかいな……」
「ついでに言っておくけど、二从人格の実験体が出来上がったなら、その監視もあなたの仕事だから。あしからず」
「なんやてぇ!? どんだけ俺に仕事を押し付けんねん!?」
「しょうがないじゃない。スキル、禁器、二从人格……全てが常人には危険を伴うモノだもの。特に、禁器と二从人格はね。それを監視出来る程の人材なんて、あなただけなんだから」
「っかー……とんだブラック企業やな。過労で鬱なったら訴えるで、ほんま」
テイルは力が抜けるように肩をを落として、溜め息を吐く。
「あら、ブラック企業よりも黒いわよ、ここは。なんせ非社会的で非人道的、おまけに非合法だもの」
対して、モリは肩を竦ませて微笑む。
「第一、あなたはまだ楽な方よ。私なんて徹夜続きなんて当たり前。パソコンの画面に向かいっぱなしで目は痛くなるし肩も凝る。あなたも私の仕事を手伝ってみるかしら?」
「勘弁や。そないチマチマした仕事なんてしたら、一時間でボックスを消化してまうわ」
「なら、文句を言わずに自分の仕事をするのね」
テイルはモリから視線を離して、けっ、と悪態を付く。
パソコンやボックスと、知らない言葉が出てきた。
ボックスという言葉は知っているが、話の流れから考えると、私が知っているボックスではなさそう。
「ほな、俺はそろそろ退散するわ」
「あら、何処に行くのかしら?」
「あんたがさっき言うたやろ。今夜はS.D.C.やさかい。禁器の実験体の監視役言うても、俺はあくまで実戦や能力計測の時だけや。それ以外は管轄外。モリちゃんにパース」
ヒラヒラと片手を上げて、テイルは部屋の出口へと歩いていく。
「あら、行くにしては少し時間が早いんじゃない?」
「準備もあるし、移動時間も掛かるしなぁ。なにより、はよ一服したいんや」
「あら、そういう事。あぁそうそう、SDCが終わったら第二実験室まで来てちょうだい」
「あぁん? なんでや?」
立ち止まり、テイルはモリへと首を曲げる。
「あなたが帰って来るまでにこの子のデータ採取を済ませて、すぐに禁器のデータを採取をする為よ」
「結局は俺も徹夜やないか……」
肩はがっくりと落とし、顔はげっそりとさせて。
テイルは悲し気な表情を浮かべる。
「わーったわ……第二実験室やな」
肩を落としたまま、テイルは正面を向いて歩くのを再開する。
「良さそうな材料か居たら持って帰って来るのを忘れないでよ」
モリの言葉に、背中を向けたまま手を小さく上げて返事するテイル。
その背中はなにか悲しく見える。
「さて、私も私の仕事をしないと」
テイルが部屋を出て行くのを見送ってから、モリが言う。
「やらないといけない事は山程。さらに忙しくなるわ」
ぺっ、と飴が無くなった棒を吐き出す。
「でもまずは……」
羽織っている白衣のポケットから取り出すは新しい飴。
包み紙を外していきながら、私を横目で見てきた。
「あなたが着る服の用意ね」
そう言って飴を口に入れたモリの顔には、微かに笑みが浮かんでいた。
薄らと、冷たく。