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異世界転石の先  作者: 七田 遊穂
第6章 先を生きる人
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第77話

「ダスワルト、荷を持って来い。」


 先生はいつもは自分でしょって来る荷物を指で指し示した。既に背負子の上に綺麗にまとまっている。ダスワルトはそれをよっこいしょと背負って、先行する先生を小走りに追いかけた。こりゃ、重い。この枯れた先生がよくぞ毎回自分で背負っていたものだ、とダスワルトは感心する。肩に紐が食い込んで、少々きつい。


 そう思っていたら、先生が途中でぴたりと足を止めた。後ろを振り返り、ダスワルトの更に向こうへ疑り深そうな目を遣ってから、ダスワルトに手を差し出す。


「ほれ。」

「いかがされましたか、ベッセル先生。お疲れになりましたか。」

「それはもう良い。もう舟はおらん。それより、荷物を寄越せ。重いだろう。」


 どうやら、荷運びを代わるおつもりらしい。


「このまま持って行くよ。水汲みより楽なくらいだ。」

「馬鹿もんが。子どもにそんなものを負わせられるか。」

「いいよ、本当に。鍛錬になるし。ちゃんと鍛えて、私は勇者になるんだからさ。」


 ダスワルトがそう言って歩き始めると、先生はむっと押し黙って付いてきた。ダスワルトが勇者になると言うと、先生は明確に反対はしないが、諸手を挙げて応援する雰囲気にはならない。どうでも良い、よりは、いけ好かない、の方に傾いている気がする。が、先生ははっきりと言わないので、心底どうでも良くて、キラキラした夢を語る子どもが鬱陶しいだけなのかもしれない。


 結局、肩で息をしながらダスワルトは荷を廃屋まで担ぎ切り、先生と一緒にせっせと片づけをした。重いより何より、紐が細くて痛かった。もう少し工夫の余地がある。


「本当に、私が魔物に見えたのかなあ。」


 どうにか改造できないものかと背負子の紐をいじりながら、ダスワルトは呟いた。


「何となくだけど、すっごく魔物に敏感じゃない?あっちの島の人たち。」

「あー、まあ、それはあるかもしれんな。」


 新しい紙を手にして、少し嬉しそうな顔の先生が答えた。先生は本と紙とペンを与えられれば、とりあえず機嫌が良くなるのである。そこのところはちょっと父親に似ている、とダスワルトは思う。


「この辺りは大昔に魔物の集落があったらしいからな。」

「えっ、そうなの。」

「前に教えたろう。暗黒時代の話だ。もう忘れたのか?試験するぞ。」

「やめて、やめて。」


 何なのであろうか。世の中の大人の男は誰も彼もが本の虫で、やたらと子どもに知識を詰め込みたがり、しかも試験を課すのが大好きなんだろうか。綴り誤りにもうるさいし。自分が大人になっても、決してそうはなるまいと決意するも、とりあえずは目の前の危機を何とかせねばならない。


「ええと、あれだ。魔物の力がすっごく強くて、特に戦争したわけでもないのに、何か知らん間にどんどん人口が減っていって、土地も奪われていった時代でしょ。覚えてるよ。」

「まあ、そんなところだな。何か知らん間、という表現は曖昧過ぎるがな。」


 やべえ突っ込まれる、とダスワルトは思ったけれど、先生は今は機嫌がいいのでそのまま流してくれた。


「でも、ここってイェメナからは遠いよね。魔物の支配領域って、随分広かったんだな。」

「広いというよりは、人間の住みにくいところを足掛かりに一つずつ駒を置いていったんじゃないか。最初は点でも、やがて線になり、線で囲んでしまえば面になる。そうやってじわじわ侵食されていったと、伝えられている。それがまあ、お前の言うところの何か知らん間ということになるか。」

「うん。」

「ここも、他の島も、水場が少ないだろう。ちょっと小細工して水を干上がらせたら、人間も干からびる。そんな小細工が魔物にできるかどうかは知らんが、もしできるなら、この一帯から人間を駆逐するなんてあっという間だ。魔物が駒を置くには丁度良かったんじゃないのか。」


 そんなこと、魔物にできるんだろうか。ダスワルトにもよく分からない。でも、人間だって、やろうと思えばそれくらいの悪事はできるかもしれない。ため池を壊してしまうとか。


「それで魔物がらみの要らん風評が出やすいのかもしれんな。そのせいで敏感になっておるんだろう。」

「うちの周りの空き家って、魔物が住んでたの?」

「あれは人間の集落だ。この潮風に吹かれる土地で、こんなしょぼい木造住宅が何百年ももつわけなかろうが。暗黒時代が過ぎ、人間が徐々に力を取り戻し、魔物を追い出して集落を形成した。そして放棄した、その跡だ。この島は、あまりにも不便だからな。」


 ふーん、とダスワルトは窓の外を眺めた。仮にここが魔物の集落だったのなら、外の家に限らず、ダスワルトと先生が暮らすこの家も魔物が使っていたということになるか。そうではないことが、残念なのか、安心なのか、自分でもピンとこない。


 魔物が暮らしていたのなら、土をほじくり返したらその跡でも出てくるんだろうか。畑を耕していてもそれっぽいものは無いけれど。


「暗黒時代ってのも、魔王はいたのかな。」


 ダスワルトはぼんやりと呟いた。魔物の寿命なんて知らないが、あいつが暗黒時代を築いたとは思えない。


「いたらしいぞ。」

「えっ。」


 想定外の返事に、ダスワルトはびっくりして先生を凝視した。


「でも、その時代って、目立った戦争とか無かったんだろ。どこに出しゃばってきたんだ?どんな姿だったんだ?」

「知らんよ。そんな具体的な資料が残ってる時代じゃない。第一、私は魔物の専門家でもない。そっち方面は、物のついでにどっかで記述を見たことがあるってだけだ。気になるなら、自分で調べろ。」

「調べたくたって、先生の本にはそういうの無いじゃん。」


 先生の書斎を埋め尽くす本は、考古学や地理、神話に関するものが多い。たまに、植物や動物の図録もある。四角四面な字で先生が書いている文章は、あまりに長大なので読んだことが無いが、ちらちら見る限りでは魔物に関する記述は無い。どこで調べろというのか。父親の書斎なら何かあるかもしれないが。島を出ろということか。出られやしないじゃないか。

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