第76話
そんなことを考えてうんうん唸っていたら、ばあんと扉が開いた。閉まりが悪いから風で開いちゃったかな、とダスワルトが振り向こうとしたら、それより先に雷が落ちた。
「こんの、バッカもんが!」
扉の音より大きな声に、ダスワルトはびっくりして飛び上がった。この島では僅かな、小舟を付けられる海辺まで荷を受けに出かけていたはずの先生が、髪振り乱して肩で息をして仁王立ちしていた。痩せて枯れているくせに、どんな馬鹿力を振り絞ったか分からないが、凄まじい怒鳴り声だった。
「あれほど言ったのに、隣の島までまた出掛けおったのか!」
「あー、バレちゃった?でも、何で今頃。」
ここ最近の話ではないはずなのに、なぜ急に蒸し返されたのか分からず、ダスワルトは首を傾げた。
先生はそれには答えず、クイクイとダスワルトを手招きして外にずんずんと歩き出した。ダスワルトは慌てて家を飛び出して、先生について行く。
「今から、お前は私の従僕だ。」
「はあ?」
「事実はどうあれ、他人からそう見えるように振る舞え。」
「それは良いけど、どこ行くの。」
「荷受けに行く。」
そりゃ、先生がさっき行ったんじゃないの、と思ったけれど、そう言えば帰ってきた先生は完全に手ぶらだった。いつもはあはあ言いながら自分で背負って帰って来るのに。状況が理解できない。
先生はひどくお怒りのようで、むすっとしたまま速足で歩く。筋肉も脂肪も無さそうな貧相な体つきではあるが、こうして頻々に荷受けに行くので、足腰は非常に頑健である。ダスワルトも遅れないようにせっせとついて行く。
「私が行っても良いのか?ずっと、駄目だったじゃん。」
「お前の存在が知られた。魔物だと思われているぞ、やはり。」
先生が早口で説明するところによると、お隣の島で変な目撃談が多数報告された。夏の間に、見慣れない子どもがしばしば島内を歩き回っていたのである。狭い島のことであるから、数少ない子どもの顔は島民の殆ど全員が把握している。島民の子ではないのはすぐに分かった。大方誰かの親戚がやってきたのだろう、と当時は深く考えもしなかったが、後で話し合ってみると、そんな親戚の子どもを呼び寄せた島民はいない。では、あの子どもは何だ。神出鬼没の怪しい生き物とくれば魔物である。そのうち、その魔物が先生の住む小島から泳いでくるのを見たという者が現れ、先生が変な研究に没頭して魔物を召喚したのではないかという疑惑が生じているのだという。
「私が本庁に懇願して従僕を寄越してもらったことにする。お前は適当に話を合わせておけ。」
「私は人間で良いんだよな?」
「当り前だ、馬鹿もん。」
海辺が近付いてきたので、先生も少々声のボリュームを落とした。
海辺には既に船から降ろされた荷が地面に積まれている。大した量ではない。1、2週間分の食料と、少々の日用品である。ダスワルトは公式には存在しないことになっているので、一人分しかない。そう大して遠くもない廃屋まで、先生がえっちらおっちら背負って帰ってくることのできる量である。その荷のそばには、壮年の男性が所在無さげに腕を組んでぼんやりと立っている。
ダスワルトには、その男に見覚えがあった。隣の島の漁夫だ。軽く挨拶しただけだが、ダスワルトの存在が珍しかったなら向こうはこちらをしかと覚えているだろう。島民の誰かの親戚だろうと自然に判断するくらいに、無害な人間の子どもとして認識されていたはずだ。それなのに、今や、魔物だと疑われているとは。一般の人々は魔物を何だと思っているのやら、と呆れそうになったところで、不意に魔王と父親の会話が脳裏に浮かぶ。自分だって、魔物のことをよく知らないのだ。自分が直接目にしたのは、魔王城の魔物たちだけ。人間みたいな見た目の魔物もいたし、結構喋る奴もいたし、それを思うと、自分が魔物だと疑われてもしょうがないかもしれない。
と考えかけて、ダスワルトは頭をブンブン振った。冗談じゃない。魔物なんぞと一緒くたにされてたまるか。
先生は苦虫を噛み潰したような不機嫌そのものの表情で漁夫に近付いた。ダスワルトは半歩下がって、しおらしい顔をする。
「お前たちが魔物だと騒いでいるのは、この者のことだろう。」
ダスワルトが人と話すならもう少し近付きたいんだけどな、と思うような距離を空けて、先生は漁夫に話しかけた。漁夫はしげしげとダスワルトを眺めて、ふーんと曖昧な返事をする。
「多分、この坊主ですね。魔物なんですか。」
「この私が魔物を使役できると本気で思っているのか。」
「いや…それは…。もしかしたらそういう魔法もあるかもしれませんよね。」
「そんなもの、知るか。」
ダスワルトも、そんな魔法は聞いたことが無い。先生を見ていてうっすら気付いたことだが、一般の民間人は、魔法を全然知らないようだ。ダスワルト自身は魔法を使えないし、学んだこともないが、魔法を使いこなす父親や兄姉を間近で見ていた分なじみはある。どうも、そんな自分の一般常識は世間からずれているような気がし始めている。
「この者は、雑役をさせるために、本土から直接寄越してもらったんだ。」
「はあ。そうでしたか。ベッセルさんのお孫さんで?」
ベッセルとは、先生の名前である。たまに、ダスワルトは忘れそうになる。
孫と言われて噴き出しそうになり、ダスワルトはうつむいて堪えた。が、先生の方はぶちんとキレた。
「私に孫などおらん!」
あ、そうなの、とダスワルトは思う。先生は、ダスワルトの身の上話はよく聞いてくれるが、自分の個人的な話は殆どしない。見た目の年齢から考えたら、孫がいたっておかしくなさそうだけれど、その前に妻や子どもがいるかどうかも分からない。
「この者は、遠縁の子だ。親はおらん。身寄りが無いでな、丁度いいから、従僕にしがてら引き取ることにした。」
自己紹介をせよ、と言われてダスワルトは神妙な顔つきで漁夫に軽くお辞儀をした。
「ダスワルトと申します。ベッセル先生の身の回りのお世話をさせていただいております。以後お見知りおきを。」
「はあ、こちらこそ。」
漁夫はぽりぽりと指先で顔を掻いて、気の抜けたようにダスワルトを眺めている。
「しっかりした子ですね。」
「…教育が行き届いておるからな。」
フン、と先生は鼻を鳴らす。
「とにかく、これで分かっただろう。根拠もなく口さがない悪口雑言をまき散らすのはやめろ。何が魔物だ。失敬な。」
「はあ、すんません。でも、こんな子がいると聞いてなかったから、食料が足りないかもしれませんよ。」
「心配要らん。こいつは自分で何とかしておる。わざわざ本土に頼む必要は無い。」
実際、ダスワルトは魚やら植物やらを採取して、不足の食料を補っている。とはいえ、もう少し配給の食料があるに越したことは無いので、増やしてもらえばいいのに、とダスワルトは不満に思う。でも、先生は頑なに拒む様子である。
これ以上漁夫と口をきくと呪われる、とでも思っているかのように、先生は唐突に会話を打ち切り、ぷいと漁夫に背を向けた。




