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異世界転石の先  作者: 七田 遊穂
第6章 先を生きる人
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第80話

 先生は長いため息をついた。


「それにな、私は多分、魔王城を見たことがある。だから、お前の話を信じやすかった。」


 先生の突然の告白に、ダスワルトはまた目を見開いた。


「はあ?先生、魔王城知らなかったじゃん。」

「それと思って見たわけじゃない。何かあるな、とは思ったが。興味が無いものは、あまり頭に残らん。」

「先生、イェメナに行ったことがあるのか?」

「あれが本当のイェメナなら、行ったことがあることになる。だからこそ、今ここにいるんだがな。」


 先生は皮肉な口調でそう言った。ダスワルトには訳が分からない。


「私が研究しているのはイェメナ、つまり、太古に人間が神から与えられたとされている聖地だ。一般的には、聖地はあの寒冷な北の地にあったとされているがな、本当は違うんじゃないかと考えている。」

「イェメナで私もそう思ったよ。だって、あんなところで人間は暮らせやしないもん。」

「そうだ、そうなんだよ!」


 先生が急に熱くなって食いついてきた。こんな先生を見たのは初めてで、ダスワルトは少々引いてしまう。先生はすぐに我に返ると、一つ咳払いをして、また不機嫌そうな表情を取り繕った。


「まあ、我々の体感はさておき、広く知られた常識や学問上の一般的な見解を覆すには、確たる証拠が必要だ。」


 いつの間にか、我々、と同志扱いされている。


「それで、私は文献を当たり、真のイェメナではないかと思われるところを調査していたんだが、どうもはかばかしくなくてな。それなら、現時点でイェメナと目されている場所も改めねばならん、とどうしても衝動を抑えきれなくなった。」

「先生もとんだ変態だな。イェメナって、一般人は立ち入り禁止だろ。父さんがそう言ってたぞ。」

「ああ、お父上の言に間違いはない。魔物が多く危険だということで付近への進入は禁止されている。だが、禁止されて、素直に従う人間ばかりとは限らん。」


 役人がそんなことで良いんだろうか、とダスワルトは思う。法令を遵守する立場なんじゃないのか。


「お前も見た通り、イェメナは魔物の姿など全く無い、穏やかな地だったよ。遠目に見えた建築物が、魔王城か、魔物の暮らす町か、どっちかだったんだろうな。その時は人間の町だと思って、気にも留めなかったが。」

「先生、もうちょっと調べてから行かないと、現地調査の意味が無いんじゃないの。」

「現代の事物に興味は無い。イェメナに人間がいたのは遥か古代のことだ。」


 先生は何事につけ偏っているのである。


「私の見たあの北の地と、お前の記憶にある風景は一致している。だから、お前があの地を踏んだのは事実だと理解した。お前のような子どもが容易に立ち入れる場所じゃないからな。他の話も信用せざるを得ない。」

「なるほどなあ。じゃあ、私は来るべくしてここに来たんだな。先生がいたから。」

「そんなはず、あってたまるか!ただの極めて不幸な偶然だ!お前をここに寄越した魔物に会うことがあったら、訊いてみろ!適当にぶっ飛ばしました、と言うに決まっておるわ!」


 そんなに怒らなくても良いじゃん、とダスワルトは口をとがらせる。ダスワルトにしてみても、先生のようにすぐに話を信じてくれる人のところに来られたのは行幸だったようだが、その他の点に関してはかなり運が悪いと言わざるを得ない。お互い様ではないか、と思う。


「んで、先生は、なんかいい証拠を発見できたの?」


 ダスワルトが問うと、先生はふんと鼻を鳴らした。


「何も得られなかった。仕事の都合で、そう長居はできなかったしな。もっと本腰を入れて調査せねば、軽く当たる程度では駄目だろうよ。」

「ふーん。折角、遠路はるばる行ったのにな。」

「そうだな。それで得たものと言ったら、私が魔物の仲間であるという烙印だけだ。」

「え、そうなの?」

「そんなわけあるか。ただの文官が魔物の巣窟たるイェメナに無断で立ち入り、無傷で生還したのだから、人間であるはずがない、というとんでもない屁理屈だ。」

「無断進入はバレたんだ。」

「論文にしてしまったからな。」


 先生、詰めが甘い。


「それで、イェメナへの無断進入を口実に、その屁理屈、もろもろのやっかみ陥穽全部ひっくるめて罪状をでっちあげられ、ここへ島流しの処遇となったんだ。暗黒時代の魔物の形跡でも発掘してろ、ってな。」


 先生がこの島でそこいらを掘っくり返して調査している光景は、ダスワルトの記憶に無い。仕事をサボっているのだろうか。ダスワルトがほんのり咎めると、先生は全然堪えていない様子でつんとした。


「そんな無駄なことをする必要は無い。」

「だって、それが今の先生の仕事なんだろ。不本意だろうけど。」

「楊枝を100本ずつ束にして、ほぐして、また束にして、ってのが仕事になると思うか?それと同じようなもんだぞ。こんな辺鄙な島の過去を調べたって、誰も本気で報告書を読むことは無い。ただ、私をここに縛り付けるための口実さ。地方赴任させる以上、建前が要るからな。」

「役所ってのはめんどくさいな。」

「見栄と建前と弁解でできてるようなもんだからな。空虚なんだよ。」


 先生は吐き捨てるように言った。自分も猛勉強して登用試験に合格し、長年仲間たちと切磋琢磨して勤めてきたにもかかわらず。

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