表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界転石の先  作者: 七田 遊穂
第5章 主無き城
69/117

第68話

 結局、休めと言われたのに休み切れず、トウリは自分の傷をほったらかして魔王への対応と重症の魔物の治療に天手古舞になった。そうしているうちに、ウトの大声で話しかけられても反応することがなくなり、人間の血で汚れた床を前にしてブラシを持ったまま掃除をするでもなく呆然と立ち尽くし、その姿に危機感を抱いたヨルンに引きずられるようにして施療所に連れ込まれ、こんなになるまで放っとくなと治癒者に叱られながら意識を失った。


 そんな前科があるので、ヨルンは隣で皿を洗うトウリの様子をちらりちらりと確認している。目の下にはくっきりとした隈がある。が、皿は相変わらずピカピカに洗い上げられ、滞りなく片付いて行く。


「なあ、皿洗いは私がやるから、トウリは休んだら?疲れてるだろ。」


 ヨルンが話しかけても、ここ最近のトウリから返事のある確率は6割くらいである。今回は、その6割に当たったらしい。トウリがぼそりと答えた。


「やりたいんだ。」

「なんで?」

「手を動かせば動かしただけ、問題が1個ずつ綺麗に片付いて行く。終わりがある。こんなに素晴らしい労働は他に無い。心が救われる。」


 全くの無表情で平坦な口調のトウリに、ヤバそう、とヨルンは内心で思う。お疲れに過ぎる。


「魔王様、どうなんだ?」

「相変わらずだ。」

「どんな感じなの。」

「ものすごい力で下に引きずり込まれていくのを、外部から干渉して、全力で引っ張り上げようとしているようなものかな。…全然、上がらないんだがな。」


 くくく、とトウリが全く表情を変えずに笑い声をあげた。怖すぎる、とヨルンは身を震わせる。


 魔王が負傷してから既に1年以上が経過している。療治を専門とする治癒者は当然のこと、治癒魔法の使える魔物はすべて動員され、交代で1日24時間体制で治療に当たっている。魔物が総力を挙げて治療技術と治癒魔法の限りを尽くし続けることで、辛うじて、魔王はその命脈を保っている。保っているだけで、目を開くことすらない。血の気の無い顔で身じろぎもせずに横たわるだけだ。


「信じられるか?うかうかすると、未だに傷口から血が滲むんだぞ。くくく。」

「そこ、笑うところじゃないよな。トウリ、おかしいぞ。」


 ヨルンが肘で突くと、トウリははっと我に返ったような表情に戻った。


「…いかんな。疲れているのかな。」

「絶対、疲れてるって。鏡見ろよ。隈すごいぞ。ちゃんと寝てるか?」

「あまり眠れない。」

「そりゃいかん。明日の朝食あたり、ガッツリいっとくか?」

「食欲が無い。おかゆが良い。」

「そんな、魔王様みたいなこと言うなよ。」


 ヨルンが言うと、トウリは漸くまともな笑いを浮かべた。皿を拭いて棚に収めながら、ヨルンは密かにほっと胸をなでおろす。ずっとトウリが疲れすぎていて、怖すぎるのである。


 魔王の治療は24時間休み無しとは言え、交代制で、各担当者は十分な休息をとれるように体制が整えられている。当初は魔王以外の重症者も多く、治療可能な仕事量に対して治療せねばならない対象が多すぎ、使える者は藁でも使えの勢いで不眠不休もざらであった。が、それではすぐに限界が訪れる。限界が来たら、それは即ち魔王の死を意味する。であるので、治療担当が全員倒れる前にトウリが率先してシフトを組み、労働力を分配し、安心安全快適な職場環境の構築に勤めた結果が現在である。


 しかし、その当のトウリがへとへとになっている。自らも夜勤を含む長時間の治療に当たる他、シフトの調整、各方面からのお悩み、愚痴、訴え、諸々のどうにもならない相談事が降りかかってくる。それも、魔王の治療チームの話だけではない。魔王が休眠状態でも、勇者はぼつぼつやってくる。重傷を負って回復途上にある魔物や、連戦で疲弊している魔物を避け、十全な戦闘力をもって来訪者を消し炭にせねばならない。そちらの人員の調整も必要で、そうすると、戦闘を担う勇者対策班からもああでもないこうでもないと話を持ち掛けられ、その上、場合によっては自ら参戦もせねばならない。かてて加えて、何でも人生相談室が開設されたとばかりに、城内の修繕から城下町のご祝儀にいたるまで、何かと声を掛けられる。勿論、本来の専門分野である河川やら雨水やら水回りの管理もやらねばならない。


 150年にも亘る魔王空位期ですら、これほど忙しくは無かった。他の魔王が存在する間は、言うまでもない。だが、現在は変に忙しい。ただの仕事だけなら回る。だが、やたらと魔物たちが相談事を持ち込んでくるのが、トウリの時間と気力と体力を削ぎ落していく。どうやら、魔王が日頃ニコニコしながらどんな駆け込み訴えにでも耳を傾けていたので、魔物たちもその癖が抜けないらしい。うっかり魔物から魔王様と呼びかけられて、トウリがブチ切れたことも数知れずである。


 魔王は魔物を感化する、という司書長の話をトウリは思い出す。へなちょこな現魔王の下では、魔物もへなちょこ風味に仕上がるのかもしれない。魔王が意識不明であっても、その影響力から免れることはできないらしい。


 はあああ、と疲労が色濃く滲み過ぎてドブネズミ色に染まっていそうなため息をトウリは漏らす。


「このままでは、水の四天王を返上して、御用聞きの四天王になるしかないかもしれない。」

「それはそれで面白いけど、トウリらしくはないな。」

「何をしても終わりが見えない…。」


 トウリは生気のない瞳で洗い終わった皿をじっと見つめた。ヨルンはそれ見て、またぞくっと震えを感じる。ヤバすぎる。もう、限界一杯いっぱいじゃないか。


「せめて、魔王様が少しでも回復なされば良いんだが…。」

「それより先に、トウリの労働環境を改善する方法を考えよう。ほら、茶を淹れてやるから。トウリほど美味くはないけどさ。」

「ヨルンにしては建設的な提案だな。」

「トウリの頭が働いてない分、こっちに何かが下ったんだよ。」

「じゃあ、良い打開策も思いついてくれ。私には何も閃かない。もう、しんどい…。」


 ずるずるずる、とトウリはその場にしゃがみ込んでしまった。うわああ、とヨルンはうろたえる。数百年来の付き合いだが、こんなトウリは見たことがない。


 そこに魔物がやってきた。厨房をひょいと覗いて、辺りを見回す。


「トウリ、来なかった?ちょっと相談したいことがあってさー。」

「えーと、私で良けりゃ、聞くよ。」

「ヨルンじゃダメだろ。」


 ヨルンのハートはちょっぴり傷ついた。


 ずるずるずる、とさっきとは逆の動きでトウリが這い上がった。


「私ならここにいる。何の話かな。」

「おい、トウリ、無理すんなって。」

「ヨルン、悪いが、お茶をもらえるか。向こうにいるから。…で、何の話だって?」


 トウリは皿を置いて、魔物と連れ立って食堂に歩いていく。えー、とヨルンは思うけれども、どうしようもない。食堂を気にしながらお湯を沸かして、適当に茶葉を放り込んで、とやっていると、トウリの怒鳴り声が聞こえてきた。


「私は魔王様ではない!」


 また言ってら、とヨルンはため息を吐く。怒鳴ってもなお、トウリは魔物の話をじっと聞いている。その姿は、どこか魔王に通じるようにも見える。何のかんので、トウリも十分に魔王の影響を受けているのである。


「魔王様、頼むから早く治ってくれ…トウリが壊れる。」


 ヨルンは祈りを込めて、ほんの少しだけ砂糖をお茶に入れた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ