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異世界転石の先  作者: 七田 遊穂
第2章 勇者を倒した後の祭り
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第7話

 バケツとブラシをウトに渡して、トウリは城の外に出た。どこかから微かにえずく音が聞こえて、そちらに足を向けると、案の定魔王が地面に向かって嘔吐していた。勇者戦前には食欲を失い、ほとんど何も受け付けなくなるので、吐いていると言っても大したものは出ていない。口から出るものより、苦しさのあまりまつげを濡らす涙の方が多いくらいだ。


「魔王様、大丈夫ですか。」

「…うん。吐くのに、慣れた。」


 魔王は唇を固く結び、まだこみ上げてくる嘔気を堪える。経験上、そろそろ何とか収まりそうな気がする。勇者戦も3回目ともなれば、読めてくる。読めるのは吐き気だけだが。


 漸く少し落ち着いたところで、魔王はぼそぼそと全く覇気の無い声を出した。


「出てくる途中で、別の人間に会った。他にもいたんだな。」

「いや、そんなはずは。…どこで見かけられたのですか?」

「いつもの経路じゃなくて、うっかり裏に迷い込んだみたいだった。」


 魔王から目撃場所を説明され、トウリは軽く舌打ちをした。魔王城は、勇者用のいかにも禍々しい入り口から魔王の間に至るまで、専用路が敷かれている。余計なところを探索され、不用意に魔物と遭遇されたり、物品や備品を荒らされてはかなわない。人間は魔物と見れば直ちに殺そうとするし、魔物の所有物は必ず強奪するのだ。油断も隙も無い。だから、人間用に通行が許されているのは、城内のごく一部なのである。だが、稀に進入禁止区域に紛れ込む人間がいる。そんなことをしても、舞台裏には魔王の間より遥かに多くの魔物が勤務しているので、すぐに発見され即刻処分されるのが常であるが、今回は勇者戦とその後の清掃で人手が割かれている隙にうかうかと侵入を許してしまったようだ。


 この弱小魔王が人間に遭遇して、よく無事だったものだ。とトウリは思ったけれど、その通りには声に出さない。


「申し訳ございません。我々の手落ちでした。お怪我などはございませんか。」

「もう我慢できなくて、目の前で吐いたら逃げて行ったよ。一応名乗ったが、私が魔王だと信じてくれただろうか。」


 その人間が逃亡後、無事に城を出たのか誰かに抹殺されたのか、そこはすぐに確かめようとトウリは考える。未だに城内にいるとしたら、それは許されることではない。


「結構、道を間違える勇者がいるな。記録に残る分だけでも、全侵入者に対して5%近くの迷子が出ている。」

「そんなにもいましたか。よく覚えておいでですね。」

「うん。構造上の欠陥があるのかもしれない。見直した方が良いな。心当たり、は、何箇所か…あるんだ。」


 そこまで喋って、魔王はもう一度えずいた。読みが甘かった。何も出るものは無いが、苦しい。力なく顔を伏せたまま、魔王は小声で話す。大きな声を出そうものなら、代わりに声でないものが出る。


「私なら、ここで休んでいるから心配要らない。手間をとらせてすまないが、私が逃がした侵入者を確認してきてくれないか。」

「かしこまりました。まだいるようならば、見つけ次第抹殺します。」

「いや、そうじゃなくて。」

「…はい。なるべく、生かして逃がします。」

「うん。頼んだよ。」


 うつむいた状態で、魔王はぱたぱたと片手を振ってトウリを送り出した。


 やれやれ、とトウリは城内に戻る。あの弱り切った魔王を見て逃げ出したなら、大した勇者ではない。この話を血気盛んなウトにでも話したら、間違いなく侵入者は一瞬の間も置かずに捻り潰されるだろう。黙っていよう。


 魔王に教えられた遭遇地点にまず向かうと、そこは案の定もぬけの殻である。身を隠すような場所も無い。それならば、とトウリはそこを起点に捜索を開始する。正規ルートは清掃の魔物でごった返しているから、まずそちらには戻れないだろう。いるとしたら、裏しかない。


「あれ、トウリ、掃除に行ったんじゃなかったのか?」


 麻袋を抱えた魔物が、通りすがりに声をかけてきた。ほんの数秒考えて、トウリはこいつにならば協力を仰いでも良さそうだと判断する。


「裏に侵入者がいるかもしれない。」


 トウリは経緯をざっと説明した。


「だから、呑気に炒飯なんか作ってる場合じゃないんだ。ヨルンも協力してくれ。」

「それは良いけど、今日の献立、教えたっけ。」

「お前、2日に1度は炒飯じゃないか。」


 そうだっけ、と天井を仰ぎ見た魔物は、トウリの同族、火の四天王ヨルンである。火力を活かした炒め物が大人気の、魔王城の賄い担当だ。性格と能力がお掃除には向いていないので、勇者戦の片付けに呼ばれることはあまりない。


 ヨルンは重そうな麻袋を下ろすと、トウリと並んで歩き始めた。


「どこを探した?」

「北通路は一通り見たが、他に見つからなければもう一度行く。」

「発見したら、殺れば良いんだよな?」


 そう言いながら、どこからともなく研ぎ澄まされた牛刀を取り出す。お料理にも殺人にも使える便利グッズである。


「いや、それは収めてくれ。なるべく殺すな。」

「それは、魔王様のご意向か。」

「そうだ。…まあ、なるべく、だからな。しょうがないときもあるさ。」

「そうだな。しょうがない、しょうがない。あ、今日は炒飯にショウガ入れよっと。」


 と、全然ご意向に従う気のない二人である。

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