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勇者エミリアの始まりの話

掲載日:2026/08/24

 フォールはオルロージュ村に住む小作人の子供である。小作人とは、ここ、ネニュファー王国では、地主の土地を借りて農作物を作り、農作物の多くを年貢として地主に納める、多くは貧しい農民の事を指す。フォールは地主のモノー家の一人娘、エミリアと同い年だ。エミリアの両親の土地でフォールの両親が働いているので、二つの家は主従の関係にあるといってもよい。それでも、エミリアの両親は過度な年貢は請求せず、過度な労働も要求しなかったのでフォールの一家は、多少貧しい面もあったが、何とか希望をもって生きていけていた。

 フォールとエミリアは、共に十五歳で、同じ学校に通っている。地主の娘のエミリアは当然のごとく、学校では生徒のリーダー的な存在なのだった。エミリアにとってフォールは弟分で、彼女は彼をどこにでも連れまわしていた。この日はとんでもなく暑く、エミリアはフォールと学校を抜け出し、着替えとタオルを彼女の家から持ち出し、山奥の小さな滝に水浴びに出かけた。水浴びをするのはエミリアだけである。

「フォール、私の裸、誰にも見られないように、ちゃんと見張っていてね。あなたもずっとあっちの方向を見ているのよ。」

「はい、エミリア。」

 十五分ほどエミリアは水浴びをした。フォールはその間中ずっと、滝つぼから三十メートルくらい離れた滝へと入っていく道の入り口に陣取り、滝のほうを見ずに、向こうを向いて見張りをしていた。もし人が通れば、フォールが角笛を吹き、それをエミリアに伝えるのだ。

 向こうを向いているフォールの背後から、水浴びを終えたエミリアが、滝の音に紛れてそっと近づいて、言った。

「私の裸、見たい?私、まだ裸よ。」

「!?」

 フォールは向こうを向いたまま凍り付いてしまった。

「うそよ、うそ。ハハッ、本気にしちゃった?もう着替えているわよ。」 

 ばあと、彼の目の前に服を着たエミリアが出てきた。

「あなたは水浴びしなくていいの?タオル、二つ持ってきたわよ。」

「いえ、ここは山の陰になっていますし、滝の冷気で十分涼みました。」

 エミリアを彼女の家まで送って、それからフォールは自分の家へと帰った。


 その夏の日から二か月ほどが過ぎたある秋の日、エミリアはフォールを近所の森へと連れ出した。彼女は悩みがあると、フォールにその悩みについて話しながら気分転換に散歩するのだった。彼女は近頃、学校の理科の先生とうまくいっていない。彼女たちの先生は、植物の分類を過去に専門としていた先生で、村に生えている植物の詳細な分類名ばかりを生徒に教え、その他の事を全く教えないのだった。エミリアがその先生に対し、教え方を少し変えてほしいと直接、願い出たのだった。エミリアの主張の要点は二つあった。まず、生物学的なことを教えるにしても植物の分類以外の事も教えてほしいということだった。動物の体の構造であるとか、生態系において生き物がどのような関係にあるのかなど、生き物に関してはいくつも興味深い話がある。第二には、どのように光は反射するのかとか、なぜ火山は噴火するのかなど生物以外の事も、授業でカバーしてほしいというのだ。

「僕は、エミリアの主張が尤もだと思います。」

「ありがとう。でもあの先生、今年の授業内容はもう作ってしまったから、今年は内容が変わることは無いって言っていたわね。どうせ去年と同じことを教えているくせにね。」

「確かあの先生は、フルダ家の方なのでしたよね。」

 フルダ家というのは、エミリアの家よりも土地の規模が小さいがオルロージュ村の地主の一家なのであった。息子や娘が何人もいる一家だ。長男以外は地主としての地位を引き継げないが、一家の影響力を用い、長男以外も村の要職についていた。その一人がエミリア達の理科の先生というわけだ。学校の先生というのも、この村では、なかなかの要職である。

「フルダ家ならエミリアのご両親と仲のいいエアフルト家の方々から根回しできれば、エミリアの意見をすぐに採用してくれるかもしれませんが、エミリアが悩んでいるのは、そういうことではないのですよね?」

 フォールは小作人の子供ながら、村の実力者たちのパワーバランスをよく知っている。

「そうね。私の悩みについて、わかってくれてありがとう、フォール。私が悩ましいと思っているのは、私が正しいと思っていて、貴方も正しいと思っていること、そしてもしかすると他の生徒も正しいと思っていることでも、それだけでその意見が通らないということね。」

「僕たちの理科の教え方ですら、すぐに変わることがないのだから、大人にとって、もっと大切な私利とか利権が絡む事柄になってくると、もっと難しいのでしょうね。」

「私たちの無力さを感じてしまうわね。」

 その時である。木陰から何かが出てきた。それは一匹のゴブリンだった。いたずら好きで凶暴なモンスターである。その爪とキバは人を死に至らしめる。子供の太刀打ちできる相手では全くない。彼らはまさに、無力であった。

「モンスターだ、逃げよう、エミリア!」

 二人は一目散に駆け出した。二人とも学校の体育は得意なほうだ。だが、走り出して三十秒くらい経ったところで、エミリアが茂みに足を取られ転んでしまう。ゴブリンが彼女に迫ってくる。フォールは、振り向き、今度はゴブリンに向かって全速力で走っていった。彼は、速度を込めた渾身の体当たりをゴブリンにした。だが、ゴブリンは、それでも少し押されたというくらいで、ケロッとしていた。ゴブリンはフォールを強烈に投げ飛ばした。フォールは、受け身を取れたが、すぐには起き上がれない。ゴブリンとフォールを結ぶ線の間に割って入ったのが、エミリアだった。

「フォールに手を出すのは私が許さないわ!」

 エミリアがゴブリンに立ちふさがる。ゴブリンは爪を彼女にふるった。

「危ない、エミリア!」

 ゴブリンの爪が彼女に届く直前に、起き上がったフォールが彼女を後ろに投げ飛ばした。彼女の服は少し破れたが、彼女に傷はつかなかった。投げた反動でフォールはまた転んでしまう。目の前のゴブリンとフォールの間の距離は一メートルしかない。

(いや、ダメだ。諦めちゃいけない!絶対にエミリアを守る!)

 フォールがそう思った時、彼の手が光り出した。光は剣の形となっていく。フォールはすぐに半分起き上がり、片膝をつきながら、その光の剣をゴブリンの脚を目掛けて横に振り払った。ゴブリンの脚はバターのように簡単に切れた。その場で前のめりに倒れ、断末魔をあげるゴブリンだったが、やるかやられるかだ。完全に起き上がったフォールは、ゴブリンの背中に刃を突き刺した。ゴブリンは絶命した。

「フォール、あなた、大丈夫?」

「何とか。あなたの傷は、エミリア?」

「大丈夫よ、服が少し破れただけ、こんなところに魔物が出るなんて。たしか最後にこの村に魔物が出たのは二〇年も前の事だったはずよ。あなたの光の剣は何なの?」

「わかりません。あなたを守ろうと夢中で。」

「すごいわ、フォール!あなたにはきっと戦の才能があるのね!」

「そうだといいのですが。何かの呪いのようなものではないこと、願います。」

 二人はエミリアの家まで帰ってきた。メイドのマリアが出てきた。

「まあ、お嬢様、その格好!どうなされたのですか!?」

「森で魔物に襲われたのよ。フォールが助けてくれたのよ。彼も中に入れて、何か温かい飲み物を出してくださる?」

 マリアは大急ぎでエミリアの着替えを用意し、エミリアとフォールの二人のお茶とお茶菓子を出した。そうこうするうちに、エミリアの父ファビアンが外出先から帰ってきた。

「魔物に襲われたって、無事かエミリア?」

「はい、パパ。フォールが助けてくれたのよ。」

「ありがとう、フォール。そうだ、昨日、良いソーセージを手に入れたのだ。君の家に持って帰りなさい。」

「ありがとうございます。ファビアンさん。」

 ファビアンは警察や村長に連絡をしに、また出かけて行った。

「それでは、僕は帰ります。ゆっくり休んでくださいね、エミリア。さようなら。」

「あなたもね。さようなら、フォール。」

 

 ゴブリンとの初めての遭遇から、一年が経った。どうも近頃、国全体で魔物がいっぱい出ている様で、ネニュファー王国は頻繁に魔物注意報を発令した。エミリアの父ファビアンは可能な時は、フォールを自分の家の者の護衛につけた。実際に、エミリアは何度か魔物に襲われた。その都度、彼女を助けたのがフォールだった。自分の弟分が自分を守ってくれるのは心強かったし、フォールが魔物と戦う力を持っていることについて、エミリアは鼻高々だった。

 フォールはエミリア以外のオルロージュ村の者も魔物から守ったし、時々、村を通りかかった旅人達も守った。ある時は普段は都に住んでいるというラッセル伯爵を魔物から救ったこともある。

 ある日、ファビアンはエミリアとフォールを連れて、隣町の地主、ルソー家の家を訪ねた。そこにはエミリア達より、少し年上くらいの麗しい青年、マクシミリアン ルソーがいた。

「あなたがエミリアさんですね。初めまして、マクシミリアンと申します。」

「エミリアです。こんにちは。」

 マクシミリアンの父とエミリアの父はしばらく歓談していたが、彼ら二人がフォールを連れて外に散歩に行こうという話になった。それが、マクシミリアンとエミリアを二人きりにさせたいという合図だということは、その場にいた者、全てが理解した。

 二人の父達とフォールは九十分ほど、ルソー邸の裏山を散策して、戻ってきた。フォールが見た限りだと、エミリアとマクシミリアンは仲良さそうに庭のテラスでお茶を飲みながら歓談していた。

(いよいよエミリアもそういう歳っていうことか。)

 フォールは心の中で自分を納得させようとした。彼は彼女を愛していた。だが、フォール達の住む地域では、地主の子供は地主の子供と結婚することが、不文律となっていた。子供達を支配する大人達にとっては、小作人の子供と地主の子供が結婚することなど、考えられなかった。ゆえに、フォールは彼の恋が実らぬ恋であることは理解していた。

 先に庭を案内してもらったエミリアは、父ファビアンと一緒に庭を見て周り、マクシミリアンの父はお土産の準備があると言って、奥の部屋に入って行った。フォールはマクシミリアンと二人になった。

「君が、エミリアの幼馴染のフォールか。エミリアから話は聞いたよ。なんでも不思議な力を持っている彼女のボディーガードなんだってね。それは彼女にとってありがたい事なのだろうが、あまり彼女と親密にするのはやめたまえ。彼女は妙齢の令嬢だ。身分が違う異性がいつもそばにいるというのは、そうだな、他の身分の高い者から見れば違和感があるんじゃ無いかな。それだと彼女が可哀想だ。」

「そのようにします。マクシミリアン様。」

 エミリアの重要な縁談の相手になるかもしれないマクシミリアンに反抗しないような返事をフォールはした。

 窓の外を見るとちょうどエミリアとファビアンが庭から、こちらに歩いてきて、この部屋のドアを開けようかという時だった。彼らが中に入ってくるとほぼ同時に、マクシミリアンの父も、奥の部屋から大きなお土産を持って入ってきた。

「今日獲れた鴨です。美味しいですよ。」

 ファビアン、エミリア、そしてお土産の鴨を背負ったフォールはルソー家の人々に別れの挨拶をし、オルロージュ村へと戻っていった。オルロージュ村についた頃にはもう、夕方になっていた。

 エミリアがもう少し散歩をしたいと言うのでフォールが付いて行く事になった。

「今日、私とマクシミリアンの間にはね、特に何もなかったから。」

 エミリアは唐突に言った。

「話は面白かったんじゃ無いですか?楽しそうでしたよ。」

「そりゃそれなりに楽しくは過ごしたけど。」

「じゃあ、それで良かったじゃないですか。」

「勝手に決めないで!」

 エミリアはフォールに怒鳴った。

「申し訳ありません、エミリア。」

 こんな時に限ってフォールは下手に出る。

「まあいいわ。私の言いたかったことは、あなたに伝えたわ。今日も一緒に来てくれてありがとう。さようなら。」

「さようなら、エミリア。」

(フォールの意気地なし。)

 エミリアは心の中で呟いた。


 それから半年が過ぎ、オルロージュ村に都からの使者がやってきた。大地主のファビアンと、その小作人でフォールの父のピーターが、ファビアンの家に集まり、使者の応接をした。

「ピーターさん、お宅のフォール君ですが、彼には魔物と戦う大いなる才能がある。都に住むラッセル伯爵が彼を大絶賛し、感謝していた。それだけでない。この付近に出張していた都の商人ギルドの者たちも何人かフォール君に助けられた模様で、都でフォール君の不思議な力は噂になっているのです。そこで単刀直入に申し上げたい。彼を都にある士官学校に入れませんか?王国軍が直々に予算を割き、彼の滞在費用と学費を出します。ゆくゆくは、彼は魔物と戦い人々を守る立派な軍人となることでしょう。」

「そんな。フォールは私の唯一の息子で、大切な働き手なのです。」

 フォールの父、ピーターが言う。

「タダでとは言いません。彼は貴重な人材。今後二十年は年貢の半分を国が負担しますよ。」

 使者にそう言われて、ピーターは黙ってしまったが、今度はエミリアの父ファビアンが言う。

「彼以外に我々を魔物から守ってくれる者が、この村にいません。」

「大丈夫です。昨年からの急なモンスターの出現頻度の増加に対応するために、我々は傭兵団を雇いました。その一人をこの村に常駐させましょう。そうだ、ファビアンさん、あなたにも報酬金をお支払いしますよ。最後になりますが、もう一度よく考えてご覧なさい。田舎の小作人にしかなれない運命にあった彼が、都の士官学校に入学してエリートの道を歩む。これがどれほどフォール君の将来を明るくすることか。」

 結局、使者の熱意とフォールとエミリアの家に支払われる報酬の多さ、そして士官学校に通った場合のフォールの将来の明るさを考えて、二人はフォールを都に行かせる事にした。フォールに何も承諾も取っていないのに彼らは決めてしまった。

 使者は、笑みを浮かべつつ、これから三か月後にフォールを迎えにくると約束して、都に戻って行った。

 フォールは父から都行きの話を聞き、愕然とした。だが、自分の父もエミリアの父も承諾してしまった以上、王からの使者にやっぱりやめたと言って、引き返すことはできない事を彼は悟っていた。軍の者など、この村で見かけたことなどない。士官学校に行き、軍に入るというのは、ほぼ、この村を出て行って戻って来ない片道切符に他ならないのだった。


 使者が来たあたりから、エミリアのフォールに対する態度が豹変した。もう昔のように気のおける弟分のように接する事は無くなり、フォールをただの使用人のように扱い始めたのだ。今日は急にマクシミリアンの家に行くと言い、ボディーガードを命じた。

「フォール、わかっていると思うけど、あなたは、ただのボディーガード、それ以上の何者でもないって言う事がマクシミリアンに伝わるように振る舞って頂戴。あの方の家も私の家も両方地主で、彼は私のフィアンセ候補なのだから、あなたが邪魔になるといけないわ。あちらに着いたら、私の護衛らしく、ただ入り口を警護していなさい。あなたはマクシミリアンの家に入ることを禁じます。」

 エミリアを愛しているフォールは、悲しくて泣きそうになった。入口の警護などしたくはなかった。だが、自分がオルロージュ村には後二ヶ月ほどしかいれないことをわかっていたし、エミリアには身分相応な相手がそろそろ必要になる事を理解していた。彼はエミリアの言う通りにした。

 二人は、朝早くマクシミリアンの家に到着して、夕方になるまで彼は入り口に立っていた。エミリア達は食事にも入れてくれなかった。流石にもう帰らなくてはならないので、エミリアとフォールはオルロージュ村へと出発した。森の中の道を二人は歩いていた。

「ご苦労様、フォール。おかげでマクシミリアンとは楽しいひと時を過ごせたわ。」

「お役に立てて良かったです。」

 その一言はエミリアをイラッとさせた。

「あなた、あれだけ長い時間、私と彼は二人きりだったのよ。二人に何もなかったと思うの?私達、一つになったりもしたのよ。」

 エミリアは嘘をついてしまった。

「!?」

「顔を見せてよ。ハハッ。何よ、あなた、やっぱり動揺しているじゃないの。」

 その時だった。地面から三メートルはあろうかという大型の土蛇が突如として顔を出し、次の瞬間、エミリアを襲おうとした。だが、それよりも早くフォールは彼の光の剣を土蛇に突き立てていた。

「大丈夫、エミリア?」

 そういうフォールの目を見てエミリアはハッとした。その目は、正真正銘、ただ、彼女を心配しているピュアな目をしている。他意が見られない。自分が将来、軍のエリートになることを誇っていることも無ければ、マクシミリアンより自分の方が男として良いだろうという事を誇示する心も、その真っすぐな目の中には見られなかった。

「大丈夫よ、ありがとう。」

 二人はその後黙って森を歩いて行き、フォールは無事エミリアを彼女の家まで送り届けた。

(意地悪しちゃったわ。ごめんなさい、フォール。)

 彼女は心の中で言った。


 いよいよフォールが都へ旅立つ日が来た。エミリアの父ファビアンは、その前日に送別パーティーを開き、フォールは村の人々に別れを告げる事が出来た。フォールは、もう一度ファビアンとエミリアに挨拶をしに、彼らの家にやってきた。ランチの少し前の時刻だった。

 エミリアの家にはマクシミリアンがいた。今日フォールが旅立ち、挨拶にも来ることを知っていたのにエミリアは応接間で彼の相手をしている。

「私はもう今日で旅立つ身。彼女のボディーガードとして、彼女に別れを言うお時間を頂けませんか?」

 フォールはエミリアと二人きりにして欲しいと皆に願い出た。

「良かろう。地主の情けだ。三十分くらいなら良いだろう。」

 マクシミリアンが言った。

 フォールとエミリアは近くの川までやってきた。川岸は草原のようになっていた。そこに咲く小さな花を見ながらフォールが言った。

「こっちに咲いているのはツルガツメクサで、そっちに咲いているのはアツガツメクサですね。覚えている?学校の理科で習った。」

「そんなもの、覚えていないわ。」

「僕たちが草木の名前ばかり覚えさせられている時、あなたは大人の都合で何でも決まってしまうことを、悲しく思っていたね。」

 エミリアは黙って聞いている。

「僕がこの村を出て行くのだって大人の都合だ。あなただって家の都合で地主の子供と結婚するのでしょう?」

 フォールはそう言ってしまった。彼のジェラシーがそうさせてしまった。そうだと、彼女に言ってほしかったのかもしれない。だが彼女はそれを否定した。

「私がマクシミリアンの事を好きなのは、私自身の気持ちで、家の事なんて関係ないわ。」

「そうか。それなら良かったです。戻りましょう。どうやら、子供の頃の世界に私だけ取り残されていたようです。あとそうだ、どうしても悲しいことがあったら、僕たちが秘密基地にしていた、洞のある大樹の後ろ側に行ってみてください。目印があるから、そこを少し掘ってみてください。」

「私、もう子供じゃないのよ。変な事言わないで。」

 二人はエミリアの家に戻り、エミリアの家の建物と門をつなぐ広い庭でファビアン、マクシミリアン、そしてエミリアがフォールに別れを告げる時がいよいよ来た。

 その時、空中を飛ぶ小型の魔物が彼らを襲った。最初の一撃はマクシミリアンを狙っていた。フォールはマクシミリアンを抱き抱えつつ伏せた。そのおかげでマクシミリアンは魔物の攻撃から逃れたが、フォールの頬を魔物の爪が掠めた。フォールはすぐに起き上がり、再び空から襲ってきた魔物を光の剣で切り裂いた。

「皆さん、大丈夫ですか?」

 そう言って振り向いたフォールの目に映ったのは、エミリアに介抱されているマクシミリアンだった。

「マクシミリアン、大丈夫?」

「ああ、大丈夫だ。」

 彼女は心配そうに彼の顔を見ている。その時、エミリアの家の門に一人の男が到着した。

「こんにちは、今日から都より派遣されました傭兵団の一員、ダミアンと申します。地主のファビアンさんのお宅はこちらでしょうか?」

 それは、都の派遣した傭兵の到着だった。

(もう僕が、ここにいる理由も、もう無くなったか。)

 フォールは一人そう思った。改めてフォールはファビアンとエミリアに別れを告げる時となった。

「今までお世話になりました。さようなら。」

「こちらこそ、今までありがとう、フォール。元気でね。」

 ファビアンがフォールと握手をする。

「ありがとう。さようなら、フォール。」

 エミリアの最後の言葉は短いものだった。


 フォールはエミリアの家を後にし、彼の家で彼の家族に別れを告げた。傭兵のダミアンと一緒にやってきた都の使者と共に、フォールは都へと旅立って行った。

 その夜、皆が寝静まった後、エミリアは一人で自分の寝室のベッドの上で泣いていた。

「私の演技、上手にできていたでしょう、フォール?あなたも父も、まんまと私がマクシミリアンを好きだと思っているわ。」

 彼女は暗い天井を見ながら言った。

「私がここまですれば、私たちの親が最初に勝手に決めたこととはいえ、あなたは、心置きなくこの村をあなたの心から捨てることができる。あなたは王国軍の将軍となるのよ。良い奥さんを見つけて、豊かな家庭を築くの。大人が何でも決める世界に進んで行ったのはあなたで、子供の世界に取り残されたのは、私の方なのよ。だって、私はあなたが好き。ずっと好きで、今でも大好きなのよ、フォール。」

 彼女はその晩を泣き明かした。


 フォールがオルロージュ村を離れて一ヶ月が経った。エミリアとマクシミリアンの縁談は、ここに来て急に破談となった。マクシミリアンは、別の隣町の大地主の娘と一晩を共にしたと言うのだ。エミリアの父ファビアンは激怒した。

「あんな男のことは、早く忘れなさい。お前にはまだまだ良い相手がいくらでもいる。」

 エミリアは茫然自失となった。最愛のフォールが村を去り、フォールの目の前では仲のいいふりをしていたマクシミリアンも彼女の目の前から消えた。マクシミリアンを失った事自体は、そこまで深い悲しみではないのだが、自分の過去があっという間に消えて行く重い喪失感を彼女は抱いた。

 彼女は誰にも行き先を告げず、自分でもどこに向かっているかも知らずに、ふらふらと森を歩いていた。

(そういえば、フォールは悲しい事があったら、秘密基地の裏に行けって言ってたっけ。)


 エミリアとフォールには森の中に秘密基地があった。それは大きな樫の木だ。この樫の木には洞があり、それを彼女らは秘密基地と呼んでいたのだった。それは、最初はエミリアだけの秘密基地だったが、彼女らが十歳の時、エミリアはフォールをここに連れてきたのだ。その頃、フォールは近所の子供たちに時々不当な暴力を受けることがあった。そのフォールを守ったのがエミリアだった。その時のことをエミリアは思い出した。

「フォール、可哀そうに。涙が止まらないのね。」

「ポールのやつ、石を使って殴ってきたんだよ。僕は、彼が昆虫をいじめているのを指摘しただけなのに。」

「とんでもない暴力ってあるものよね。でも大丈夫よ。ここはね、私の秘密基地。だから、私以外は、誰もあなたが泣いているのを見ていないわ。泣くのに疲れるまで泣きなさい。この基地は今日から、私だけじゃなくて、二人だけの秘密基地よ。」

「ううっ、ううっ。」

「大丈夫よ。今度ポールが悪さをしてきたら、私があなたの盾になって守ってあげるんだから。でも、私に守ってもらってばかりではダメよ。次はあなたが他の誰かを守らなくては。私と約束できるかしら?」

「うん。」


 そんなやり取りを思い出しながら、エミリアはフォールの言った通りに秘密基地である樫の木の裏手に回った。地面に露出している根の一つに刃物で下向きの矢印が彫られていた。その矢印の指す先の土をエミリアは手で掘った。五分ほど掘ると何かの箱の上の面が見えた。

「これは?」

 エミリアが手のひらに収まるような小箱を掘り起こし、中を見ると、中には銀のネックレスが入っていた。これほどまでに美しい装飾品をエミリアは今までに見た事が無かった。銀のネックレスの下には手紙が入っていた。

「この手紙を見ていると言うことは、あなたが悲しい気分になったと言う事なのでしょう。あなたがもし泣いているのなら、今は泣いていても、涙がいずれ止まる事を願います。涙といえば、あなたは泣いてばかりいる僕をここに連れてきてくれた事、この秘密基地では泣いていても良いとあなたが言ってくれた事を覚えています。その事が僕の心のどれだけの支えになった事か。あなたには感謝しても感謝しきれません。このネックレスは、ラッセル伯爵を魔物からお助けした後で、伯爵が私に何か都での物を買ってくださると言う事で、あなたへの装飾品を僕が所望したと言う経緯で手に入れたものです。僕はどれだけ自分の手で、あなたにこのネックレスを着けたかった事か。でも、そうすればあなたがマクシミリアンと人生を歩んでいく事への邪魔になってしまう事でしょう。だから、遅れてこれを渡す事をお許しください。あなたの心が少し安らぐ事を願っています。 フォール」

 フォールの手紙を読み終わったエミリアは再び涙を流した。もう戻って来ないフォールの心の温かさを感じての涙だった。

「あなたと最後に別れた時、この思い出やあの思い出も、本当はあなたとずっと河原で話していたかった。でも、できなかった。少しでもそれを話せば、思い出が溢れてきて、さよならを言えなかっただろうから。」

 今度は、フォールとの思い出を思い出しての涙が流れた。だが最後に、フォールの願った通りに、エミリアの涙はちゃんと止まった。フォールがこんなにまで自分の事をずっと想っていてくれて愛してくれた事を理解した事は、彼女の心をとても強くしたのだ。


 それから三年に近い月日が過ぎた。フォールはこの三年間、一度も帰ってくることは出来なかった。士官学校の学生のうち優秀と認められた者は将来的に都を守る任務にあたる。フォールはその優秀な学生に選ばれていたのだ。そのような学生は追加の奨学金を受けつつも、都にずっと留まる事を要請される。魔物から都を守る軍のやり方を、実務を通じて学ぶのだ。

 エミリアは、この三年いくつも縁談があったが、そのどれも受け入れなかった。それはファビアンにとって頭の痛い事ではあった。ファビアンは、エミリアの気持ちを切り替えるべきだと思い、彼女に旅をする事を提案した。

「どこか行きたいところはあるか、エミリア。」

「パパ、私は一度、都に行ってみたいのです。」

「良かろう。次にこの街に都からの使者の方がやってくる時に一緒に都に行きなさい。ただし、フォールとは絶対に接触しない事。フォールを都へ行かせた事で、私もフォールの父ピーターも王家に財政的な支援を受けている。もし彼がここに戻って来たくなったとしたら、我々は、王家に皆殺しにされかねない。」

 ファビアンはエミリアに釘を刺した。実は、父が報酬金を受け取っていたことは、彼と王の使者の会話を盗み聞きしたので、エミリアは知っていたのだが、父の口から直接それを聞いたのは、今回が初めてだった。エミリアは心底呆れた。


 エミリアは、都に戻る王の使者に付き従い、はるばる都まで歩いてきた。建物の壮麗さ、豪華さ、大きさ、そして歴史がエミリアたちの住むオルロージュ村とは全然違う。そして、この人の多さだ。行商人、工場の職人、ストリートフードを売る者、旅行者、物乞いに貴族、多様な人々が道を行き交い、一つの喧騒の渦を作っていた。

 王の使者と別れ、一晩宿屋に泊まったエミリアは、どうしてもフォールの在籍する士官学校を見てみたくなった。道ゆく人に何度も道を尋ね、ちょうどお昼頃に彼女は学校の正門までたどり着いた。その学校は、村のどの建物よりもずっとずっと大きかった。フォールに見つかるといけないので、彼女は木陰から学校を見ている。

 門の中から、そこの学生と思しき二人がやってきた。なんと、その一人はフォールだった。行き先が完全に定まっていないのか、彼らは門の前で少し立ち止まって話す。

「今日はごちそうになります、先輩。」

 フォールと一緒にいるもう一人は女性だった。

「喜んでごちそうします、アマンダ。あなたが二年生の首席となったら、そうする約束でしたね。」

「このご馳走のために、アタシ、とっても頑張ったんですよ。試験勉強も、実技も。」

「お疲れ様でした。」

「卒業間近の先輩も、卒業生の首席おめでとうございます。卒業式は総代をされるのですよね?皆納得の堂々の一位という感じですね。」

(フォールがこの大きな士官学校の首席として卒業!?)

「僕も苦労はしましたよ。」

「またまた、ご謙遜を!アタシはその十倍くらい努力してやっと二年生の首席をギリギリもぎとれたというイメージです。ああ、でも首席は取れても先輩の心までは奪えないのですよねー。いつも、さらりとアタシをかわして。同じ学年の三年生なのですよね?先輩の想い人。」

「まあ、強いていえば、そうですね。」

 フォールはあっさりと言った。

(フォールには今、想い人がいるのね。そうか。)

 もう自分の後ろをついてくる事はないフォールを思うと、エミリアは寂しい気持ちになった。エミリアは、やはり、フォールに声をかけたくなった。『エミリア』ともう一度その名を呼んで欲しかった。エミリアは気持ちが抑えられず、片足を上げかけたが、ファビアンに出発前に言われた事を思い出し、そっと足を元の位置に戻した。

「肉料理の美味しいレストラン、ダ・ヴィンチと魚料理の美味しいレストラン、イサリビ、どっちにしますか、アマンダ?」

「じゃあ、イサリビで!うー、楽しみ!」

 アマンダが笑顔をフォールに向ける。

 フォールとアマンダは学校を出て左手の方へと進んでいき、やがてエミリアからは姿が見えなくなった。

 エミリアは、フォールと話せなかった寂しさを抱いたが、同時に嬉しくもなった。フォールが学校で活躍している事が、我が事のように嬉しい。

 ホテルへと戻ろうとする。エミリアは、本当にフォールと別れて生きていくので良いのか悩む。明日には都を出発し、故郷に戻って地主の家の娘として生きていくと言うのが、当たり前なのだと、今日の今日まで思っていた。彼女の生きる時代がそう思わせてきた。だがフォールを見たこと、それは彼女の身体に疼きを与える。自分を義務感ではなく、助けたいからただ助け続けた男、それは自分だけのものにしたい。そうでない事が我慢ならない。

 気づくと、30歳くらいの女性が学校の中から出てきた。その女性は、木陰にいるエミリアに気づいた。

「あなたは、、、、」

 女性はエミリアの顔をまじまじと見つめながら言う。

「イサリビに行くか、行かないか、今決めたらどうかしら?」

「えっ?」

「どうするの?」

「行きます。あの、、あなたは??」

「決めたのなら、すぐ行ったらどうかしら?」

 女性の言葉には圧があった。エミリアは、そそくさとイサリビのあると思われる方向に小走りを始めた。街の人々に尋ねながら、イサリビの場所を見つけた。100人くらいが入れる店内は満席で、騒音でとても、自分の座っているテーブルの会話以外は聞こえないような状況だった。

 エミリアは、簡単に騒音にかき消されるような声で、だがはっきりと言った。

「出てきて、フォール。」

 そんな言葉がそもそもこの世に存在しなかったかのように、騒音は単に続く。いや、そうではない。店の奥の席から10秒ぐらいして、一人の男がエミリアのいる通路の左奥から出てきた。エミリアの声だけはどんなノイズがあったとしても、聞き逃さない、たった一人の男だ。

「エミリア?」

 エミリアはフォールに抱きついて、そして感極まって泣いた。

「そうか、おそらく大変な事があったんだね。」

 フォールは察した。エミリアの首には、彼が贈ったネックレスが光っている。

「ちょっと先輩ー、いくらなんでも展開が急すぎです!一旦席に戻りましょう!四人がけなんで、こっちでゆっくり話したほうがいいですよ!」

「ありがとう、アマンダ。」

 フォール、エミリア、そしてアマンダはテーブルを囲み、フォールとエミリアの積もる話のうち、プライベート過ぎない話とか、フォールの士官学校入学後の活躍などに話を咲かせた。アマンダが気を利かせてうまく話題を選んだのでフォールもエミリアも楽しく過ごせた。アマンダは、できの良い後輩なのだ。

 フォールが会計を済ませている間、エミリアはアマンダと二人きりになる。

「ハァー、先輩の想い人が誰なのかずーっとわかってなかったんですが、あなたがそうだったんですね。もしかすると想い人は実在しなくて、可愛い後輩のアタシと結ばれるかも、なんて思ってたのに。これが現実かあ。」

「あなたみたいな素敵な気品のある方に愛されるフォールはすごいと思います。私なんて何か取り柄があるわけでもないですから。フォールが好きなだけで。」

「あっ、今、先輩は自分のものになるって、確信したでしょ。ムー。油断しないでくださいね!アタシだって抜け目無いですから。手加減していると痛い目、みますよ。」

 フォールが会計から戻ってきた。アマンダとフォールは午後の授業があるのでエミリアとは校門の前で別れた。夕方になってフォールとエミリアは校門前で再会し、フォールのアパートへ向かった。

 夜になった。水浴びをしているエミリアをフォールは寝室で待っていた。フォールは多額の奨学金とモンスター退治の報奨金を使ってアパートのオーナーになっていたのでもう、彼女の見張りをする必要がない。昔とは違うのだ。

「フォール、入るわよ。ちょっと目を瞑ってて。」

 エミリアが入ってきた。

「ねぇ、フォール。私って、あなたにつれない態度とってオルロージュ村を出ていかせて、そして私自身が家出する以上は、お父さんが、私を娘としてもう扱ってくれないかもしれない。地主の娘の家出なんて、私の知る限り、前代未聞。家の恥もいいとこだしね。あなたみたいな不思議な力もない、そんな何にもないエミリアなの。それなのにどうして私を好きなのかしら?」

「何にもなくは無いよ。僕がいるから。でも僕がいなくても、ここに全てのエミリアがあるって思うんだ。真っ直ぐに躊躇いなく単に人を愛せる心、それを持つユニークな貴女と一緒にいたい。」

「そう。。。」

 エミリアはアマンダの言葉を思い出していた。手加減すれば痛い目を見ると。まだ目を瞑っているフォールを見ながら、エミリアは言った。

「私の裸、見たい?私、まだ裸よ。」

「うん。」

 フォールはエミリアの方向を向いて、じっくりと月光に照らせれた裸のエミリアを見た。少し語らった後、オルロージュ村から離れた王都で、ようやく幼馴染の二人は体を重ねた。


「おそらく、うまく行ったようですね。」

 王都の某所でアマンダは誰かと話をしていた。それはエミリアが士官学校校門前で会った三十代くらいの女性だった。

「一人の勇者が二人の勇者になろうとしている。私たちは彼らと共にありましょう。それが私たちの希望なのですから。」

 その女性は言った。





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