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異世界転石の先  作者: 七田 遊穂
第6章 先を生きる人
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第81話

 その事情はダスワルトにはよく分からない。先生が詳しく語ろうとしない、どろどろの中に色々あったのかもしれないし、一生懸命働いてきたのにこんな僻地に追いやられて裏切られたように感じているのかもしれない。単に、先生の元々の性格がねじ曲がっているせいもありそうだが、嫌な目に遭ったからねじ曲がった可能性もある。卵が先か、ニワトリが先かの話のようだ。


「そんならさ、先生、官吏なんか辞めちゃえばいいじゃん。そうしたら、ここを出て好きなとこ行ったって怒られないんだろ。一緒に出ようよ。出て、好き放題イェメナを掘り散らかせばいいじゃん。」

「馬鹿を言うな。そんなことができるか。」

「なんでできないのさ。」


 ダスワルトが素直にそう尋ねると、先生は言葉に詰まって、ダスワルトから顔を背けて意味もなく壁の染みに目を転じた。


「…私にだって意地や誇りというものがある。」


 しばらくしてから、先生はぼそっと呟いた。


「お前のご両親や他の勇者たちが、死ぬと分かっていて魔王に挑んだように、私にも譲れないものがある。ここでは志していたことは何もできず、魂が死ぬようなものだとは分かっているが、諦めるわけにはいかない。」


 先生の表情はダスワルトからは見えない。が、その口調は、意固地で疑り深く攻撃的ないつもの先生とは違っていた。


 だからこそ、ダスワルトは先生に物申した。


「でも、先生。逃げた方が良いんだぞ。」

「何だと?」

「逃げる好機があったら、ためらわず、死に物狂いで掴まないと、逃げられなくなっちゃうんだ。最後の最後まで追い詰められた時に、あの時逃げとけば良かった、って思っても遅いんだぞ。」


 先生は半分だけ顔をこちらに向けて、ダスワルトを睨むように見据えた。


「それはお前の経験則か。」

「私はそう教えてもらっていたのに、失敗したんだ。つまんない意地張って、兄と姉を死なせた。好機を捕まえていたら、今頃ここに3人でご厄介になっていたかもしれないのにな。」


 ふとした拍子にいつも思い出す後悔だ。淡々としゃべろうと思ったけれど、どうしても苦いものが滲み出る。


 先生はふんといつもの調子で鼻を鳴らした。


「こんなところにお前みたいなのが3人も居たら、私がとっくにくたばっとるわ。」

「安心しろよ、兄さんと姉さんは、私よりはずっと上品だ。比較の問題だけどな。」

「冗談じゃない。ガキンチョはお前だけでも青息吐息だよ。」


 先生はため息交じりにそう言って立ち上がった。3人揃ってここに来ないでくれて良かった、というのは本心である。そこまで増えるなら一家揃ってお越しになってくれた方がまだ助かる。そうしたら、こんな、変なところばかりがやけに大人びた、妙ちきりんな子どもの相手もせずに済んだであろうに。


 魔物が今後もここを勇者のゴミ捨て場代わりにしたらどうしよう、とほんの一瞬寒気がした先生であったが、ぶるぶるとすぐに顔を振ってその考えを捨てた。今まで来なかったのだから、大丈夫、大丈夫。


 いや、待て。と先生は本を開く手を止める。むしろ、勇者が山ほどここへ来て、この辺りの諸島も本土ものっぴきならないほどの大混乱に陥って、そんな正体不明な騒擾に紛れて本土に帰る方がよっぽど胸が空くかもしれない。それも良いかもしれないな、と先生は書斎の片隅でふっと笑った。


 結局、結論がはっきりしないまま、ダスワルトは冬支度を始めた。空き家から使えそうな衣類を引っ張り出してきて、適当につなぎ合わせて冬着を拵えたり、壁の隙間に板を打ち付けたり、薪を貯蔵したり、余念が無い。が、心はいかにして故郷に帰るかにある。


 先生の言うとおりだとすると、次の荷受けの時にでも隣の島に連れて行ってもらい、大きな島を経て本土へ、というのは、できるだろうけれどもその後が心配だ。本土の土さえ踏んでしまえばそのままとんずらすることも可能だろうが、大きい島で怪しまれて捕捉される可能性もある。どこの島であっても、陸続きでないところで拿捕されたら逃げようがない。魔物扱いされるのも、犯罪者扱いされるのも、御免被りたい。そんなことになったら、この島を出たって故郷に帰れやしない。


 やっぱり、先生と一緒に大手を振って島を出るのが一番安全な気がするのだが、それには先生に官吏を辞めてもらわねばならないっぽい。先生だって、命令違反でとっ捕まって、心にもない余罪を追加するのは嫌だろう。でも、先生にとっての官吏という地位は、多分、父親にとっての勇者という仕事に等しい。官吏に対するイメージの無いダスワルトにその気持ちは理解できないが、想像はできなくもない。辞めてよー、と言ってすぐにハイと言ってもらえるわけがない。


 こんなところであんな陰険な目をして暮らしているくらいなら、イェメナを掘りに行けばいいのに、と本気で思う。自分が島を出たいから、という気持ち以上に、先生のために先生を島から出してやりたい。

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